その世のポケット
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、こー坊、どうした泣きそうな顔をして。
――なに? 歌の真似をしてビスケットを中に入れて叩いたら、確かに増えたが粉々になった?
わっはっは、それはじいちゃんでも知っているぞ。不思議なポケットの話じゃろ?
ちゃんと歌の中に、ポケットが欲しいといっているからな。そのようなものは、この世にないのだと、暗に伝えておるのじゃよ。
まあ、じいちゃんもその手のポケットが欲しいと思うのう。飽食の時代とうたわれる現代に対して、じいちゃんが若いころの昔は、ありとあらゆる食べ物に限りがあったからな。
もし、それひとつで無限にお菓子が増やせるポケットがあったならば、どれだけの命が救われていたことか。
ばかげた発想と笑い転げることさえできる、今の時世こそじいちゃんたちが欲し、誰かに与えたい時間だったのかもしれん。
と、まあ湿っぽい話題は置いておいてだ。
こー坊はもし、そのような不思議なポケットが手に入るとて、本当に自分が欲しいと思うか。
先にじいちゃんは、そのようなポケットはこの世にないと話した。だが、この世でない世なら、存在するかもしれんな。
――なに? あの世に行けばあるのかと?
さてな。じいちゃんはまだあの世からの言葉を受け取ったことがない。あるのかどうかも分からんよ。
この世でもあの世でもない場所の話。こー坊は興味があるか? あるならその話を聞いてみるか?
こいつはじいちゃん自身じゃなく、じいちゃんの友達から聞いた話でな。
友達は小さいころから食欲旺盛で、当時、貧しくて兄弟の多かった実家では、しばしば空腹を覚えておったらしい。
家族みんなもほぼ同じで、腹がいくらか膨れるときは半年の間で何回もなかったという。
腹八分目に医者いらず、というがこいつにはまだ少し足りない。
医者いらずには、続きの言葉があるのは知っとるか?
「腹六分目で老いを忘れる、腹四分目で神にちかづく」となるもんじゃ。それだけ粗食というのが、身体にいいものと考えられていたのかもな。
しかし腹四分目の領域は、どのような状態かがいまひとつ分からんと思わんか?
医者いらずは健やかなことだろうし、老いを忘れるとは若返りのことを指すのだろう。
それが神に近づくとは、人によってあまりに解釈が分かれる表し方ではないか?
じいちゃんが思ったのは、身体がご飯に頼らなくなるのだろうということ。
仙人などは霧やかすみを口にするだけで、食事が済むという。これらはいわば水蒸気であって、多く集まれば水になろう。
そのように、水だけで暮らしていける体に近づいていくことを、この言葉は示しているのだと、考えていたんじゃよ。
じゃが友達が聞いたそれは、また異なる趣。
神、と呼んでよいか分からないが、少なくともこの世から離れるかのごとき、行いだったという。
腹四分目に対する、奇妙な儀を教えてもらったのは友達が幼いころだった。
それはこー坊が試したように、ポケットから甘味を取り出せるようになる方法だったが、その準備はいくらか困難なところがあった。
まず前日に、自分の服のいずこかに仮のポケットをもうける。
簡素なフェルトのきれっぱしなどで構わぬし、上に着るものでも、下に履くものでも構わぬ。こいつを実施する前の晩までに用意をしておく。
次が、夜が明けてから最初に口にするもののみでもって、腹四分目を達成すること。
この四分目は誰かに教えられて、できるような領分ではないらしい。自分の一日の腹の膨れ具合を繊細に悟り、調整を重ねていく必要があるのだとか。
こー坊は自分の腹四分目が分かるか?
