今後の方針
「あの、そろそろ手離してもいいか?」
「えっ! お、おお」
落ち込んで歳上の女性の手を握ったものの、状況を飲み込むと急に恥ずかしくなってしまう。異性の手なんて握ったの初めてなんだからねっ!
形代は動揺しながらも手を離した。
まだ温もりが残っている。いい匂いしそう。今日は手を洗わないと心に誓った。トイレで上書きされるだけなんだよなぁ。
「見返してやるって、具体的な構想はあるのか?」
協力関係とはいえ、その道筋がなければ話は進まない。
「な、何もない……」
「は?」
作戦変更。飛び降り決行。
「それじゃ、また来世で」
「ま、待って待って待って!」
もうキャラ崩壊しまくってんだけど大丈夫か?
ヤンキーの装甲脆くも崩れる……。形代からヤンキーを引くとただの美人な先輩なんだよなぁ。あれ? 最高では?
ともあれ何も考えていない、じゃあこの先に進めない。
結局今までのように届かない声を押し殺して生きていくしかなくなるんだ。
俺だけじゃない。形代だってきっと……。
「何もないとは言ったけど、少しは考えてるんだよ」
「参考までに聞かせてくれ」
形代は得意げにふふんと鼻を鳴らす。なんなんだよちょっと可愛いなおい。
形代の原案から少しづつ肉付けしていけばいい。一旦内容を聞いて──。
「校内放送で私たちの叫びを暴露する、とか」
「形代ってもしかしなくてもバカだな?」
「なっ!」
私は先輩だぞ! と俺の肩をぽこぽこ叩く形代。もう先輩の威厳もクソもねえんだわ……。
「あのな、そんなことをしても意味ないだろ。俺たちの悩みはなんだ? 誰も俺たちのことを信じてくれない。俺たちの声に耳を傾けてくれない。問題はそこだろ。だから、どれだけ声を大にしたって相手の心に届かなきゃ意味ないんだよ」
「それは……そうだよね」
「だから校内放送も拡声器も却下な」
「なんで私の心の中がわかった!?」
マジで考えてたのかよ拡声器作戦……。
うーんと頭を抱える形代。さっきまでとのギャップで風邪ひきそう。頭抱えたいのはこっちなんだよ。頭痛がしてくる。
俺は本当にこのポンコツ先輩と手を組んでよかったのだろうか。
「いいか、俺はあんたとなかよしこよししたいわけじゃない。あんたと手を組んだのは俺のためだ。俺がこれ以上傷つかないようにするためだ。もしあんたが使えないと思えば俺はあんたを捨てる」
酷い言い様だ。
裏切られて生きてきた俺が、お前を裏切るぞと言っているのだから。
それでも形代ははっきりと「いいよ」と答えた。
その目がやけに真っ直ぐで、俺は思わず目を逸らしてしまう。
なんだよ、こいつ。
さっきまではただのバカだと思っていたのに。
「最終的な目標だけ決めておこう」
「見返してやるんだよね」
「それはそうだが、何をもってそれが達成されたと考えるべきかって話だ」
仕返しにも種類はある。
相手にされたことと同じことをやり返す。
或いは、真実を全て暴露し、誤解を解く。
或いは……。
それに俺は、ただ一つの願いを叶えたいだけだ。
「俺は穏便に過ごしたい」
「穏便に?」
この世界は悪意で充ちている。
当然、全員が全員そうではない。と、思う。
それでも、悪意ある人間によって、俺や形代は道を踏み外した。
本人に自覚がなくても悪意の種はそこら中に転がっている。
形代はなんちゃってヤンキーになり勉強を疎かにした結果、こんなにもバカになってしまった。それは自業自得っていうか、先天的なものでもある気はするが。
俺は俺で誰も信用出来なくなり、誰一人信用することなく生きてきた。
それが本心じゃないと頭の中では理解していたのに。
「誰も俺と関わらないならそれでもいい。陰キャでいいんだ。青春なんて崇高なものは必要ない。ただ、好奇の目や衆目に晒されながら生きていくのはもう嫌だ」
