友達だから
「なんか……先生多くね?」
「こんな時間に見回りなんて変だね」
空き教室に身を潜めて廊下の様子を伺う。
自由な時間とはいえ、先生たちが見回りをするのはまだわかる。だが、どうやら誰かを探しているようにも見える。なんかこういうゲーム見たことあるな。
「もうそろそろ授業時間終わるから、それまでになんとか合流したいね」
「もういいんじゃね。明日でよくね」
「後回しにすると余計に会いにくくなるよ」
退路を正論で封鎖され為す術もない。
今になって怖くなってきた。
人とこうして向き合おうとするのはいつぶりだろうか。
慣れたこととはいえ、人に信用されないのはやはりそれなりに傷つく。
本当に壊れでもしてくれたらまだ楽だったのかもしれないとどうしても考えてしまう。
「大丈夫。もしもの時は私がいるよ」
俺の不安が伝わってしまったのだろう。形代に頭を撫でられてしまう。
こういう時だけちゃんと先輩なんだと思えて、少しおかしくなる。
「何で笑ってるの」
「いや、なんでもない」
先輩っぽいから、なんて言うと形代を調子に乗せそうなのでその感想は俺の胸の内に留めておく。調子は乗り物だ。こんな危険運転しそうなやつを乗せられない。
それにしても、この状況をなんとかしなければならない。見つかってしまうと教室に強制連行。そしてその教室はきっと、俺を敵視する目で溢れているのだろう。
それは別に構わない。どうせこのまま学校に一度も来ないなんてことは出来ないんだ。
それでももし、今一人でも、二人でも俺の事を信じてくれる人を味方につけられたなら。
俺が求める穏便な生活がその先にはある気がする。
淡い期待だ。本当にそうなると決まったわけじゃない。
でも弱い俺は、未だにそんな期待に縋ってしまうんだ。
「行ったみたい。移動しよ」
形代の合図で教室を出る。
「なんだかスニーキングミッションみたいだね」と形代は笑うが、笑える状況じゃないのは確かだ。命がかかった状況でこんなにニコニコしてられる潜入部隊はいないだろう。期待に縋ってしまうんだ。いや形代ならありえる……か?
楽観的というかなんというか。
向かう先はとりあえず屋上だろうか。
松乃井たちがまだ屋上に居ようと、屋上から教室に戻ろうとしていようと、屋上へ繋がる昇降口に向かえばどこかで会えるはずだ。
先生が居なくなった今がチャンス。
足音に気をつけながら回り階段を勢いよく駆け上がり、踊り場で折り返──。
ゴツン、と固いもの同士がぶつかる衝撃音と頭に響く痛み。
俺は勢いよく踊り場に倒れ込み、痛みの元を押さえる。
「あっ」という二人の女性の声が重なる。
痛みを必死にこらえて目を開けると、そこには俺と同じように頭を押さえて目を丸くしている松乃井と嬉しそうに目を細める暁音の姿があった。
※※
「で、なんであんな所にいたんだ」
一先ず人目がつかない屋上へと引き返したところで松乃井に尋ねる。
俺と松乃井、暁音が向き合うように腰を下ろし、少し離れた場所で形代が聞き耳を立てている。腕を組んで壁に体重を預けて立っている姿はまさしくヤンキーモードだ。
「栄志朗こそ。あんなに急いでどこに行こうとしてたんだよ」
「ど……こでもいいだろ」
恐怖と羞恥が入り交じり、言葉を濁してしまう。
話したくて引き返していたなんて恥ずかしくて言えない。
向き合いたいなんて怖くて言えない。
黙ってしまった俺たちを見て、暁音が口を挟む。
「ごめんね、遊佐君」
突拍子もない第一声。彼女は俺になにか謝るようなことでもしたのだろうか。
俺を疑っていたことを謝りたいとでも言うのだろうか。
その答えはすぐに暁音が教えてくれた。
「私が教室で遊佐君の中学時代の話なんて聞こうとしたせいで遊佐君を傷つけた。だから、ごめんなさい」
暁音は短い茶髪をふわりと揺らし、頭を下げる。
俺は一体何を謝られているのだろう。
こうして面と向かって謝られることが久しぶりなせいで、どう答えていいのかわからない。
俺が困惑していると、松乃井がガシガシと頭を搔く。
「あれだ、暁音はお前が教室を出て行ったのを自分のせいだって思ってんだ。そのことを謝りたいらしい」
それと、と松乃井は続ける。
「俺も謝らせてくれ。さっきは言葉足らずだった。俺は栄志朗を信じてないわけじゃない。むしろ俺はお前を信じたい。だから、あんな噂は信じてねえって言ったつもりだった。勘違いさせて悪かった」
松乃井まで頭を下げるものだから、さらに混乱してしまう。
