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有希さん

 病室のドアをノックすると返事があった。


 蓮華先輩の声じゃない。

 その声の主はひっそりと扉から顔を覗かせた。


「お久しぶりですね」

「あ、菫さん。お久しぶりです」


 菫さんはちらりと中の様子を伺ってから中が見えないように病室から出てきた。蓮華先輩にそうしてほしいと言われているのだろう。


「今日は二人だけなんですね」

「あ、はい。松乃井はちょっと用事があるみたいで」

「そうでしたか」


 菫さんは少し病室を気にする素振りを見せて、声量を下げた。


「場所を変えましょうか」




 始めてきた時にも利用した談話室。

 今日はテーブルの一つにおじいちゃんとおばあちゃんが隣合って座っている。夫婦だろうか。話の内容は聞こえないけれど、二人ともたくさん皺の寄った笑顔でなんだか楽しそうだった。


 そんなご老人方とは対極的に、私たちのテーブルは重苦しい空気。遊佐君はずっと何か考え事をしているし、菫さんも物々しい雰囲気を漂わせている。


「蓮華が少しだけ話してくれました」


 菫さんの一言で遊佐君の目の色が変わる。ああ、きっと遊佐君は蓮華先輩のことをずっと考えていたんだってそれだけでわかる。


「蓮華があなた方に会わない……会いたくないのは、蓮華の過去と関係があるのかもしれません」

「過去……ですか」


 菫さんの言葉を反芻して再び考え込む遊佐君。蓮華先輩の過去について何か知っているのだろうか。


 そういえば、私は蓮華先輩のことをまだ何も知らない。遊佐君に聞かされた内容だけだ。遊佐君が入学式の日に屋上から飛び降りようとして、蓮華先輩がそれを止めてくれた。そこで、蓮華先輩が遊佐君同様、過去に誰かから裏切られて人を信用出来なくなってしまった、とそんな話。


 思えば遊佐君の過去についても知らないことの方が多い気がする。新名さんについては遊佐君に聞いた通りだとしても、この前会った可愛らしい女の子も遊佐君に何か影響を及ぼした人物なのだろうか。遊佐君の表情からして、あまり良い思い出だとは思えないけど。


 私は遊佐君のことも蓮華先輩のことも何も知らないまま勝手に突っ走っている気がしてならない。そう自覚していても止められない。止まってしまえば、彼らは一人で消えてしまいそうだから。


 それならば、今こそ蓮華先輩のことを知るチャンスなのだろう。


「教えてください。蓮華先輩のこと」


 私が話の続きを促すと、二人の視線がこちらに向いた。


 菫さんは小さく頷いて、口を開く。


「私も詳しいことはあまり知りません。蓮華はある時期を境に、自分の話をしなくなりましたから」


 私に兄弟姉妹は居ないけれど、そういうものなのだろうか。


「蓮華が今のようになったのは、彼女が中学一年生の頃でした」



 菫さんから聞いた蓮華先輩の過去は、酷く悲しいものだった。


 蓮華先輩には仲の良い親友とも呼べる存在がいた。

 小学校からずっと一緒で、幼馴染とも呼べる存在。

 蓮華先輩から聞いたその人は、とても明るい人物で、髪は明るく男勝りで活発な人だったそうだ。

 ある日、その親友が亡くなった。自殺だったらしい。

 菫さんの話を聞く限り、自殺なんてしそうな人には思えない。でもそれは遊佐君にも言えることだから、勝手なイメージで語るのは良くないか。

 その人が亡くなってから、蓮華先輩は変わってしまったらしい。

 髪を染め、人と話さなくなり、何やら辛い顔をしては一人で抱え込む。


 その人と蓮華先輩の間に何があったのかは知らない。でも、その話に出てきた蓮華先輩は遊佐君を見ているようだった。

 まるで誰も信じていない。自分以外は全員他人だと壁を張る。そして時折、何か物思いにふけるように目を細めるんだ。


 今の遊佐君のように。


「遊佐君?」


 きっと彼も同じことを思ったのだろう。菫さんを見ながら目を細めて固まっていた。ううん、本当はその焦点はもっと別の場所にあったように思う。

 もしかしたら蓮華先輩が遊佐君を助けたのは、自分と重ねたからなのかもしれない。自分と同じ境遇の遊佐君を放ってはおけなかったのかもしれない。


 遊佐君はハッと我に返ったと思いきや、私を見て「どうした?」と微笑む。私はその笑顔に背筋が凍るような思いだった。その笑顔は少し歪で──違う、自然過ぎたんだ。


 遊佐君が今の話を聞いて何も感じなかったはずがない。苦しくて、悲しくて、どうしていいのかわからない思いが渦巻いて、今すぐにでも声を上げたっておかしくなかった。


 それなのに遊佐君はごく自然に笑った。友達と楽しい話をしていたかのように。何か良いことがあったかのように。辛い気持ちを隠すような作りものの笑顔じゃない。嬉しくて自然にこぼれたような笑み。

 それが今この状況では酷く異端で、不自然な程に自然過ぎた。


 声をかけたまではよかった。でも、その後の言葉が続かない。彼が今何を考えているのかわからない。どう声をかけていいのかわからない。


 私はただ「ううん、なんでもないよ」と誤魔化すことしかできなかった。


 ダメだ。遊佐君を見ていると辛くなってしまう。目を背けてはいけない気がするけど、今の遊佐君と向き合ってられる自信も度胸もない。


「それで、蓮華先輩のその過去と会いたくない理由になんの繋がりがあるんですか?」


 私は菫さんに尋ねることでそんな遊佐君と向き合うことから逃げた。


 菫さんも遊佐君を気にしている様子だったけど、私の目を見て何かを察したのか口を開いた。


「蓮華は『これは罰だ』と言っていました」

「罰?」


 詳しい話を聞こうと言葉を繰り返したけど、菫さんは首を横に振った。


「蓮華が発したのはその一言だけです」

「そう……ですか」


 ますますわからなくなった。

 蓮華先輩の親友が亡くなったことに蓮華先輩自身が関与しているのだろうか。


「私の予想の範囲でしかありませんが、蓮華が何かを悔やんでいるとしたら、その親友の方のことだと思います。その方と蓮華との間に何があったのかは私も知りません。ただ、その方が亡くなってから蓮華が人に心を開かなくなったのは間違いないです」


 姉である菫さんに話さないのなら、出会って数日の私なんかには何も教えてはくれないだろう。

 蓮華先輩がその親友になんの罪悪感を抱いているのか、今回の一件をどうして『罰』と表現したのか。私には何もわからない。


「その親友のお名前は」


 だったら、その親友の近辺から探ってみるのはどうだろう。そんな軽い考えだった。


 でも、その答えは私にとって一連の話で一番の衝撃だった。


「苗字は知りません。ですが、蓮華はその方を『ゆうき』と呼んでいました」

「……え?」


 あまりに残酷な偶然。

 同じ名前の別人かもしれない。

 だけどその名前を聞いた瞬間、私の頭にはには一人しか浮かばなかった。


 松乃井のお姉さん。自殺した松乃井の実姉。

 松乃井有希さんのことだけが。

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