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お肌でペイペイ

作者: 竹尾 練治

 美咲が、白い腕を持ち上げる。

 鳥の羽ばたきのようだと、ぼんやりと思った。

 露になった腋窩部には、薄い乳房の辺縁に、微かに肋が浮いて見えた。

 彼女の腕を、動かないように左手でぎゅっと握る。

 ジム通いを欠かさないという美咲の上腕は、白く滑らかな肌の下に、野生動物のようなしなやかな筋肉を隠していた。

 型落ちのスマートフォンを開く。カメラを起動して、美咲の体に向ける。

 美咲の脇にフォーカスを当てる。

 彼女の裸身を彩るタトゥーの、デフォルメされた蛇と視線が合った。

 腕を掴む左手は汗ばみ、スマホを握る右手は震える。

 「へたくそ」美咲が笑う。

 やっと、美咲の裸身を写してスマホの画面に、四角い枠が現れた。

 脇下の、小さな入れ墨――クラッカーと共に鳩と紙幣が舞い散るビックリ箱に、四角の枠に合わせた。

 スマホの画面が点滅する。

 慌てて、スイッチをタップすると、『ペイペイ』とスマホが鳴いた。

 

  ◆

 

 美咲の特殊能力は、男の薬指を見ただけで、怒張した男の一物の太さと長さを当てることである。

 似たような話は、山ほど聞いた。鼻を見れば分るだの、瞳を覗き込めば分るだの。

 ――だが、まあ、これらは「じゃあ、本当かどうか答え合わせをしてみようか」とばかりに、男の下着を下げる為の風俗嬢の話術であり、詐術の一種に間違いないと思っていた。

 訪れる男は元より美咲の異能を検証したいわけではなく、彼女と一発ヤるのが目的だ。

 美咲はデリヘル嬢である。

 出会ったのはとあるスナックである。一万円を渡すと、店からは禁じられている()()をやらせてくれるという触れ込みで、悪友からの紹介を受けた。

 美咲は俺を見て悪戯っぽい笑みを見せた。


 俺が美咲を家に呼んだのは、一月ほど経った日のことである。

 口紅を捺された名刺の店に電話をかけ、美咲を指名した。

 別段風俗で遊ぶのが初めてという訳でもなかったが、デリヘルというシステムを利用するのは初めてだった。妙な気恥ずかしさを感じ、ビールの空き缶の散らばった部屋を片付けて、そこそこに体裁を整えて到着を待った。

 ――チャイムの音。

 こんにちわー、と美咲は艶っぽく頭を下げて、開口一番、


「こうちゃん、久しぶり!」


 と気安く俺を呼んだ。

 

「は?」


 呆気にとられた俺に、美咲はチェシャ猫のように微笑みかける。

 

「雄山台高校、第52期。3年4組。出席番号28番」


 つらつらと、美咲は俺のプライベートを口にした。

 こういうの、風俗嬢のご法度じゃなかったのか?

 そんな疑問を呈する前に、


「さて、私は誰でしょう?」


 おかしくて堪らない、という風に、美咲はくるりと爪先立てて回ってみせた。


「クラス会には行ってる? 私はまあ、行ったことないんだけど」


 彼女の言葉は断片的で、説明が足らず、ひどく分かり難い。

 とどのつまり、この美咲という源氏名の女は、俺の高校三年時のクラスメイトだったらしい。

 彼女のコンプライアンス違反を咎める心より、好奇心が勝った。

 とんとんと頭を叩いて朧げな記憶を呼び起こす。

 

