表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/39

2人の世界の始まりは

幸介編

雨の匂いに誘われ、紫陽花は嬉しそうに彩りを増していく。そんな自然の美しさにも気づかずに窓を背に、ソファに横たわり携帯をだらだらといじっていると突然メールの通知がピロンときた。

画面には、いかにも迷惑メールのような文面で「100万ドルの報酬を差し上げます。」と件名には書かれていた。「詳細はここのhttp://dokumenohime.comをタップしてください。」とこれまた簡潔に記載されていた。

100万ドルかぁ。ドルにされるとよく分かんないけど欲しいなあと独り言をぶつぶついってたらスマホが手から滑りそうになり、落とさないように持ち直そうとしたらこのURLをタップしてしまい「100万ドルの報酬を差し上げます。」の件名から再び返信がきてしまった。開くことを躊躇っていたけど、読むだけならいいだろうと考えた。



「突然で申し訳ありません。私は今とても困っています。私の孫娘であるユキカを助けてください。もうかれこれ5年も無口で無表情な状態が続いているのです。どうかお願いします。ずっとこんなユキカを見ているのは本当に辛いのです。カウンセラーに診察を受けたり、アニマルセラピーや薬物療法など思い浮かぶ手段を試してみたのだが、効果は全く見受けられませんでした。

「お願いします。三城幸介様。あなたのお力が必要なのです。もしユキカを救ってくれたあかつきには、最低でも報酬金100万ドルはご用意させていただきますので、どうか私たちの所に来てユキカを救ってくれませんか?」

ユキカ?無表情?なぜ私に救いを?報奨金100万ドル?そんなの怪しすぎる。

やはりこのメールの内容がどうしても信じられないから、とりあえず一回携帯を放置してひとっ風呂を浴びることにした。

風呂から上がり怪しいメールが来ていたのを忘れて携帯をまた覗いてみると、もう1通先ほどと同じ件名からメールが届いていた。


おそるおそるメールを開いてみる。そこには、「一週間後の日曜日、新宿のBOOK・OFFに来てください。そして店内に展開されている角川文庫の棚の小説「クロッカス」を立ち読みしてください。」と書かれていた。


一週間後の日曜日私は新宿のBOOK・OFFに来ていた。このメールのことをすっかり忘れていた私は,偶然この日新宿で友達に会う約束をしており、待ち合わせの時間まで暇なのでメールの内容を思い出し、興味本位で角川文庫のコーナーにある小説を探してみると、同じ名前の小説を発見して、いままで疑心暗鬼だったけど急に現実味が増してきて鳥肌が立ってきた。意を決して小説を捲ってみた。その瞬間眩しい閃光が幸介襲い、幸介の魂は本に一瞬で吸い込まれてしまった。


風のささやきと共に潮の香りが鼻腔をくすぐる。体感したことのない心地よさだったので、目が覚めてもふわふわ宙に浮いているみたいだった。


きょろきょろと周りを見渡すと、物ががらくたのようにしか見えない見慣れた景色とは異なり、白を基調として清潔に保たれた部屋で、鈍色の壁面に幾つもの絵画が飾られてあった。全ての絵画には空虚な表情をした動物が描かれていて、ずっと見ていると鳥肌が立ちそうになるほど不気味な絵が並んでいた。やはり夢を見ているのだろうと、頬を思いっきり叩いてみたけどひりひりとした痛みが生じただけで周りの景色は一向に変わることがなかった。

ひとまず幸介は落ち着いて、

この場所に来るまでの時間何をしていたのか思い出すことにした。



確か、スマホでアイドルのような可愛い美少女の咀嚼音の動画を見ていて、「ポッキーよりもトッポの方が可愛らしい音だなぁ。」とニヤニヤしていた時に訳の分からないメールがきて、いらっとしていたのだった。そこからの記憶はあまりにも断片的過ぎてくっつけることが出来なかった。


仕方がないので諦めて、周りの状況を確かめるために城内を探索することにした。

城内は、ほの暗く薄気味悪く感じた。また梅雨とは思えないくらい凍えそうに寒かったので、まずは暖炉を求め歩くことした。

何処を歩いても同じような質素な部屋ばかりだったし生活感はまるで感じられなかった。

今まで冷静だったのがまるで嘘だったかのように絶望感が襲い、ここがどこなのか、いったい私に何が起きているのか。何も分からない恐怖感と焦燥感で冷たい汗が全身に流れ、息が苦しくなり我慢しきれずその場でしゃがみこんでしまった。


