旧友との未来
1 大地
中学校では写真部に入った。最初は必死に構図や素材の選定に励んでいた。だが、構図の選定のみが僕の頭を揺さぶるのみで、写真を撮ること自体には何も魅力を感じなかった。そのうち構図の妄想は写真という枠を飛び越え、暗室は僕の妄想を広げるための秘密基地と化し、頭の中に楽園を描くだけの生活していた。我ながら勉強はできた。だが、一流の進学校に進学するために放課後に残っている人を見ても、僕には彼らが必死に優等生を演じているようにしか見えなかった。演技の才能がある彼らなら、どこかの劇団に入って表現力を磨いたほうがよっぽどいいと思う。
僕は高校の進学先に特別に興味があるわけではなかった。自由が保障されればいい。どんな高校に行っても自分がやることには変わらない。校長が誇らしげに掲げる高校の歴史の刻まれた校章からラベル以上の意味を僕は見いだせなかった。僕は結局、奨吾と美姫と同じ高校に行くことにした。それが高校進学の唯一の価値だった。2人とは小学校の時から仲が良かった。出会う前からずっと一緒にいた気すらした。奨吾は一緒にいるときはずっと笑わせてくれる。美姫も一緒にいて楽だったし、何より明るい性格でいつも励まされていた。2人は特別な存在だ。そして、2人にとっても僕が特別な存在でいてくれるのであれば、これ以上の喜びはない。
高校では美姫と同じクラスだ。奨吾は隣のクラスになり早くも友達を作り、仲良くやっている。うちの高校は部活に入らなきゃいけないという鬼畜じみた縛りのない正常な高校だった。僕と美姫は部活に入らなかったが、奨吾は小学校から続けているバドミントンを高校に入ってもまだ続けている。この高校はバドミントン部が県内でも屈指の強豪らしい。そんなバドミントン部だからか、当然練習で毎日下校の時間は遅い。
「奨吾、今日も部活?」
「ごめん、今月末大会あるから部活忙しいんだよな」
これまでは学校が終わるとよく3人で帰っていたが、高校に入学してからは奨吾とは帰る時間がずれ、美姫と2人で帰る日が多くなった。奨吾はいつも僕たち2人を楽しませてくれた。僕の生活には起こりえないような面白い出来事が1日に何回起きれば、奨吾のような愉快な話ができるのだろうか。彼の感性が少しうらやましい。
「奨吾忙しそうだね」
「そのようだね」
「そういえば、奨吾に彼女できたらしいよ。わたし知らなかったけど。」
「僕も初耳だ。部活ない日も彼女と帰っているんだろうな」
3人揃って帰る時間に変えられるものはないが、今みたいに2人で帰るのもそれはそれで楽しい。奨吾の話を楽しむのではなく、美姫との時間そのものを楽しむ時間。学校の校門からつながる、地面が枯葉に覆われている河川敷を他愛もない話をしながら二人でゆっくり歩く。朽ちた灰色の町に夕焼けが色彩を与え、その情景が僕たちを溶かす。
「ねえ、ちょっと寄り道しない?」
「いいけど、どこに?」
「うーん、内緒」
美姫はとても友達思いの優しい性格だが、彼女の言動からどこかミステリアスな雰囲気も醸し出しており、それが彼女の魅力でもある。連れてこられたのは、僕たちがよく遊んでいた自宅近くの公園だった。ジャングルジムやシーソーなど、様々な遊具がぽつぽつとあり、その周りには花壇とベンチが置かれている。花壇には様々な色彩を持った花が咲き乱れ、モノが置かれているだけの空間を、温かみのある憩いの空間へと昇華させている。ここには5年くらい近づいていない。そもそも公園は、好奇心旺盛な活発な少年少女のためにあるものだ。本来は場違いな僕たちは公園のベンチに2人並んで腰掛けた。幸い、僕たちの他に人の姿はない。今だけは僕たちの空間だ。
「私、考え事するときとか、ボーッとしたいときにここに来るんだよね」
「そうなんだ」
ミステリアスな雰囲気というものは、隠されて時初めて効果を発揮するものだ。いつもは明るく笑顔の絶えない美姫だが、今はその面影がない。表に露見したミステリーは本来の形を保てず、僕の目には悲しげに写った。
「あのさ…」
そう言うと、美姫は、話すのをためらうように深呼吸をした。
