逢坂乃々華という少女
私の考え方は昔から変わらない。
人生とは、どれだけ上手く暇を潰せるかにあると思う。
私の家は裕福とは言えない。だからと言って貧乏でもない。至って普通。パパはサラリーマンの中間管理職でママは専業主婦。三つ上のお姉ちゃんが居て、私がいる。四人家族の普通の家庭。
そんな家庭に生まれてこれから先、八十年という長い歳月。有意義な時間よりも無意味な時間の方が圧倒的に長い。そんな長い時間の中で、どれだけ楽しく過ごせるか。どれだけ有意義を作れるか。
それが、ごく普通の逢坂家の中で普通に生きてきた私が見出した人生観だ。
私は楽しく過ごしたい。楽しいと思える毎日を生きたい。楽しくないなら生きてる意味なんてないと思ってる。だって、つまらない人生、苦しいだけの人生なんて終わった後に後悔しか残らないから。
中学生になって初めて彼氏が出来た。三年生の先輩に入学して一ヶ月くらいで告白された。野球部のキャプテンで顔もかっこいい。まだどんな人なのかはわからなかったけど、友達の勧めもあって、私は初めての告白という喜びと高揚感からその告白を受け入れた。
その時に私は、自分が普通じゃないことを知った。
私はどうやら俗に言う可愛い女の子という部類に入るらしかった。ママもお姉ちゃんもそれなりに美人だとは思っていたけど、決して芸能人のような華やかさはない。でも、私にはそれがあった。私がモテると知ったのもその時だ。
私は思う存分自分の容姿を利用した。
可愛い仕草。可愛い言葉遣い。可愛い話し方に可愛い身なり。沢山の可愛いを勉強して、それと同じだけ人から嫌われない方法を身につけた。人より卓越したものがあると、その分人にも嫌われる。だから私は人に好かれるように振る舞い続けた。
でも、そんな仮初の私は長続きしなかった。
彼氏もいる。友達もいる。私のことを好きな男の子なんて山ほどいる。それなのに私は、そんな生活に満足出来なくなっていた。
楽しくなきゃ生きてる意味がない。私は楽しく生きたい。そうじゃなきゃ生きてる意味がない。
私はその楽しいという感情を失いつつあった。
だから、沢山のことに手を出した。
彼氏が勧めてきたタバコにお酒。性行為だって沢山した。体は中学生なのに大人になった気分だった。楽しかった。私は生きがいを取り戻した。
悪いことは楽しいことだと私は知ってしまった。
そんな夏休みが明けて席替えが行われた。
隣の席になったのは、遊佐栄志朗という男の子。
栄志朗君は私には及ばないものの、クラスの人気者だった。運動も勉強も出来る。話も面白い。人が嫌がるようなことでも率先してやってた。いつも明るくて素直な人だった。だから友達も沢山いて、同じクラスになった頃から私も仲良くなりたいと思っていた。
ようやくその時が来たんだと思った。栄志朗君が美化委員に立候補した時、チャンスだと思って私も立候補した。彼の驚きと喜びの混じった顔は印象深い。
栄志朗君もきっと私のことが好きなんだと気付いた。私も栄志朗君が好きだった。キリッとした顔つきも優しい声も同年代の男の子より少し大きな体も大好きだった。
栄志朗君と毎日話した。他の誰よりも一番栄志朗君の近くに居たかった。栄志朗君の前では私は気取らなくとも楽しい人生を謳歌できる。ありのままの私で居られた。
好きな異性のタイプの話になった時は思い切って栄志朗君のような人だと伝えた。栄志朗君は顔を真っ赤にしていた。初めて見た栄志朗君の表情はとても可愛くて愛おしかった。
連絡先を聞かれた時にはすぐに教えた。なんなら私から聞こうと思っていた。栄志朗君の返信を待ってわくわくしたり、ちょっと意地悪しようとわざと返信を遅らせてみたり。そんな些細なことでもドキドキが止まらなかった。
栄志朗君と一緒に秋祭りに行ったこともある。
男の子と二人きりでのお出かけは彼氏と何回もしていたはずなのに、栄志朗君と二人で居る時はドキドキした。私の体が私のものじゃないみたいなふわふわとした不思議な感じ。屋台でたこ焼きや焼きそばを買って二人で分け合う。そんなことでさえ嬉しくて楽しかった。きっと、これが本当に人を好きになる気持ちなんだと思った。
私は本当に栄志朗君が大好きだったんだ。
だけど、その頃には私はとっくにおかしくなっていた。
栄志朗君との幸せな時間でさえ、悪いことの楽しさと比べてしまう。悪いことだと知っていても、同時に悦びを感じてしまうから。
私はもう戻れなくなっていた。
子どもだったんだ。大人になったつもりの子どもでしかなかった。