「甲野?……いや違う、黒田か? それとも町井??」


 印象に残る事も少なかった高校生活。ついぞ女子と交際することがなかった俺にとって、今なお顔と名前が一致する女子はごく僅かだ。

 当時の派手なクラスメイトの名前を手当たり次第に擧げてみたが、どれも違うのは直観で分かっていた。


「ぶっぶー、ハズレでーす」


 美咲は、おかしくて堪らない、という風にけらけら笑った。


「もし当てられたら、一万円、タダにしてあげるから。よく考えて」


 しかし――幾ら考えても、眼前の顔に見覚えはない。

 整った、……整い過ぎている程の美形。こんな子がクラスにいたら、目を惹かぬ筈はないのだが。 


「お前、本当に俺のクラスメイトか?」

「うん、本当。この顔は、魔法使いに、取り替えてもらったの」


 美咲は瞳を細めて、そっと白い己の頬を撫でた。

 彼女の言う魔法使い――恐らくは整形外科医――のことは詮索しなかった。

 美咲は、彼女の本名に頭を悩ませる俺に、気安い口ぶりでシャワーを要求した。


 今になって、俺は彼女を家に呼びだした本当の理由を思い出した。

 この女に対する疑念は消えない。だが、俺の感情は容易く欲望へと傾いた。

 悲しい男の性だ。


 ――ひとつだけ、分かったことがある。

 美咲がスナックで語ったという、手を見るだけで男のアレの長さを当てることができるという特殊能力。

 それは、確かに本当だった。

 彼女は今までに一体何度その特技を使ったのか。その特技を身に付けるまでにどれだけの経験を積んだのか。

 俺はそれを知る術はないし、知りたくもない。

 凄いなあ、と褒めると「でしょう」と美咲は顎をあげてドヤ顔をした。



  ◆


 近年社会のキャッシュレス化が迅速に進みつつあるが、彼女の為に紙幣を用意するのが、俺の日常だった。

 店の価格通りの金額を支払い、それから一万円をそっと手渡す。

 彼女は、店への支払いはポーチに丁寧に納めるが、一万円はいつもぞんざいにポケットに突っ込んでいた。

 互いに、ルールを破っているのは承知での遊びだった。

 俺は、未だに彼女の名前を当てられずにいる。

 高校の三年時、俺のいた文系クラスは、40人のクラスメイトの三分の二が女子だった。

 指折り数えてみれば、思い出せない名前の方が明らかに多い。

 

「山中洋子」

「ぶっぶー、ハズレ~」


「畠山芳美」

「違いまーす」


「番匠友枝」

「いやいや、それはいくら何でもナイでしょ」


 彼女を玄関で迎える度、俺は一度だけ違う名前で美咲を呼ぶ。

 その度に、美咲はハズレハズレと俺を笑う。

 半ば、これは俺たちの間の儀式と化していた。

 

 ――卒業アルバムを見て、クラスメイトの女子の名前を上から下まで読み上げれば、きっと誰かがヒットするのだろう。

 だが、そんなズルをして彼女の名前を当てても嬉しくは無かったし、そもそも卒業アルバムは田舎の実家に置きっぱなしだ。

 まだ思い出せる女子の名前にはストックがあるが、もし俺が認識してすらいなかった女子が美咲の正体だったなら、完全に詰みである。 

 だが、俺は『彼女の正体が俺とは何の交友も無い目立たない女子だった方が、浪漫がある』等と下らない事を考えている。

 俺の高校時代、人並みには楽しかったが、女性関係は不毛な汗臭い三年間だった。

 女子から告白なんて、ついぞされた事はない。

 そんな俺の事を秘かに見つめていた地味な女の子がいて、整形で女としての自信をつけ、高校時代は声を掛けられなかった俺に話かけてきた――そんな、ありきたりだがロマンチックなサイドストーリーを、脳内で創作すると、――ひどく昂った。

 受験勉強に追われるばかりだった灰色の高校時代の思い出が、色鮮やかに輝いたような気がしたのだ。

 だのに。


「いや、ナイナイ。それはない! 

 こうちゃんのこと、要領悪い奴だなー、とは思ってたけど、好きだったとか全然無いから。

 野球部の汗臭い坊主頭から、ガリ勉にジョブチェンジしたつまんない男の、どこに惚れるとこがあんの?

