墓穴【夏のホラー企画2019】
「先生、今日も厄介な感じですか。」
「そうですね。」
すでに元のゴム色が見えないほど赤黒く染まった手袋をした男女2名。彼らの前には腹が引き裂かれた肉体複数。台の上に乗っているソレは、身じろぎせず大人しくメスを入れられた。
「しっかし、困りますね毎回これって。」
「ホント、毎度こうして我々が直さねばならぬとは考えていなかった。」
引き取る時に可愛がってくれると相手は言っていたのに。そう愚痴を漏らしながらも淡々と手を動かす医師。
合法・非合法と、もう手慣れたものだ。ただ相手の要望に従い、自分は仕事をしていればいい。そうすればすべてうまくいくのだから。それに、今更逃げられない。
思えば、彼らとの付き合いもずいぶん長くなるものだ。医師は少しだけ今までのことを少しだけ回想した。
彼がまだまっとうな医師だった頃、当時勤めていた地方の中堅病院が閉鎖されることになった。地域の過疎化が進んだほかにも人員不足や国家予算削減等が原因となったのである。
それを受けて、大学の人事で別の病院を紹介してもらうことになった医師。
「やぁ、久しぶりだね。大変だったみたいじゃないか。」
大学に出向した時、大学スタッフとして働いていたはずの学生時代の親友とすれ違った。見知った顔にあって思わず嬉しくなって声を掛ける医師。
「元気そうだな。しかし本当に、まさかあんなことになるとは思わなかったよ。」
そして時計をちらりと確認すると、まだ少しだけ時間があったので大学構内のカフェで少しお茶をすることのにした。
相手は相変わらずカフェオレを頼み、自分はブラックを頼んだ。
「お、ブラック飲めるようになったのか。学生時代は嫌いだったよな?」
「うんまあ、当直とかで寝ないように飲んでいたらいつの間にか慣れたよ。」
酸味の強く好みではないコーヒーだなと少し思いつつ、懐かしそうに眼を細める親友へと答える。
「今日は次の病院人事の話か?」
「そんなところだよ。今度は潰れないところだといいが。」
そらそうだ。そう答えつつカフェオレを一気する友人。
「ま、なんか困ったことがあったらいつでも言ってくれていいからな。こっちはいつだって人手不足だし。」
「……考えておくよ。」
困った顔で笑うと、友人は期待していなかったと苦笑いで答える。
その後、友人からもらった名刺2枚とメモを仕舞って医学人事部へと向かうことにした。時計を見れば、丁度後5分程度。
廊下を歩きながらふと空を見上げると、さっきよりも心なしか陰っているように見えた。
人事から言い渡された病院に勤務して、早くも落胆した。上司のパワーハラスメントと部下の無能ぶりに振り回される日々が辛い。
この時ほど医師という職業に労働基準法がそれほど適応されないことが恨めしく思った。当然患者の状態は生ものなので、仕方がないのはわかる。緊急で呼び出されて勤務時間外だと応じなければ重大な医療事故にも繋がる。
ただ、正直オーバーワーク気味で過労死寸前な気もしていた。
そんな時に、あの人事の日に声をかけてきた親友から電話がかかってきた。
「ちょっとどうしてもお前じゃないと頼めないことがある、助けてくれ。」
その言葉と声音にただならぬものを感じたが、是と答えた。
場所は……彼の現在勤務中の病院ではなく彼の実家の診療所!!
「おいおい、これはちょっとシャレにならない案件じゃないのか。」
そして彼が向かった先で目にしたのは、親友の妹の遺体。面識はなかったが、年賀状に必ず出ており嫁にどうかと親友から勧められており、覚えていた。
残酷すぎる光景へ唖然とする医師。
そして、恐る恐る先へと進む医師。
部屋を見渡すと、遺体として転がっていたのは彼女だけではないとわかった。おそらく家族や親族、そして病院の患者と思しき人々。最初遺体の状態があまりにも悪かったため、血だまりとミンチだと思ってしまったのだろう。
だが、それにしても不気味なことに、全員なぜか同じように顔だけやけに『おだやか』な表情をしていた。
同時に、散らばっている臓物の中には心臓が一つもなかった。
「おい、これは一体……一体どういうことだ。答えろ!!」
震える手で手術台へ心臓を並べているのは親友だった男。こちら側へ背を向けている。
「……仕方がなかったんだ。俺は悪くないんだ。違うんだ。」
そう言いながら心臓をやっぱりどこか規則的に並べる親友。白衣は真っ赤に染まり、異様なほど濃厚な鉄の臭気が鼻に付く。思わず顔を歪める医師。
「少しだけ聞いてくれ。俺の、俺たちのこと。」
そう言いながら語りだす話。
「俺はさ、もう死んでいたんだって。それもX年前に。」
振り返って苦笑いを失敗する親友。
よく見ると、血の気がなくなっており、顔色も遺体のソレと同じだった。返り血の赤がその白さを際立たせた。
「えっと、いわゆる『アンデッド』って言えばわかるかな? それを両親がずっと研究していたんだよ……信じられないだろうけどこれが証拠だ。」
そう言いながら手元の心臓を一つ掴み上げ、こちらへ見せた。よく見なくとも、心臓は、なぜか動きっぱなしになっていた。
「いつから? なぜだ?」
自分の知る限りでは、親友の両親は研究者としてまっとうな人だったはずだ。確かに人に言えない研究をしていることは時折匂わせていたが(同時に自分へ研究に参加しないか等という話もあった)
「相当昔から、求める人がいたからさ。」
元は金持ちの道楽。だが依頼者がある日急死したため、研究自体が中止になった。研究施設も閉まり、そのために回されていた資金や資材(人体)の供給が止まったという。
けれど彼らは研究を続けたそうだ……己の知識欲を満たすために。同時にパトロンが沢山ついたから。
「あの時止めるチャンスだったのに、一度知りたくなったら止まらない質だったらしい。結局俺も妹も、病院の患者も、ついでに自分自身をも実験のモルモットにしたんだよ。」
だから俺らもアンデッドな。映画やアニメよりも最悪な質だが。
「詳しい話はお前の身が心配だからやめておく。」
そんでお願いだが、俺のこと、殺してくれないか?
