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宵越しの夢は宝石商に

 掌が熱い。耳も頬も足の底から頭まで、全身が燃え滾るほどの熱を持っているのに、頭の中だけが冷めている。

 割れるような歓声を背中で浴びているのに、耳の底には大きな空白が残っている。

 後ろを振り返ればきっと、今にも落ちそうなくらい身を乗り出して賭博人たちが腕を高く振り上げている。





 どこかのテーブルで切り刻まれたような叫び声と、コインが冷たいステージに転がり落ちる音が通り過ぎて行った。

 燦燦と輝く絢爛なシャンデリアに映る沢山の貪欲な瞳が、挑発するように(カジノハウス)を揺らす。



「アニス、初戦はあなたの負けよ」


 格好の獲物を見つけた蛇が美しい鱗を見せつけるように、深紅の唇を歪ませた。


「望むところです」







 その場所は何も知らなければ大通りの隅に立ち並ぶ、広壮な屋敷のひとつだった。


居酒屋が男衆の笑い声で溢れ、すっかりと空が藍色に飲み込まれてしまった頃合いに、歩き慣れない人波を縫ってひっそりと裏通りから向かう。警戒を解いてはいけない、と何度も後ろを振り返っては、夜風に泳ぐ一張羅のワンピースの裾を翻して足を速めた。




 違和感なく背景に溶け込んだ屋敷は、周りの建物に遜色なく華やかでまともに見える。暗がりでもわかる大きな薔薇庭園からは、傍を通り過ぎるだけでも鼻孔を擽る甘い匂いが届く。隣国の王朝様式の壁装飾に負けないほど豪華なステンドグラスの窓から漏れる光は、傍から見れば暖かく幸福の色に思えたほどだ。だがあの光の中にいる人間の顔は必ずしも幸福に満ちているとは限らない。


 拳を握りなおし、胸元につけたブローチの存在を確かめてから門の扉に手を伸ばした。




 勇んだライオンのドアノッカーを叩いてしまったあとは、もう進むしかない。


 重厚な玄関では、何も生けられていない花瓶が出迎えてくれたほか、ただひたすらに長い廊下がまっすぐに続いている。緊張を紛らわせるために、何度も読み込んだ招待状の道順を頭の中で反芻させた。迷わず真っ直ぐ進んだ廊下の突き当たりの部屋の向こうでお待ちしております。迷うどころか一本道だが、恐らく道に迷うという意味ではないだろう。



 廊下の片側はステンドグラスの窓が続いており、見知ったはずの街の欠片が果てしなく遠い世界のように閉じ込められている。金糸で花模様が端正に織り込まれた赤い絨毯に、靴の裏が少し沈んで歩くたびに転びそうになる。 


 見かけは立派な邸宅だったというのに人の声どころか気配すら感じない。なぜだか音を出してはいけない気がして、ゆっくりと踵から足をつけるように歩いた。まだ何も悪いことはしていないというのに。






 1,2,3,と心の中で数えてを扉を開けるとそこには、玩具箱をひっくり返した様な眩しい空間が広がっていた。深みのある真っ赤な紅と、底なしのような漆黒のチェックタイルは磨きあげられ、美しいシュガーツイストの足を持つ金縁テーブルには今にも倒れそうなほどのチップが高く積み上げられている。広いホールでは既に各テーブルでのゲームが白熱しているようで、美しい老若男女が爛爛とした瞳で卓上を睨んでいた。


 出入り口のカウンターから左右に伸びた通路の先は、そんな賭場人たちを囲うようにホールをぐるりと一周、二周と螺旋階段状に続いており、全てはゲームを愉しむ観客たちのための高等席となっている。絢爛な刺繍の施されたボックス席は既に立ち見客や観客同士でゲームをする者たちで埋め尽くされており、波のように沈んではまた歓声や唸り声をあげるのを繰り返していた。


 チカチカと跳ねる光に目が眩んでいたら、出入り口横のカウンター前に立っていた正装の男性が腰を折って頭を垂れた。



「アニス様でいらっしゃいますね」

「えっ?あ・・・・・・、はい。そうです」

「お待ちしておりました。何か飲まれますか」


 場に似つかわしくない穏やかな笑みを向けられ、男性の手の先には上質な漆のカウンター、その後ろのシェルフからはそこらの居酒屋では一生目にすることもないであろう高価そうなワインのラベルがこちらを向いている。一瞬喉の底から情けない声が出そうになるのを堪えた。