 それよりほら、早く脱いで」


 美咲は、俺の浪漫を一笑に付した。

 彼女は、水商売の女性にはあるまじきぞんざいな態度で俺に接してきたが、それが高校時代の女子とのクラスでの何気ない会話のようで、気分を害ことはなかった。

 ――もし仮に、彼女が俺のノスタルジーを喚起する目的でそんな態度を取っていたなら大したプロだが、別段そうした意図はなく、美咲のごく自然体の態度だった。


  

  ◆

 


 変化は、ある日唐突にやってきた。

 いつものように店に電話をすると、美咲ちゃんは辞めてしまったんです、と唐突に告げられた。

 不安定な仕事である。何があってもおかしくない。

 既に、定期的に美咲を部屋に呼ぶのは俺の日常だった。

 美咲にとっては、俺は客の一人でしかなかったが、俺は半ば、美咲を恋人のように思っていた。

 ――本名すらも未だ当てられないのに。

 まずいな、と自省する。

 これは、一歩間違えればストーカーに堕ちる思考だ。

 大人らしく割り切ろう――そう念じたが、思考と情は用意に切り離せない。

 幾度となく美咲と枕を共にした安いパイプベッドに転がり、悶々とした日々を過ごした。

 

 

  ◆


 ある、雨の夜。

 カタン、表で、安アパートのポストに何かが差し込まれる音がした。

 普段の俺のポストに投げ込まれるのは、新興宗教のチラシか、水道料金の請求が精々である。

 だが、予感がしたのだ。


 一枚の、ピンク色の名刺が、床に落ちていた。


『みおり』


 名前と、以前とは違う店の電話番号。

 俺は、部屋を飛び出した。

 雨の中、ピンク色の傘をさした小さな人影が通り過ぎゆくのが見えた。


「狩生凜々花」


 大声で、名前を叫ぶ。

 みおり――美咲は、振り返って笑った。その目元には青痣がある。

 

『は ず れ』


 口元が、そう動いたのが分かった。

 彼女は、踵を返し、雨の夜闇へと消えていった。



 

  ◆

 


 名刺の番号に電話をすると、吃驚するほどあっさり、彼女は俺の部屋を訪れた。


「遠藤薫」

「適当言ってるでしょ。そんな奴、クラスに居なかったよ」

「……何でお前だけ覚えてんだよ」

「いや、私、記憶力いいからさ」


 そんな軽口を叩き合いながら、彼女はスルスルとタイトなスカートを下す。

 

「一万円は、当分お預けだね」


 ぎょっとした。


「えっ、お前まだ『本番』やってんの!? 店にバレてボコられたんじゃねーのかよ」

「まあ、そうだけど。ヤッた方が儲かるからさ。だから、バラさないでね。

 今のお店、○ヤの人がケツ持ちやってて、本当に怖いんだから。

 飛ばないように携帯にはGPS入ってるし、余計なお金受け取ってないか、帰ったら服は全部脱がされるし」

 

 そんな状況で、まだ稼ぐことを諦めないのか。

 服を脱いだ彼女の裸身。

 そこには、以前とは明確な違いがあった。右腕の肩から上腕、肘下までを流れる、西洋風のタトゥー。

 彼女の右肩から上腕にかけてピンと張った縄を、棒を持った男が歩いている。

 玉乗りする道化。

 火吹き男。

 猛獣使い。

 小さな雑技団が、彼女の右半身でサーカスを繰り広げていた。

 

