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十四話 転移妃、なぜか皇帝に甘やかされる

 

「樹蘭様、こちらをお飲みください。六角英(リクカクエイ)という植物を煎じたもので、筋肉の炎症と痛みによく聞くそうです」

「……ありがとう」


 東之宮から内之宮に帰ったあと。長い間指を酷使していたため、親指の付け根は悲鳴を上げていた。

 凛凛に頼み、宮廷内の太医署の施薬院で薬を処方してもらってきたのだった。


 彼女が持ってきたのは、濁った緑色の薬草茶。見るからに不味そうな見た目だった。

 湿布が貼られた親指を撫でながら、薬草茶が注がれた茶碗を見下ろす。おずおずとそれを両手で取り口に運べば、見た目通り苦くて、嫌な匂いが鼻腔に広がった。


「うぅ……不味い」

「良薬口に苦し、と言います。決められた容量を飲まなければ効果がありませんので、どうぞ最後までお飲みください」


 凛凛にそう言われ、しぶしぶ薬草茶を飲んでいると、彼女は別の椀が乗った盆をこちらに持ってきた。


「お口直しをご用意いたしました」


 彼女が用意してくれたのは、砂糖水だった。


「気を遣わせちゃってごめんね。ありがとう」

「いえ。樹蘭様も苦い薬を飲むとよく甘いものを欲していらっしゃったので」

「樹蘭様も苦い薬を飲むことがあったの?」


 口直しを差し出す彼女の手際がいいと思ったので、何気なく尋ねる。

 すると凛凛はわずかに動揺して目を逸らした。そして、(スカート)の生地を握り締めながら答える。


「それは……たまに」

「何の薬?」

「……覚えて、おりません」


 額に汗を浮かべる彼女を、らんかは怪しく思った。


(また嘘をついてる。凛凛さんはたぶん、嘘をつくのが苦手なんだわ)


 もしかしたら、樹蘭は薬を飲んでいたのではないか。そしてその薬を飲んでいたことを知られると――凛凛に不都合が起こる。彼女の反応を見てそう解釈した。

 けれど、凛凛が隠したがっていることを無理に詮索すれば、らんかに対する不信感を抱かせかねない。より本心を言わなくなる気がして、探りを入れるのはやめた。


(何の薬を飲んでいたか、後で施薬院に確認しに行こう)


 そう心の中で決意して。

 今のところ、犯人候補である二人の上級妃に会って来たが、彼女たちに樹蘭を暗殺する動機は見えてこなかった。

 むしろ、一番引っかかる態度を見せるのは、樹蘭の傍にいた凛凛の方。


(刑部によると事件の当日、外から人が侵入することは不可能だったみたいだし……いつも近くにいた凛凛が関与している、とも考えられる?)


 凛凛は、樹蘭に関する重要な情報をいくつか隠していた。頻繁に奇声を上げ、朝方まで暴れること、異常に猜疑心が強く凛凛が説得しなければ茶を飲めなかったこと、祓い師に依頼していたこと、何の薬を飲んでいたのかということ。


 そこでらんかは、犯人候補の妃たちにしたように、凛凛にも尋ねた。


「凛凛さんにとって、樹蘭様はどんな存在?」

「恩人であり、家族のような存在です」


 一も二もなく答える凛凛。何の薬を飲んでいたかという問いには口ごもったのに、この質問に迷いはなかった。

 それから彼女は、自分と樹蘭の関係を話し始めた。凛凛は捨てられた名も無き孤児で、樹蘭が後宮に入る前、まだ周家の令嬢として暮らしていたとき、道端で飢えているところを拾ってくれたという。

 樹蘭は凛凛という名前を与え、食べ物を与え、名家の令嬢の傍付きという地位も与えた。


 樹蘭が後宮に入るときも、侍女に凛凛を抜擢した。


「樹蘭様は、何も持っていない、空っぽな私に多くのものを与えてくださいました。そして、卑しい孤児の私に、友として接してくださいました。私にとって樹蘭様は――全てでした。それなのに、どうして……っ」


