ケーキを食べにいこう2
目の前に置かれたケーキに、いつきは嬉し気に頬をほころばせた。いつきが口をあけて笑うと小さな八重歯が口からちらりと見えて、実はやんちゃな一面が垣間見える気がする。
「ハートの形だ!かわいい」
小さなハート型のスポンジの上に、パレットで絵具を塗りつけたようにベビーピンク、ラベンダー、淡いブルーのクリームが乗っている。まるでマジックアワーの空模様のようなその一面の上に、アラザンで作られた砂糖の星が輝く。
どうしてこれを選んだの?というようにいつきが輝羽を見上げた。
「空の色みたいで綺麗だなって思ったの。どうかしら」
チョコレートのリボンや花で飾り付たてられたものより、シンプルに色が可愛いと思うものを、輝羽は選んだのだった。リボンやフリルが似合うのは、いつきそのものだ。だから食べるものは飾り気のない純粋なものがいい。まるでいつきの内面のように。
魔法少女ミルキーの衣装は満艦飾に飾られているが、いつきの内面は驚くほど無邪気で、ストレートだから。まるで夕焼け空のように。
(…私だったら、友達になって、なんて演技でも言えないわ)
ミルキーは嬉しそうに携帯でケーキの写真を撮った。
「うれしい。えへへ」
一方輝羽のケーキは、白いフリルのようなクリームで溢れ、その上に大きなピンクのリボンが結ばれているという王道なものだった。輝羽は『ディアナ』の癖でつい顔をしかめそうになったが、隠しきれない嬉しさとときめきがその口の端に思わず浮かぶ。そんな途半端な表情で―…うっとりとそのケーキを見つめた。
「…食べるのが、少しもったいないような」
「ええ、食べなきゃ!ケーキなんだから!」
いつきはさっそく、ケーキにフォークを入れていた。しかしまだ「ディアナ」を捨てきることのできない輝羽は、ためらいが先に立つ。
「ふん…わ、私にこんなかわいいもの…似合わないわ」
いつきが首をかしげた。
「え?そんな事ないよぅ。輝羽ちゃん、きっとピンクが好きだとおもって選んだの」
「な…なんで」
「だっていちごのマカロン、じっと見たあと大事そうに食べてたんだもん。ピンクって、可愛いよね」
「そりゃ、そうだけど…」
するといつきは上目遣いで輝羽を見た。
「私は…そんな輝羽ちゃんも可愛いと思うよ」
輝羽は紅茶を口から吹き出しそうになって、慌ててこらえた。
「な、なにを、言って、るのよっ」
「思ったままのこと。だから…輝羽ちゃんも言っていいんだよ、思ったままのこと。」
ねぇ、私のこと、どう思ってるの?無邪気な瞳は輝羽にそう聞いていた。
「思ったままって…私、わからないわ。なんであなたが私なんかに興味を持ったのか。あなたは、私の何を知っているっていうの?」
「何も知らないの。だから、知りたいって思って。ね、輝羽ちゃんの好きな食べ物は?