「温泉入れなくなっちゃったけど、まあ、いいか」


 彼女は腕を上げて、


「ん、ここ、スマホのカメラ向けて」


 顎で促した。

 そこには、紙幣と鳩が飛び出すビックリ箱の意匠に隠れて、小さなQRコードが。


「こうちゃんのスマホたしか、ペイペイ入れてるって言ったよね」


 彼女の執着には、舌を巻いた。

 スマホのQRコード読み取りを向ける。

 微かに、彼女の汗の香りがした。脇の剃刀跡がエロティックで喉が鳴る。

 10000を入力し、送信を押すと「ペイペイ」とスマホが鳴いた。

 満足したかのように、彼女はフフン、と鼻を鳴らした。


「でも、太ったり、齢とって皺くちゃになったりしたらどーすんだよ? そんなQRコード、すぐに読み込めなくなるぞ。どーすんだよ」


 ごく当然の疑問を呈すと、


「そんな齢になるまでに、お金貯めて逃げ切るに決まってんじゃん」

 

 彼女は胸を張って言い切った。


「どうして、もっと真っ当な仕事しねえんだよ。デリで本番やって稼がなくても、仕事なんて幾らでもあるだろ」

「うわ! ヤリ終った後に説教してくるオヤジは結構いるけどさ、まだ前戯もしてないのに説教始めるなんて……こうちゃん、ちょっとキモいよ?」


 返答出来ない俺に、彼女は満面の笑みを浮かべて見せた。 


「整形で借金作っちゃって。私勉強できなかったし、他の仕事できないからさ。これが一番稼げるの。

 ……あ、その顔、可哀想とか思ってる?

 い~の、これで私は私の人生を買ったんだから。ちゃんと自分で払うよ」 


 正直に言って、アホだと思った。

 アホで、短慮で、倫理観に欠けていて。

 だが、竹を割ったような思い切りのいい女だ。

 こんな奴がいれば、忘れる筈はないのだが――。


「ね、私の名前、誰だろうかと思ってるでしょ?」

「……な、直川聖……?」

「はーずーれー。直川、どうしてるんだろうね。家がヤバい宗教やってたんでしょ?」


 ――あいつも、やり直せてればいいな。小さな、呟き。

 みおり(仮)は、俺が彼女の名前を当てられない事が、嬉しくて堪らないようだ。

 それに、どんな意味があるのか、俺は知らない。

 超能力で彼女の心を覗くことができれば――そんなことさえ思う。

 彼女はチラリと時計を見る。


「ほら、早くしないと、時間なくなっちゃうよ」


 彼女が他にどんな男の元を訪れているのか、俺は知らない。

 だが、今は、俺の腕の中にいる。

 彼女の人生を買い取りたい、と言ったら、どんな顔をするだろうか?

 月に一度か二度の80分間だけが、俺と彼女の接点だ。

 通勤電車で、毎日隣の席に座っているハゲオヤジよりも短い、刹那とも言える交わり。

 今はただそれに、没頭したい。

 

 ぎゅっと彼女を抱きしめる。

 

 ……こうちゃん。わたしにきづかないで。むかしのわたしは、いなくなちゃったんだから。


 嬌声の狭間に、そんな言葉が聞こえた気がした。


 彼女との日々は続いている。

 いつかは終りが来るのだろう。俺が彼女の名前を当てたら、きっと彼女は姿を消してしまう――そんな、確信に近い直感があった。

 だが、彼女を部屋に招く度、脳裡に残る名前を告げ、否定されるという幼稚な儀式を俺たちは続ける。

 短い縁を、継ぎ足し継ぎ足し伸ばしながら、肌を合わせて手を取り合う。

 それ以上のものは何も彼女に求めない。何も彼女に求められたくない。

 いずれ報いが来る日まで。 


 困っていることは一つぐらい――コンビニでバーコード払いをする度に、「ペイペイ」というスマホの音声に、下半身が反応してしまうようになったことぐらいのものだ。


 了

 

 

 

 


 

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] やるせなさとせつなさがなんともいい味わいでした。 「美咲」の事や二人の行末など、アレやコレやを“読ませる”描き方がホントに心憎いです♪
[良い点] 嬢の生き方は爛れてはいるものの気高さも感じました。 本名が分からないまま終わるところがいいですね。 [一言] 最後のオチも面白かったです。
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