クラスメイト
始業時間からちょっと遅れて入った教室はやけに騒がしたかった。
次の時間はクラス内コミュニケーションと称して、自由に談話する時間が設けられていた。
余計な時間だ。早く帰りたい。一人になりたい。
そんな願いを他所に、空気も読まずに話しかけてくるイケメン。やはり残念なイケメンだったか……。
今どき空気が読めないなんて空気清浄機以下だ。あれは凄いんだぞ。人が居る気配がすると稼働するんだ。人間より余程有能だと思われる。俺、空気清浄機になりたい。
「なあなあ、さっき組木先生と何話してたんだ?」
「先生が未経験って話だな」
「はあ!? 何をどうしたらそうなる!?」
松乃井は声を荒らげる。やけにおおきなこえだったが、教室が騒がしいおかげであまり目立ちはしない。
だが、どうしてと聞かれても知らん。勝手に相手が教えてきただけだ。
「ところでタマよ」
「結局それで定着させるのかよ。まあいいけど。なんだ?」
「お前は空気が読めないな?」
「そうか?」
自覚なし。無自覚ほど厄介なものもない。
まだ悪意がある方が幾分対処しやすい。鈍感系主人公だったか……。
「俺は話しかけられたくない。わかるな?」
「おう。でも、俺は話したい。わかるよな?」
「わからん」
自覚があったらしい。その上で話しかけてくるなんて嫌がらせ以外のなにものでもないだろうに。悪意があっても面倒でしかなかった。
「そんなことよりさ」と松乃井はニコニコと笑顔を振りまく。
「今日の放課後、懇親会がてらクラスの皆でファミレス行こうって話してんだよ。一緒にどうだ?」
「行くと思うか?」
「行かないと思うから無理やり連れて行っていいか?」
「いいわけないだろ」
なんだこいつ。やけにグイグイ来るな。
押してダメならさらに押してもダメなもんはダメなんだよ。ガンガンいこうぜは雑魚戦でしか通用しないんだ。MP大事に、に作戦変更で。
「えー! 遊佐君は来ないのー?」
話に割り込んできたのは名前も知らない少女。顔にも見覚えはない。自己紹介聞いてなかったしなぁ。
「どちら様?」
「えーひどーい! 自己紹介したのにー」
「暁音、諦めろ。栄志朗は多分誰の名前も覚えてない」
「タマは覚えてるぞ」
「えっ!」という驚嘆の声と共に笑みを零す松乃井。なんでちょっと嬉しそうなんだ?
隣の席の残念なイケメンで空気を読まないやつとして俺のブラックリストにちゃんとインプットしてるぞ。そうかそうか、それが光栄なんだな。虐げられて喜ぶドMと追記しておこう。
「じゃあ私のことも覚えてー! 私は暁音百合香。百合香って呼んでいーよ! 松乃井とは同中なんだー」
「ついでにテニス部でも一緒だった」
「腐れ縁ってやつだねー」
暁音は笑顔が映える可愛い顔をした女の子だった。活発やお転婆って言葉がよく似合う。
会話に割り込んでからもずっと笑っている。なんともまあ能天気そうなやつだ。こいつもブラックリストだな。
にしても美男美女に囲まれて嫌に目立つ。こいつらが目立つせいで俺にも視線が向けられているように感じてしまう。勘弁してほしい。
「遊佐君、覚えてくれた?」
「暁音な、覚えた」
「なんで暁音は普通に呼ぶんだよ」
「百合香って呼んでよー」
距離を詰めてこようとするやつは正直苦手だ。
先生が知っていたんだ。こいつらだって、俺の噂の一つや二つ聞いているかもしれない。
それなのに近付いてくるなんて、裏があるようにしか思えない。裏と裏に挟まれた俺も裏になっちゃうよ。
暁音は「まあゆっくり仲良くなればいっかー」なんて呑気に笑う。
やめてくれ。思い出してしまう。
そんな言葉、もう信じたくないんだ。
あいつも同じことを言っていた。
「何があったか知らないけど、私は味方だよ。ゆっくり仲良くなれればいいな」
そう言った彼女は、結局俺を裏切った。
少しずつ心を開いていた。
仲良くなれるなんて幻想を抱いていた。
友達になれると本気で信じた。
でも、裏切られた。
結局あいつも同じだった。
「遊佐君?」
暁音の声で現実に引き戻される。
昔のことを思い出すとどうもナーバスになってしまう。
これは俺が望んだ穏便な生活とは程遠い。
何も悩まず、誰とも関わらず、ただ平穏に過ごしたい。
「とにかく、俺は行かない」
「やだ」
「やだじゃないが」
なんなんだこいつは。やだってなんだやだって。
強引な手段を取ろうとする松乃井よりもさらに厄介だ。感情論は好きじゃない。失敗するから。
その場の感情に身を任せると崩壊するんだ。人間関係も己の自我も。
「行かないものは行かない」
「栄ちゃんも来たらいいのに」
ピクリと体が震えた。心臓が一瞬止まったのかと思った。いっそ止まってしまえばよかったのに。
顔を見なくてもわかる。何度も聞いた声だ。何故こいつがここに。いや、中学と同じ学区なら居ても不思議じゃない、か。
だから嫌だったんだ。本当はもっと遠い学校に行きたかった。
そんなことを今更悔いたところでもう遅い。
「えっと……新名さん? だよね?」
「新名緋彩。よろしくね」
「あ、うん。よろしくー!」
名前を聞いて確信が確信に変わる。何も変わってないんだよなぁ。
声が似た別人。そう抱いた淡い希望が打ち壊された。
「新名さんは栄志朗と知り合いなのか?」
「中学が同じなんだ。栄ちゃんがサッカー部で、私がそのマネージャーだった」
「そーなんだー! ねえねえ、中学時代の遊佐君ってどんな感じだったの?」
やめろ。その話はするな。俺はもう割り切ったんだ。諦めたんだ。俺はもう忘れたいんだよ。
「えっと……」
新名が口を開いた瞬間、俺はもう制御が利かなくなっていた。
立ち上がって、逃げるように教室を抜けた。
背後から聞こえる声を無視して、俺はひたすら走った。
最悪だ。何も変わらない。俺には何も出来ない。何も言えない。
暁音の口ぶりから察するに、きっと彼女は何も知らなかった。
でももう遅い。全てを知ってしまう。
俺の平穏な生活はここにはない。穏便に過ごすなんて不可能だ。
ああ、最悪だ。
多くの方にお待ち読みいただきとても嬉しい限りです!
ありがとうございます!
応援ボタンは下にあります。




