小さな街の、小さな夢
がらんどうのようになったカタコンベで、博士といつきは向かい合っていた。
「今日で、ここの役目もおしまいだね。博士、今までお疲れ様」
『ミルキー』だったころとあまり変わらない口調で、いつきは博士をねぎらった。
「いや…労われるような事はしていないよ」
「でも、事故一つなく皆無事に覚醒できてよかった。母さんも…戻してくれて、ありがとう」
博士はかすかに眉をひそめた。自分を恥じているような表情だった。
「礼なんて言わないで。謝らなければいけないのは、私の方なんだから」
「そうかもしれないけど、でも…博士が頑張ってくれたのは、本当だから」
何のてらいもなくそういういつきに、博士も肩の力が抜けてふっと笑った。
「もうここを手伝う必要もない。君と輝羽は、いつ出て行くんだい?もう大人数行っただろう。地下にはほぼ誰も残っていない」
「私たち、今から出て行こうと思っていて。母さんにも雷司たちにも先を越されちゃったけど、まぁいいんです」
「彼女とその―これからどうしていきたいとか、決めたのかい」
そう聞くと、いつきは目をキラキラと輝かせた。
「うん!何をして生きていこうかって、輝羽とはいろいろ話し合って…ふふ、決めてるんだです。」
そしていつきはぐっと背伸びをして、博士の耳元で何事かを囁いたあと、ふっと身をひるがえした。
「私たちの夢なんです。だから、博士も絶対に来てください!博士にみてほしいんです。ね、約束して」
そういういつきに、博士は苦笑してうなずいた。
「…わかった」
「じゃあ、博士…またね! 次会うときまで、元気でいてね!」
そういって、いつきは元気いっぱいに走り去った。
その扉の外で、輝羽が待っていた。
「どう?うんって言ってくれた?」
「うん、約束してくれたよ」
輝羽はほっとしたように息をついた。
「よかった。博士を一人置いていくの、ちょっと心配だったんだよね」
この地下街の人間をたくさん巻き込んで大それた事をしようとしていた彼女だったが、彼女の献身がなければ、睡眠装置も作れず、皆がここまで生き残れなかったのも事実。そういうわけで、博士の罪状は不問に処された。けれど博士は、まだ地下街を離れる気にはなれないという。もしかして彼女は、地下で一人ひっそり命を絶つ気ではないのか。そう危惧した二人は、どうしてもこの『約束』だけはとりつけて地上へ出て行こうと話し合ったのだった。
二人の持ち物は、身の回りのものが詰まった小さな旅行ケース。大きくはないが、たくさんの小さな夢が書き込まれたノート。
それらをもって―2人はお互いの手に手を取って、地下街の長い竪穴を上がり、外へと足を踏み出した。
「ん~~~、どうかな、ダーリン」
原生林の中立ち尽くす絵瑠の背に、夫の一哉が声をかけた。絵瑠は元気よく振り返って命じた。
「ここもいいかもしれないわ!ハニー、調査してこう!」
「よしきた」
一哉はソーラー四駆車のトランクから調査キットを取り出した。絵瑠はそれを受け取り、土や空気中のサンプルを採取した。
「…ここは大丈夫そうよ。一哉。マスクを取りましょう」
二人は防護服のフードをはずし―緑したたる空気の中、深呼吸をした。
「ああ、湿気を含んだいい空気だ。ここも、もう汚染の影響はないようだね」
「土もいいわ。地下街から持ってきた野菜が良く育ちそう!マップに登録しましょ。あら、更新されてるわ…」
絵瑠が端末を覗き込む。そこには世界地図が表示されていた。これも博士が開発したソフトの一つで、現地に実際に足を運び、人間が住むことができる地域なのかどうか確認し、次々と登録していくことができる。誰にでもそれが見れる仕組みだ。
絵瑠と一哉の夫婦は、まっさきにこの仕事に志願した。一度世界旅行をしてみたいというのが、絵瑠の夢だったからだ。新しいもの好きの一哉も、二つ返事でついてきた。もし気に入った場所があれば、そこを開墾して住み着いてもいい。
「ねぇ一哉、先週みつけた場所とここ、どっちが住むのにいいかしら?」
「迷うね。俺はどっちも気に入ったけど…もう少し冒険しても、いいんじゃないかな?」
「そうね!食料はまだたっぷりあるし。」
2人は再び車に乗り込み、原野を走り出した。道なき道だったが、行く手ははるかに続いているという気がして、絵瑠は晴れやかに笑った。
(世界旅行の夢がかなっちゃった。いつかは宇宙にだって、行けるかもね!)
いつきはピンクと白の縞模様のパラソルをテラスに立てながら、空を仰いだ。
「ああ~、今日もいいお天気!」
目線を天から地上に戻すと、朝の光に照らされた通りを見渡す事ができた。赤レンガの石畳の、古いけど新しいプロムナード。街灯のそばには街路樹が茂り、そこここにお店が建っている。
いつきと輝羽が地下街を出てから3年。やや離れた場所にあるこの街は、やっとここまでこれた。もともとここには街があったらしい。建物などはとっくに朽ちていたが、石畳は残っていた。地下街を出た人々は、その上に家を建て木を植えて畑を耕し、この街のめいめい好きな場所に住んでいる。輝羽といつきも、小さな家に二人で住み、外の生活に身を投じた。地上での生活は、自然との闘いでもあった。太陽の光だけではない。自然は台風に、大雨―いろいろなものを平等に与えてくる。最初の数年は、それらに慣れるために皆必死だった。
そしてやっとそれらに順応し、生活に慣れてきたころ―…いつきと輝羽の念願の夢をかなえるため、2人は動き出した。
二人で街を歩いて、カフェでデートをしたい―…。
しかし、この街にそんなものはまだなかった。だから一番最初に、自分たちが作ってしまおう、という夢。
その提案を最初に地下街でしたのは、いつきだった。カフェを開くという夢は、実は輝羽の心の奥底にある願いを、見事にとらえていた。
すなわち…素敵な可愛いもの、特別な美味しいものに囲まれた空間を作り上げたい、という欲望!
