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いつきと輝羽(2)

いつきと二人きりでいると、苦しいほどに、胸がドキドキするから。無邪気に抱きつかれてほおずりされると、身体中の肌が熱に粟立つから。その柔らかな肌に触れたくなって、華奢な体を抱きしめてみたくなって、でもそんな事できなくて、息をするのも苦しくなってしまうから。

 弱くて卑怯なだけじゃない、彼女に対してこんな気持ちを感じてしまう自分は、なんて異常で、醜いんだろう。こんな事は、耐えられない。

 心の底の欲望から目を背けて蓋をして、輝羽はここまで来てしまったのだった。

 だから今、こんなに側に来られると、震えて何も言えなくなる。

 怖い――。いつきではなく、自分が。

「ど……どいて……。おねがい、だから……」

 小刻みに震える唇から、やっと絞り出されたその言葉を聞いて、いつきはきゅっと唇を噛んだ。彼女が今また、新たに傷ついたのがわかって、輝羽もまた唇を噛んだ。

 輝羽は起き上がって、いつきに背を向けて移動した。距離を取って、冷静になって――少しでも、何か言わなければ。彼女に、謝らなくては

「ご……ごめんなさい、いつ、き」

「ううん……私のほうこそ、ごめんね。輝羽はずっと……私の事、我慢してくれてたんだね」

「ちがうの、そういう、ことじゃなくて……」

 弁解しなくてはいけない。でも、自分の心の底に秘めた醜い気持ちは言いたくない。そうなると――もう、本当の事なんて何も言えない。

 輝羽は苦肉の策で、みっともない嘘をついた。

「わ、私が、悪いの。いつきが……その、私よりずっと可愛いのが、羨ましくて……それで、あんな態度」

「えっ……そ、そうだったの!?」

 どうやら、いつきは輝羽の言葉を疑っていないみたいだ。輝羽はほっとして、一気に謝る事にした。

「そ、そうなの……だからごめんなさい。私、馬鹿な事して。いつきに迷惑、かけてしまった。だから嫌われるのは、私の方……」

「わ、私は輝羽の事、嫌いになんてならないよ!」

 わざわざ壁際に逃げたのに、いつきはたたっと輝羽に駆け寄って、その肩を掴んだ。

「輝羽は……私が『可愛い』から、嫌いなの……?」

 だから、近い。輝羽はたじたじと目をそらして、首を振った。

「ちが、ちがうわ。嫌いじゃなくて――嫉妬してた、だけなの。ごめんなさい」

「謝らないで!――そっか……そっか!」 

いつきは、目をパッと見開いた。キラキラして、澄み切った色の目。けれど少し泣きそうに、その目は潤んでいた。

「わ、私、輝羽に本当に嫌われたわけじゃなかったんだね!よかった……よかったぁ」

 けれどその目はギリギリで、涙をこぼさずに笑った。

「もっと早く、聞きにくればよかったな。私……怖くて。なんで輝羽に嫌われちゃったのかなって、知るのが」

 違うのに。悪いのは私なのに――。その思いに、輝羽の鼓動は早まる。申し訳なさと、憐憫と、そして彼女もまたそう思っていたのだという嬉しさと……。

「ねぇ……また、友達にもどってくれる?」

 その華奢な腕が、輝羽の背に回る。身体を寄せて囁かれたその言葉と、儚い肌の触れあいは、輝羽を再び震え上がらせるには十分だった。

――いつきは、友達。だけど私は、いつきに、『友達』には抱かない気持ちを抱いている……。

 ずっと目を背けてきたこの自分の業を、ふたたび突きつけられる日がきてしまった。

 それも、逃げ場のない、こんな狭い閉じた空間で。

 その事に気が付いて怯えながらも、輝羽の内心は、極上の肉を目の前に差し出された犬のように、期待に打ち震えているのだった。

 

その日から、監視の目をかいくぐって二人は一緒に過ごすようになった。

「ね、見て見て輝羽。これ作ってみたの」

 配管を通って降りてきたいつきは、白い包みを輝羽に差し出した。紙ナプキンを、ピンクのリボンでぎゅっとしばってある。これは昔、よくみた包装のしかただった。輝羽はぴんときた。

