目をさますのよ
毎日毎日ベッドの上で、いつきは退屈に身を焦がしていた。博士に、出歩く事を禁じられてしまったからだ。体はなんともないのに、大事に過ごすという名目で。二人しか住んでいないこの場所の少ない家事が終わってしまえば、あとはもうする事などなかった。いつきはベッドで膝をかかえて、外の雲を眺めた。暇になると考えてしまうのは、「友達」輝羽のことだった。
(あんな子…クラスにいたっけなぁ)
おもいだすたび、いつきは首をかしげざるをえなかった。あんな印象的な女の子、一度みたら絶対に忘れないと思うからだ。
そのくらい、いつきの目に彼女は魅力的に映った。長い黒髪に、細くて長い手足。滅多に笑わなそうなクールな表情。
(かっこいい。同い年なのに、まるで大人の女の人みたい!だけど…。)
あまり感情を露わにしなそうな彼女だったが、最後いつきの前から去ったとき、顔を泣きそうに歪めていたのが、いつきの心にずっとしこりとなって残っていた。
(なんであんな悲しそうな顔、していたのかな。私何かしちゃったかな)
がんばって思い出そうとしてみるが、何も心当たりがない。当然だ。彼女とはあの時が初対面なのだから。
(でも…輝羽って名前…なんだか聞き覚えがあるなぁ)
なつかしさと親しみのようなものを、ぼんやりとだが感じるのだ。
(実は、私が覚えていないだけで、どこかで会ってるとかかなぁ)
いろいろ考えてみるが、一人なのでらちがあかない。博士はいつもどおり研究室に閉じこもっているし。
また、あの子に会いたい。そんな気持ちが胸の内に沸き上がってくる。会って聞きたい。私たち、どこかで会いましたか?って―…。
(あの子と、ちゃんとお友達になりたいなぁ)
そう思い始めると、もういてもたってもいられない。いつきはベッドから出て、こっそりとドアをくぐって家から抜け出した。
荒野に風が吹いて、輝羽の黒髪を揺らした。アジトから出て歩き始め、もう1日はたった。最初は崩れたビルや割れた道路が続く景色がつづいていたが、今はもう、白茶けひび割れた地面のはるか遠くに、水平線が見えるばかりだ。
(…どこが、この街の果て、なのかしら)
輝羽はライデンが描いた地図を確認した。アジトを出て、今自分は西へ西へと歩いてきたはずだ。すでにこの地図にない部分にまで。するとここが――外、なのだろうか。しかし魔法少女が邪魔しにくる気配はない。輝羽はため息をついてマップを閉じ、再び顔を水平線へ向けた。
「あ…あれは?」
輝羽は目を凝らした。水平線の先に、うっすらと建物の影のようなものが見える。
(…私たちの知らない、別の街があるってこと!?)
もしそうなら、これは大発見かもしれない。興奮した輝羽は走り出した。街はどんどん近くなる。輝羽は一度も止まらず走り続け、そして―…現れた建物たちを見て、足を止めた。
その光景には、見覚えがあった。
(ここって……私たちの街!)
輝羽は地図を確認し、そして唇を噛んだ。確かに自分はアジトを出て、西側へと歩いていった。けれどたどり着いたのは、別の町ではなく、自分が元居た街。
(…つまり…西側の端の先を歩き続けたら、東側の端にたどりついた、ってこと)
輝羽は大きなため息をついて肩を落とした。地図などまやかしだ。この世界は円のようにつながっていて、終わりなどなかったのだ。ちょうど地球のように―…。
「ちょっと待って…地球って」
突然頭のなかにぽっと現れたその言葉に、輝羽は強烈な違和感を覚えた。
ぜんぜん知らない言葉なのに、よく知っているような―そんな気がする。
「地球って…何、」
輝羽は頭を手で抑えて天を仰いだ。この世界の太陽は雲と煙に覆われて、白く輝いている。太陽―そうだ、空には太陽がある。なら私たちの立っているこの場所は。
「地球。それは太陽系第三惑星のことだよ」
突然背後で響いた声に、輝羽ははっと振り向いた。
「あ…い、いつき」
そこには、白いワンピースを着たいつきがいた。輝羽は思わず身構えた。輝羽との間にあった事をすべて忘れたはずの彼女――。もしかして今、魔法少女として輝羽を消すためにここまで来たのだろうか?
「輝羽、やっと、会えたね……こんな所で何をしてるの?」
しかし、にっこり笑ってそう聞くいつきは、輝羽の知っているいつきとどこか違っていた。顔も服装もいつきだが、その落ち着き払った表情が、決定的に違う。輝羽はじり、と一歩下がった。
「あなた、いつきじゃないわね?…博士でしょう」
そういうと、彼女は穏やかに首を振った。
「ちがうよ。あの人は、私にはなりたがらない」
「じゃああなたは何?博士の仲間?正体を見せなさい…!」
戦闘の構えに入った輝羽だったが、次の瞬間、いつきにふわりと手を抑えられ、それはかなわなかった。
「ごめんなさい、いきなり信用してといっても難しいよね。でも…私はあなたといつきの仲間よ」
いつきの丸い目が、おだやかに細められて輝羽を見ていた。まるで母のような、慈愛に満ちたまなざしだった。ディアナは絆されまいと思いつつ、聞いていた。
「じゃあ、いつきを乗っ取っているってわけね。せめて…せめて名乗りなさいよ」
いつきでない誰かは、子どもを見るように優しく目を細めたあと、名乗った。
「私はエル。でも―私と会ったってことは、誰にも言わないでね。特に博士には」
「…あなたの目的によるわ。一体私に何の用があるの?」
「あなたが、『地球』って何、って言ったでしょ?だから教えてあげようと思って。地球は太陽系第三惑星。人類が住んでいる星よ」
「人類が、住んでる……? それじゃ…この世界も、地球の一部なの?」
「…そうね。それは否定はできないわ」
意味ありげな言葉を紡ぐ『エル』に、輝羽は必死で聞いた。
「それなら、教えて! 何で私たちは、ここに居て戦ってるの? 魔法少女は、なんで私たちを攻撃するの? 外には、何があるの?」
輝羽がそう聞くと、いつきの顔から微笑みは消え、目には切実な光が浮かんだ。
「あなたたちは、早く外に出なければいけないの。だから私―…あなたに会いにきたのよ。大変だったわ。一度にいろんなことをしなくちゃいけなくて。でもやっと、やっと来れたの」
「外?外ってどう出ればいいの?そもそも、この場所はどこにあるの?」
「ここがどこかなんて、そんな事はどうでもいいの。実験場でも、地球の内側でも、架空の街でも…とにかく、目を覚ますのよ、輝羽」
いつきの拳が、トンと輝羽の胸元にあたる。彼女は必死だった。しかし輝羽は怪訝な顔になった。
「もう覚ましているわ。これ以上どう覚ませっていうの」
「違うの―…この世界から目覚めるのよ。あなたたちは魔法少女でも悪の組織でもない、この世界は、嘘の世界なのよ!」
「えっ…」
「目覚める方法を…探して。きっとあるはずだから、輝羽――おねがい」
次の瞬間、いつきの身体は糸が切れたようにがくんと崩れ落ちた。輝羽はあわててその体を両手で支えた。
「ちょっと!ええと、エル、さん?」
彼女は死んだように目を閉じていた。輝羽はあわてて彼女をゆさぶった。
「あ…輝羽、ちゃん…?」
うっすらその目がひらいて、ぼんやりと輝羽を見上げた。その顔にうかぶぽわんとした表情は、まぎれもなく元のいつきだった。




