3 国境の砦
――国境警備隊第1中隊のアリウス大尉は、異変を感じていた。
ハミル村から、そう遠く離れていない場所から、剣と剣を打ち合わせた音が聞こえるからだ。
(……もしや、アルテリオ軍と我が軍が、戦っているのか?)
そう判断したアリウスは、自分の騎乗する馬の手綱を握りながら、指示を出した。
「砦に戦闘発生報告の伝令を出せ! その他の者は、俺に続け! 目的地は、戦闘音がする方向だ!」
『ハッ!!』
アリウスの掛け声とともに、第1中隊が、馬を走らせ始めた。
――イザルクは、少し安心した。
今まで、常人では考えられないような力で、部下達を倒していた少女の動きが目に見えて悪くなり、とうとう先ほど、地面に倒れ伏したのだ。
「……やっと、倒れたか。一体、何だというのだ? たった一人の相手、しかも、年端もいかぬ少女に、部隊の半数以上を倒されるとは……」
イザルクは、周りの惨状を見ながら、そう言った。
イザルク達が戦った周囲には、イザルクの部下達の亡骸が倒れていた。
「悪い悪夢だとしか思えん。誰か、あの少女が、絶命しているか、確認せよ」
「ハッ」
返事をした部下の一人が、少女に近づこうとした、その時、
「居たぞ!! 一人も逃がすな!!」
周りに響き渡る声とともに、イザルク達の前に、騎馬隊が現れた。
まだ、距離はある程度あるが、その距離もすぐに縮まりそうであった。
「隊長、いかがいたしますか!?」
イザルクは、現れた騎馬隊を観察した。
「……見たところ、1個中隊近くの戦力はありそうだ。口惜しいが、即座に逃げなければ、我々は包囲されるだろう。撤退する」
「了解しました!」
イザルクが、そう判断するなり、特別工作隊の面々は、即座に撤退を始めた。
――アリウスは、歓喜していた。
とうとう、村を襲撃して回っていたアルテリア軍を見つけたからだ。
「居たぞ!! 一人も逃がすな!!」
やっとアルテリオ軍の尻尾をつかんだ第1中隊の面々は、士気を上げていた。
馬を駆る速度も上昇していた。
そんなアリウス達の目の前で、アルテリオ軍が撤退しようとしている兆候が見えた。
もちろん、アリウスの部下達にも、その兆候は見えていた。
「中隊長! 敵が逃げていきます! いかがいたしますか!?」
「第1小隊は、このまま追撃! 第2小隊は、左翼から、第3小隊は、右翼から、それぞれ回りこんで、包囲し撃滅しろ! ただし、追撃するのは、アルテリオとの国境までだ!」
「了解!」
中隊長の指示を聞いた、各小隊長は、速やかに自分の小隊に、指示を出して、追撃に取り掛かっていた。アリウス自身は、第1小隊の後ろから、全体を見渡せる位置で、馬を走らせていた。
(散々、国境付近の村を焼いた連中だ。絶対、逃がさん!)
アリウスは、気持ちを引き締めると、敵の追撃に集中した。敵との、距離は、徐々に縮まってはいるが、敵自体は、森の中に逃げ込もうとしているようであった。森の中を馬で進むのは、難しい。各小隊も、馬から降りて、森の中に、走って、追撃をしようとしている。
(……やはり、敵の能力は高い。この周辺の地形を、完全に頭に入れているようだ。でなければ、着実にアルテリオまでの国境の最短ルートを、逃げられる訳がない)
アリウスが、敵を追撃しながら、そのようなことを考えている時に、第1小隊の小隊長が近づいて来た。
「中隊長! 敵を追撃している道中で、血だらけの民間人を発見しました!」
「民間人? 生きているのか?」
「はい、辛うじて生きているという状態ですが!」
「分かった。見殺しにするには、忍びない。第1小隊から、何人か人を出して、砦で治療しろ」
「了解しました!」
中隊長の指示を聞いた、第1小隊の小隊長は、そのまま指示を出すため、第1小隊に戻っていった。
(……それにしても、民間人とは。どこかの村から逃げた生き残りか?)
そんなことを考えながら、アリウスは、敵の追撃のために指示を出していた。
アリウス率いる国境警備隊第1中隊は、その後、翌朝まで、追撃を続けたが、目ぼしい戦果を挙げることが出来なかった。敵の撤退のスピードが速いのは、もちろんだが、敵が分散して、バラバラに逃げたために、追うことが難しくなってしまった。
そうこうしている間に、夜になってしまい、何とか、松明をつけて捜索したが、翌朝には、完全に敵の姿を見失ってしまった。
そこで、アリウスは、これ以上、追撃するのを中止し、砦に引き返すことを決断した。そして、しばし休憩した後に、砦へ向けて出発した。
「それにしても、追撃をしていながら、敵の一人も倒せないとは……」
「そうだな。敵の能力は、こちらの想像よりも高かったな」
部下の一人の発言に、アリウスは同意した。実際、翌朝まで追撃して、一人も倒せなかったという事実による無力感が部隊に広がっているのを、アリウス自身も痛いほど、感じていた。
(敵は、それほど能力が高かった。おそらく、並みの兵では、一方的にやられて終わりだろう。だが、実際、少なくない数の敵兵がやられていた。一体、誰が倒したのだろうか?まさか、倒れていたという民間人か?)
