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純粋な人

そういう問題じゃない。そしてもっと大きな問題がある。

(そうだ、いつきのお母さん…!あのひとが、まさか)

いつきの母が、そんな事になっているとは。この事を知ったら、いつきがどんなに悲しむだろう。

しかし一方で…。恋焦がれても手に入らず、坂を転がり落ちるように自分の理性や守っていたものを手放してしまう。その辛さは、輝羽にもわからないではなかった。むしろ、自分もそうだった。自分から離れる事を選んだから大事にならずに済んだが、どこかで一歩間違えていれば、自分も博士と似たような人生をたどっていたかもしれない。だからとても、博士を一方的に責める気持ちにはなれなかった。

 それ以上に、何か一言、博士に言ってあげたくなってしまった。労りの言葉を。

 けれど輝羽は、それをぐっと飲みこんだ。そして静かに言った。

「許されない事であるとは思います。おばちゃんが起きないと知ったら、きっといつきは悲しむ。家族も、もちろん私も…」

 博士は何も言わず、床をじっと見つめていた。輝羽はつづけた。

「でも、自分勝手な動機でない殺人なんて、あるでしょうか。私だって―絶対に人殺しをしないなんて、言い切れないんですから。」

 その言葉に、わずかに視線を上げた博士に、輝羽はおそるおそる聞いた。

「あの―…今、いつきの事は、どう思っていますか。まだその…あの子の事を」

 すると博士は首を振った。

「いや。起きたいつきを見てわかったよ。絵瑠と姿が似てはいるが…あの子はあの子だと。もう、あの子を束縛しようなんて、これっぽっちも思っていないよ。そもそもそんな権利は、もう私にはないから」

 その声が少し寂し気だったので、輝羽は思わず言った。

「いやわかります、おばちゃんもいつきも、可愛いんですよね。誰に対しても優しいし…独り占めしたくなる感じが、その…」

 一体自分は何を言ってるんだ…!?しかし博士は真面目に首を振った。

「いや…思い返せば、二人の性格はだいぶちがっていた。絵瑠よりもいつきのほうがずっと優しくて、なにもかもが可愛いかった…」

 その声はどこか夢見るようで、輝羽は反応に困った。

「そ、そうなんですか…でもまぁ、可愛かったですよね、ミルキーは…魔法少女の衣装も似合っていたし…」

「ああ。あんな女の子は、きっと世界中どこを探してもいない…」

 しみじみとそうつぶやく博士に、輝羽はじゃっかん引きつつも、口をはさんだ。

「……あの服とか持ち物とかは全部、博士……その、あなたの趣味だったんですよね?」

 いつき本人に選ばせれば、あんな事にはならないだろう。すると博士ははっとした顔になった。

「そうか、なるほど!」

「な、何がなるほどなんです!?」

「あの子は――私に合わせてくれてたんだな」

 わけがわからなくて首をかしげる輝羽に、博士は少し寂し気に言った。

「あの世界で右も左もわからないあの子を拾って、助けてあげたから、いつきは私に従ってくれていた――。そう思っていたけど、逆だったんだ。あの子は私が本当は……寂しい人間であると見抜いて、付き合っていてくれたんだな」

「そう…だったんですか?」

 博士は遠い目をして言った。

「わかりやすく言えば、いつきは演じてくれていたのだよ。優しく甘やかで、すべての可愛いものが似合う――私の求める理想の女の子、というものをね」

 たしかに、ミルキーは可愛らしかった。けれど本当のいつきは、『かわいい』だけの女の子ではない。そんな所もまた、かわいいのだが。

「なるほど…?」

「私の幻想につきあってくれていたのだ。だから―私はいつきといる時間が、心地よかった。」

 かみしめるように言ったあと、博士はふぅと溜息をついた。

「付き合わされたいつきは、迷惑だったろうがね。だが―気が付いたおかげで、なんだかすっきりした」

「す、すっきり…?」

「ああ。魔法少女スイートミルキーは、もういない。だがもともと存在しなかったものなのだから、失ったって損失はゼロのはずだ。はは…」

 輝羽はもやもやした思いを抱えながらも、言葉をかえした。

「う~ん…そうとも、言い切れないのでは…」

「ほう、なぜ?」

「たしかに…演技の部分もあったのかもしれませんが。それでも一緒に過ごした時のいつきの優しさだったり、気遣いだったりは、嘘でも幻でもなく、いつきの本来のものだと思います。だから―…」

 だから何だ?何て言えばいいんだろう?輝羽は言葉を探した挙句―

「…だから、今のいつきとまた、新しくつきあっていけばいいじゃないですか」 

 しかし博士はうなだれた。

「そんな事はできない。私はあの子を利用して、さらにあの子の母親に、ひどい事をしてしまったんだから―…」

そうだった。いつきはまだその事を知らない。墓穴を掘りかけた輝羽は、しかしふと気が付いた。

「あ、でも待って…おばちゃんは、装置の中の体は生きていると言う事ですか?」

「ああ、そうだ。だが彼女の意識は―――」

 その時、博士は目を見開き、ばっと立ち上がった。

「そうだ!絵瑠だ…!死んでいない、彼女の意識は、生きていた」

「え、エル?あの人が…おばちゃん!?」

 そういえば、名前がおんなじだ。まったく気が付かなかったが。

「ああ!いつきの身体を借りて、君に助言をしていたのは絵瑠だ。そうにちがいない。」

 輝羽は首をひねった。

「んんん?でも、彼女の脳はもう反応がないって…?」

「ああ。電極を受け入れる事ができなくて…上手く仮想空間につなげなかったとばかり思っていたが。彼女はちゃんと居たんだ。あの場所のどこかに」

「じゃあ、エルを探して体に戻せば―…生き返るかもしれないってこと?!」

 驚く輝羽に、博士はうなずいた。血の気のなかったその頬に、うっすら赤みが差していた。

「そうだ―…教えてくれ、輝羽、さん。彼女と最初に会ったのは、どこだった?」

「ええと―たしか、マップの外、あの世界の端を確認しようとして、一周した時に会ったの。それで―」

 博士の目は驚くほど真剣だった。輝羽はその時の状況を詳しく語った。

「なるほど―わかった。感謝する」

 博士はうなずいて何事かを考え始めた。そして一時して、輝羽に言った。

「いつきが目を覚まして、傷の予後を確認し次第、私は絵瑠を探しに行く。」

 勢い込む博士を、輝羽はとりあえず止めた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。私はどうすれば?皆を起こすにしても、やり方を教えてもらわないと」

 博士ははっとしたあと、少しバツの悪い顔になった。

「あ…そうか。すまない。先走ってしまった…。大勢の覚醒には順番があるんだ。それに発症してしまった人を起こす事はできない。ワクチンを…作ってからでないと」

「ワクチンは…完成のめどはあるんですか?」

 輝羽はおそるおそる聞いた。いくら地上に出れるようになったと言っても、ワクチンがなければ起きれない人もいる。またパンデミックが起こるのかと思うと、おいそれと誰も起こせない。

「ああ。仮想空間に居るあいだ、理論だけは組み立てた。が…作成はこれからになる」

 博士はちらりと輝羽を見た。悪い事をして叱られないか不安がっている子どものような目だった。自分よりよほど大人の人なのに、妙な仕草だ。だが、そんな部分はきっとこの人の純粋さにもつながっているのだと輝羽には感じられた。ずっと一人の女の人を―その人が母になっても―想い続けるような、子どもじみた一途さに。

「わかりました。手伝います。何でも言ってください」

 輝羽はそう請けあい、彼女に対して初めて微笑した。

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