青い痣と祓いの巫女
この葉の隙間から降り注ぐほんのり暖かい太陽光を浴びながら並木道を歩く。今日未明に大雨が降り、家を出た時は夏らしからぬ気温の低さに体はブルと震えた。羽織っているウィンドブレーカーのジッパーを上まで引き上げて首を暖かくする。太陽が照っているとはいえ、寒いものは寒い。そして、雨上がりのベタつく感じがする。気分は低空飛行だ。
鬱々する。
名作を数多く生んだ文人たちもこの鬱々とした心を抱えながら原稿用紙に向かったのだろう。文学史に名前と作品を残すことを引き換えに自殺してしまうのだから、どっちが幸福といえるのかがわからない。少なくとも、僕は自殺をするつもりはない。
鬱々とした心を抱えながら、ゆったりと並木道を歩く。腕の力を抜いてだらーんと歩く。まるでゾンビ映画に登場するゾンビだ。ゾンビ・カズハ、それが俺だ。
ゾンビの真似事を五歩したところで立ち止まる。
目前十メートルくらいのところに女子高生が立っていた。なぜ一見しただけでただの女性ではなく女子高生と判断したかというと、セーラー服を着ていたからである。しかし、僕の拙いファッションの知識からも、近年には変わったファッションもある。例えば、セーラー服のような私服だってある。幼い頃からの友人は普段から巫女服を着ているくらいだ。だから、世間の実体を考慮するのなら、目前十メートルのところにいるのはセーラー服を着た女性であって、女子高生と断言することはできない。ただ、面倒なので、とりあえずその女性は女子高生と推定する。間違っていれば正せばいいだけのことだ。
さて、夏を感じさせるものとして風鈴や蝉の音、スイカの味がある。この他に、女子高生のスカートの丈が短くなることと女子高生のワイシャツの袖が短くなることをあげる。要するに女子高生の服装が短くなるのだ。けっして女子高生が短くなるのではない。ちなみに、この意見については十分注意しなければならない。時(time)と場所(place)と場合(occasion)を間違えると、セクハラ発言として受け止められ、女子高生全員にセクハラオヤジのレッテルを貼られてしまう。十七歳ひきこもりにしてセクハラオヤジのラベリングはきつい。
これはさておき、目の前の推定女子高生は世間の女子高生の例に漏れず、スカートの丈もワイシャツの袖も短くなっている。今日という夏とは思えないくらい寒い日でも「短く着る」という主義主張を変えないようだ。このように短く着られると、冬の時に隠されていたところが現れる。具体的には太ももと二の腕である。いうなれば、夏は太ももと二の腕の季節である。僕はこの場で太ももの素晴らしさを語るつもりはないし、また二の腕のフェティシズムを披露するつもりもない。この記述も一歩間違えればセクハラ発言である。力強く言うが、僕はけっして誰かを貶めたり悪くいったりするつもりはない。ただ、現状を正しく言い表すために止む得ない表現であることを理解してほしい。
本題からそれるところだった。目の前には広く艶やかな太ももと二の腕を露出した女子高生のような女性がいる。
その白い太ももと二の腕に青い痣があった。
その痣は彼女の白い手首にもはっきりと刻まれている。
僕は立ち竦んでしまった。
今日は日曜日。時間は朝9時。子供たちは、ニチアサキッズタイムを満喫しているはずだ。テレビの前で子供たちが、『出たなショッカー!』や『デュアルオーロラウェーブ!』を叫んでいるのが目に浮かぶ。ここで僕も『出たなオーロラウェーブ』と叫ぶべきだろうか。
立ち竦んでいる僕に推定女子高生は目を向けていた。僕もその女性を見つめていたので、互いの視線が重なるのは自然というか、必然であった。
彼女の口が小さく開いた。
「見たな」
という言葉ではじまるセリフは、
「死んじゃえ」
という言葉で終わった。
そして、彼女は倒れた。
◯
カンカンカンと金属を叩くけたたましい音が鳴り響く。目を開けると木目柄の天井が広がっていた。体をゆっくりと起こす。
「痛てぇててて」
直に硬い畳の上に寝かされていたので体の節々が痛い。俺をここに寝かした人は布団を敷くという発想がなかったらしい。せめての気遣いとして、タオルを折りたたんで枕としたことと、バスタオルを掛けてくれたことだ。