アリウスは、疲れ果てている第1中隊の面々を見ながら、そんなことを考えていた。
半日後、アリウス率いる国境警備隊第1中隊は、無事に砦まで到達した。アリウスは、各小隊長に、必要な指示を出した後、国境警備隊長の部屋に報告に訪れていた。
「……そうか。取り逃したか」
「はい、申し訳ありません」
アリウスから、報告を受けた男は、険しい顔をしていた。
国境警備隊長として、長年に渡り、国境を守り続けている、この男の名は、リカルド・レーバン。階級は、大佐であり、50歳を迎えようかとしている顔に、鋭い目つきが印象的な男である。
王国の西部を治める貴族の一人であるが、若い頃から、西部の国境地帯で、戦い続けている。アリウスの新兵時代からの付き合いのある将校の一人でもある。
「新兵の時代から、この地に慣れ親しんでいる、お前が、取り逃がすのだ。相手は、相当な練度だったのだろう?」
「はい、あれほど練度が高い部隊は、我が軍にも少ないと考えられます」
「……そこまでか。だが、他の者の報告では、少なくない数の敵兵が倒されていたそうだが? 第1中隊が倒していないとなると、一体、どこの誰が、倒したのだ?」
リカルドは、アリウスの顔を見ながら、問いかけた。
「……まだ、確認しておりませんが、おそらく、現場周辺で倒れていた民間人だと考えられます」
「確かに、他の者から報告された状況証拠から見ても、それしか考えられないか。だがな、まだ、年端もいかぬ少女が倒せるとは、にわかには信じられないな」
リカルドの眉間に、しわが寄る。リカルドの言うことも最もだと、アリウスも思った。どこの世界に、並みの兵でも敵わない者を、倒せる少女が居るというのだ。自分が言い出したことではあるが、同時に馬鹿馬鹿しいとも思ってしまう自分がいることを、アリウスは分かっていた。
「……ともかく、お前が来る前に、その件の少女が目を覚ましたらしい。驚異的な回復だったらしいぞ。普通に会話は出来るようだ。お前は、事情を聞いてきてくれないか?」
「了解しました。それでは、失礼します」
アリウスは、リカルドに礼をすると、そのまま部屋を出て行った。
国境の砦の医務室で、アリアは目を覚ました。
まず、目覚めたアリアを襲ったのは、全身の痛みであった。
「ッ!!」
あまりの痛みに、アリアは顔をしかめた。体がバラバラになりそうな痛みだ。我ながら、生きているのが不思議だとアリアは感じた。
アリアが、目を覚ましたことに気付いた医務室の人間が近づいて来た。
「おお!! まさか、生き残るとは! 君の生命力は凄いね!」
眼鏡をかけたお医者さんらしきおじさんが、アリアに向かって、そう言った。
どうやら、ここは、どこかの砦らしい。横たわっているベッドから、通路を見ると、鎧を着た兵士が行き交っているのが見えた。
「……ここは、どこですか?」
「ここは、国境警備隊が駐屯している砦だよ。そこで、死にかけのお嬢さんが運ばれてきて、私が治療したという訳だよ。ダメかと思ったけど、回復してよかった、よかった!」
おじさんは、嬉しそうに、アリアにそう言った。そんなおじさんの姿を見ながら、アリアは心の中で思った。
(……自分は、生きている。お父さん、お母さん、見ててね。必ず仇は討つから)
アリアはそんなことを思いながら、ベッドに横たわり、天井を見ていた。
アリウスは、リカルドの部屋を出てから、砦の医務室に向かっていた。目的は、砦の医務室に居る民間人の少女に話を聞くためである。
砦自体は、アルテリオ軍に備えるため、それなりの広さがある。アリウス自身も、敵の追撃から帰って来て、まだ、休んでいないので、疲れが残っていた。そのため、疲れが残る足取りで、歩いていた。
アリウスが、歩き始めて、数分。目的地の医務室にたどり着いた。普段は、負傷した部下のお見舞いに来る程度で、積極的に立ち寄ることはない場所である。医務室特有の匂いが、アリウスの鼻をついた。
そして、アリウスはお目当ての民間人を見つけた。
(改めて見ると、本当に、ただの年端もいかない少女にしか見えないな)
アリウスは、ベッドに横たわっている少女に近付いた。全身を布で巻かれ、見ているだけで、痛々しい。少女の方も、アリウスに気付いたらしい。顔をこちらに向けた。
「初めまして。俺は、国境警備隊第1中隊の中隊長アリウスだ。よろしく」
「……私は、アリアと言います。それで、その、何の用でしょうか?」
いきなり話しかけてきたアリウスに、疑いの目をアリアは、向けた。その目に、少し、アリウスはたじろいでしまった。だが、アリウスは気を取り直すと、アリアに問いかけた。
「君が、なぜあそこで、倒れていたのか。もっと言うと、アルテリオ軍を倒したのは君なのかが知りたい。俺に事情を話してくれないか?」
アリウスは、真剣な声でアリアに問いかけた。それを聞いた、アリアの表情は変わらない。
「……お話しても良いですが、条件があります」
「……条件?」
「はい、条件です」
「……聞くだけ聞こう、その条件とやらを」
アリウスは、アリアを見ながら、そう答えた。
「ありがとうございます。じゃあ、条件を言います。私をアスール王国軍に入隊させて下さい」
「……本気なのか?」
「本気です」
年端もいかない少女の口から出るとは思えない言葉に、アリウスは絶句してしまった。しかも、アリアの顔を見ると、どうやら、冗談を言っている訳ではなさそうだ。
確かに、アスール王国軍の入隊制限に、年齢の項目はない。だが、どんなに若くても、通常、18歳以上の人間が、入隊してくる。18歳より、下の年齢が、入隊してくることなど、アリウスは聞いたことがなかった。
目の前の少女は、どう見ても、18歳を超えているようには見えなかった。
「……何が、君をそこまでさせるのか。教えて欲しい?」
アリウスは、目の前の少女に問いかけた。対して、その答えは、簡潔なものであった。
「復讐のためです」