1 森で出会った悪魔
「……もう限界……」
アリアは、ふらつく足を引きずりながら、呟いた。
――4日前のことだった。
森で野草を収穫し終えたアリアがハミル村へ戻ると、村は火に包まれていた。
(アルテリア軍の仕業だわ!!)
状況を察したアリアは、自分の家へ一直線に駆け出した。
――隣国アルテリア帝国と、アスール王国との国境地帯周辺に点在している村の1つが、アリアのハミル村であった。
近年、アルテリア帝国とアスール王国の関係は悪化の一方であった。
そのような状況の中で、アルテリア帝国は、アスール王国の国境地帯に点在する村を襲撃し始めていた。
その行為に、アスール王国も黙ってはいなかった。
国境地帯周辺を守る5個軍団の1つである西方軍から、部隊を国境地帯に増員した。
だが、国境地帯を警備する軍隊を増やしはしたが、警備の手薄な村を襲撃され続けた。
今回、襲撃を受けたアリアのハミル村も、そのような村の1つであった。
「はぁ……はぁ……」
息を切らせて、自分の家に到着したアリアは、急いで家の中に駆け込んだ。
家には、火がついていなかったが、鉄の匂いがした。
「お父さん、お母さん、大丈夫!?」
駆け込んだ家の中には、血を流して倒れている両親の姿があった。
「……アリア、逃げなさい。お父さんもお母さんも、もう助からない」
アリアの父は、力無く答えた。
「嫌だ!!お父さんとお母さんが、居なくなるなんて考えられない!! 村にいるお医者さんを呼んで来るから!!」
「……駄目だ、アリア。まだ、近くにアルテリアの奴らがいる。アリアまで、死んでしまう。……早く逃げろ」
「……アリア、お父さんのいう通りよ。早く逃げなさい」
「嫌だ……」
そう呟きながら、アリアは両親に泣きながら、縋り付いた。
その状況も、長くは続かなかった。
遠くの方から、馬が土を蹴る音が聞こえてきた。それも、1つではなく、多くの音が聞えてきた。
「……アリア、アルテリオの奴らが戻って来た。裏口から逃げるんだ。早く!!」
「お父さん、お母さん……」
「お父さんも、お母さんも、お前に生きて欲しいんだ!! 早く行け!!」
そう言うと、アリアの父は、アリアの肩を押した。
「……ごめんなさい、お父さん、お母さん。仇は絶対に取るから!!」
アリアはそう言うと、家の裏口から、森の方へ駆け出した。
「……アリア、頑張って生きてくれ」
意識が途絶える寸前に、父はそう呟いた。
――4日間、アルテリオ軍から逃げ続けたアリアは、今まで、立ち入ったことがないくらい森の深くにいた。
その間、野草や虫を食べ、何とかしのいでいたが、12歳のアリアの体は限界であった。
満足に歩くことが出来ず、いつ倒れてもおかしくない状況であった。
そのような状況で、アリアは前方に人影を見た気がした。
(……幻覚? それもそうか…… こんな場所に人が居る訳ない)
アリアはそう考え、ふらつきながら、歩みを進めた。
幻覚がアリアに近づいて来た。そして、
「――あら、貴方、今にも死にそうだけど、どうかしたの?」
幻覚がアリアに、話しかけてきた。
「――ッ!」
アリアは驚きながら、目線を上げた。
そこには、一目見ただけで高貴な身分だと分かる服装をした、赤い髪を伸ばした女性が立っていた。
「――何をそんなに驚いた顔をしてるのかしら? ……あぁ、確かに、こんな森の深くに、悪魔が居たら驚くわよね」