「やっぱりなんでもない。忘れて。」
その時の美姫の表情はさっきのミステリアスな悲しみとは違い、屈託のない笑顔で笑っていた。
忘れて、なんて言われたら余計忘れられないのが人間の性である。美姫が何かに悩んでいるのかもしれない。翌日、あの時感じた不穏な何かが表に見えることもなく、今まで通りの美姫がそこにいた。しかし、表情はいつもと変わらなくても、周りの目がどこか冷たい気がする。美姫が僕の視線に気がついた。
「おはよう」
「おはよう」
交わした会話はそのくらいだった。昼休み、クラスメイトから話しかけられた。
「大地さ、美姫と仲良いよね?」
「まあ、そうだね。それがどうしたの?」
「美姫のうわさ知らないの?ツイッターの裏アカで援交してるのばれたらしいよ。」
援交?この前の違和感の正体はもしかしたらこれが原因なのかも知れない。内容が内容だけに相談できないことだろう。美姫はそんなことするような人ではない。それは一目瞭然のことだろう。それでも、彼女は周りの友達から敬遠され始めていた。授業が終わり、隣の教室を除いても奨吾はいない。例のごとく部活で汗を流しているのだろう。今日も帰る時間が同じだった。聞くなら今だ。
「美姫、最近何かあったのかい?」
「ん?いや、毎日普通だよ。」
「友達から聞いた。なんか変なうわさが流れているようだけど。裏アカがやばいって。」
「なにその噂。わたし知らないよ。裏アカも持ってないし。」
美姫は笑いとばしているように見えるが、その笑顔の奥に無機質な匂いを感じる。僕は、それ以上踏み込んでいいのか躊躇した。
「そうだよな、まあいいや」
正直、僕はこのうわさには何か裏があると思っていたが、美姫と直接話して、これは本格的に何かあるなと感じた。このうわさは嘘だ。誰がこんなことしているのかを探るべきなのかどうかすら疑問だが、とにかくこの疑惑は白黒はっきりさせないといけない気がした。
2 奨吾
大地と美姫は俺にとってかけがえのない大切な仲間だ。二人とは小学校の時から一緒だったが、それよりもずっと前から知り合いだった気がする。一緒にいてとても楽しい、気の置けない大切な仲間だ。そして、俺と大地は美姫を守ってやれる数少ない男たちであるという自負がある。美姫を守るために、俺はひそかに心に甲冑を着た。
奨吾は早寝早起きの健康的な生活を送っていた。誰よりも早く学校に来て、朝の新鮮な空気を楽しみながら課題を片付けるのが自分の日課だ。そのうち、なにも用がなくても朝早く学校に来るようになった。高校に入ってからも続けようと思っていて、高校入学初日も中学生の時と変わらない生活リズムを保っていた。学校につき教室をのぞくと、すでに教室に誰かいる。窓際の席に座って本を読んでいる。清純な雰囲気を持った、「かわいい」というよりかは「きれい」という言葉が似合う。見つめると思わず吸い込まれてしまうような大きな瞳を持ったロングヘアの似合う高校生だった。彼女は奨吾に気が付くと、こちらを向いた。
「あの・・・同じクラス?」
「たぶんそうだな」
「朝早いね」
「君ほどじゃないけどね」
「名前は?」
「奨吾。君は?」
「私はしおり。よろしくね」
そういうと彼女は僕に向かってほほ笑んだ。朝日が窓から差し込み、彼女の表情をぼかしたが、彼女は太陽の輝きすら取り込み、神々しさを増して奨吾の心を照らした。
しおりは将棋が好きらしく、部活も将棋部に入っていた。朝早く来て読書をし、放課後も部活に参加してから帰るので、バドミントン部で忙しい奨吾と変える時間帯は重なる。次第に二人は時間が合えば二人で帰るようになり、将吾は密かにこの時間を楽しみにしていた。
「ほかの友達と帰ることってある?」
「最近はないな。小学生の時から仲いい友達が2人いるんだけど、中学生までは一緒に帰ってたけど、高校に入って二人とも帰宅部だから一緒に帰ることなくなって。」
「そうなんだ。なんて名前なの?」
「大地ともう1人が美姫っていうんだけど、知らないかな。2人とも隣のクラスなんだ。知ってたりする?」