「これ、もしかして…お菓子?」

「正解!昨日の配給の材料で作ってみたの!開けてみて!」

 輝羽がそっとリボンをほどくと、中には色とりどりの、ちょっとひしゃげた丸いものが詰まっていた。

「これ、マカロン?」

 輝羽がきくと、いつきは苦笑いした。

「難しかったぁ…昔、輝羽と母さんが作るの横で見てたから、簡単にできると思ったんだけど」

 懲りたようなその様子に、輝羽の頬に初めて笑みが上った。昔の事を思い出す。

「だっていつきったらいつも食べるばっかりで、ぜんぜん私たちを手伝わないんだもん」

「むう。輝羽は器用だからいいけど、私はそうじゃないんだもん。失敗したら、母さん悲しい顔するし」

 地下で配給される食物は限られている。水耕栽培の野菜と、受精卵から管理されている家畜たち。それらは葉の一枚単位まで厳しく記録され、この地下街の人々に配給される。つまり小麦粉の一つまみたりとも無駄にはできないのだ。なので皆調理法には頭をしぼり、地下街独特の様々なレシピがあった。穀物肉のボルシチ、小麦粉を節約したケーキや、化学香料によってつくられたフェイクチョコレート。材料に限りがあるので、ひと口でも満足できるような味わいを持つ、技巧に凝ったレシピが流行っていた。

 その中でマカロンは、輝羽の得意のお菓子だった。工程はかなり難しく、ひとつ間違えばべたべたのクッキーもどきになってしまう。けれど少量の小麦粉と、卵の卵白があれば作れるので地下街向きのお菓子だった。

 輝羽は薄いピンク色のマカロンを取って、口に運んだ。べたっとしていて、甘い。思わず笑ってしまう。

(私が初めて作った時も、こんな失敗したっけな)

 笑う輝羽を見て、いつきはすこし唇を尖らせた。

「…どうせ失敗作だよ。でも……輝羽に作ってあげたかったの。だって、いつも浮かない顔してるから」

 輝羽は首を振った。たとえ美味しくなくても、お礼を言う。それは食べる側の礼儀だ。作る方だった輝羽はその姿勢をわきまえていた。

「ありがとう。その気持ちが嬉しい。ここにきてから配給食ばっかりで…ひさびさに誰かが作ったもの、食べた」

「ほんと?美味しいかな?これ…。なんでこんなべたっとしてるんだろう。輝羽の作るのは、軽くてサクサクしてたのに」

「焼く前にちゃんと乾燥させなかったでしょ?あと混ぜるときに力まかせにやらなかった?卵白の泡がつぶれちゃったのかもよ」

 いつきはへへっと笑った。

「すごい!見てないのにわかるなんて」

 輝羽はちょっと誇らし気に胸をそらした。

「そりゃね。長年ちまちま、料理してきましたから」

「うちの母さんも輝羽と一緒にキッチンに立つの楽しんでたもんなぁ。」

「そうね。またいつきのお母さんにも、会いたいわ」

 いつきの母は、中身も外見も可愛らしい小鳥のような人で、料理やお菓子作りの腕前はプロ級だった。輝羽も最初は彼女に教わったりしていた。チョコレートクッキーや、シフォンケーキのような基本的なレシピをだ。

「また…皆でケーキを食べれる日が、くるといいんだけど」

 膝をかかえてつぶやく輝羽に、いつきは言った。

「きっとくるよ。それに今、私と一緒にマカロン食べてるでしょ」

 前とかわらぬ天真爛漫なその笑顔に、輝羽は肩の力がぬけるほど安心を感じていた。彼女と一緒にいる喜びは、欲望を我慢する苦しみを遥かに勝っていた。できるだけ、一緒に過ごしたい。今まで彼女に冷たくしてしまった分、喜ばせてあげたい。

 彼女に触れたくなる気持ちには厳重に蓋をして、輝羽はいつきとの密会を重ねていった。いつきは無邪気に輝羽に触れ、2人きりの密室空間で、輝羽は苦しい思いを押し込める。けれどその我慢な、甘美なものでもあった。

 そんな日々が続いた。

「ね、輝羽…新しいワクチンが作られたんだって。ここを出れる日も近いかもしれないよ」

 ベッドに寝転んで、二人はだらだらそんな話をしていた。ぬいぐるみにするように、輝羽の身体に腕をからませ目を輝かせていういつきに、輝羽は冷静を装って首をかしげた。


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