01.始まり始まり
それはある意味見慣れた日常といって差し支えない光景だった。
朝の登校時間。
一台のとある家の家紋の馬車が門の前に到着すると待っていたとばかりに野次馬が遠巻きに群がる。
好悪様々な視線を集めているにも関わらずどうでもよさげに淡々と馬車から降りて歩き出す女子生徒。
令嬢にしては少し短い、胸まである艶やかなシルバーグレイの髪。一瞬吹いた風によって顔に少し掛かった髪を彼女はスッと耳に掻き上げた。
その何気ない仕草にどれだけの者が息を飲んでいるだろう。
男女性別を問わず、学年問わず、好き嫌い問わず。誰もが彼女に見惚れた。
宝石のように輝くアメジストの瞳は温度が感じられない冷たさを放っているが、その気だるげな目線は色気というものが存分に漂っていた。
門から校舎入口まで約10メートル。
その場に居た生徒は理由や思惑はどうあれ彼女を一目見る為、足を止める口実として彼女に道を開けるが如く端へと寄る。ただ、一人を除いて。
「イリス嬢、朝からいいご身分だな」
彼女に悪印象を抱いてない、遠目からその場を眺めている生徒たちは同じ事を思っただろう。いいご身分はお前だよ、と。
その一方でイリスに絡んだ男子生徒を慕う令嬢たちの少なくない歓声が上がる。それに混じって彼女を詰るような声もちらほら。
その男子生徒はそれを応援と捉えて令嬢たちに笑顔で応えながら、イリスへ向けて自信たっぷりの満足げな表情を浮かべた。どうだ、という声が聞きたくなくても聞こえてくるくらいの見せ付けぶりだった。
その男子生徒は文字通り、本当にいいご身分だった。
ミカエル・サザーランド。
王立学院二年生。十六歳。
サザーランド公爵家の長兄で次期後継者。
身分制度のあるこの国で彼に意見を言えるのは基本的に同等以上の家格の者だけだ。
それに該当する生徒は片手で数える程度の数人しか今年度は在籍していない。いくら学院が階級差別なくという方針でも実際には顕著に出てしまう。
それもあってイリスを慕い応援しても庇える者はこの場に誰一人居ない。それがミカエルだけに応援が上がる目に見えた理由でもあった。
太陽の光りを纏ったかのように輝き、さらさらと靡く金髪を掻き上げミカエルはイリスに話し掛ける。翡翠色の垂れ目な瞳はニヤニヤした笑いを隠そうともしない。
「偉そうに歩く割には入学から一月も経つというのに一人で寂しい奴だ。ただでさえ勉強も行き遅れているのにこれでは父親が浮かばれないだろう」
歩いてるだけでそこまで因縁付ける?!とその場に居た生徒で普通の感性を持つ者は誰もが同じ事を思った。
「来月の試験の結果がたの──って!! おい!!! ちょっと待て!!!」
イリスは馬車を降りてから一度も足を止めることなく、見遣ることなくそこを背景のようにして通り過ぎる。いつもの光景だった。いつもの光景でいつも違うのはミカエルのイリスに放つイチャモンだけ。絡み方だけは日替わりだった。
「何でいつも無視をする!! 僕は先輩だぞ!! 公爵なんだぞ…!!」
悔しそうにイリスの背中に叫ぶミカエルに周囲の令嬢たちからお可哀想なミカエル様、と同情の声が上がる。そして何様だと次第に火の向きがイリスへと流れていく。それもいつもと変わりない日常と呼ばれる光景だった。
一月も同じ光景を見ていれば学年問わずさすがに気付く者は居る。イリスの悪評とも言える数々の噂。それが事実かどうか。気付いた者たちは一様にイリスへ気の毒そうな視線を向けて同情するのだった。
イリス・ロイネット。
ロイネット侯爵家の長女。
学院一年生。十六歳。
彼女には様々な悪評が幼い頃から付いて回っていた。それは同年代、そこと交流があった近い世代は誰もが知っている。
傷物令嬢。
嫌われた婚約者。
傷で脅して言い寄る婚約者。
逃げた令嬢。
留年した令嬢。
不出来の令嬢。
そしてこの学院に入学してから無関心令嬢という二つ名が更新されたのだった。