「美姫は知らないな。大地ってもしかしてテストで学年1位になったりしてる?」
「そうそう」
正直、連日の部活で疲れ果てているから早く帰りたいという気持ちもあるが、彼女との時間が少しでも長く続くのであれば、いつもは辛さしかない鉛のように重い足も自分に味方してくれている気がした。彼女への気持ちは、抑えようとすればするほど無邪気な子供のように体内を暴れ回った。関係を崩したくないという失敗への恐怖が壁となり、将吾をここまで踏み留めさせていた。しかし、もうすでにそんなものでは止められないと自覚した。自分の気持ちを伝える決心をした。
結局、しおりと今までより深い関係になることができた。しおりはその静かで可憐な外見とは裏腹に、誰よりも俺のことを必要としてくれるし、誰よりも深く愛してくれた。こんなに綺麗で、一途な彼女を持てて、俺の高校生活は最高だ。恋は、周りの視線をその意図にかかわらず羨望のまなざしに変え、周りの空気をバラ色に塗り替えた。それからは、自分がこの世界を操っているかのような優越感に浸りながら、浮世のような毎日を送っていた。
秋も終わりに近づいてきた。木々は枯れて、1年で一番モノクロに近い時期に差し掛かった。しおりはあいかわらず一途な彼女だ。しかし、少し前から束縛が激しくなってきた。「一途」という名の妬みは成長し、束縛というべき範囲にまで入ってきた。例えば、俺だって人付き合いでほかの女子と話すことは誰にでもある。が、一通り用事を済ませ、しおりと一緒に帰っているといちいち「あの女誰?」と根掘り葉掘り聞いてくる。少し前までのバラ色の空気はすっかり枯れて、現実を突きつけられたみたいだ。そして心配なのは美姫だ。美姫とはとても仲が良く、結構学校でも話していた。その分、しおりも美姫の存在が気になるみたいだった。
ある日、美姫に呼び出された。しおりから脅迫じみたメールが届いていたらしい。正直この事態は予想していなかった。俺はしおりに問いただした。しおりはメールを送ったことを認め、大人しく謝ってきた。
それから大体1か月後を境に美姫は学校に来なくなった。そして、美姫に関するうわさをしおりから聞いた。
「前に将吾が話してた美姫って子の裏アカがバレちゃったんだって。そのせいで援交やってるのバレたらしいよ。奨吾、美姫ちゃんと仲良かったよね?あんまり美姫ちゃんに関わらないほうがいいかもよ?」
「そのうわさ流してんのお前だろ」
「そんなわけないじゃない」
「誤魔化してもダメだ。おまえ、俺に関わった女子全員俺から遠ざけるつもりだろ。前のメールのことといい、やることがあくどいぞ」
一気に表情が陰る。しおりは無理やり絞り出したような声で言った。
「…もちろんあなたのためにこんなことしているのよ?本当はこんなことしたくないのに。あなたがいろんな女の子と話したりして、私を心配させるからこんなことをしなきゃいけなくなるの。美姫ちゃんがあんな目にあったのは、あなたが私にさせたことなの。奨吾、あなたのせいなのよ?わかったら、私を愛して。それだけでいい。それ以外は私たちにはいらないのよ。そうすれば美姫も救われる。わかった?」
その言葉は強い意志を内包し、俺の中を駆け巡っていた。うっすら感じていた影が俺を襲う。もし、ここで拒絶したら何をされるかわからないし、美姫にこれ以上何かがあったらあぶない。いまするべきことは美姫をこれ以上傷つかないように守ることだ。
「・・・わかったよ」
結局恐怖に負けてしまった。だが、それでも俺は甲冑を捨ててはいけない気がした。その日の帰り道は、陽も沈んだ殺風景なものだった。寒さがただ俺の体を蝕んだ。
3 美姫
嫌がらせはされている方も辛いけど、している方も辛いと思う。なぜって、嫌がらせしないと発散できない何かを抱えていきているのだから。でも、いじめっ子は悪者であることには変わらない。悪者は成敗してあげないといけない。その人がその人自身の幸せに向かって歩き出せるように。
私は、近くの高校に進学した。特にやりたいこともあったわけでもなく、ただ友達と遊んだりする普通の高校生活が欲しかった。望んでいた高校生活は大方手に入った。理想的だ。