最近一番うれしかったことは?」
かまをかけたつもりだったが、いつきは逆に、キラキラした目で輝羽を見上げた。
「あなたが期待するような、楽しい人間じゃないわ、私。でもそうね―…強いて言えば、この紅茶みたいにいい匂いのするものが好き。だから今、嬉しいかもしれないわ」
「それってつまり…最近起こった出来事のなかで、今紅茶を飲んでるのが一番うれしいってこと?」
「そうなるわね。別に毎日…そうそう嬉しい事なんてないし」
輝羽は肩をすくめた。
「じゃあ、これからもたくさん紅茶を飲もう!私もね、次は紅茶にしようかなぁ」
「あなたはレモンスカッシュが好きなんでしょ。私に合わせる必要なんてないわ」
「えへ、合わせてるんじゃなくて、私が、好きな人と同じ飲み物を飲みたいだけ」
なんのためらいもなくそういう彼女に、輝羽はいちいち度肝を抜かれる。
「ふ、ふん…!子どもみたいな事いうのね」
「子どもなのかも、輝羽ちゃんに比べれば」
思わず毒のある言葉を吐いても、いつきはふんわり笑顔につつんで輝羽に返してくれる。
―外見ばかりでなく、中身まで綿菓子みたいな、こんな女の子が居ていいんだろうか。自分と比べるとまぶしすぎて、輝羽は思わず彼女から目をそらした。
「ねぇ輝羽ちゃん。本音を言うね」
おもむろにいつきから発された言葉に、輝羽はばっと顔を上げた。
「な…何かしら」
やっぱり自分の正体を知っているのだろうか。ずっと警戒していたくせに、いざそういわれる段になると、背中が寒くなってしまう。
「輝羽ちゃんって…たくさん、我慢していない?無理して、頑張っている事がない?」
その問いかけに、輝羽はめんくらった。
「何が言いたいのよ」
「誰かの期待に応えよう、って、自分ではやりたくない事をずっとしていない?変な事言っているように聞こえるかもしれないけど…私もそうだから、わかるの」
輝羽は片眉を上げた。
「…あなたも?」
「うん…。上手くは、言えないんだけど」
口ごもるいつきの額が曇っている。彼女が冴えない表情になると、あたりも少し薄暗くなるような心地がする。
「時々ね、不安になっちゃうの。私ってなんなんだろうって。こんなの本当の自分じゃないって思うんだけど、でも本当の自分がどんななのかも、わからなくて。そんなのもともとないんじゃないかって…」
いつきの肩が、少し震えていた。
「ごめんね、変な事いって。こんな事、誰にも話せなくて…誰か、わかってくれる人が欲しかったの。それで輝羽ちゃんに、声かけちゃった。輝羽ちゃんは強くてかっこいいけど、それだけじゃないって気がしたから」
輝羽はじっとその言葉の意味を考えた。どうも意味深だ。やはり彼女は、自分の正体を知ってて近づいたのだろうか。危険だ―…。
だけどそんな理性の静止をいとも簡単に弱らせるくらい、肩を震わせるいつきの様子はいじらしく可哀想で――そしていつきが口にしたその気持ちは、輝羽の中のどこかにも巣くっている疑問だった。
「…わかる気がする」
「ほんと?輝羽ちゃん…」
「私もわからない。自分が本当はどうしたいのか……。この手にある力だって、本当の自分の力じゃないって気がするの」
輝羽は自分の手をみつめながら言った。するとそのもやもやとした疑問が、霧が晴れるようにはっきりとした一つの形を取った。
「私…知りたいわ。ううん、私、それを知るために―…」
そこまで言って、はっと輝羽は言葉を止めた。自分は敵に、何を言っているのだ。しかしいつきは今まで見た事がないほど強く、何かを求めているような目で輝羽を見ていた。
敵も味方も関係ない。彼女もまた―知りたがっているんだ。そう気が付いた輝羽は、意を決して言った。
「もし、もしわかったら―…あなたにも、教えてあげる」
「輝羽ちゃん…」
すがるように、いつきが手を輝羽にのばす。けれどその指先は震えていて、ためらうように宙で止まった。輝羽は思わずその手をぎゅっとつかんだ。細くて柔らかくて、少し冷たい手。魔法のロッドが、よく似合う手。
「ありがとう、輝羽ちゃん…私…私も、知りたい。あなたと一緒に―」
いつきの大きな目が、くしゃっと細くなる。その手が輝羽の手を、握り返した。わずかに潤んだその目が、再び大きく見開いて輝羽を見る。
「いつき、」
(私と一緒に来ない?アンゲンストへ――…)
なんと荒唐無稽な誘いだろう。ありえない。魔法少女を悪の幹部に勧誘するなんて。輝羽の唇はこわばった。
その時、二人の携帯が同時に鳴った。輝羽はびくっとしていつきの手を離した。
―しょせん二人とも、首に綱をつけられた飼い犬。大きな盤上の2つの駒。
そんな言葉が、ふと脳内によぎった。