暑い風が頬にあたる。縁側の窓が大きく開け離れていたので、外の暑い空気が室内に流れ込んでいる。カンカンカンというあのうるさい音も外から聞こえる。
すーっと障子が開いた。
「やっと起きたね」
白装束の女の人が室内に入ってきた。
「・・・姫、さま」
ガツン。女の人が持っていた水入りのペットボトルで殴られた。
「なにバカなこと言っているの? バカなの? バカだよね?」
白装束、正確には巫女衣装の女の人の顔をよく見つめる。
「なによ、気持ち悪い」
「あ!」
「今度は何?」
「琴音か!」
「やっと気づいたの、気づくのが遅すぎ」
ペットボトルを差し出した女性は御堂城琴音だ。
「ここは・・・神社か」
「そうよ」
琴音は白山神社の娘で、『白山の姫』と呼ばれることがある。
またペットボトルで殴られた。
「痛ぇよ、姫さまー」
「姫さま、言うな! バカなこと考えるな!」
そして、彼女は『姫』と呼ばれることを非常に気にしている。
「はぁ。一体今朝から何をしていたの? 神社まで女の子を背負って、そのままトーヤマも倒れるんだから。邪魔だったからここまで運んだわよ」
「まさか琴音が、」
「氏子さんに運ばせたから。今その人、境内で屋台を組んでもらっているわ」
なんだかチャンスを逃した気分。
「あの女の人は、」
「隣の部屋で寝てる」
立ち上がろうとする。
「もう少し横になっていなよ。軽い熱中症で倒れたみたいだから」
「お、おう」
「ねぇ、トーヤマ。私を変なことに巻き込もうとしてないでしょうね?」
「はぁ? 何の話だ?」
「彼女には、腕と足と手首に縄で縛った青い痣があったの。まさかトーヤマが何かしたんじゃ、」
「俺は何もやってないぞ!」
今朝目撃したことを琴音に話した。
「トーヤマが二の腕、太ももフェチだということがわかった」
「おい! そこが本題じゃねぇぞ!」
「魔術の、残滓があった」
「・・・魔術?」
「そう」
「なら、これはお前の案件だな」
「そう、だね」
琴音ははぁと疲れた息を吐く。
「ねぇ、明日は学校へ行く?」
「うーん、どうすっかなー」
今日のことがあったので、明日は学校へ行きたくない。
「これあげるから、学校に来て」
琴音は白衣の内側から小さな赤い布袋を取り出した。
「お守りか。現役巫女から受け取るとご利益ありそうだな。」
「安産祈願だけど、頑張って」
「おい!」
いただいたお守りはシャツの胸ポケットにしまう。
「さて、」
バシンと腹を叩かれた。
「もう元気になったでしょ、起きろ」
「え!」
「起きろ、そして帰れ」
「あ、あー」
家主の、正確には家主の娘さんの、ご命令には逆らえないのでしぶしぶと立ち上がる。
巫女姿の琴音に従いながら屋敷の廊下を進んでいく。まるでお姫様の後ろを歩く従者の気分だ。玄関にたどり着き、そこで靴に履き替えてから外へ出る。
カンカンカン。
「あー、すごいことになっているな」
参道には鉄パイプが並べられ、筋骨隆々の男たちが組み立てを行っていた。あのけたたましい金属音はここから響いていたのか
「明日のお祭りの準備をしている」
「へー、お祭りか」
「そう、それじゃーね、トーヤマ」
俺は琴音の家を後にした。
◯
まだ夏本場になっていないとはいえ、光と熱を放つ太陽の下を歩くと嫌でもゾンビ化する。ゾンビ・カズハの復活だ。両腕をダランと垂らしながら、のそのそとアスファルトの上を歩いていく。気持ちがだんだんと鬱々していく。
白い肌に浮かぶ青い痣。
「死んじゃえ」とささやく女性の声。
気持ちが沈むと良くないことばかり思い浮かぶ。今回はあの時みた情景だった。これだけは記憶から消し去ることなく、ぐるぐると脳内をめぐる。
白い肌に浮かぶ青い痣。
「死んじゃえ」とささやく女性の声。
◯
家の玄関扉を開けた時、午後の一時を回っていた。暑さによる汗と鬱々した気持ちを洗い流すために、お風呂場へ直行した。熱いお湯を頭から浴びると、心までも浄化していくようだ。
一度嫌なものを出すことによって、それを冷静に観察することができる。そんな気がする。シャワーを止めてボディーソープを手に馴染ませる。今朝見たものをゆっくりと思い出す。