もしかしたら、夢を見ているのでなくて死んでしまったのではないだろうか。それならここは天国なのかもしれない。イメージしていた天国とはかけ離れているけれど、天国と考えればなんでもありだと思うからこの状況にも納得がいくかもしれない。目を閉じて、そんな現実逃避の妄想を考えていたとき、肌にそよ風が当たるのを感じた。


誰か住んでいる。ここから出してくれるかもしれない。藁にもすがる思いで風が吹いている方角へ駆けることにした。どうやら風は扉の向こうから吹いているみたいだし、微かにだけど人の気配がした。扉に近づいてくると老人が、誰かに話しかけているようだった。


おそるおそる扉を開けてみると、老人の隣には女の子が寝ていた。その女の子はまるでおとぎ話にでも出てきそうな姫様みたいだった。

マスクをしていたから風貌は分からないけど透き通るような白い肌をしており、寝ているのになぜか黒のドレスを着用していた。


僕は横になっている女の子の隣にいる老人に彼女の身に何が起きたのか、彼女の病気はいったいなんなのか、どうして僕なんかに助けを求めてきたのか尋ねてみた。


老人いわく彼女は、5年ほど前に最愛の夫を亡くし、そのショックで心を失い声も出したり笑ったりすることがなくなってしまったらしい。病名に関しては詳しく分からなかった。そして、なぜ僕なのかという返事にはなかなか納得のいく答えも返ってはこなかった。


そして老人はどこで調べたのか、私の家柄は医療のエリートが多い家系あることを知っていた。ただ私はそんなエリート集団の家系とは違って落ちぶれていた。

メディアにも取り上げられるほどの名高い外科医である父親に憧れていた子供の頃、将来の夢は外科医になることだった。


けれど勉強がとにかくできなかった私は、医療系の大学受験を3浪もしたのに合格することが出来なかった。

両親からは私たちの子供ではない。お前なんかよその家に行ってしまえばいい。家族の恥だなど、罵詈雑言の嵐をずっと浴びてきて逃げるように実家を飛び出してきた。そんな苦い記憶が蘇ってきて少しこめかみがずきずきと痛みだした。


こんな負け犬に姫様みたいな高貴なお方を、私みたいな凡人ごときが救えるはずがないではないかと、この異世界に呼ばれ重たい任務を任されることに憤りすら感じ始めた。

でも目の前に苦しんでいる彼女を見ているうちに、助けてあげたい気持ちが出てきていた。

彼女をどうやったら救えるのか、どうやったら声が出せるようになり笑ったり泣いたりするのだろうかと気が付いたらそればかり不思議と考えていた。


精神的に感情を動かすことが出来ないなら、物理的になら感情を動かすことは出来ないだろうかと考え、まずは姫様に無礼千万を承知で身体をこちょこちょとくすぐってみることにした。

一般の人であれば、くすぐりで笑ってしまう人が大概なはずだったけど姫様はくすぐったい様子を微塵も見せないし笑いもしなかった。くすぐり作戦はあえなく失敗に終わった。


めげずに次の作戦に移行した。笑わせるのが駄目なら、ほっぺたを思いっきり抓って泣かせてみようと考えた。姫様のほっぺたを触ると、もっちりして弾力があり非常に抓りやすかった。

間近で抓られている姫さまを見つめていると、私の顔まで抓られた後のように赤くなっている気がした。力を入れて抓っているはずなのに、姫様は泣かないし泣くのを我慢している様子さえ見てとれなかった。


泣かすことも笑わせることも出来ない。いったい私は何をしにここまで来たのだろうか分からくなって途方に暮れ気持ちが沈みこんでくる。さらに、あまりにも安易な策しか浮かばないみじめな自分に悔しくなり、その場でおもわず泣き崩れてしまった。


そんな様子を見て姫様は私を見損なったのだろう。老人を手で呼び寄せ何か頼みごとをしている。私なんてもう役ただずだから、ここから出て行けと言われるのだろうなぁと悲観的になる。そんなマイナス思考に浸っていた時、一冊の小説を老人が私に渡してきた。

その一冊はどっしりとした重みにある本だった。

「ふたりの世界は傑作を生み出す」という見たことのない小説で、不思議なことに作者が記載されていなかった。

この本を私にお土産としてくれたのか。それとも今読んでほしいのか分からなかった。ただ何もしていないのに、急にお土産として小説を差し出されるのは変なことではないかと気づき、姫様に語りかけようと頁を捲ると今しがた体感したことがある感覚に襲われた。


