想いを託して
施設内を走る幾つかの足音――
足音はどれも乱れている。必死に何かを追っているようだ――
ここは第4層にある【調和の層】。
とある研究棟の通路…。
数人の取り巻きを連れて、走る小太りな男がいた。
白い軍服を着ている。どうやら軍人の様だ。腰には魔弾銃を装備していた。
歩哨している兵士を見つけると、ぶっきらぼうに話しかける。
「ハァ、ハァ、見つかったか?」
完璧に禿げ上がった頭から大量に汗がしたたり落ちていた。
「いえ!先発のガーディアンズ(守る者たち)からはまだ連絡がはいっておりません!」
真面目そうな兵士は答えた。
「そうか、ハァ、ハァ。いいか、必ず見つけるのだ!」
「魔法の使用も許可する!何としても連れて来い!」
「全てのガーディアンズ(守る者たち)に通達しておけ!!」
「はッ!了解であります!チャンコー様!」
ビシッと敬礼をする兵士。
「あの跳ね返り女め、絶対に許さんぞ!」
チャンコーと呼ばれた将校はひとしきり怒鳴り散らすと、
取り巻きを連れて別棟の施設へ向かった。
束の間の静寂…。
「行ったみたいですよ…」
先ほどの兵士がポソッと呟く。
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ガチャ
後ろの扉がおもむろに開き、白髪の女性が現れた。
歳は20代後半ぐらいだろうか、美しい顔立ちをしていたが表情は険しい。
「ジュドー、ありがとう。助かったわ」
乱れた髪を直しながらメルル・ハヤップは言った。
「一体何やらかしたんですか…?施設中大騒ぎだ…」
ジュドーは顔を向けずに尋ねる。
「あの子を連れ出したのよ…」
「?!……」
ジュドーは一瞬驚いたように緊張したが、すぐに平静を装った。
「素体を連れ出したのですか?まったく無茶をする…」
「こりゃ、簡単に逃がしてはもらえませんよ」
「それで…素体は今どこに?」
ジュドーは慎重に尋ねた。
少しの沈黙の後…
「ここよ…」
メルルは足元からトランクを引っ張り出す。
「あの子はこの中で眠っている…」
「…大丈夫、スリプル処理を何重にもしてあるわ。しばらくは目を覚まさない…」
ジュドーは恐怖から緊張した。
ゴクリと唾を飲み込む。
この施設に関わる者ならそれは当然の反応だった。
素体の影響で施設の1/3を失ったこともある。
脅威そのものだった。
「…これからどこへ?」
ジュドーは緊張しながらも尋ねる。
「2層目で身を隠すつもり…。あそこは人に紛れやすいからね」
「あなたにも迷惑かけてしまった。ごめんなさい…」
「お詫びに戻ってこれたらデートしてあげる」
メルルは深刻さを打ち消すため、おどけるようにウインクした。
ジュドーは少し微笑みながら
「あなたの役に立てたのなら光栄です」
と敬礼してそれに答えた。
メルル「さようなら…」
ジュドー「…お元気で」
二人は視線を合わせることなく最後の挨拶を交わした。
メルルはトランクを引きずりながら歩く。
そして屋上へ直通するリレビトルーム(浮かぶ部屋)に乗りこんだ。
彼女に迷いはなかった。
屋上では激しい風が吹き荒れ、人口の月や星が嘘臭く輝ていた。
メルルはトランクを地面に置くと、首からぶら下げていた竜笛を取り出す。
ピィーーーー。ピィーーーー。
2回ほど長めに笛を吹く。
正直、この脱出計画に自信はなかった。
衝動的に脱出したといっても過言ではない。
だが少しだけ可能性があった。
彼女はそれに賭けた。
フェイロンお願い――
彼女は祈る。
するとどこからともなく、
キュウォォォォォ!!!!!
という鳴き声と共に飛竜が夜空から現れた。
バサッ、バサッと羽ばたきながらゆっくりと飛竜は近づいて来る。
「フェイロン!やっぱり来てくれたのね!」
メルルは表情をほころばせ、少女の様に両手を振って喜んだ。
キュォォォォ!!