あの時は白く眩しい太ももと二の腕に浮かぶ痣が印象的だったが、よく思い出してみると、むき出しの両手首にも痣があった。これで痣は計六ケ所になる。
背中にぶるぶると虫唾が走る。腕や足に青い痣をつけた女の子は一種の恐怖である。
シャワーの蛇口を開ける。体中の泡を流ししながら、自分の体、特に二の腕と太ももに痣がないかを確認した。
部屋にもどり、ベッドの中に飛び込んだ。いつもはシャワー後の時間を健康的ひきこもりの知的活動にあてる。つまり読書である。読みかけの文庫本をがらくたの山から引っ張り出して数ページをめくってみるものの、思考の隅にさっきの女性と彼女の青い痣がちらちらと浮かんで読書に集中できない。
こういう時は昼寝に限る。
ベッドに飛び込み、頭から布団をかぶる。
遠くに「ただいまー」という声が聞こえた。
バン。
部屋の扉が大きく開いた。
恐る恐る布団から顔を出す。扉の前には女の子が立っている。
「お兄ぃ・・・何してるの?」
妹が部屋に乱入してきた。
「貝の生態模倣」
布団の角を内側に巻き込みながら体を丸くする。妹からは布団をまとった大きな塊がベッドの上に鎮座しているように見えるだろう。
「・・・暑くないの?」
「・・・暑い」
「少しくらい部屋を片付けたらー」
視界と空気の確保のために布団に隙間を空ける。
妹は部屋を出ていった。
しばらく経つとのどが渇いてきたのでやむなく布団から這い出た。台所に入ると、妹は冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出していた。
「明日、学校へ行く」
「・・・そう・・・ん? お兄ぃ、テスト期間まだでしょ?」
ひきこもりとはいえ、俺は進級するひきこもりである。授業には出席しないが、学期末テストだけはちゃんと受験する。
「テストは来月だった気がする」
「お兄ぃ、今朝どこへ行っていたの?」
「うーん、あー、琴音のところ」
「琴姉ちゃんに会ってきたんだ」
「双葉は何してたの?」
「お店の手伝い」
双葉は祖父が営む喫茶店の手伝いをしてお小遣いを貰っている。
「へー」
そして、明日に備えるべく部屋にひきこもった。
翌朝、双葉が部屋の扉をドンと蹴り開けた。どうやら妹には、出かける前と出かけた後は兄の部屋の扉を開ける習慣があるらしい。
「お兄ぃ、今日は学校休み?」
「あー、行くよ、ちゃんと、きっと」
話を最後まで聞かずに双葉は出て行ってしまった。
遠くに妹の「行ってきます」の声が聞こえた。
今日、学校へ行くことをやめたわけではない。ただ、朝一番に学校へ行くと同級生や先生に出会ってしまうし、授業にも出なければならなくなる。それに、今日来た理由を説明しなければならない。正式な学生なのだからいつ行ったっていいはずなのに、久しぶりに登校するとなぜ来たのかと聞かれる。これが非常に煩わしい。そんなことをぐずぐずと考えているうちにお腹が空いてきた。お腹が空いてきたので何かを食べる。それが昼食となった。午後一番、つまり昼休みが終わってから登校したとしても、それがたとえ三時間程度であっても授業に参加しなければならない。またまたぐずぐずと悩んでしまった。結局、授業終了後、部活をしない帰宅部組の帰宅ラッシュが終わった頃に登校することにした。
ピロンと布団の上に置いたスマートフォンがなった。琴音からメッセージだ。
『学校へ来い』
「『放課後までには行きますよ』、送信」
椅子に深く座り直す。
「放課後まで読書かな」
机の上に積み重ねた本を一冊取り上げる。
◯
太陽が空を下しはじめてからしばらくたった頃、僕は在籍している高校の前にいた。
「さて、どうするか」
琴音は場所を指定しなかった。そして間抜けなことに、僕は彼女の居場所を尋ねなかった。とりあえず、琴音が居そうなところへ片っ端から見て回るしかない。
俺が通っている―といえるほど通ってはいないけど―畝川高校には、各クラスのある教室棟とは別に専門科目のため特別教室をまとめた建物がある。昇降口は教室棟と特別棟をつなぐ通路の真ん中にある。昇降口で靴から持参した上履きに履き替える。ひきこもりは靴箱に上履きを入れておかない。なぜなら、万一靴箱掃除があった時には中身である靴が取り出され、それを正しく元の位置に戻してくればいいものの、そう上手い話はなく、つまり上履きが紛失する。そして、学校へ来る度に上履きが無くなっていると非常に困る。