腹いっぱいの状態からの4割だぞ。現代でつまびらかになりつつあるカロリー計算をしても、一日の運動量まで加味したうえでの4割へ正確に至るのは並大抵のことではあるまい。
これらの要素を加味し、最初の食事のみで腹四分目を達成するのは、それだけでもはや並みの人間を超えた何かしらの才を帯びている証かもしれん。
そして最後に、床へ入る直前になってその取り付けたポケットを上から叩いてやるのだ。
大半は何事も起きないだろう。腹四分目を守れていないのだから。
しかし、もし腹四分目に達していたのであれば、ポケットの中に手ごたえを感じるだろう。たとえ今朝がたよりずっと、何もものを入れていなかったとしても。
取り出してみれば、おそらく形は崩れてしまっているだろうが、そいつは砂糖であろう。
もし崩れずにいたなら、雪の結晶を思わせるような角砂糖がポケットの中に忍んでいる。そいつこそが、天からのお恵みであろうと。
日々、腹を空かせていてじいちゃんは、その話に目を輝かせた。
飯でさえありがたい時世に、自ら砂糖を手にするすべがあろうなど、考えたこともなかったからだ。
子供にとっての砂糖一粒は、黄金一粒にも匹敵する。
この腹四分目の儀を耳にしたとき、じいちゃんは知り合いの子たちにも声をかけ、試してみようと思った。
親にしてみれば、こぞって繕い物のきれっぱしと針と糸を貸してほしいという子供の提案をいぶかしく思えたかもしれん。
人が変わったように食を取らない姿に、食費的な視点で安堵をしても、健康的な視点では心配の種をまいてしまったやもしれん。
それだけのものを差し引いても、じいちゃんたち子供に、砂糖は魅力的なものに映ったんじゃよ。
じゃが、あらかじめいわれていたように、腹四分目の条件を満たすのはとても難しかった。
何も用事を言い渡されることがない、自由な一日であったにしても、食べ盛りには誘惑が多い。
朝いちに食べてより、寝床に入るまでの間、何も口に入れないというのはつらいものがある。多くの子は素直な空腹の訴えに屈し、ものの数回でこの試みに見切りをつけてしまった。
誘惑を退けた子たちも、いざ夜を迎えてポケットを叩いてみても、ことごとく成果を得られなかった。
よかれと思い、情報をもたらしたはずだったじいちゃんも、皆をたばかった奴として、けなされたり攻撃されたりすることもあったわい。
もし、じいちゃんもまた結果を出せずにいたならば、皆と同じように気持ちを折られていたかもしれん。
じゃが、じいちゃんは幸運なことに、この現象に巡り合ってしまったんじゃ。
腹四分目を試行し、3回目あたりだったか。あまりの栄養のなさゆえに、胃袋もなまける時間に入ってしまったか、その晩は腹の虫もならない穏やかな時間となった。
自分なりに動きのもろもろを調整しきったと思い、布団の上で肌着を脱ぐ。カンガルーの育児嚢のように腹のど真ん中にポケットをつけてな。日中に何も触れずにいたそれに、手を乗せてみたんじゃ。
これまでの2回とは明らかに違う、ざらついた手ごたえをじいちゃんは生地越しに感じた。
もしやと指を中へ突っ込んでみると、やや溶けかけのべっとりとした感触が降りかかる。それはほんの先刻、寝床へ向かう前に手を入れてみた時にはみじんもないものだった。
指先にきらめくそれらからする香りは、めったに口にしない焼き菓子の甘ったるさそのもの。
にわかに鳴り出した腹の虫。それに突き動かされるように指を口へ含んだじいちゃんは、もうこれまでの生涯分、ほっぺたが落ちるかと思った。
久しく口に含んでいなかった甘味が、体中に行き渡り、脳髄にしみ渡る。
ポケットいっぱいの量でもってこぼれ落ちてくる、どこから現れたとも知らない砂糖粒たちをじいちゃんは夢中でむさぼっていく。
幻のような一夜の体験は、皆の文句を同情すべき訴えから、負け犬の遠吠えへ変えさせてしまったんじゃ。
その一回で、コツをつかんだか。
じいちゃんはおおよそ3回に1回ほどの割合で、砂糖を呼び込むことができるようになっていた。
教えてくれた友達は、いまや百発百中の腕前となり、狙った時には砂糖を味わえるようになっていたのだとか。それゆえか、よく見てみると以前より太ましい気もしたがな。
友達にこの儀を教えたのは誰かは聞けなかったが、その教えいわく、こいつは「その世」から引き寄せているのだという。
我々が触れられ、常識にとらわれるこの世ではなく、触れられずに、どのようなものかもうかがえないあの世でもなく。
確かにそばにあるものの、常識にとらわれずにたたずんでいる世界。それがすなわち「その世」であり、細く厳しい糸のごとき条件を道として、ようやくこの世とつながるもの。
そこの橋渡しに自分たちはなれているのだと、神に近しき技だと、友達は力説していたな。じいちゃんも、その一員となり、甘いものにありつける自分たちを特別と感じて、快く思っていたんじゃよ。
それから何年もたち、じいちゃんも大人になったが、まだ若いうちから糖尿病の気があるといわれてな。
すでに、あの儀を行わなくなってしばらく経ったが、これもその弊害かと思っていた。
じいちゃんの家は、代々糖尿に悩まされることが多く、両親も高血糖になやまされていたらしいのじゃが、ある時期を境にむしろ血糖値がダダ下がりして、低血糖を危険視されるほどに落ち込んだこともあった。
聞いてみると、じいちゃんが「その世」から砂糖を取り始めたときと、かっちり噛み合う。
確かにそこにありながら、常識の通じぬ世界。足を踏み込んでいたのは、間違いではなかったのじゃろうな。
友達か? もうおらんよ。
わし以上にあの砂糖を食べておったじゃろうからな。直接ではないが、重度の糖尿に苦しんだと聞き及んでおるよ。