飛竜は言葉に答えた。
バサッー、バサッーと羽ばたきを大きく変えて
飛竜は屋上に降り立つ。
フェイロンはメルルが逃がした実験生物だ。
ヒナの時から飼育をしていたので彼女によく懐いている。
飼育してた頃は竜笛を使って呼び戻しをしていたため、もしかしたらという予感があったのだ。
もう何年も呼んでいなかったが、こうして彼女の呼びかけに答えてくれた。
「大きくなったわね!3年振りぐらいかしら!」
メルルは顔を寄せてきたフェイロンを撫でた。
フェイロンは鼻を鳴らし喜びを表現する。
「…ごめんなさいフェイロン」
「あなたとの再会をゆっくり楽しみたいのだけれど、今は時間がないの…」
「私を乗せて飛んで欲しいの」
キュァァと鳴き、フェイロンは身をかがめた。
メルルの力ではトランクをフェイロンの背中に載せるのは難しい。
不安ではあったがトランクはフェイロンに咥えさせた。
「大事なものだから落とさないでね…」
…これで大丈夫、あとは…
気持ちが緩みかけた。
次の瞬間――
メルルの右太ももが魔弾で貫かれた。
焼け焦げる皮膚、容赦なく血が噴き出る。
メルルは衝撃により崩れ落ちた。
魔弾を撃ったのはチャンコーだった。
「がはは!このチャンコー様から逃げ切ろうなど100年早いわ!」
傲慢そうな笑顔を浮かべて立っている。
「流石です!チャンコー様!!」
周りでは取り巻きが拍手をした。
無能そうなチャンコーだが、
用意周到に転移陣をあちらこちらに仕掛けていた。
そのため飛竜発見の一報を聞き、いち早く屋上に到着することが出来たのだった。
激痛に耐えるメルル。
右太ももからは大量の血が流れ、血だまりを作っていた。
逃げられない――
メルルは悟る。
咥えられたトランクを見つめて呟く。
「…リディ、私の想いをあなたに託すわ…」
その呟きは誰の耳にも届かない。
チャンコーは取り巻きの称賛に酔いしれ、高笑いをしている。
メルルはその隙にフェイロンへ意思を伝える。
「行って!」
メルルは手を払い飛ばせようとした。
しかし飛竜は飛ぼうとしない…。
フェイロンは戸惑っていた。
メルルは雷の魔法をフェイロンに向けて放つ。
「行ってぇぇぇぇぇ!!!」
お願い逃げて――
ブオォォォォッォという唸りを上げ、空に羽ばたくフェイロン。
すると、みるみると高度を上げていく。
唸りと羽ばたきにより周囲が一斉に注目をする。
飛竜がトランクを咥えて飛んでいる?
なぜ飛竜がトランクを…?
「ま、まさか!あの中に!!」
表情を歪めて直感するチャンコー。
メルルは力無く笑った。
「こしゃくな女め!!あんな飛竜なぞ撃ち落としてくれる!」
「おい、照射機巧だ!渡せ!」
近くの取り巻きから魔道レーザーの照射機巧を奪うように受け取った。
狙いを定めるチャンコー。
さらに高度を上げる飛竜に向かって、照射機巧を放った。
甲高い発射音、一筋の閃光が夜空に走る。
閃光は的確にフェイロンの腹を貫いた。
「おおお!!」
取り巻きの感嘆の声があがる。
飛竜はバランスを崩し高度が下がり始めた…。
「流石です!チャンコー様!」
取り巻きがまた拍手をした。
「がはは!」
「よし!回収に向かうぞ!」
その場を離れようとした時、メルルが視界に入る。
「おっと、その女は絶対に生かしておけよ!後でたっぷりと可愛がってやる!」
いやらしい笑顔を浮かべると、チャンコーは飛竜の追跡を始めた。
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夜空を飛び続ける飛竜…
腹に攻撃を受けたフェイロン。
不安定ながらもなんとか飛び続けていた。
託された荷物を口に咥えて。
しかし、傷は致命傷だった。
長くは持たない。
ゆっくりと気絶するように、力尽き落下した。
先では空間裂目が大きな口を開けて待ち構えていた。
落ちている…。
闇の底に…。
落ちている…。
深い眠りに…。
ゆっくりと運命の歯車が回り始めた。
私はまだ夢の中だった。