上履きに履き替えて特別棟へと入る。琴音のクラスを覗く前に見るべき場所があるのだ。
廊下をゆったりと進む。久しぶりに学校へ来たので、不思議な気分だ。校舎の上階から金管楽器の無秩序な音が流れる。吹奏楽部の練習だろうか。
「第三理科室ってこっちだったかな?」
よくわからないのでふらふらと校舎内を歩いてみることにした。
「琴音と時間の約束をしていないから、大丈夫だろう」
前向きな心持ちは大切である。
白い肌に浮かぶ青い痣。
ちらっと何かが視界に入った。
畝川高校の教室はガラス板をはめ込んだ引き戸になっている。近くの扉に近づき、中を覗く。
室内には青い痣を帯びた女子生徒が並んでいた。
ガラガラガラと扉を引き開ける。
室内はベタつくような薬品の匂いで充満していた。電気をつけずに室内に入る。
ここは美術室だ。
部屋の中央を囲うように5枚のカンバスがイーゼルに立てられていた。
ぐるりと一周しながら、それぞれの絵に目を通す。
いずれも同じパイプ椅子に着席する女子生徒のスケッチだ。女子生徒は長い髪を前に垂らすようにして俯いているので顔が見えない。あるスケッチは女子生徒を真正面から描いている。またあるスケッチは左斜め前から、またあるものは右斜め前から。上からのものと下からのものもある。これで計5枚である。いずれのスケッチも彼女の着ているセーラー服や、スカート、靴下、そのすべてを炭のような黒いチャコールで描かれていた。ただ、女子生徒の白い肌に浮かび上がる青い痣だけは、青く塗られていた。
濃淡の無いただの青がカンバスの上に浮かび上がっていて、すごくうす気味悪かった。
「そこの君」
後ろから声をかけられた。振り向くと、部屋の入り口に女子生徒が立っていた。
「・・・えっと、僕のことでしょうか」
「君の他に誰がいる。」
胸元の学年章から上級生すなわち三年生だとわかる。
「なにかご用でしょうか?」
学校へ時々しか来ないので、ほとんどの生徒が見知らぬ生徒である。毎日まじめに通っている生徒からすれば、僕が『見知らぬ生徒』なんだろう。
「その絵、気に入ったか」
突然見の知らぬ人に絵を見つめられたら気持ち悪いだろう。
「どれも私が書いたんだ」
『私』という言葉に反応して、スケッチの右下に目を向けた。そこには、芸術家としての自尊心があるのか「和」と「歌」という文字を芸術的に重ねた署名が記されていた。僕には到底真似できない。
「えっと、和歌さんですか?」
「レミチと呼んでくれ」
『レミチ』とは名前だろうか? どんな字を書くだろうか? 『礼道』か、それとも『令未知』か。
「その絵、気に入ったか?」
まだ脳内漢和辞典をめくっている最中だった。
レミチと名乗った上級生はすーっと近づいて、両手を僕の肩に乗せる。
「ええー、まぁー、はい」
すごく近い。距離でいったら15センチ定規くらいあるだろうか。薄暗い美術室の中でも彼女の顔の輪郭がはっきりと見える。
「そう、それは良かった」
「はぁー」
「ねぇ」
レミチさんの顔が少しずつ近づいてくる。彼女の吐く息が顔に当たってくすぐったい。
「今夜いいものを見せてあげる」
そして、彼女の唇が僕のものと重なった。
一瞬の思考停止。一瞬の空白。
僕を優しく突き放したレミチさんは、
「それなら今夜8時に教室棟の屋上に来なさい。いいわね」
返事する間もなく彼女は消え去ってしまった。
残ったのは、冷めきった彼女の息と彼女のシャツの袖からチラリと見えた青白い傷、そして彼女が何となくカンバスに描かれた女子生徒に似ているという不確かな思いだけだった。
○
「失礼しまーす」
引き戸をゆっくり開けて、かしこまりながら第三理科室へ入る。黒板前の一番大きな実験机の上で白衣を来た女子高生がアルコールランプでお湯を沸かしていた。
「来るのが遅い、トーヤマ」
「開口一番がそれかよ、せっかく来てやったのに」
のそのそと白衣の女子高生と向かい合うように、実験台に着席する。
「それで、何の用だ?」
「別に、用はないけど。とりあえず呼んでみた」
