すれ違い
「よかったの?」
「何がだ」
昇降口を降りながらヤンキーモードをオフにした形代が尋ねる。
よかったも何も、俺のなんて信じちゃいないあいつらと会話することなんて何もない。
無駄なことだ。今までに何度も経験した。
「最初から話を聞く気がないやつらと話をしたところで俺が傷つくだけだ。形代ならわかるだろ」
「それは……わかるよ。でも、彼らは本当にそうだったのかな」
「……何が言いたい」
背後から聞こえていた足音が消える。
振り返ると、形代がその場で立ち尽くしたままこちらをじっと見ていた。
憤り……悲しみか? その表情はよくわからない。
じっと睨み合っても彼女は何も言わない。
「なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「わかった」
形代は小さく深呼吸をする。
そんなに意を決するような内容なのだろうか。こちらも少し身構えてしまう。
「さっきの会話、栄志朗は違和感がなかったの?」
いつの間にか名前で呼ばれているが、今はそれどころじゃない。
違和感? 松乃井ははっきりと俺を信じないと言った。それ以上に何があると言うのだろうか。
「あいつは……松乃井は俺の事を信じないと言っただろ。わざわざその宣言をしに来たんだ。あれは決別だ。過去に問題を起こした俺との決別。何も知らずに能天気に俺と仲良くしようとした自分自身と、か」
ああいうことは今までもあった。
仲が良かった同じ部活の連中も、俺の噂を聞くや否や、その真偽を確かめようともせずに俺を突き放した。
──お前なんか信用出来るか。この犯罪者が。
その言葉は未だに俺の頭の中に深く刻み込まれている。あの時の彼の目も。あれは俺に対する怒り。恨み。蔑み。
確かあいつは、問題となった相手のことを好きだと言っていた。だからだろう。他のやつらよりも明らかに俺に対する明確な敵意があった。
周りにいた連中も彼の気持ちを知っている。俺が彼の気持ちを知っていたことも知っている。
だからあの場に俺の味方は居なかった。
友達の想い人に無理やり手を出した最低な男。
それがあの日、俺に貼られたレッテルだ。
そんなレッテルを貼られては、もうあの部に俺の居場所はない。廃棄処分だよ。あいつらにとって俺はゴミみたいなもんだったんだ。
嫌なことを思い出した。最悪な気分だ。
「もういいだろ。俺らの目的は誰かとなかよしこよしすることじゃない。わかってんだろ」
「待って」
身を翻した俺の足を止める。なんなんだよ。
「栄志朗が気付かないならはっきりと言うね。彼はきっと、栄志朗を信じないと言ったんじゃない」
「何故そう言い切る」
「松乃井環君……だっけ。彼がなんて言ったのか覚えてる?」
ああ、うざったい。記憶力のテストがしたいなら他所でやってくれ。
「俺を信じないと」
「違う」
何を言っているんだこいつは。
「彼の言ったことを思い出して。松乃井君は『信じないからな』って言ったんだよ」
「何が違う? 目的語が無いだけだろ。言葉足らずだな」
「そうだね。言葉足らずだよ。松乃井君は栄志朗を信じないと言ったんじゃない。あの噂を信じないって言ってくれたんだよ」
「……は?」
どういう意味だ? この女は何を言っている?
「思い出して。さっきの話を」
思い出せと言われても、さっきの今で忘れたわけじゃない。
松乃井は噂を聞いたと言った。
松乃井はあの噂が本当なのかと問うた。
松乃井は……あれ?
あいつは、噂に関しての話しかしていない。
「彼と会うのは今日が初めて?」
ハッとした表情が出ていたのか、形代の声が優しくなる。
かたんかたんと床と上履きがぶつかる音。
一段高い位置に立つ形代と目線が合う。
「初めてだ。中学は別だから」
「じゃあきっと彼は優しいんだろうね。隣にいた女の子もそう。噂を聞いても栄志朗を探しに来てくれた。そして、噂なんて信じないと言ってくれた」
形代はそっと俺の頬に手を触れる。
長い指先が髪に触れる。
「君はもう一人じゃなくなったのかもしれないよ」
そう言った形代の表情はどこか寂しそうだった。
上手く飲み込めない。
何故? どうして?
そんな考えが頭に張り付いて離れない。
今まで何度説明しても誰にも相手にされなかった。
俺じゃないと声を上げても誰も聞いてくれなかった。
それなのにどうして。
何故あいつらは俺を信じようとする。
何故あいつらは俺と向き合おうとする。
「何か裏があるとしか……」
そうとしか、思えなかった。
「信じろ、とは言わない」
形代は俺の頬を両手で挟み、無理やり目線を合わせる。
先程までの物悲しさは消え、熱意を帯びたような薄茶色の瞳で俺の目をじっと見る。
俺はその目線から逃げられなかった。
彼女がそれを許してくれなかった。
「信じたら裏切られる。私もそうだった。だから誰も信じなくなった。でも、もし。もしも、彼らが本当に君を想っていたのなら。今度は君が彼らを裏切ることになる。だから……」
彼女はその先を言わなかった。
でも、何を言いたいのかはわかった。
俺は何度も裏切られた。
誰も俺のことなんて相手にしなかった。
その悲しみも苦しみも俺が一番よく知っている。
それなのに、今俺は彼らに同じことをしようとしていたのか?
話も聞かずに突き放して、会話を拒絶して、あいつらを見限ろうとしたのか?
