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博士という人(2)

2888 2月6日

 ここ数年の死亡数の統計を取ったら、女性が男性の2倍になっていた。おそらく6年前からじわじわとはやっているあの風邪が原因だろう。たしかに患者はお婆さんばかりだった。そして最近、50代以下の女性の死亡者も増えてきている。これは由々しきことだ。それに気が付きはじめて、皆がそわそわしはじめた。ベースメントの中に、妙な焦りが広がっている。こんな密閉された地下で、不安や焦りは一瞬で広がってしまう。これは集団不安を誘発する。良くない事だ。だが皆が不安に思うのも当たり前だ。なにせ女性がいなくなれば、子どもの数も減る。それに産んで育てるのは一大事業なのに、死ぬのは一瞬だ。女性ばかりなくなれば、この地下街は近い将来、お爺さんだけになって皆死に絶えてしまうだろう。どうしたものだろうか。ウイルスを駆逐するか、ワクチンを開発するか―ラボでは必死に打つ手を考えているが、どれも難しそうだ。


2890年 4月8日

 とうとう、40歳以下の女性をすべて隔離する事が決定された。この2年で、人口は5000人を割ってしまった。男性の死者も多いが、女性はその倍だ。これ以上減ってしまえば大変な事になる。

 幸か不幸か、人が減ってしまったせいで部屋は余っている。除菌対策を施し、対象となる女性を一人一部屋、隔離する。会話はすべて無線で行い、許可された家族しか直接は会えないよう措置を取る。いい策ではないが、こうなってしまった以上仕方がない。私は研究のおかげで除外となったが、気を付けて過ごすに越したことはない。

 残された5000人の間には、ピリピリした不安と緊張がいきわたっている。集団パニックがいつ起こってもおかしくない雰囲気だ。人間は、極度の不安や緊張にさらされると、何をしでかすかわからない。それこそ昔衛星を落とすと決めた狂ったテロリストのように。ラボのメンバーは秘密裡に、私の考案した冬眠装置を開発する事を決めた。切り札は、一枚でも多くあった方がいい。人間は不安定な生き物だから。


2892年4月25日

 とうとう最初の冬眠装置が完成した。まず、私の後輩が実験で入ったが、特に異常もなく、彼はここ3日間装置の中で眠り続けている。だが、まだ成功とは言えない。最低でも数か月は観察してデータを取らなければ。

 かつては一万人いたこの地下街の、さまざまな設備を利用すれば、なんとか人数分の冬眠装置が準備できそうだと試算では出た。だが、この一基を作るのにも4年かかってしまった。4000近くともなるとどのくらいかかるのか…。その4000人のうち何人が、納得して自分から装置に入ってくれるだろうか。もし暴動でも起こってさらに人が死ねば元も子もない。そしてその間にもどんどん人はウイルスで死んでいく。


2893年 10月

 最悪の秋だ。人口が、とうとう1000人を割った。どこもかしこも死体だらけで、自分自身がまだ生きているのが不思議なくらいだ。ワクチンを何度も作ったが、このウイルスはそのたびに嘲笑うかのように進化して、おわらないいたちごっこの様相を呈している。それとは逆に、もう冬眠装置は人数分用意できている。なにせ最初は4000基作る予定だったのだから。

 だがたとえ1000人無事に冬眠できたとして、その先どうするのかが問題になる。いざ地上に出れるようになった時、ウイルスを克服できていなければ、目覚めてもまた同じ事が起こるのではないだろうか。しかし地上に戻りさえすれば、人間の免疫力も元に戻って、簡単にウイルスを駆逐できるはずだと楽観的に考える研究者もいる。私はその説には懐疑的だ。地上に戻って何世代かになれば、免疫も回復するかもしれない。けれど地下育ちの私たちの免疫は、そう期待できない。たとえ本物の太陽の光をたっぷり浴びて、新鮮な酸素を吸ったとしても、子どもを残すことすらできず死に絶える可能性の方が高いだろう。