「そうか」
そんな気がしていた。
「なぁー琴音、今おもしろい体験をしてきたんだけど」
「トーヤマがそこで勝手にカラスみたいに口をパーチクしていたって、私は一向に構わないけど」
「話していいってことだな」
白衣の女子高生こと馴染みの御堂城琴音は実験台の下からビーカーを取り出して僕の前に置く。そこに、インスタントコーヒーの粉末を入れて、キューとなっていたヤカンからお湯を注ぐ。
「はい、どうぞ」
「ビーカーかよ。これ大丈夫だよな」
硫酸とか塩酸とか水酸化ナトリウムとかが入っていたビーカーじゃないよね。
「あー、それはいつか蛙の解剖をした時に内蔵を保管しておこうと思っていたビーカーだった」
「おい!」
「えっ! 今なんて」
「いやだから、知らない女の人にキスをされた」
「キスしたの!」
「されたんだよ」
僕の話を聞きながら文芸雑誌を読んでいた琴音は、美術室で出会った女の上級生の話になると、バンと大きな音を立てながら雑誌を机に叩きつけた。
「したんでしょ」
「疑問文じゃない!」
「トーヤマは知らない女の人とキスをした。」
「いや、そこは断定にしないで受身だから」
国文法的な指摘で対抗する。
「いや、絶対に断定。打消でも推量でも過去でも完了でも打消推量でも打消意志でもなく断定」
さすが成績上位の御堂城琴音さん、難なく対応してくる。
「これには情状酌量の余地がある!」
「ない。即断即決の実刑判決確定」
そして僕は彼女の持っていた文芸雑誌で殴られる。
ちなみにその文芸雑誌は一部の酔狂な読書家の間で流行っている『月刊幻想渾沌譚』である。
「ふー。昨日、神社に女の子を連れてきたでしょ」
「あー、うん」
琴音はすこしばかりおとなしくなった。
「神社に来る前にちょっとイイコトしていたでしょ。それで、トーヤマの頭の中から青い痣を持つ女の子が離れないんだよ」
「つまりこれは全て僕の幻想かよ!!」
「そうだといいね、と思っただけ」
「昨日の人、結局どうなった?」
「キになるー?」
「それは、まぁー、普通に」
「食ったりしてないわよ」
「どういう意味だ?」
食ったりしてないけど、解剖はした、とか。白衣姿の琴音ならやりそう。
「なんか変なこと考えているでしょ。
トーヤマが帰った後しばらくしてから目が覚めたみたいでね。名前と連絡先を聞き出してから、家に送り届けたわ」
「そうか、一安心だな」
「まぁ、あの子はあくまで被害者だからね」
被害者?
「そんで、トーヤマはその和歌なんとかの挑戦状を受けるの?」
「いやー、どうしようかなー」
「決定ね」
「はい!?」
「今日の18時に私の家の前に集合。時間厳守」
「はいっ!」
◯
玄関口で靴を履こうとした時、妹の双葉は廊下の曲がり角から顔を出してきた。ピンク色のエプロンをしている。
「お兄ぃ、夕飯どうするの?」
「もしかしたら、外で食べてくるかもしれないが、分けておいて」
「りょーかい。最近のお兄ぃは活動的だよね」
「俺は健康的なひきこもりなんだ」
「ならアイスを買ってきて」
「余裕があったらな」
早く行けというように、双葉は手をふる。俺はウィンドブレーカーのチャックを上まで引っ張り上げてから外へ踏み出した。
◯
琴音の暮らす白山神社は妹と二人で暮らしているマンションから徒歩で十分ほどのところにある。軽くジョギングをすれば、七八分で着く。
白山神社を管理する御堂城家は、参道の横に屋敷を構えている。琴音の話によれば、御堂城家はこの地域の名家であり、代々神社を管理しているらしい。大きな屋敷を構えているのも納得する。
「やっと来た」
屋台が立ち並ぶ参道を通り抜けて、御堂城家の屋敷の前にたどり着く。琴音は玄関口の横に置かれたベンチに座っていた。
「はい、これ」
ラップに包んだおにぎりを渡された。
「出張料兼お駄賃前払い、今食べて」
「お、おう」
琴音の隣に座り、渡されたおにぎりを頬張る。ちょうど夕飯前の小腹が寂しい時だった。
「俺は何をするために呼ばれたんだ」
「これから、学校へ行く」
「あー、まー、学校が待ち合わせ場所だからな」
まさか誰もいない学校に忍び込む、なんて言わないよね。
「そして、屋上へ行く」
「いやー、あの先輩もまさか屋上にはいないでしょ」