夏が終わりを迎え秋が近づいてきた時期に、将吾の彼女を名乗る女からメールが届いた。
「奨吾は私の物。そして私は奨吾のもの。私たちには私たち以外の人はいらないの。だから奨吾に近づかないで。」
奨吾に彼女がいるのは知っていた。奨吾と同じクラスで、美人。その美貌は学校中を席巻していた。私はしおりと直接話したこともないし、連絡先も知らない。そんな彼女が何の目的で、わざわざメールを送って来たのだろうか。とりあえず、奨吾に相談してみよう。何かがわかるかもしれない。
私は昼休みに奨吾を呼び出して、メールのことについて相談した。彼によると、美姫にメールが送られていたことは知らなかった、しおりに美姫の話をしたことはあるが連絡先は教えていないということらしい。このままだとちょっとめんどくさいので、奨吾がしおりに聞いてみるということでまとまった。奨吾がしっかり注意してくれたのだろうか。それ以降しばらくはメールが来なかった。
1ヶ月後、友達とベランダで楽しく弁当を食べていた時に、しおりからメールが届いた。
「今日の放課後、話がある。教室に残って私を待ってて。」
このところ音沙汰なかったが、急にこのようなメールが来ると、奨吾と何かあったのではないかと頭を巡らさざるを得ない。その時はみんなでいても、私は1人で座り込み、何かを考え込んでいた。
その日の放課後、しおりと初めて直接話した。しおりはなんだかやつれているように見えた。しおりはこちらに近づいてきて、わたしの目の前に腕を組んで立ちふさがった。
「あなたが美姫?」
「そうだけど」
いつもはおしとやかな美人という印象の彼女だが、今日は全身に怒気を纏っていた。正直、わたしの何が彼女の逆鱗に触れたのかわからない。
「なんで今日あなたを呼んだのかわかる?」
「わからないわ」
「そんなわけないでしょ!」
突然、怒りをぶちまけるしおりに私は驚いた。
「あなた、私のメール読んだでしょ?それでもわからないの?奨吾にとってあなたは邪魔でしかないし、私にとっても同じことなのよ。奨吾から離れて。すぐに。」
「いやよ。なんであなたのいいなりにならなきゃいけないの?」
しおりは小刻みに震えながら、わたしに彼女の中でされた黒い塊を投げつけてきた。彼女には奨吾しか見えていない。私を含め、それ以外の人間は彼女にとってガラクタでしかないんだろう。そのガラクタであるはずのものが自分の視界に割って入り、奨吾の面影を少しでも欠けさせることが我慢ならないのだろう。
「私はあなたのために生きているわけじゃない。あなたの都合なんて知らないよ」
「そう、じゃああなたが二度と奨吾の前にあらわれないようにしてあげる。楽しみにしててね。」
彼女は不気味に笑いを浮かべながら教室から去った。その日はたまたま大地と帰る時間が同じだったから一緒に帰れた。ちょっと今日のことを相談しようかと一瞬思って、すぐさまこの考えを頭から消した。私と大地は中学生の時の溜まり場だった公園に腰掛けていた。あの女のことだから、多分このことを話したら大地も巻き添えを食らうかもしれないし、第一まだ私にも何も起こっていない。正直に吐き出したかったけど、今日は何も言わないことにして、笑顔でごまかした。
翌日、学校に行くと不穏な空気を感じた。仲の良いクラスメイトに挨拶してもどこかそっけない。いつも通りなのはせいぜい大地くらいだ。何かあったのか聞こうとしても、話しかけようとしたらみんなそっぽを向く。もしかしたらしおりの仕業?なぜ一晩でこんなことになっているの?この日の帰り、大地が奇妙なことを聞いてきた。
「友達から聞いたんだけど、なんか変なうわさ流れてんじゃん。裏アカがやばいって。」
帰宅後、決定的な証拠となるメールが送られてきた。
「今日の学校楽しかったでしょ。あなたが裏アカで援交してるってうわさ流したのよ。ちゃんとそれらしいアカウントも作っておいたわ。もう私たちの邪魔をしないでね」
4 自分