 だから眠る前に、まだやらなければいけない事がある。このウイルスを完全に撲滅できるワクチンを作り出さなければいけない。

だけど最近、体が妙にだるいのだ。睡眠時間が少ないせいか、疲れが取れない。いや、いくらたくさん寝たって、私の不調は治らないだろう。ここ数年で、私は常に疲れていて、不機嫌で、憂鬱な嫌な人間に成り下がってしまった。この地下都市のために私は常に頭をフル回転させて尽くしてきた。けれどそれがもう、嫌になりかけている。どんなに頑張ったって、誰も褒めてくれないし、本当に欲しいものは手に入らない。

私がいくら功績を積んだって、歯を食いしばって働き続けたって報われないのだ。ならば何のために生きているのかと思えてくる。

 …冬眠装置の中で眠っている後輩が、羨ましい。私も早くそこに入りたいと思っている。



2894 12月31日

 とりあえず隔離させている女性から、冬眠装置へ順次入れていくことが決まった。装置の存在を知った住民の反応は様々だった。なぜもっと早く発表しなかったのかと怒る者、入るのを拒否する者、家族と一緒でなければ入らないと主張する者…。若い住民からは反発もあり、小規模な内乱も起こった。けれど彼らとて、姉妹や母や恋人を冬眠装置に人質にとられている身だ。すぐに大人しくなった。

 今日は、14歳までの女の子をすべて眠らせた。皆命に別状なく棺桶のような装置に収まって、私はほっとした。徹夜仕事だった。

 睡眠装置の置いてある大地下(揶揄混じりに、カタコンベと呼ばれている)を出ようとした私の目のはしに、信じられない物が映った。冷凍装置の横に、絵瑠が立っていたのだ。

 今の、大人の絵瑠じゃない。子どもの―そう、ちょうど15歳くらいの時の、絵瑠だ。白いワンピースを着て、長く伸ばした髪を2つに結んで桃色のリボンで結んでいる。

「…絵瑠!?」

 私は思わず目をこすった。すると、その子は目の前から消えた。なんてことだろう。疲れ切った私の脳みそが、バグを起こしてそんな幻覚を見せたなんて。

 私はまだ、15歳の絵瑠とやり直したいなんて、そんな馬鹿な夢を求めているというのだろうか。そんなの嘘だ。ありえない。私はもう彼女の事なんて忘れたんだ。克服したんだ…。

 今そう自分に言い聞かせているというのに、私の脳裏に、さっきの絵瑠の姿が焼き付いて離れない。私の脳が作り出した幻のくせに、やけにリアルな姿だった。

 彼女が私を捨てて、もう17年経つというのに。つくづく私は、私が嫌になった。


2895年 4月

 続々と住民たちが装置に入っていく。今の所、装置にも睡眠にも問題はない。さしあたっては今後の事だ。とりあえず僕らラボの研究者たちは装置に入らないでワクチンの開発を進める。ワクチンが完成した暁には、皆で冷凍装置に入り、外のドローンが起こしてくれるのを待つ。そう決定した。住民が居なくなった空間で、数名の研究者だけがただただ作業を続ける。無人の廊下、数々のシェルター。ぞっとするほど、寂寞たる光景だ。私は数年ぶりに自分の育ったシェルターを見に行ってみた。彼女と育ったシェルター。両親を早くに亡くした私を、絵瑠の家族は受け入れて、一緒に育ててくれた。彼女の両親には感謝している。けれど…絵瑠と出会った事は、私の人生で一番の不幸だったと今は思う。

人間とは滑稽な生き物だ。彼女は私を傷つけるつもりなど微塵もなかっただろうに―私は勝手に傷ついて、自分の人生をダメにした。彼女は今、家族と共に装置の中で眠っている。100年か1000年先かわからないけど、その眠りから目覚めれば、彼女はまた夫や子どもと共に幸せな生活を再開するのだろう。

 一方私には何もない。この睡眠装置が、私の唯一生み出せたものだとおもうと涙が出そうなほどぞっとする。

 私は眠りから目覚めなくたっていい。


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