未だかつて、俺にこうして謝ってくれた人が居ただろうか。
それも、彼らが悪いわけじゃない。あの場から逃げ出したのは俺の弱さゆえの行動だし、松乃井の言葉もちゃんと聞いていたら勘違いなんてしなかった。
俺は、どうしたらいいのだろう。
全て話せば、楽になれるのだろうか。
「俺は……」
彼らと向き合うことが出来るのだろうか。
喉が焼き付くように痛い。
「俺、は……」
彼らに全てを話して、それでも彼らは俺を信じてくれるのだろうか。
頭が、体が、話すことを否定している。
「……俺は」
彼らを信じた時、彼らは俺を裏切らないだろうか。
誰も信じるなと本能が叫んでいる。
怖い。話すことが怖い。彼らと面と向かっていることが怖い。また信じてもらえないことが怖い。また裏切られることが怖い。
ずっと怖かった。一人は嫌だった。
学校でも家でもどこに居てもずっと一人。
その一人が当たり前になっていることが怖かった。
壊れてなんかいない。俺は自分の臆病さに蓋をしていただけだ。
怖いんだ。拒絶されたくないんだ。
怖い。怖い。怖い。怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い──。
「俺は、怖い。もう裏切られたくない。誰かを信じて、後悔したくない。だから、俺はもう誰も信じない。友達も大切な人も失いたくない」
向き合うなんて無理だ。どうしても踏み出せない。
形代が後押ししてくれたのに情けない。俺は弱い。俺は怖いんだ。
俺はもう──。
「知るかそんなこと!」
松乃井が俺の胸ぐらを掴み上げる。
その目にあるのは怒り。だが、どこか不思議だ。
その目を見ていると何故か、涙が溢れそうになる。感情が揺さぶられる。
目を背けたくなるほどに。
「こっちを見ろ!」
しかし、松乃井はそれを許さなかった。
ネクタイを引っ張り、無理やり俺と視線を合わせる。
「謝っておいてなんだが、はっきり言わせてもらう」
ああ、やはりそうか。
これで本当に俺たちは決別──。
「俺たちはもう友達だろ! それでいいだろ!」
なんだ? 何を言っているんだ?
「友達……俺とお前が、か?」
「他に誰がいるんだよ」
思考が追いつかない俺を放置して、松乃井は続ける。
その表情は先程よりも少し寂しそうに見える。
「お前がもし何もしていないなら、俺たちはそれを信じてお前に協力する。お前がもし過去に悪いことをしてたなら一発ぶん殴ってやる。それでおしまいにしてやる。そんなことで俺は栄志朗を諦めない。俺は遊佐栄志朗を信じ続けたい。だから全部話せ。俺たちが受け入れる。俺たちが信じてやるよ」
いつから間違えていたんだろう。
いつからわからなくなっていたんだろう。
俺は、好きだった人に嵌められた。信じていた人に裏切られた。唯一の支えだった人は俺を切り捨てた。
義理の母親は俺を人とも思わない。義理の姉は俺を憎んでいる。
だから俺は諦めた。いや、逃げたんだ。
傷つかないふりをして、一人が好きなふりをして、誰も信じないふりをして、壊れてしまったふりをした。
誰も俺を信じてくれない。そう思っていた。
でも、違った。
松乃井はこんなにも必死に俺と向き合おうとしてくれる。暁音はあの噂を聞いても恐怖一つ見せずに優しく微笑んでくれる。
そして、形代は俺が誤った道に進もうとしたのを止めてくれた。
全員今日が初対面だ。俺を信じられる根拠なんてどこにもないはずだ。
それでも彼女らは俺を信じようとしてくれている。
嘘かもしれない。わからない。俺をまた嵌めようとしているのかもしれない。またどこかで裏切られるのかもしれない。
でも、それでもいいじゃないか。
ここで俺が彼女らを裏切るよりは余程いいじゃないか。
松乃井の手を掴むと、彼の手に篭もった力がゆっくりと解かれていく。
「タマがこんな熱血漢だったなんてな」
「悪い。熱くなった」
「いや、俺の方こそごめん。あと、その……」
言わなきゃいけない。
伝えなきゃいけない。
向き合ってくれた、彼らに対して。
俺も向き合わなきゃいけないんだ。
目を丸くして俺を見る松乃井。その隣で心配そうに眉根を寄せる暁音。少し離れた場所で優しく見守っている形代。
裏切られてもいい。それでももう一度だけ、俺は誰かを信じたい。この人たちなら信じてみたい。
「二人とも、ありがとう。形代も、ありがとう。話すよ。何があったのか、全て」
松乃井と暁音は顔を合わせ、この快晴よりも明るい笑顔で俺を照らした。