「……悪魔?」
「そう。私は悪魔のフルーレって言うの。今度は、貴方のお名前を教えてくれる?」
「あ、悪魔って、あの悪魔ですか! 人を騙して、その人の魂を奪い取るっていう悪魔ですか!?」
そう言うと、アリアは、驚きながら、急いで逃げようとした。
だが、体が動かず、転んでしまった。
「……確かに、私は悪魔だけど、そんな低級の悪魔がすることはしないわよ。とりあえず、落ち着きなさい」
フルーレと名乗った悪魔は、そう言うと、手を伸ばした。
「で、でも悪魔って、邪悪な存在じゃないですか! 私をどうするつもりですか!?」
「だから、大丈夫。何もしないわよ」
後ずさりしているアリアの手を握ったフルーレは、そう言うと、アリアを立たせた。
「……そうね。とりあえず、貴方、今にも死にそうだから、食事にしましょうか」
そう言うと、アリアの手を放し、後ろを振り向いた。
「エリゴル! 食事にするわ! 準備をなさい!」
フルーレがそう言うなり、フルーレの目の前に、燕尾服に身を包んだ初老の白髪の男性が現れた。
「承知いたしました」
急に現れたエリゴルは、そう言うなり、その姿を消した。
時間にして、2秒後。
また、現れたエリゴルとともに、白い丸い机と白い椅子が2脚、現れた。
机の上には、サンドイッチとティーセットが置かれていた。
「さぁ、座りなさい」
フルーレが椅子に座ると、手招きをした。傍らには、エリゴルが立っている。
あまりに理解出来ないことが続いたアリアは、考えるのをやめた。
そして、椅子に座ると、空腹のあまり、目の前のサンドイッチを我慢出来ず、食べ始めた。
「……余程、お腹が空いていたのね」
一心不乱にサンドイッチを食べているアリアを見ながら、フルーレは紅茶を飲んでいた。
「……サンドイッチ、ありがとうございました」
「気にしないで、良いわよ」
お礼を言ったアリアに、フルーレはそう答えた。
「……ところで、貴方のお名前を、まだ聞いていなかったわね。教えて下さる?」
「……アリアって、言います」
「そう。貴方の名前は、アリアと言うのね」
そう言うと、フルーレは紅茶の入ったティーカップを置いた。
カチャンとテーブルにティーカップを置く音が辺りに響く。
「……もう1つ、質問しても良いかしら? 貴方は、なぜ、こんな場所に居るのかしら? 普通の人間は、こんな森の深くまで来ないわよね?」
「…………」
アリアはテーブルを見つめながら、黙ってしまった。
「言いたくないのなら、言わなくても構わないわよ。そこまで、興味がある訳でも無いから。それに、いきなり悪魔に事情を話せって言われても困るわよね」
そう言うと、再び、ティーカップに口をつけた。
静寂が辺りを包む。
(何が何だか、もう分からない……)
アリアは、頭の中で、そう思った。
村は焼かれ、両親もおそらく死んでしまった。
お金もない。
食べるものもない。
そう遠くない未来に、自分は死ぬだろう。
挙句の果てに、人間の魂を奪うとされ、恐れられている悪魔と出会ってしまう。
今のところ、何か襲って来る気配はないけど、いつ襲ってきても不思議ではない。
しかも、いきなりティーセットとサンドイッチと机と椅子が現れたり、理解が出来ない。
これが、悪魔の力なのだろうか。
(もう、どうにでもなっちゃえ! 黙っていても仕方ない! 今までのことを話そう!)