俄然その気になった輝羽は、地上に出てから夜も惜しまず働いて、自分たちのカフェを開店するために奔走した。輝羽は頭の中に描く可愛いものたちを、すべて端末のメモに書き記した。扉はガラス張りで、ウインドウにはカフェの名前を大きく入れる。ショーケースの中に並べるのは、丹精を込めたお菓子たち。デコレーションケーキに、マカロンに、アイス…。
生きるために必要な雑事をこなしながら、輝羽は地下街のデータベースに夜な夜な端末からアクセスし、お菓子作りの腕を磨いた。いつきは場所を選び、ソーラー重機を借りて、一から輝羽の思い描く通りの店を作ろうと奮闘した。
そしてやっと今年の秋、このカフェをオープンする事ができた。小さいながらも、輝羽のこだわり、最高の「可愛い」が余すところなく詰まっている場所になった。
皆生活で必死なのに、お菓子屋さんなんて繁盛するだろうか。二人の頭にはそんな不安がちらりとあったが、今の所、店は毎日盛況だった。地下街とは違った意味で過酷な事も多い外の生活で、皆心を潤わせてくれるような食べ物や場所を、求めていたからだ。
おかげで、今後もお店はやっていけそうである。白い清潔なエプロンをつけたいつきは、ひとり誇らし気にパラソルを見上げた。このピンクのパラソルひとつも、輝羽がこだわって作り、使っているものである。
「いつき、品出し、手伝ってくれるー?」
カフェの奥の厨房から、輝羽の呼ぶ声がした。もうすぐ開店だ。輝羽を手伝わなければ。そう思ったいつきだったが、突如目を擦った。
「んっ?あれは―」
赤レンガの道の向こうから、誰かが歩いてくる。白衣を纏った、細い人影。
それを認めた瞬間、いつきは店の前に出て、おもいっきり手を振った。
「博士!来てくれたんだね―!!!」
何事かと、輝羽も店を出てくる。いつきの顔を見てすぐ、彼女には誰が訪ねてきたかわかったようだった。輝羽はいつきの耳元でこそっと言った。
「よかった、ちょうど今日マカロンも、チョコクッキーもあるから。準備しなくっちゃ」
慌てて店内に戻りながら、懐かしい思い出に、いつきは思い出し笑いをした。
「ふふ、私が作ったチョコクッキーね!ええっと、どこにしまったっけ、あったあった」
「おばちゃん直伝のレシピだよね?」
「そう!だから実質母さんが作ったみたいなもんだよ、博士もきっと喜ぶ。ほら、一応味見して」
いつきは取り出したお皿の上のクッキーを抓んで、輝羽の口元に差し出した。輝羽が食べようとして唇を開いたその瞬間、いつきにいたずら心がおこった。
「んっ……! ちょ、ちょっと、いつきっ」
ちゅっ、と軽くついばんで、いつきは輝羽の唇から唇を離した。何度キスしても、抱き合っても――不意打ちに、輝羽はこうして真っ赤になる。そんな所が、たまらなく愛おしい。
「ん~~輝羽ちゃん、大好き♡」
『ミルキー』だった時のように上目遣いで輝羽を見て言う。すると彼女はとたんに言葉に詰まって怒れなくなってしまうのだ。自分が『かわいい』と言う事に対して頓着していなかったいつきだったが――ゲームで『ミルキー』として、乙女趣味にどっぷり浸かって過ごした事により、自覚的にこの『かわいい』を使う術が身に着いたようだった。
もちろん、輝羽限定だが。
「も……もう、とにかく、準備するわよっ」
チョコレートクッキーを、輝羽は冷静さを取り戻すように食べて吟味した。
「いつきのお菓子作りの腕前が少しは上がってよかった。たぶん私の作ったものより、博士はいつきの作ったものの方が嬉しいだろうから」
「そうかなぁ?マカロンもきっと喜ぶよ。そっちの方が断然美味しいもん。出してあげよう。」
「そうね…まだ開店前だし、3人でお茶にしよっか」
「やった!」
彼女はショーケースからマカロンを取り出し始めた。名実ともにパティシエとなった今、輝羽はマカロンに対して「これはまだまだ試作品」「いつか本当のアーモンドを使いたい」等いろいろ言うが、いつきはいまだにお菓子の中で輝羽のマカロンが一番好きだった。甘く優しい味がする。懐かしい思い出の味だ。
そして博士にとっては、チョコレートクッキーがそれなのだろう。
(博士や私だけじゃない。きっと一人一人に、思い出の味があるんだろうなぁ)
それをこうして再現して、今日も味わえる事を嬉しく思いながら、いつきはお茶会のためのテーブルセッティングに手を動かした。その手には、輝羽とお揃いの指輪がある。
二人で生きて、食べて、生活している。地に根をしっかり貼って、足を踏みしめて。今の自分たちが、いつきは好きだった。誇りにも思っていた。
きっと博士は、それを祝福してくれるだろう。
朝日の中、2人はわくわくしながら、博士が近づいてくるのを見て手を振った。2つの金の指輪が、日差しに反射してきらりと光った。
了
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