「屋上に来いって言われたんでしょ」
「うん」
「なら屋上へ行きましょう。トーヤマは荷物持ち」
「はい」
このお姫様に否応なく従うのが従者という道。
「もう出発するわ。これ持って」
おにぎりを急いで飲み込み、渡されたリュックを背負う。
「お前、その格好で行くのか?」
琴音は昨日と同様に巫女姿であった。
「この格好じゃないといけない」
そして、彼女はすたすたとお祭りで浮足立つ喧騒の中へと歩き出した。
◯
ヒュー、ヒュー、バーン、バーン、パラパラパラパラ。
下手な口笛のような音に続いて、短い破裂音、そして小石が飛び散るような音をBGMに学校まで向かう。
川辺で花火大会が催されている。それに合わせて、市内の複数箇所で祭りが行われている。白山神社もその一つだ。
ヒュー、ヒュー、バーン、バーン、パラパラパラパラ。
一体何発打ち上がるのかはわからないけれど、花火を楽しんでいない人にとっては煩わしいものだ。なにせ、音が大きすぎてまともな会話ができない。そんな訳で僕と琴音は黙って学校まで歩いた。
学校に到着するやいなや、琴音はひょいと身軽に校門を乗り越えた。僕も門柱に上手く掴みながら乗り越える。どこで情報を仕入れたのか、琴音は鍵が閉まらないという扉から校舎内へ入る。遠くに花火の破裂音を聞きながら閑散とした建物の中を進む。
屋上の扉をゆっくりと開ける。
「あー、やっと来てくれた」
畝川高校は県内では珍しく、生徒の屋上への出入りを自由としている。屋上にはベンチや花壇が設置され、今では生徒の憩いの場の一つとなっている。そのかわりに、安全対策のための柵が高く設置されている。まるでテニスコートの中にいるようだ。
「白山のお姫まで連れてきている。すばらしい」
美術室で出会った上級生は屋上のど真ん中に立っている。
「和歌家の悪女、また何かしているのね」
横で琴音は悪態をつく。
「まぁまぁまぁ、お姫。ちょうど私の作品が完成してね、ゆっくり見ていただこうと思ってね」
上級生は横に一歩下がり、彼女の後ろにあったものがはっきりと見えた。
そこには、放課後の美術室でみたスケッチよりも何百、何千、何万倍もリアルな青い痣と白い肌があった。
「さて、最後は味付けだ。遠山和葉くんは、辛いものが好き、それとも甘いものが好き?」
「ちょっと、私を誘い出すことがあなたの目的でしょ。トーヤマは関係ない!」
「あらあら、幼馴染は契を結んだ男女の仲に口出しをしてくるのね。悪い女」
「違う、私ッ」
「まぁ、今回は物語の序章だからね。今からその小刀で切られたら面白くないし」
琴音は巫女服の袖の中から短刀を取り出していた。
「それでは、バーイ」
美術室で出会い、レミチと名乗った上級生は暗闇の中に消えてしまった。
◯
後日談というか、強引な幕切れ。
屋上には確かにパイプ椅子に縛られた女子生徒がいた。彼女のむき出しの二の腕や太ももには確かに青い痣ができていた。これはパイプ椅子に縛られた時にできた縄の跡と思われる。琴音の持っていた短刀で縄を切り、彼女を拘束状態から解き放つ。睡眠薬を飲まされていたのか、彼女はぐっすりと寝ていたので、僕が彼女を背負って白山神社まで運んだ。移動中は、女子生徒にセクハラ行為を行わないように琴音の厳重な監視下にあった。
「トーヤマ、お疲れさま」
女子生徒には外傷が確認されなかったので、しばらく寝かせることにした。後のことは琴音に任せて大丈夫だろう。
「なんだか今夜は災難というか、よくわからなかったな」
「ねぇー、トーヤマ」
「なに?」
「まだ屋台が出ているし、お祭りを周ろう」
今日一日で放課後と夜と二度も学校へ行ったので、正直くたくただった。特に人を一人背負うことにもなったので、とても疲れている。
「巫女とお祭りを周るとご利益があるのかな」
「あると思うよ。ただ、財布の中身が減るけどね」
要するに何かおごって欲しいということか。
「はぁ、仕方がない」
和歌レミチと名乗った上級生には後日また会うことになったが、それはまた別の物語である。
ヒューーーーーー、バーーーン、パラパラパラパラパラパラ。
花火大会が始まって以来の百万発目の花火が空に華を咲かせた。
おわり。