 樹蘭のことを語るうちに、彼女を失った悲しみを思い出したのか、泣きそうになる彼女。声が震え、眉間に皺が寄る。

 らんかはそっと凛凛の背中に手を添えた。


「きっと犯人は見つかります。そのために私も頑張って協力するので」

「…………」


 すると凛凛は言葉に詰まり、困ったように目を泳がせた。


「……もう、犯人を探すのは、やめませんか?」

「…………え?」


 樹蘭を慕っているなら、彼女の憂いを晴らしたいと思うのが当然でさないか。それなのに、捜査をやめないかという言葉が出るのはおかしい。


「――申し訳ございません。今の言葉は忘れてください」


 彼女はそのまま、逃げるように踵を返した。引き止めることもできず、らんかは唖然としていた。



 ◇◇◇



 恒例のように、らんかが孫雁の執務室へ報告に行くと、文英が戸の前で待っていて、今日は違う部屋に移動するようにと告げられた。

 彼に促されるまま連れて行かれたのは、応接間だった。金柱の光沢と彫刻が見事な室内。真っ先に目に止まったのは、ひときわ眩しい円卓だった。


 きらきらと宝飾品のように輝いて見えたのは、円卓の上に所狭しと並ぶ菓子だった。


「わあ……」


 和菓子に似ているものや洋菓子に似ているもの、けれどどれもらんかが目にしたことがない珍しい菓子だった。

 興味津々のらんかは、皿をひとつひとつ目で追いながら、どんな味がするのだろうかと想像する。


(これ、お餅の中に何が入ってるんだろう。それにこっちは……杏仁豆腐かな?)


 思えば、この世界に来てから菓子を一度も口にしていない。


「――好きな物を食すといい」


 そう声をかけてきたのは孫雁で、彼は横に立ってこちらを見下ろした。


「お前は役目をよく務めているし、褒美をやろうと思ったんだ。気に入ったか?」

「はい! 私、甘いものが大好きなので……!」

「!」


 満面の笑みを湛えて彼のことを見上げると、なぜか彼は戸惑ったように目を泳がせた。

 孫雁はこほん、とわざとらしく咳払いしてから、「単純な奴だな」と呟いた。


 らんから陶器の器に入った固形の菓子を選び、手に取った。

 (スプーン)でひと口すくって口に運ぶと、牛乳のこくがあり、なおかつ滑らかな口溶けだった。それは、らんかがよく知るプリンに似ていた。


「美味しい……! これ、なんていうんですか?」


 元々大きな目を更に大きく見開き、感激を前面に押し出して振り向くと、孫雁はまた戸惑ったように目を逸らした。


「……それは、双皮奶(ションペイナイ)だ。牛乳と卵を混ぜ、蒸して作る」

「へぇ……。私の母国にも似たお菓子があります。プリンっていって、カラメルソースがかかってるんです! 生クリームや果物が乗ってるのも美味しいし、表面を焼いてあるのも好きで……」