「でも、それはこれから先の話だよね。今までのことはそれで納得出来ない。そうでしょ?」
「あ、ああ……」
全くもって形代の言う通りだ。
形代と結んだ契約は、あくまで過去の因縁にケリをつけるためのもの。これから先、未来のことは関係ない。
俺の今後の生活については一旦頭の奥底に仕舞っておこう。
「じゃあ、その過去についてだが」
「私たちが辿ってきた辛い経験を全てそのまま押し付ける、とか」
形代は顎に手を当ててぼそりと呟く。見た目の割に一番おっかないことを言うやつだ。
「そうだな。裏切り。悪質な噂話。そこから始まった俺たちの劣悪な生活環境をそっくりそのまま追体験させてやる。それが一番しっくりくるな」
「でしょ!」
「形代がまともなことを言うから別人かと思った」
「せ・ん・ぱ・い、だからね」
やたら先輩を強調してくる。俺がタメ口の時点でもう無理だとわからないのだろうか。
俺はちっとも褒めてないんだが、形代は何故か嬉しそうだ。さっきもこういうやつ見たな。
ドMで空気を読まない残念なイケメン。今頃俺の話を聞いて落胆している頃だろう。軽蔑しているかもしれない。教室に戻った瞬間に殴られる可能性まである。
教室戻りたくないなぁ。
ふと、視線の先で扉が開いた。
ギィィと鈍い音を立ててゆっくりと開く扉。
そこから現れたのは男女二人。
どちらにも見覚えがある。いや、何故ここにいる?
「やっと見つけた」
「探したよ、遊佐君」
「暁音……タマ……」
「いやシリアスな状況じゃねえの? なんであだ名?」
安堵を含んだ優しい笑顔を見せる暁音と、眉根を寄せた空気の読めないイケメンがそこに立っていた。
※※
「なんだお前ら」
形代ヤンキーモード発動。この人多重人格なんじゃないかと不安になってくる。
にしても、本当になんでここに居るの? 去るもの追いかけ回す主義の方々ですか? 猫みたいな習性してんな。あ、タマだしな。
「栄志朗と同じクラスの松乃井と暁音です。お話の途中にすみません」
松乃井は意外と礼儀を慮るやつだったらしい。形代に対して深々と頭を下げる。
「私たち、遊佐君を探してここに来たんです」
「彼を?」
暁音の言葉に形代の表情が曇る。今更そんなに睨みつけても、さっき松乃井が挨拶した時に(お、おう……)みたいな反応をしたの、俺は見逃してないからな。この似非ヤンキーめ。
「栄志朗。話、聞いたよ」
「そうか」
そうか、としか言いようがない。
聞かれたのならもう手遅れだ。わざわざ過去のことについて物申しに来たのか? 正義感の強いやつらめ。戦隊ヒーローとか向いてんじゃね。
こちらとしてはそんなことにいちいち付き合う必要もないけどな。
「行こう、形代」
「えっ。お、おう」
なんだその反応は。今更怖気付いたと言われても手遅れなんだが。
後ろからついてくる形代を横目に二人の間を通り過ぎる。
「あれは、本当なのか?」
階段に差し掛かったところで松乃井の声が聞こえた。
本当か? とわざわざ聞くということは、やはり疑っているのだろう。
「本当だとしたらなんだよ」
軽蔑するか? 今ここで俺を殴るか?
戦隊ヒーローなら人を殴っても許されるだろう。それが彼らなりの正義だから。
「俺は信じないからな」
ああ、やっぱりそうかよ。
誰も俺を信用しない。誰も俺を信じない。
本人の言葉も意思も関係ない。第三者から聞いた言葉でさえ鵜呑みにする。
でも、そんなもんだ。
俺は知っている。
俺の話なんて誰も聞きやしないんだ。
だからこうして簡単に噂話を信じてしまう。
だから驚きもしないし、今更傷つくこともない。
「だろうな」
どうせもう何を言ったところで無駄だ。
吐き捨てるように言い残し、俺はその場を後にした。