マッサージ店で身体全身を揉みほぐされているようで気持ちよかったけど、時々身体に激痛が走って耐えきれず涙目ながらに目覚めると、目の前には見覚えのある少女がぽつんと一人で立っていた。目を擦ってその少女を見つめるとベッドで横たわっていた姫様であることが判明した。


同じ人物なはずなのに、醸し出す雰囲気、顏つきが明らかに違っていて別人のようだった。あんなに無表情だった姫様が怒りを露わにしていた。

なぜ怒っているのか心当たりはなかったが、姫様の怒った顔を見ているとなんだか悪い事をしている気がしてきたので、謝罪の言葉を述べようとしたが、それすら言える隙も与えないくらいに怒涛の言葉ラッシュを浴び、困惑して声を発せられなかったし状況の整理も出来なかった。


彼女は無口で無表情のはずでは?それに姫様が私を呼んだ?前の男はつまらなかったから消した?

ここがどこなのか。どうやって姫様を楽しませればいいのか。


何もかも分からなかったけど、姫様の言葉から察するにどうも断ると怖い目に遭いそうな気がしたので、黙って首を縦に振ることにした。


それに姫様が言ったとおり私には夢も希望もやることだってない。だからやることを与えてもらえただけ喜んでもいいのかもしれない。

人生にひょんな出来事だって起きるしいつの間にか分かれ道に立ち、右か左かどちらかの選択をしなければならぬ時がやってくる。そう考えると、この状況でも少し勇気が湧いてきた。

乗り掛かった船だし何事も楽しんでやろうじゃないかと強く決意し、目の前にいた姫様の手を強く握りしめた。




ユキカ編

私は暇を持て余していた。自然に囲まれたこのドクメ城は、常に静けさを纏わり、平和で退屈でしかなかった。

衣食住、不自由なことはなく全ての家事も侍女がやってくれていた。贅沢ではあるけれど、すべてが完璧に整ってしまうこの世界に飽き飽きしていた。

そんな私にとっての唯一の楽しみは、異世界にいる住人の暮らしぶりがどんなものなのかを本棚にある一冊の小説「カメリア」から覗くことだった。

ユキカが住んでいる城には巨大な図書館に貯蔵されており、その本はユキカが手にするだけで、異世界を覗きこむことが出来た。


こちらの住人もさぞ退屈な様子で、外にも出ないで横になり、なにやら小さな機械を弄っている。小さな機械を笑いながら見つめている彼は、モジャモジャした髪にメガネをかけていた。背丈はユキカより少しだけ大きいように見えた。そのモジャメガネの生態はユキカにとって不思議でならなかった。


まず見たことのない物が部屋中に溢れかえっていて、あまりにも自分の部屋と違い過ぎて開いた口が塞がらなかった。着ている服も灰色のゆるゆるとしていたもので、常に黒のレースハイネックドレスを着用しているユキカにとって初めて見るゆるい服装に可笑しくて仕方なかった。

モジャメガネの生態を眺めていると、のろのろと歩いているのに何もない所で躓いているし急に熱唱しながらルンルンでお尻をふりふりしながら踊っている。


このモジャメガネはなんでこんなにも楽しそうなのだろうか。モジャメガネの生態を観察することがいつの間にユキカにとって一日の楽しみになっていた。そしてだんだんと観察していく内にユキカはこのモジャメガネと無性に会いたくなった。


そこで、多額なお金をエサにいかにも貧乏そうな彼を誘惑してみることにした。

ただ、それだけでは遊びが足りないので私自身が病人であるように思わせてしまうのはどうかと考えた。


すぐさま指を鳴らして侍女を呼び、爺やを連れてきてと頼んだ。部屋に来た爺やにお願いすると驚いた顔を覗かせるも、溜息ひとつで首を縦に振ってくれた。爺やはこのモジャメガネの青年に会う条件として、ユキカに以下の3つの条件を厳守するようにと命じた。守らなければ姫様にとって一番辛い罰を与えます。

______________________

条件その1 青年の前では声を出さずに無表情でいること

条件その2 本の秘密を明かさないこと

条件その3 彼に恋愛感情を決して抱かないこと

______________________


この3つの条件を守るなんていとも容易いことだと思えて、肩透かしを食らった気持ちになった。まずババ抜きが得意なので、無表情は得意であるし、口は堅いね。と褒められる夢をつい一昨日見たのでこれもクリアである。なんといっても楽勝にクリアしているのは、条件その3である。なぜならこの高貴な私が、あんなナマケモノのモジャメガネに恋心を抱くはずがないだろうという絶対的な自信があった。