「いえ、大丈夫です。ところであの、」 


「へえ、誰かと思えば親方(マイスター)の嬢ちゃんじゃねえか」

 振り返ると体格の良い、作業着姿の男性が立っていた。


「知らねえよな、おれはアランだ。隣国のフェニールの商人さ。おまえさんのことは知ってるよ、がらくた姫だろ」

 フェニールらしく少し赤みがかった髪色がよく似合うが、商人らしからぬ格好をしている。フェニールは商業が発達した国で商人はそれなりに裕福だと聞くが、この服は趣味か。


「ここに職人階級がくるなんて珍しくてさ、あっちで話してたんだ。そうだ、賭場券はもう買ったか?観客が挑戦者に賭けられんだよ。あっちで買うんだ」


 人のいい笑顔を浮かべながら観客席の方へ案内しようとする背中に、できるだけ平静を装って声を出した。



「いいえ。私は挑戦者としてここに来たので」


 すると、アランは途端に目を丸くして驚いた。

「えっ?挑戦者って、あの中央の卓でVIP達と戦うやつだぞ?嬢ちゃん、はじめてだろ?とりあえず今夜は一戦見ていった方が良いと思うけど」

「お気遣いありがとう、でも大丈夫です」

「いやいや、本当にここはまずいぞ、だってほら」


 自分が出場しろとでも言われたかのように早口で強者の名前を並べ始める様子は、逆にこちらを落ち着かせてくれた。もしかしたら良い人かもしれない、と思いはじめたところで、アランの声に被さる凛とした声が強く場を撃った。



「いいじゃないの。職人だろうが初めてだろうが、とりあえず1回おとなしく観なくちゃいけないなんてルール、ないんだから」


 聴衆のざわめきが止まり、狙撃者は魅惑的な赤い唇を上機嫌に引き上げた。

 星屑を散らしたような濃紺のイブニングドレスは、美しいブロンズの長い髪を際立たせている。切れ長の瞳は静謐さをたずさえる翠を秘めており、その瞳だけで周囲を圧倒していた。


「ここ(カジノ)はルールの隙間をかいたもの勝ち、愉しませたもの勝ち。そうでしょう?ディーラー」

 カウンターの若い男性に問いかけると、瞬きもせずに肯定した。








「あなたはポーカーが好きなの?」


 数分前までは私のものだった10万分のコインを指先で弄びながら、メリュジーヌは無花果のような酸味と甘味を滲ませた声で問いかけた。


 ベルベットにカトリューシュの装飾がついた豪奢なソファは彼女のために誂えたかのように似合い、深く腰掛ける姿はまさに食事ができあがる最良の頃合を待つ女王のようだ。


 私は初戦で選んで負けたポーカーで2戦目も挑んだ。

 3回勝負で私が相手してあげるわ、というメリュジーヌの言葉に、私よりも誰よりもあの場で驚いたのはアランだった。やめとけ、という制止を丁重に跳ね除け、女王の提案に乗り、あっけなく初戦ではワンペアとフルハウスで惨敗した。



「いいえ、これしかルールに詳しくないの」

「あら、そうなの。面白い子ね、勝ちにきたんじゃないの?」

「もちろん。女王様のカードは今、フラッシュでしょう」


 カジノでは珍しくない、マークドデックと呼ばれるカードは裏面にわかりにくい形式でスートと数字が書かれている。初戦でそのマークさえ覚えてしまえば相手のカードを把握することは容易である。

 女王様は楽しそうに「なかなかやるじゃない」とワイングラスに口をつけた。グラスが光をうけて反射して揺らめく。美味しそうに飲み干して、傍にいたボーイを呼びつけてもう1杯ね、と微笑んだ。