 元の世界のプリンについてを説明しながら、双皮奶を食べ進める。

 孫雁は椅子に腰かけて頬杖を着きながら、楽しそうに語るらんかをじっと見ていた。彼が眺めるだけで自分は何も食べようとしないので、ひと口分すくって彼の口元に差し出す。


「陛下もひと口いかがです?」

「……!」


 そのとき、わずかに彼の頬が朱に染ったのを、らんかは見逃さなかった。思わずらんかはふっと笑い、いたずらに小首を傾げる。


「皇帝陛下でも――照れたりするんですね?」


 大勢の妃を抱えていて、女慣れしているものだと思っていたが、女の手ずから食べさせられることは気恥しいらしい。決まり悪そうな様子で、匙に口をつけた。


「茶化すな。照れてなどいない」

「あははっ、からかってごめんなさい。ただ、可愛らしい一面もあるんだなって思っただけですよ」

「…………」


 孫雁は、「お前といると、調子が狂う」と不満を口にしつつ、意外と満更でもなさそうな様子だった。くすくすと楽しそうに笑うらんかに、彼はおもむろに片手を伸ばす。

 らんかの頬に手を添えて、唇の横に付いていた双皮奶を拭う。


「口の周りに付いているぞ。相変わらず(こども)だな」


 最初のときは、糸埃を取ろうとしたらんかを叱責してきたのに、今では彼の方が世話を焼いてくれている。孫雁はこちらを見つめながら目を細めた。


「お前は、笑っている方がいい」

「え……?」

「……その方が、愛いということだ」

「!」


 今度は、不意打ちで褒められたらんかの顔が赤くなる。二人はなんだかおかしくなって互いに笑い合った。


(変な感じ。たわいもないやり取りなのに私……楽しくてずっと笑ってる)


 らんかは孫雁と円卓を囲い、菓子を食べながら麗明に会った報告をした。一週間以上通って、ようやく今日は彼女が寝落ちせずに話ができたのだと。


 餡子が皮で包まれた月餅(ユエピン)という菓子を楊枝で丁寧に切って食べるらんかに、彼が言う。


「本来、楊淑妃は警戒心が強く自分の話をしない。お前は他人の懐に入るのが上手いらしいな」

「親しみやすい按摩師の演技、が上手いんですよ」

「ふ。さすがは名女優だ」


 本心が半分、からかって言っているのが半分、というところだろうか。

 月餅を食べつつ、ずず……と茶を飲むらんか。会話の最中にすっかり菓子に夢中になっていると、彼は微笑ましそうに見ていた。

 しかし、彼は真剣な表情に切り替えて告げた。


「――それから、お前に新たな務めを与える」


 面倒事の予感に顔をしかめ、口の中に詰め込んでいた月餅をごくんと飲み込む。


「ひと月半後、毎年恒例の宴が開催される。お前は皇后として、この宴に参加しろ」


 その宴に、大勢の人が参集すると聞き、ますますらんかの顔が険しくなる。皇后樹蘭であることを悟られないように、ずっと気を張り続けなければならないのだから。


「ええ……」

「分かっているだろうが、これは依頼ではない。命令だ」


 露骨に嫌がっているのに、無理やり押し付けられてしまった。

 沢山のお菓子を用意してくれて、実は少しいい人なのではないかと心が揺らいだが、やはり訂正する。


(ちょっといい人かもって思った私が愚かだったわ。流石は冷徹皇帝ね。強引なんだから)


 宴を開くための諸々の手続きは、官吏が行うのが通例らしい。だから、らんかがやることと言えば、ただ皇后として高いところに座しているだけ。

 しかし、演技をし続けなければならないので、らんかにとっては大変なことだ。


 現在、樹蘭は殺人未遂事件で隊長を崩して伏せっていることになっている。しかし、いつまでもその状態でいて姿を隠し続ける訳にもいかない。

 年間行事の公務も放棄すれば、周家の揚げ足を取りたい四代名家が黙っていないだろう。


「分かりました。そのお役目、謹んでお受けいたしましょう」


 当日の流れについてざっと説明を受ける。話が終わると、彼は退室するからと言って立ち上がった。

 らんかも、戸まで孫雁を見送りに行く。


「お前はゆっくりしていくといい。気に入ったものがあれば、またいくらでも用意させよう」

「いくらでも? ふふ、それだとぶくぶく太っちゃいそうです」

「お前はもっと食べてもいいくらいだ。では、私は行く」

「あ、待って」


 出て行こうとする彼の袖口をちょこんと摘んで引き留める。


「凛凛が樹蘭様の遺体の第一発見者なんですよね」

「ああ、そうだ」

「彼女のことを、もう少し調べてみてください。今まで上級妃お二人に会って来ましたが、凛凛が一番……怪しい気がします」

「……分かった」


 らんかの前で見せた、凛凛の不審な態度の数々。

 彼女の嘘や隠し事が明らかになれば、樹蘭殺害の真相に近づくような気がした。

 孫雁は頷き、応接間を出て行った。

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