ただ眺めているだけの生態に会えるとなって、少しだけ、少しだけだけどウキウキな気分になっていた。


それを爺やに勘づかれるのが面映ゆかったので自室に籠り読書をして静かに過ごした。

1週間後の日曜日、モジャメガネの彼はメール文で指定したとおり、新宿のBOOK・OFFに姿を現した。普段の装いとは異なり、ジャケットにTシャツにチノパン姿の彼からはナマケモノ感が消え去っていた。

もはや別人なのではないかと思えるくらいかっこよく見えた彼は、角川文庫の棚に迷うことなく歩いていた。もう少ししたら彼に会えるのだと考えるだけでなんだかそわそわして落ち着かない気持ちになっていた。

彼と出会う前に、爺やから渡された台本のような書類に目を通してみると、病人とは言ったけど無口で無表情でいなければいけない設定は、知らなくて爺やに怒りをぶちまけたかったが、その前に彼がドクメ城へと足を踏み入れた報せの鐘の音が聞こえた。城中に響き渡る鐘の音は久しぶりの来客もあってかどこか錆びついた音色に聞こえた。


どうやって体調悪そうに見えるのか分からず、とりあえずマスクをしてベッドに潜り込んで彼を待ち構えた。

心臓の鼓動が激しく脈打ち、風邪を引いていないはずなのに顔が火照ってきた。早く冷静にならなければとてもじゃないが病人に見えない。

落ち着け私。

何を焦っているのだ。

私はこのドクメ城の姫なのだ。

たかが異世界の、しかも平民以下の凡人に、おいそれ気持ちを揺さぶられてたまるか。勝手に自分の気持ちを解消するために彼に苛立ちを募らせた。またしても身体が熱くなる。


もういつになったら彼はこの部屋に来るのだ。もうベッドから早く抜け出したい。

早いとこ私の所までたどり着きなさい。ギシギシと彼の訪れを知らせる聞きなれない足音が廊下に響き渡ってきて安堵する。不思議とそれと同じタイミングで、身体からの熱は急激に下がっていった。


扉を開ける音が聞こえてきた。彼がどんな顔をしてここに入って来たか見てみたいけど、そうできない状況に、こんな設定にしなければよかったと強く後悔をする。彼の足音と気配が近づいてきて、どうやら私の寝ている前に立っているのだろうと感じられた。


私の前を長い時間経っているように感じられて、顔をじろじろ見られているのではないかと思い恥ずかしい気持ちになってきたので、早く何かのタイミングで起き上がってしまいたかった。ユキカの願いも空しく爺やと話し込み始めた。

2人の会話を聞いていると、どうやら彼は医療一家に生まれて、周りと同じ道を歩むも挫折してしまったみたいであった。私と少しだけ似た境遇で分かれ道などのない、ただ真直ぐに決められたレールを歩かなければならない苦悩を抱えていたことに、親しみを覚えてちゃんと2人きりで話してみたい気持ちに駆られた。


そんな矢先に訪れた彼の暴挙を今後二度と忘れることはないだろう。


爺やと深刻そうな顔つきで話し込んだあと、病人として横になっている私に対し、彼は私の身体中を両手で触りはじめたのである。急に触れられたことに一瞬驚き、羞恥心がおそってきたけど、耐えるしかなかった。顔色を変えず涙も流さないように維持するのは本当に地獄であった。「こ、殺してやる」と殺意が芽生えた。


彼は私を元気するためにここへ訪れたのではなかったのだろうか。

こんなことやって元気になると考えているのか、本当にそうだとしたら彼は正真正銘の愚か者の馬鹿である。一瞬冷静になって考えてみると、なんでこの馬鹿のためにこんな条件を守って辱めを受けなければならないのか。


しかし、変な負けず嫌いが私の中に生まれ3つの条件を守り続けた。

私以上の馬鹿な彼は一呼吸置いてから私の顔近くに寄ってきていた。次になにされるのか分からない恐怖感と、こんなに近くで彼の顔を見るのが初めてで変な気持ちなのが交じり、心臓はフルスロットルに稼働していた。