アリアはそう決めると、口を開いた。
「実は……」
「……なるほどね」
アリアの話を、静かに聞いていたフルーレはそう言った。
「ちなみに、これから、どうするかとか予定はあるの?」
フルーレは、アリアに問いかけた。
「……アルテリオ帝国に復讐します」
「具体的な方法は?」
「…………」
アリアは黙ってしまった。
今まで、逃げることに、精一杯で、具体的には考えていなかった。
今の自分と比べたら、アルテリオ帝国は強大過ぎる。
自分が出来ることは、何もない。
「……アリアは、アルテリオ帝国に復讐したいのよね? 良い方法があるのだけど、少し聞いてみない?」
黙ってしまったアリアに、フルーレはそう問いかけた。
「……どんな方法ですか?」
アリアはそう答えた。
「その方法はね…… 貴方が、アスール王国の軍隊に入隊して、アルテリオ帝国に復讐するっていう方法よ」
「無理です!! 私が軍人になるなんて、考えられない!! それに、軍人になれるほどの力も度胸もありません!! 他に方法はありませんか?」
「他の方法もあることにはあると思うけど、難しいと思うわよ。ねぇ、エリゴル?」
フルーレは、エリゴルに顔を向けながら、そう言った。
「はい。お嬢様のおっしゃている通りかと。アリア様の現状の状況を考えますと、軍に入るのが最良の選択肢だと思います」
エリゴルの言葉を、頷きながら、フルーレは聞いていた。
「でも、私には、力も度胸もないから……」
「まぁ、そう考えるのも無理もないわよね。う~ん、しょうがないわね。それじゃ、私と契約しましょう!」
「……契約?」
「そう、契約!少なくとも、力の問題は、それで解決よ!度胸は、軍に入って、鍛えれば良いじゃない!」
手を叩きながら、フルーレはそう言った。
「それでも、私に軍隊は……」
「それじゃ、両親の仇を取るのは諦めるの?」
「諦めません!!」
「なら、私と契約した方が良いよ。私と契約すれば、とりあえず、力の問題は解決するのだから」
「…………」
アリアは考えた。
(実際、どうすればアルテリオ帝国に復讐出来るかなんて、分からない。しかも、言い出しているのは悪魔。契約して、魂を取られるかもしれない)
(だけど、今のままだったら、どちらにしろ死んでしまう! よし、決めた!)
「……分かりました。フルーレさん、契約して下さい」
「分かったわ。ただ、契約には、対価が必要なの」
「……対価。私には、もう、この命以外、何もありません」
「いらないわよ。そういうのは、下級悪魔が欲しがるものなの」
「じゃあ、何を対価にすれば……」
アリアはそう言うと、フルーレの顔をじっと見つめた。
「……決めたわ。じゃあ、貴方の行動を、近くから見させて貰うわ。それが、契約の対価」
「……それだけですか?」
「そう、それだけ」
アリアの間の抜けた声に、フルーレはそう答えた。
「安心しなさい。貴方以外の相手には、見えないから。私が、意思を持って、接触しない限りはね」
「そんなことで良いなら、それで良いですけど。疑問があります」
「疑問?」
アリアの問いに、フルーレは聞き返した。
「なぜ、こんなにも、私に親切にしてくれるんですか? フルーレさんには、何の良いこともないじゃないですか?」
「まぁ、そう思うわよね。実際、私が貴方だったら、同じように疑うわ」
「…………」
アリアは、黙ってフルーレを見つめている。
「暇つぶしよ」
「……暇つぶし?」
「そう、暇つぶしよ。私は、地獄で暇を持て余していたの。だから、たまには人間界でも、散歩しようと思って、ここに来たの。そしたら、貴方が居た訳。そして、話を聞いてみたら、何か面白そうだと思ったのよ」
「フルーレさんにとって、私のことは、面白そうに見えるんですね……」
アリアは、そう言うと、フルーレをにらみつけた。
「気を悪くしたら、ごめんなさい。ただ、貴方達、人間と悪魔である私では、考え方に違いがあるのよ」
「……分かりました。それでは、契約して下さい」
「分かったわ」
フルーレはそう言うと、いつの間にか、その手に、赤い煤けた本を手にしていた。
「この本に、手を乗せなさい。それで、契約完了よ」
「分かりました」
アリアはそう言うと、赤い煤けた本に手を乗せた。
その瞬間、本から赤い光が出たかと思うと、すぐ消えた。
アリアの体に、変化はない。
「これで、契約完了よ。どう? 少しは、力がついた?」
「……まだ、実感出来ません」
アリアの率直な感想であった。
実際に、手を握ったり、開いたりしたが、自分の体の変化をアリアは感じられなかった。
「じゃあ、この小石を、近くの木に向かって投げてみなさい」
「分かりました」
フルーレから、手渡された小石を、アリアは近くの木に投げた。
その瞬間、ドゴン!という、聞きなれない音と共に、木に穴が開いていた。
「どう、実感出来た?」
自らの力に絶句しているアリアに、笑いながら、フルーレはそう言った。
フルーレは、アリアに近づいて、口を開いた。
「その力で真っ先に、何がしたい?」
「決まっています。村を襲ったアルテリア軍を殺します」