「でもそれを解いてしまったことを言わなければよかったんじゃない?」

「いいえ、私はこれから賭けますので」


 ダイヤの3を上にして手持ちのカードをすべて重ね、テーブルに置く。このまま下からカードをすべて交換したら、私のレイズは終了する。

 ディーラーには裏面を覆うようにカードを渡してもらい、私はそれを見ずにダイヤの3の下に置く。



「ふうん。そんな運任せじゃない方法はほかにもあるけれど、いいの?」

「女王様との戦いなら、このくらいじゃないと」



 同時のコールで、メリュジーヌのカードはハートで連番をそろえたストレートフラッシュ。そしてゆっくりとディーラがめくった私のカードも、ダイヤの3を筆頭にしたダイヤの連番のストレートフラッシュだった。

 全身が火照るのを必死に惑わしながら、精一杯の笑みを浮かべた。



「悪運が強いのね、がらくた姫は。最終戦の覚悟はいい?」


 長い睫毛を下に伏せ、メリュジューヌがとくとくとアマレットの香りを振りまきながら上質なソファにもたれた。

ディーラーが馴れた手つきでカードを配る。足を組みなおして一息つき、「あなたはどうしてここにきたの」と底の見えぬ翠を輝かせる。


「がらくたを宝に変えるために、です。最近うちの国の貿易法が変わったのはご存知ですか」

「そうね、一部制限がついた。 ・・・・・・レイズ」

「私の家は金細工職人です。制限のうちにはいった金は、大打撃でした。レイズ」


 わが国ルーデンスは職人の国と呼ばれ多くの職人が在籍し、輸入した材料を基に職人たちが作った製品を売りに出すことで国益を得ている。

 しかし近隣国との貿易悪化により輸出入の規制が入り、主としていた金銀の入手が難しくなり、商売が困難になったのだ。

 幸いにして商人から海沿いの町では私ががらくたとして集めていた石たちが加工技術により美しい宝物として重宝されているという話を聞いた。渡航すればチャンスがある。

 唯一の肉親であり棟梁だった父をなくし、国政悪化によりどこも金に喘ぐなか、渡航費のためにたどり着いたのはここ、カジノだった。


「それで、あなたはどうしたいの?レイズ」

「隣国に渡り、その石の加工技術を学びます。その渡航費がどうしてもほしくて。レイズ」

「あなたは若くして、一家の棟梁なのね。・・・・・・立派だわ。じゃあ最終戦、賭ける額は?私は、コールよ」

「もちろん、あるだけです。・・・・・・コールで、お願いします」





 勝敗はどことなくわかっていた。手元のカードは何度呼び寄せても期待したものがくることはなく、私はスリーカード、メリュジーヌは美しくロイヤルストレートフラッシュで最後を告げた。

 聞こえないふりをしていた観客たちの野次が途端に耳に届く。溢れそうな眼底の熱さを堪えるのがやっとだった。

 一夜の夢を見させてくれたメリュジーヌに深く頭を下げると、その美しく細い指で頭を少しなでてくれた。


「この先の廊下が分かれ道になっているの。右に行きなさい」

「・・・・・・右?」

「ええ。きたときはまっすぐだったでしょう、でも帰りはあなたの勝敗に決まるの」

「勝敗?でも私は、負けたはずです」


 女王様は軽やかに、そして楽しそうに背中を押した。


「ここではね、敗者だろうと愉しませたもん勝ちなのよ。忘れたの?観客の賭場券は、挑戦者に賭けるものなのよ。あなたはあなたにベットされた掛け金を受け取る資格があるわ」



 いいわね、あなたのような強く面白く楽しい人には、みんな惹かれるものなのよ。きっとあなたなら新しい石を美しく作る技術を得られる。

 この世はね、楽しんだもの勝ちなのよ。





「ふふ、夢のような一夜でした」

「夢じゃない、あなたがかなえたんでしょう。アニス」

「また私がここにきたら相手をしてくれる?」

「そうね、そのときは掛け金にあなたの美しい石を使ってもいいわ」



 館を後にしたときにはもうメリュジーヌのドレスのような宵色はあけていて、かわりにほのかな薔薇の香りとうっすらとした透き通った青が見えていた。がんばらなくてはいけない。でも、楽しまなくてはいけない。私の作ったものを楽しんでもらわなくてはいけない。メリュジーヌの瞳のような空は、あの絢爛な賭場よりも輝いて見えた。


掲載時間23時58分なので許してください。本当にすみません。

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