こんな状態にもかかわらず彼は私の変化にもまったく気づいていなかった。ただおもむろに私の頬を真顔で抓ってきた。


多少の痛みはあったが我慢できないほどでなかったけど私の身体を玩具のように玩んでいるのが終始腹立たしかった。素直に感情を相手にぶつけられない歯痒さに悶絶しながら、なぜここまで頑なに彼のことを受け入れているのだろうか。そのことを考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しく思えてくる。


1分1秒たりとも早く、この地獄から解放されたくなった私は頬を抓られながら必死に打開策を練った。いかに爺やの設定を守りつつ私のフラストレーションを解消させるのか。

彼にどんな仕返しをしてやろうか考え続けた。

しばらく憎たらしい彼の顔を見つめている内に1つ、妙案が浮かんだ。あまりにも素晴らしいアイデアが浮かんだので、危うくつい声を出して笑ってしまう所だった。それを叶える為にはまず爺やの監視下から抜け出すことが最重要であった。


たった数分だけでもいいからこの寝室から抜け出して2人きりになれる時間が必要不可欠であった。

まずベッドから手だけを出し、爺やに耳を寄こせと手で示す。さすがにずっと寝ているのも限界があるから、爺やの耳元でまで届かないように彼と一緒に本を読みたいと囁いた。意外にもあっさりと願いを聞き入れて、私が頼んだ小説「ふたりの世界は傑作を生み出す」を彼の手元まで運んできてくれた。


彼はどんな反応するだろうか。

顔色を見てみたいけど、そしたらマスク越しでも私の綻んだ顔がばれてしまうかもしれないので、彼から背を向けて横になることにした。

何も言っていないけど読んでおくれ。

それくらい言葉なくても通じてほしい。

 秒針の刻む音が判然と耳元に聞こえる。まだかな。秒針の音がいつもより遅く感じてたまらない。


パサッとページを捲る音が聞こえた。


彼と私の魂が本に吸い取られていく。この時を待っていた。


白に囲まれた正方体の一室に彼と私はいた。

彼はまだ本の世界に入ることに慣れていないらしく意識を失っていた。


彼に仕返しのチャンスだと思い、身体中を触ったり引っ張ったりした。外見ではわからなかったが、筋肉質で身体がゴツゴツとしていた。一向に目を覚まさないから無我夢中で触りまくった。ぴくぴくと反応しだしたので、触るのを止めて待つこと数分ようやく彼は目を覚ました。



「おはよう。いつまでぐっすり寝ているつもり?」

私の挨拶に返ってこなくてつい舌打ちを鳴らしそうになる。

再度、挨拶を試みるも返答がない。


まだまどろみの中なのか。ならば頬を思いっきり叩いてみた。


彼は涙目になりながらようやく起きてくれた。


「おはよう。私のことを覚えているな。あの、お前が散々身体を玩んでいた姫様だよ。」

彼は驚きのあまり涙目ながら言葉が出ない様子だった。


?マークがいっぱい頭に浮かんでいるのが手に取って分かり思わず笑ってしまった。

「ふふふふ。」

「ここに連れてこられた理由も知らなければ私の病気がなんだったのかも分かっていないのだろう。焦らしても仕方ないので早々に教えてやろう。」


「お前を私がここへ勧誘したのだ。私の新しい下僕として私はお前を選んだのだ。」


「前の男は見かけ倒しでつまらない男だったからすぐに消してやったよ。」


「これからお前は私にこの平凡な毎日に彩りを加えるのだ。要は私を楽しませてくれればいいだけの話だ。」

「否定することはできぬ。これは姫様の命令なのだ。」


「お前は医療系の人間でありながら、誰も救えないし自分自身のことですら救えない。」

「ではせめて私のことぐらい救ってみせよ。」


「生活は保障してやるし、私を楽しませてくれるのならメールで記載しているように、帰る時には100万ドルを差し上げよう。」


「どうだ。悪くない条件だろう。ただ私の相手をして楽しませてくれればいいのだから簡単だろ。」


「どうせ夢も希望もやることもお前にはなくて暇をしていたのだろう。」


「ならば私の所へ来い。」


私は彼に握手を求めた

しばらくの間、沈思していた彼は、私と共に歩むことを決めたみたいで私の手を握ってきた。





幸介とユキカの物語はこれからがスタートである。

ふたりの物語は始まったが幸介の物語はここまでである。

その事実を幸介は知らなかった。


図書館のコレクションとしてふたりの魂(小説)は永久に他の魂(小説)と並ぶことになるとは。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