「栄志朗」
「ああ、もういい。わかった」
そうだ。裏切られることには慣れている。
今更それが一度や二度増えたところで辛くはない。
だったら──。
「一度、ちゃんと話してみるよ」
彼女は静かに頷いた。
優しい笑顔で充ちた表情。
ゆっくりと手が離れていく。
笑顔がゆっくりと消えていく。
俺は直ぐにその手を握った。
怖かった。
一人にしてはいけない気がした。
理由は分からない。
それでも彼女を一人にはしたくなかった。
「だから、一緒に来てくれ」
「え、どうして」
「俺が傷つくとまた飛び降りるかもしれないぞ」
「それは……困るけど」
「じゃあ、来てくれ」
その笑顔を消してはいけない気がしたんだ。
※※
ダメだった。
お前のことなんて信用していない。
あれはそういう目だ。
俺はなんのために栄志朗と仲良くなりたかったんだ。
俺はなんのために栄志朗を探して回ったんだ。
俺には何も出来なかった。無力だ。
俺はまた、失敗したんだ。
「松乃井、聞いてんの?」
「え、ああ」
頬を膨らませた暁音と目が合ったが、罪悪感からすぐに逸らしてしまった。
怒られるのは初めてじゃないけど、今回はいつにも増してお怒りの様子だ。
「松乃井はこれでいいの?」
「いい……わけないだろ」
このままじゃダメだ。それはわかる。
でも、俺に何が出来る?
暁音だって、栄志朗に何か言いたいことがあったはずだ。
それを飲み込んで俺に言葉を託してくれた。
それなのに俺は栄志朗を説得出来なかった。
すぐ隣を通り過ぎるあいつを止めることも出来なかった。
あの全てを諦めたような目が怖かったんだ。
姉貴と同じ、あの目が怖かった。
また失うかもしれない。
栄志朗も俺の手の届かない所へ行ってしまうのかもしれない。
それがたまらなく怖いんだ。
「しっかりしろー!」
背中に鈍く響く痛み。
俺は勢いそのままに倒れ込んだ。
腰に手を当てて俺を見下ろす暁音と目が合う。
「松乃井がしっかりしないなら私一人でも遊佐君を追いかけるよ!」
それでいいの!? と暁音はふんぞり返る。
それでもいいのかもしれない。
俺が関わることで栄志朗が不幸になってしまうのなら。
「遊佐君、松乃井の話聞いてなかったよ」
「……え?」
聞いてない? どういうことだ。
俺たちは確かに会話を交わして……。
「さっきの返事、変だもん。遊佐君は何か勘違いしてる。でも、勘違いさせたのは松乃井だよ。言いたいことをはっきり言わないから。だからすれ違っちゃう」
暁音の目が潤んでいた。
何故暁音はここまで栄志朗を大切に思っているのだろう。
何故栄志朗のためにここまで出来るのだろう。
「私、嫌だよ。遊佐君は優しい人だもん。私、知ってるもん。松乃井だってそうだよ。友達想いで優しい人だって私は知ってる。だから遊佐君を追いかけたんでしょ! だから一人で抱え込もうとする遊佐君を見てるのが辛いんでしょ!」
俺は、本当に優しいのだろうか。
俺は、本当に栄志朗のために動いていたのだろうか。
姉貴への贖罪じゃないのか。姉貴と栄志朗を重ねてしまったんじゃないのか。
俺は、本当に栄志朗と向き合おうとしていただろうか。
「松乃井がどうして遊佐君と仲良くしようとしたのかは知らない。どうして遊佐君を信じようとしたのかは知らないよ。でも、自分でそうするって決めたなら最後まで信じきらなきゃ。最後まで、遊佐君と向き合い続けなきゃ」
暁音は四つん這いの俺の背中に手刀で追い討ちをかける。
手痛い激励だ。だけど、暁音の気持ちが痛いほど伝わってくる。
この痛みが、暁音が抱えている心の痛みなんだ。
「私行くからね!」
「俺も行く」
迷いはない。もう俺は間違えない。
同じ過ちは繰り返したくない。
「俺も栄志朗と話しに行く」
背中が痛い。体が重い。
それでも、俺は進み続けたい。
今すぐに栄志朗と話をしたい。
もしもあの噂が本当だったら。
もしも栄志朗が俺を拒絶したら。
もしも栄志朗が同級生の女の子を襲ったのだとしたら。
俺はそれでもあいつと友達になれるのだろうか。
いや、なる。なってやる。
道を間違えたら正してやるのが本当の友達だ。
過ちを反省したら許してやるのが本当の友達だ。
俺はもう、迷わない。
「いい顔になったじゃん」
暁音はブレザーの袖でゴシゴシと目元を拭い、笑顔を振りまく。
俺なんかよりよっぽど、暁音の方が栄志朗を大事に思ってるんだ。
そしてきっと俺のことも。
「お前が一番優しいやつだよ、暁音」
「へっ!?」
茶色の髪を撫でると、暁音は目を丸くした。
誰よりも友達想いで、誰よりも優しい女の子。
そんな俺の好きな女の子の前で、いつまでもくよくよしてられない。
「行こう。まだ遠くまでは行ってないはずだ」
「え、う、うん!」
困惑する暁音を連れて、俺たちは階段を駆け下りた。
「手、痛いんだけど」
「悪い……」
「放課後、駅前のパフェ奢りね」
「ああ、わかったよ」
「遊佐君と、あの金髪の先輩の分も」
「高校生に集る量じゃねえぞ!?」
「そのためにはちゃんと話をしなきゃね」
「……そうだな」