だからだろう。先輩の提案を簡単に受け入れてしまったのは。
私はある日の放課後、栄志朗君に呼び出された。
それが告白だということは私にもわかった。
彼氏がいることを伏せていたせいで、今までだって何度も経験してきたからだ。
私は揺らいでいた。栄志朗君と過ごすありのままの自分を取るか。或いは先輩と過ごす悪いことに染められた悦びに溢れた時間を取るか。
私の答えは決まっていた。
先輩と別れよう。私は栄志朗君との時間を大切にしたい。そしたら、私はまた戻れるかもしれない。私はやり直せるかもしれない。悪いことなんてしなくても楽しさで溢れた幸せな人生を過ごせるかもしれない。
栄志朗君はこんな私を受け入れてくれるだろうか。醜く歪んでしまった私を優しく抱きしめてくれるだろうか。ううん。きっと栄志朗君なら……。
私は先輩に栄志朗君のことを話した。
放課後、空き教室に呼び出された。クラスメイトの優しい男の子に告白されるかもしれない。そう伝えた。
すると彼は言った。
「また告白かよ。そうだ、いいこと思いついたぜ。お前もきっと楽しめる」
彼の提案は最低だった。
私が栄志朗君を誘い、栄志朗君が手を出したところで彼が教室に乱入する。先生も予め呼んでおけば、栄志朗君は現行犯で捕まるだろう。そんな提案だ。
栄志朗君の人生を壊してしまう最悪な遊び。
だけど私もとっくに壊れていた。
「タバコも酒ももう飽きてきただろ? 今度は他人を使って遊ぼうぜ。気にすんなよ。どうせ他人だろ。お前は楽しくなきゃ生きていけないやつだ。だったら今楽しまないでどうする」
「どうせお前はもう戻れない。お前のことを知ったらそいつはお前を嫌いになるだけだ。隠して生きていくのは不可能だ。お前は俺のものだろ。俺と一緒に楽しくやろうぜ」
畳み掛けるような彼の言葉。
否定しなきゃならなかった。そんな私を彼が許さないとしても、栄志朗君を守らなきゃならなかった。私がどうなっても栄志朗君だけは巻き込まないようにしなきゃならなかった。
それと同時に高揚してしまっている自分がいた。私が栄志朗君を騙したら、栄志朗君はどんな顔をするだろう。栄志朗君はどんな風に壊れるのだろう。泣くのかな。怒るのかな。私を許さないのかな。
そうだ。どうせ栄志朗君は私を受け入れてはくれない。私の望む幸せはもう手に入らない。だったら、私が今楽しまなきゃ損じゃないか。私は楽しく暇を潰せる人生を送りたいんだから。
私は彼に言われるがまま、彼の提案を受け入れた。
その時は確かに楽しかった。
緊張している栄志朗君は可愛くて、私までドキドキした。私が脱いだら栄志朗君は顔を真っ赤にしていた。恥ずかしそうな栄志朗君をもっと見ていたかった。可愛い栄志朗君をもっと感じていたかった。
そして、先輩が教室に入ってきた。
栄志朗君の絶望する顔。私の高揚感を掻き立てる。栄志朗君の悲しそうな顔。私の嗜虐心が止まらなくなる。栄志朗君の諦めた顔。私は悦びに満ちていた。
私は過去最高に楽しさを感じてしまっていた。
後悔するまでにそう時間はかからなかった。
栄志朗君は私と話してくれなくなった。それどころか教室の誰とも話さない。栄志朗君は一人になっていた。栄志朗君は心を閉ざしてしまった。
当然だ。私のせいだ。ただ振っただけならこんなことにはならなかったはずだ。私のせいだ。後悔しても遅い。なんでわからなかったんだ。なんで止められなかったんだ。
なんで私は、大好きな人を自分の手で傷つけてしまったんだ。
私はなんてことをしてしまったんだろう。一時の感情に任せて一人の人生を壊してしまった。それも私が大切にしたかった人の人生を。
私は毎晩枕を濡らして一人で謝り続けた。本人には言えなかった。怖かった。私が嘘をついて栄志朗君を傷つけてしまったと人に知られてしまうことが怖かった。栄志朗君と向き合うことが怖かった。顔も見てられなかった。同じ教室にいるのも辛かった。
わかってる。私よりも栄志朗君の方が辛いってこと。
そうしてしまったのは私だってこと。
だから栄志朗君に謝りたかった。包み隠さず全て話して栄志朗君に謝りたかった。一時的な悦びのために傷つけてしまったと謝りたかった。
彼が言ったからなんて言い訳もしない。私の恋心なんて伝わらなくていい。私と一生口を聞いてくれなくてもいい。私のことを嫌ってもいい。監獄でも地獄でも何処へだって行く。彼が望むのなら死んだって構わない。
ただ私は、心の底から、ごめんなさいって伝えたい。
他人を──大好きな人を──傷つけることはこんなに辛いことなんだって、ようやく理解したから。