表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/32

新名緋彩の告白

 先程までの喧騒が嘘であったかのように、教室内を静寂が襲う。


 私は、教室から出て行く栄ちゃんの背中を見ていることしか出来なかった。


 何も変わっていない。彼を追いかけることも出来ずに、私はただ見ているだけ。


 それが彼をどれほど苦しめたのか。私には計り知れないだろう。


「お、俺、栄志朗探してくる!」

「私も!」


 松乃井君と暁音さんが勢いよく立ち上がる。


 何も出来ない私と違って、彼らはすぐにでも行動出来るのだ。


 どうして? 私の方が栄ちゃんとの関係は長いはずなのに。あなた達なんて、今日初めて彼と出会ったばかりなのに。


「俺は上の階から見てくから、暁音は下に」

「待って!」


 気がつくと私は声を荒らげて、彼らの手を引いていた。


 その手を掴んでいないと、彼らは今すぐにでも栄ちゃんを探しに行ってしまう。


 やめてよ。私の方が栄ちゃんのこと、よく知ってるのに。

 私の方が栄ちゃんとの付き合いが長いのに。


 彼らが栄ちゃんを見つけてしまうと、栄ちゃんは私よりも彼らと仲良くなってしまう。


 そんなの許せない。私の本能がそう叫んだのだ。


「新名さん?」

「新名さんも行こう。昔何があったか知らないけど、栄志朗は苦しんでるように見えた。放っておけない」


 松乃井君は私の腕を握り返す。

 男の子は力が強い。女の私じゃ到底敵わない。


 どうしてそこまで必死になれるの?

 栄ちゃんのこと、何も知らないくせに。


 ああ、そうか。

 何も知らないからだ。


「聞いてほしいんだ。栄ちゃんに何があったのか。松乃井君と暁音さんだけじゃない。このクラスの人全員に」


 栄ちゃんがどんな人なのかを知れば、きっと彼らは諦める。


 あの時と同じだ。栄ちゃんがまた私だけを見てくれる。


 私だけの栄ちゃんに戻ってくれるはず。




 遊佐栄志朗という名前を私が初めて聞いたのは、彼の噂が学校中に広まってからのことだった。


 二年生の秋だったと思う。窓から吹き込む風が冷たくなっていたのを覚えている。


 ──遊佐栄志朗は他人の彼女に手を出した最低なやつだ。


 あの頃の私はその意味をよく知らなかった。でも、今ならわかる。


 遊佐栄志朗という男は、彼氏がいる女の子を襲おうとしたのだ。

 それはつまり、性的行為に及ぼうとしたのだろう。


 根も葉もない噂。だけど、火のないところに煙はたたない。


 私は彼が恐ろしかった。

 襲われた女の子には彼氏がいて、学校の中でも有名な人だったから、事件が発覚するのも早くて未遂で済んだ。


 でも、友達の少ない私ならどうだ。


 やめてとも言えない。力で敵うわけもない。


 きっと無惨にも純潔を散らして、一人で泣き寝入りすることしか出来ない。


 気をつけよう。彼と二人きりにならないようにしよう。



 三学期になって、私は図書委員になった。


 私は本が好きだった。本はいつも私と向き合ってくれる。私に優しく語りかけてくれる。

 本を読んでいる時間が私の幸せだった。


 放課後、私はいつも決まって図書室で本を読んでいた。


 図書委員の仕事ということもあるけど、何より静かな場所で誰にも邪魔されずに本と向き合える。

 私の幸せな時間だ。


 ある時、男の子が図書室を訪れた。


 彼は文庫本のコーナーから適当に本を引き抜いて、窓際の席で日が暮れるまで本を読んでいた。


 次の日もまた次の日も。彼は毎日図書室を訪れては、窓際の席で本を読み続ける。


 推理小説。恋愛小説。感動ものからホラーまでジャンルは様々。


 本を借りるわけでもなく、夕方になると本を元の場所に戻して、私に軽く会釈して図書室を出て行く。



 一ヶ月も経つ頃には、私は彼が気になり始めていた。


 顔がかっこよかったのもあるかもしれない。

 物静かで穏和な雰囲気が好きだったのかもしれない。


 気がつくと私は、本なんてそっちのけで彼のことをずっと目で追っていた。



 三年生になって、彼と同じクラスになった。


 運命だと思った。

 でも、そこで知ってしまった。


 彼こそが件の男。遊佐栄志朗その人だったのだ。


 彼から離れなければ。私もあの噂の二の舞になってしまう。


 そう頭では理解していても、もう手遅れだった。


 私は栄ちゃんのことが好きになっていた。


 噂なんてどうでもいい。私の純潔を捧げてもいい。


 栄ちゃんが私を見てくれるなら、私はなんだってする。



 自分の気持ちに気付くと、俄然勇気が出てきた。


 ある日の放課後。

 いつものように図書室に来ていた栄ちゃんに声をかけた。


 何を話したのかはよく覚えていない。

 どんな本が好きなのか。そんな他愛ない話だったと思う。


 彼は最初こそ私を突き放すような態度を取っていたけれど、私が話しかけるうちに心を開いてくれたのか、時折笑顔を見せてくれるようになった。


 彼の笑顔はキラキラしていた。


 とても楽しそうで、純粋で、明るい笑顔。


 そんな彼を見ているだけで、私も自然と笑うことが出来た。

 彼を栄ちゃんと呼ぶようになったのもその頃だ。


 彼が好き。栄ちゃんが好き。大好き。



 私のそんな幸せは、長くは続かなかった。


 五月に行われた体育祭でのことだ。


 元々サッカー部に所属していた彼は、とても運動神経が良かった。

 そんな彼が体育祭で活躍したのは言うまでもないだろう。


 引っ込み思案で運動なんてからきしな私とは大違い。


 クラスメイトに囲まれる彼を見て、生きる世界が違うのだと理解してしまった。


 私じゃ彼とは釣り合わない。


 その頃にはあの噂も落ち着きつつあった。

 彼の周りにはちらほらと人が集まるようになっていた。


 放課後はいつものように図書室に来てくれる。

 でも、それ以外の時間は私なんかとは全く話してくれない。


 嫌だった。

 私だけを見てほしかった。

 私だけの栄ちゃんで居てほしかった。



 だから、私は嘘をついた。


「先生。私、遊佐君に襲われました」



 一度起こした問題なら、そこに嘘が交わったところで誰も気付かない。

 一人も二人も何も変わらないだろう。


 これで彼は私だけを見てくれる。

 図書室だけじゃない。ずっと二人で居られる。



 その日から、彼が図書室に来ることはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] これはなかなかのヒドインだな
[一言] ヒロイン(滅)がひでえ。 お前がそうしたことで、今、この世からお前の愛しい人は消えようとしてたが、どんな気分?て聞いてみたいな。 あるいは、死ねば自分ひとりだけのものになる、とか返答されそ…
[一言] 序盤から凄いキャラ出てきましたね。 これの他に元凶もいるというのは、めちゃくちゃハードな話になりそうですね。 続きが楽しみです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