美姫のうわさが瞬く間に広がり、美姫は学校に来なくなった。本来、明るく笑顔の絶えない人気者だった美姫は、奨吾に嫌われたくないというしおりに巻き添えを食らってしまった。しおりは今も天使の羽衣を着込んで生活している。しおりの本性を知ってしまった奨吾は、鎖を首につながれたままだ。奨吾と同じバドミントン部の部員に話を聞いたら、しおりによる束縛はかなり激しく、学校にいるときもほかの女子と話していないか見られているし、家に帰っても連絡が止まらないと嘆いていたそうだ。
僕は3人で高校生になっても、その先もいつまでも楽しく生活していくものだと思っていた。でも、たった1人のせいでバラバラにされてしまった。人生は100万回以上も選択を迫られるが、最終的にたどり着く場所はどの選択肢を選んでも一緒だと誰かが言っていた。もしかしたら、僕たち3人の別れる運命だったのかもしれない。でも、こんなことで楽しい時間を奪われるのは嫌だ。僕にとってはみんな大切な存在だ。僕たちのこれからの時間をしおりから取り返そう。
翌日の昼休みに大地に呼び出された。しおりに気づかれると面倒なので夜に二人で電話して話すことにした。
「まあ、あのうわさを広めたのはしおりらしいね。しおりは束縛激しすぎるんだよね。正直別れたいんだけどさ・・・」
「何かしらをする必要はある。ただ、どうすればいいか・・・」
「とにかく、このままじゃ何も進まないし、しおりから離れるための手段が必要だね」
「ただ別れるって言ったって、何も変わらない」
「俺がしおりと話をする。とにかくそうやって話するしかないんじゃないか?」
「・・・そうだな」
すっかり冬になっていた。町中でクリスマスムードが盛り上がっていた。授業が終わった後の放課後、しおりは奨吾と一緒に僕のクラスの教室へ呼んでもらった。クラスの窓彼見えたしおりは、きれいにまっすぐ伸びた黒髪を、赤と緑の白いシュシュでまとめていた。黒髪をなびかせ、楽しそうに奨吾に話かけていたが、奨吾の顔は、退屈な会話を表情でただ聞き流している様子で、前を見据えてただ返事をするだけだった。しおりは教室に入った途端、奨吾に対して向けていた笑顔が一気に冷え、邪悪な雰囲気を醸し出した。しおりにとって奨吾との時間が何よりも大切な時間だ。その時間を僕が邪魔しているのだから、僕への視線は冷たいのは当然だ。しおりは僕を一瞥し、口を開いた。
「何?私たちはやく帰りたいんだけど」
「いや、すぐに終わることだし、なんで呼ばれたかわかるでしょ?僕と美姫のことは奨吾から聞いてるだろうし」
「なにをいまさら。美姫が奨吾との仲を邪魔するのが悪いじゃない」
当然と言わんばかりの口調だった。その思いだけ突っ走ってきているのだろうから、簡単には考え方は変わらないだろう。すると、隣にたたずんでいた奨吾が口を開いた。
「なんであんなことしたんだ?そこまでしなくてもいいと思うけど」
「奨吾には私がいるじゃない」
「だからほかの女はいらないってことなのか?」
「そのとおり。私は奨吾のためにいるのよ。だから奨吾も私のためにいてほしいの」
しおりの考えていることが分かった気がする。しおりは孤独で穴だらけなんだ。周りの人も、自分すらも許せないんだろう。心の穴をふさげず、ボロボロのままの心を抱えたまま育ってきた。だからこそ、心を許した奨吾に対してこんなに執着し、奨吾に心の穴をすべて覆ってもらう快感が忘れられなくなる。これは孤独から生じたある種の中毒だ。そして、心を覆われて、周りのことも見えなくなってしまうのだろう。
奨吾はとても面倒くさそうな表情を浮かべている。奨吾にはきっとしおりの心が理解できない。奨吾はおそらく正反対の人間だから。みんなが好きで、みんなに好かれてきた人だ。
「なんで俺なんだ?俺だけに執着するんだよ」
「奨吾が初めて私に優しくしてくれた人なの。みんな下心しか見えないのよ。私のこと利用しようとしているの丸見えなのに。わかっているのに。でも奨吾はそんな人ではない。あなただけが私の光なの」
このままではらちが明かない。僕は二人の会話に横やりを入れた。
