第76話 湖畔にて
「ご苦労だった」
見慣れたNAGSSの所長室。シュンは一人で、机越しにチェスター所長と向かい合って座っていた。
もしかすると、所長と一対一で会うのは、転校初日以来かも知れない。そのせいか、所長も普段と違う空気に戸惑い、少し戸惑い気味に二の句を継ごうとしている。
「NAGからの情報によると、強酸性雨を降らした素子体に、続報はない。もちろんあの程度の爆発で素子体は全滅しないから、一部が休眠状態に入ったのだろう。我々が生きている間に、また起きるかどうかは、神のみぞ知るだ。素子体の解析も、まだ人類の叡智の外だ。結局、分からない事だらけだよ」
「はい」
「ただ少なくとも、宇宙基地の破滅は免れた。ありがとう。代表して礼を言う。そして星の子供達計画も、正式メンバーの選抜段階に移行した。当然だが、我が校の生徒達が中心だ。君は応募するか?」
「はい」
シュンは、既に決めていた。
ミェバで一生を終えるだけと思っていた二年前から、沢山のことがあり過ぎた。ふと、井口やユキ達の顔が、思い出される。
「君のキャリアなら当然、十分な資格がある。恐らく満場一致で決まるだろう」
強面の校長が珍しく、優しい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「久しぶりの大型計画だからな。経験を積んで人類の発展に、寄与してくれ」
「分かりました」
そう言うと、シュンは立ち上がり、一礼して退室した。そのまま寮に帰りベッドに入ったものの、しばらくは寝付けなかった。
* * *
一ヶ月後のある休日。
シュンはスケッチブックをいれたカバンを抱え、電車で山あいの街へと向かった。あの災害から復旧も進み、電車もようやく運行にこぎ着けた。
今は、一人で電車に乗るのも慣れた。平日だから、郊外へ向かう電車に乗る人はまばらだ。シュンは座席を独り占めしながら、車窓からの風景をぼんやり眺めていた。
イェドは超巨大都市だが、こうして見てみると、一つ一つの家はミェバのそれと変わらない。自分と変わらぬ数千万もの人達の上に、あの巨大都市が築かれているのだと、改めて感じた。
目的の駅に着いた。目的の病院には、ここから歩いて二十分ほどの距離だ。良い天気で、途中の坂も軽い運動だ。迷わずに到着する。深い森の中に浮かぶ門をくぐり、真っ白な建物に入った。
受付で記帳をすますと、シュンは奥の廊下へ進んでドアを開け、面会場所の庭へ出た。そこには、青く元気な芝と、森に囲まれた湖があった。湖面には波一つなく限りない透明で、逆さまの山が写真のように映えている。
面会相手は、テーブルの一つに車椅子を寄せ、静かに読書をしていた。シュンが近づいて行くのにも気づかず、熱中している。
短くなった黒髪には、青いリボンがついていた。ショートカットも意外に似合う。相変わらずシュンは、恥ずかしくて髪型を褒めることはできず、背中越しに話しかけた。
「久しぶり」
「おう、元気?」
その声で櫻菜ハルは気付き、振り返ってシュンを見た。
シュンは傍らの椅子に座った。正面に湖を望む。
「何とか一命は取り留めたよ。脊椎損傷してるから、再生手術が終わるまで、まだ不自由だけどね」
ハルはつとめて明るく笑ったが、シュンは笑顔で返せなかった。
「NAGSSの皆はどう?元気?」
「あぁ、みんなハルを心配しているよ。これ、皆から渡されて来た」
そういってシュンはユニコンから3D映像を再生した。それは皆からハルへのエールだった。それぞれがメッセージを入れてくれて、ハルは少し涙ぐみながら見た。
「で、あんたは?」
一通り終わり、ハルはシュンに向かって言う。
少し意地悪そうな顔するハルを見るのが、今ばかりはホッとする。
「これを」
持って来たカバンから取り出したのは、ミャオムそっくりのヌイグルミだ。シュンにしては珍しくランクSの特権を使った、オーダーメイドの特注品である。
「ありがとう!」 ヌイグルミを抱きかかえ、ハルは本当に嬉しそうだった。
「湖を散歩したいな。車椅子、動かしてくれる?」
少し甘えたいそぶりのハルに、「良いよ」と、シュンは快諾した。赤や黄色に染まりつつある森に囲まれ、落ち着いた日差しのなか、二人は湖畔を散策した。
「はー、楽ちん楽ちん。普段は、こっちの反対側まで来れないからね」
入院して一ヶ月、未だ辛い事もあるだろうが、ハルはどこでもハルだった。
「シュンはこれから、どうするの?」
ふいに、ハルが聞いて来た。進路だと察する。この話が出るだろうとは、予想していた。ここに来るまで決めるつもりだったが、いざハルを目の前にしても、決められなかった。
「ハルこそ、どうするの?」
質問を質問で返すのは愚策だ。分かっていても、シュンはそうせざるを得なかった。
「そっだな……体の治りぐあいによるけど、どうしよっかな‥」
ハルも考えあぐねているようだ。大怪我のハルにこんな質問をした自分を、恥じるシュンだった。
「色々あったね……」
ハルは今までを回顧しているようだ。言われてシュンも、ハルに会ってからの日々を思い出した。最初は訳の分からないままに巻き込まれたが、今ではどれも、良い記憶として残されている。
「やっぱりシュンを選んだ私の目に、狂いはなかったね」
「え?」
「NAGSSでの成績のこと!」
「あ、ああ」
何か勘違いをして顔が赤くなったシュンを、ハルは笑っていた。
確かに、今ではNAGSSの生活にすっかり馴染んだ。ここ一年で、新入生が三人ほど入り、世話係もしている。先生達からの信頼も厚く、三週間前には、コサカ地方へ面接官をしに行ったりもした。
今まではハルがつとめていた役割だったが、自分なりにこなす事が出来た。イチイチでの如月ユージみたいな立ち位置の自分に、不思議に感じる時もある。
しばらく二人は無言で散する。実りの秋を堪能する鳥の声が、楽しげだった。
一周して病院に戻ってくる手前で、ようやくハルの口が動く。
「そうだな……やっぱりこのままじゃ、つまんないな。宇宙、行くわ。シュンも行くでしょ?」
「うん」
半ば予期していたので、即答した。ハルが行くのなら、行かない理由はない。
「治るまで少し時間が必要だから、月には先に行ってて」
「分かったよ」
二人は湖畔を巡り、元の場所へと戻って来た。
「そう、一つお願いがあるんだけど」 シュンから珍しく、話を切り出した。
「なーに?」 ハルは振り返って、シュンを見ながら返事した。
「絵,描かせてもらえないかな?」
一瞬キョトンとするハルだが、「喜んで!」と笑顔で答える。
「じゃあ、あそこのコスモスを背景にどう?」
「うん!」
車椅子をハルの指示通りに動かし固定すると、シュンは持って来たスケッチブックを取り出した。
「きれいに描いてね!」