笑顔でそれを頼む親友。
心臓をえぐりとるしか方法がないらしく、自分では絶対にできないよう制約をかけられていると説明した。
正直信じられないは話だったが、荒唐無稽だと完全否定はできなかった。
「……ああ、いいよ。」
本当は嫌だった。本当は殺したくない。
己の手は人を生かすためにあるのに。
けど、このままだと親友が今度は人を殺す側に回るのだろう。まるでハザード・パニック映画みたいに。現に今も、顔に罅が入り、一瞬だけ目が獣のソレに転じた。それに、形相が変化するのを抑えている節がある。
医師として死にたい親友にしてやれることはそれしかないことがわかった。
「なら頼むよ……なるべく早くな、もうそろそろやばいから。」
安堵した笑みを浮かべる親友。先に逝っていろ。
そうして自分は、親友を手術台に乗せて心臓を抉り取った。
直後、殺人に使ったメスで、自分の頸動脈をかき切った。
だがなぜか生き残ってしまったらしい。
次に目を開いた時には拘束されており、身動きが取れなかった。なんとか脱出しようにも無理だったのでしばし静観していると、偉そうな態度を隠しもしない人が室内へと入ってきた。
「君こそが我々の求める『不老不死』だ! さあ歓迎するぞ!!」
開口一番にそう言われると、見知らぬ施設へ連行されて行った。
そして施設では、彼らが送る人を『不老不死』にする研究をするように、そして成功・失敗者の心臓を標本とするように頼まれた。なお、成功者は彼らの一人が下卑た表情でペットにするのだと話していた。
当然自分は秘密保持のため一生施設へ幽閉されることとなり、それからは殺戮と破壊の日々となった。医師の自分からしてみれば大変苦痛だったが、その感情も数年も経つと作業に対する惰性で麻痺していた。
同時にこの環境は、好都合でもあった。自分はいつの間にか親友関係者一同を殺した挙句自害した犯罪者として世間一般では公表されてしまったのだ。
親友を殺した時点でもう、自分には逃げ場などなかったのであった。
永遠と人を解剖する日々。もう自分には、今がいつで、ここがどの国のどこなのか。あるいは自分がいったい誰なのかすらわからない。
そういえば今の看護師は何人目だろうか。この人も多分そのうち消えるのだろう。
いや、そんなことは最早どうでもいい。
静かな室内で、しばらくぐちゃぐちゃと何かを切断する音と時計の音だけが響く。それから数秒ほどでピチャッと何かが床を濡らすと同時にふぅと医師は息をついた。
すかさず看護師は医師の汗を拭う。
「取れたよ。ブラックパール一本。」
「はい。」
糸の種類を告げ、それをピンセットで看護師から受け取る医師。先端へつけた丸っこい糸張りが無機質な白暗い蛍光灯の明かりで照らされる。
「さて、あとは縫合か……おい、どうした?」
手術台がカタカタと揺れているのに気づく医師。それが一気に大きくなっていく。突然のことに驚く2人。
看護師は慌てて台を押さえ、医師は一旦手を止める。
どうやら揺れが少しおさまってから再開させようと考えたようである。
だが、揺れは止まらず徐々に強くなっていく。
「地震か?」
「いえ、いつものですよ。」
そう言って看護師がモニターを示す。そこには外の光景が映っており、病院をアンデッドと化した人々が襲撃していた。大型トラックが次々と突っ込んでくる、映画みたいなありえない風景。
だが、病院はビクともしなかった。
そのうち病院の外にいたアンデッドは全員焼却処分され、『駆逐完了』の文字が浮かんだ。それを見てまあそうだろうなと納得する医師。この施設が無くなれば、困るのはこれを頼んだやつらなのだから。そら必死で守るだろうと。
電気は点いたままなので電気供給は今の所大丈夫かと内心安堵したように構えているも、不安そうな表情は一切なかった。
「じゃあ続きを……」
そうして永遠と、生気のない不老の失敗作から心臓だけを取り出すだけの作業を続けたのだった。