「しおりってかわいそうなやつなんだな」
しおりは眉間にしわを寄せ、頭にきている様子を隠そうともしなかった。
「は?」
「自分で自分の穴をふさげない、自分の許せないところをほかの人に許してもらおうと必死だったんだろ?度もそのたびに利用されて、結局穴は広がっていくばかり。悪循環そのものだよ」
「あなたが私の何を知ってるの?」
「何も知らない。でも、奨吾に執着するのはそういう背景があるのかなと思っただけ」
「知った口きかないでよ」
「美姫もその延長線上でしょ?自分の心の穴を埋めるために、自分が優越感に浸るために一方的にあんなことをして、その異常性に自分で気づけないなんて。自分の苦しみを他人にぶつけるなよ」
しおりは顔を真っ赤に染め上げ、大きな瞳を潤ませていた。まだまだ言いたいことは山ほどあったのだが、それを今度は今まで黙って僕らの話を聞いていた奨吾が代弁してくれた。
「そんなことをする前に、自分で自分を許す努力をしろよ。他人に尽くしてもらうだけの赤ちゃんに振り向く奴なんかいねえよ。俺に頼る前に、自立しろ。俺はもうしおりには疲れた」
しおりには自分のことから逃げてほしくなかった。今まで逃げてきた付けがここで出てきているんだから。僕らの言葉は少し言い過ぎかもしれないが、これくらい言わないといけない気がしたし、それは僕と奨吾の間でも共通の意志として共有されている気がした。しおりのまっさらな肌には涙が流れ、彼女の顔をゆがめていた。奨吾が最後にしおりに向けて惜別の言葉を放った。
「しおりが自分のために生きるためには俺は邪魔な存在になると思う。だから、別れよう。俺のためにも、しおりのためにも」
そういうと、奨吾は僕に目配せし、僕たちは教室を後にした。
5 真実
終わった。何もかも。奨吾は私の光だった。出会ったときに、この人なら私を救ってくれるかもしれないと思った。私にとって奨吾は救世主だったのに。結局そうではなかった。彼らが言っていることが正しいのはわかる。でも、そうするしかなかった。そうしないと私がいなくなってしまいそうで怖かった。そして、美姫を陥れてしまった。それでも強がるしかなかった。私はこれからどうすればいいのだろうか。私は一人になった教室で立ち尽くしていた。窓から見えるグラウンドでは野球部が白い息を上げながらノックを受けている。それをただ眺めることしかできなかった。
「私はあなたを恨んではいないよ」
後ろから聞いたことのある声がした。振り返ると、うるんだ視界に美姫が写っていた。
「あなたの気持ちは痛いほどわかる。私も前世ではそうだった」
前世?冗談を言っているような口調でもないが、何を言っているのか理解が追い付かず思考停止する。
「私には前世の記憶があるの。私の前世は一国のお姫様。もちろん大切に育てられてきた。だけど、外に出てみると、周りの人はみんな姫という身分を妬ましく思っている人や、その立場を利用としている人ばっかりだったの。悪意に触れると、人って簡単に壊れるのよね、私はすぐに表には出なくなったし、人を信用しなくなった」
彼女の言っていることはにわかに信じがたいが、その立ち振る舞いや言葉にはどこか高貴さを感じる。
「結局、私は政略結婚させられて、そのままいいこともなく死んだ。でも今は幸せよ。今の状況はあの時と似てるけど、それでもあんなところよりもずっと自由だし、苦痛もそんなにないし」
気づけば私は泣くことも忘れてただ美姫の話に聞き入っていた。美姫の言葉にはどこかおばあちゃんのような説得力があった。そしてその言葉は私の心を前向きにさせてくれた。私はこれまで自分のことを許せなかった。でも、この人のおかげでまた新しい自分に出会える気がした。
「あなたは確かにやってはいけないことをしたわ。あなたはこれから生まれ変われるかの分岐点に立っているの。あなたを一番大切にするべき存在はあなた自身なの。それができるようになるまで私も手伝ってあげるから。さっきはあんなこと言っていたけど、前世から私と一緒にいる2人の騎士たちも同じことを思っているから」




