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僕と仕事と読メの夜

「ただいま」

一人暮らしも10年になるというのに、いまだに僕は家に帰ると決まって挨拶をする。


テレビを点け、スーツから菊のバッジを外す。スーツは丹念にブラシをかける。

今日もよく働いた。スーツくん、お疲れ様。


新規のお客様のそこそこの大金を動かす僕の仕事に大切なのは、清潔感と信頼感。

スーツもバッジも僕を彩る重要なラッピング。


さて、次は。

シャワーで体の垢を落とすか、ビールで心の垢を落とすか、いつも僕は迷う。

今日はビールだな。うん。


僕は一人で飲む酒が好きだ。

飲み会の場って、得意か苦手か選ぶとしたら『とても苦手』に丸をつけると思う。

それはそのまま会社勤めについても言えることで、僕は入社3年目にして温めてきたアイディアを元に独立を決意した。

道を選ぶのが早かったかもしれないが、まずまずの成功を納めていると思う。

そんな僕に乾杯!


プシュッ!

ソファーはイタリア製。窓の外には東京タワー。

昼間はがらくたのように見えるこの街も、夜は宝石箱になる。


-こんばんは、ニュースイレブンです-


テレビの音を聞き流しながら、ビール片手に読みかけの村上春樹を開く。

本は僕の小さな宇宙。


切りのいいところまで読み、スマホをタップする。

一人で仕事をし、彼女もいない僕はぼっちに慣れているけれど、時々誰かとつながりたくなる。本読みが集う読書メーターというSNSに登録している。数多いる読書家たちの中から僕と同じで「村上春樹が大好き!」という女の子、「マカロン姫」と仲よくしている。


今日も彼女からメッセージがきていた。

『お仕事お疲れ様! 私は今日、フレンチ女子会をしてきたよ。デザートのマカロンがおいしかった! 共食いw

いいお店だったよ。いつか一緒に行かれたらいいね♪』


東京で一人暮らしをしているOLのマカロン姫。

同じ都内に住んでいるのだから、一緒にフレンチに行くのも夢ではないかもしれない。


心配性な彼女に「読メのパスワードを忘れて連絡が取れなくなったら困るから連絡先を教えて」と請われ、僕の電話番号も名前も教えてある。

会ったこともない男性に電話番号を教えるのは不安だろうから、彼女の電話番号は聞いていない。

今のところ、彼女から電話がかかってきたことはない。

彼女が読メのパスワードを忘れたらいいな、というのが僕の密かな願いだ。

そうすれば、僕のぼっち生活も終止符を打つかもしれない。


-さて、次のニュースです。本日、内閣府によって発表された世論調査によると…-


さて、今日の仕事の振り返りです。

今日も30万の収益がありました。

今週2回目です。君は我が社のエースです。

僕一人だから三振でもエースだけどね。


僕のモットーは下調べは入念に。行動は迅速に。考える時間は与えずに。

「先ほどご連絡しました弁護士の鈴木と申します。ええ、一刻を争うものですから、こちらにお邪魔する途中でご連絡を差し上げましたもので。え?ご子息に連絡がつきませんでしたか…どうも私が思っていたより深刻な事態に陥っているようですね…。もちろんです。大事なご子息を犯罪者になんてさせません! 全力を尽くします!」


ある時は「顧客情報を流出し」ある時は「契約を独断で反古にし」またある時は「仕入先を内密に変更し」、ご高齢の方にとって少し難易度の高い罪をご子息たちは犯す。

僕の会話の中だけで。

親御さんだけがご子息を救うことができる。

犯罪者の烙印を押されることに比べればはるかに安い着手金を僕に支払うだけで。


え? 振り込め詐欺? それは違うよ。

僕は現金専門だ。


一人でやっているから、柄の悪い連中が回収に行って親御さんを怖がらせる心配もない。

そもそもご子息は罪を犯していないから、犯罪者になることもない。


保険みたいなものだ、と僕は思う。

僕にお金を支払ったから、事が起こらなかった。

親御さんはご子息を窮地から救った安心感を得ることができる。

それに、着手金をいただいているから有事の際には僕がご子息を守る。

という気持ちはある。

菊のバッジが本物なら、本当に守れるかもしれないのにね。



ピルルルル-



電話だ。 こんな時間に。公衆電話から。

人付き合いがそれほど得意ではない僕は、電話がかかってくることはめったにない。

もしかして…マカロン姫?


「もしもし」


淡い期待を胸に、よそいきの声で電話に出た僕は、次の瞬間少しがっかりする羽目になる。


「タダシ? かあさんよ」


なんだ。かあさんか。


そういえば、かあさんとはかれこれ5年も会っていない。

それどころか、電話すらしていなかった。

だいぶ前にとうさんと離婚し、兄さんが先に家を出て、その後僕も家を出て、かあさんは一人で暮らしている。

かあさんは僕と似た感じの淡々とした人で、一人でいることが性に合っているようだ。

嫌いというわけではないが、お互いなんとなく連絡もしない。


久しぶりに聞くかあさんの声はだいぶしゃがれている。頂上に着いたらあとは下山です。老いへと向かう5年の歳月を感じさせる。

人間の頂上は何歳だろう。


「久しぶりだね。声がしゃがれているみたいだけど、元気?」

「…私、入院してるの」

「えっ、そんな大事なこと…連絡くれたらよかったのに」

「心配かけちゃいけないと思って。仕事もね、やめたの。ステージⅠだから大丈夫じゃないかな。切って元気になったらまた何か働くわ」

「ま、待って。癌ってこと? 無理しないで。お金は大丈夫? あるに越したことはないよね。いくらぐらいあればいいかな。ネットバンクで100万円までならすぐ振り込めるから口座教えて」

「そんなの悪いわ」

「お金はあっても邪魔にならないでしょ? いいから口座だけでも教えて」


かあさんから聞き出した口座は実家のあたりの地銀で、そういえばかあさんは昔からこの銀行のユーザーだったな、とぼんやり考える。

電話を切った僕はパソコンを起動し、すぐに手配をはじめた。


ーでは、次のニュースです。振り込め詐欺と言えば、高齢者をターゲットにしたものがこれまで取り沙汰されてまいりましたが、若者がSNSで気軽に素性を晒していることに目をつけ、若者をターゲットにした詐欺が横行しているようです。元交際相手を装う、中には親を装う手口もあるようで、これは櫻井さんの世代も他人事ではありませんね…

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