第72話 脱素子体
「こちらブラウン少将だ」
「NAGSS所属の櫻菜ハルです」
「同じく新未シュンです」
「話には聞いていたが、やはり幼いな。楽にしたまえ」
言葉とは裏腹に子供相手が慣れていないのか、ブラウン少将の表情は全く崩れない。張り詰めた雰囲気に、緊張する二人であった。
「今回の任務だが、ヨーロパ南部で発生した超酸性雨の壊滅だ。知っての通り、雲には形がない。遠目にはあれだけ固そうに見えても、実態は濃い霧だ。報告書は読んだろうが、あれは単なる雲では無い、素子体で構成された浮遊体である。
ジェット機を使って霧消を試みたものの、酸で機体が保たなかった。加えて瞬間的に消えても再度集合し、更に一部は雲と異なる硬度物質にも変換された。聞いていると思うが、非常に厄介だ」
「はい」
シュン達も素子体に遭遇しているので、ある程度は理解している。
「参謀本部では核兵器も検討されたが、無駄と理解するのに、一時間もかからなかった。だが宇宙基地の壊滅は、何としても阻止せねばならない。宇宙基地の保護は最優先事項だ」
「どうするんですか?」
「慌てる必要はない。いま君達と交信している理由は、対策が完了したからだ。我が研究所で、素子体の解析をした結果、活動エネルギーを70%低下させる薬剤合成に成功した。我々はHypo-element(脱素子体)と命名している。これを雲の中に散布し、海上の戦艦と上空の戦闘機から電磁パルスを放射させる。それで素子体の活動を最大15%まで停止できる結果が、既に我が研究所で得られたのだ。現在Hypo-elementを大量合成中だ。君達が現場に到着する頃には、調達出来るだろう。その時まで、ハネムーンを存分に楽しみたまえ」
そう言い残し、モニターは消えた。
「あれ、ジョークなの? 無表情で言われても……」
ハルは、複雑な表情をしていた。
「た、多分そうじゃない?」
シュンも、良く分からなかった。大人のジョークは難しい。
「ま、じゃあ大船に乗ったつもりで良いのかな」
「うまくいけばね」
ハルはどこか、不信感を抱いているようだった。シュンも一抹の不安は隠しきれない。ただ心配しても無駄なので、再びソファで寝転ぶと映画を観たりして束の間の休息をとり始める。
……
猫の映画の感動のエンドロールが流れ全て観終えたハルが、急に「あー、シュンとも二年か。早いもんねえ」と、しんみりした顔でつぶやいた。
「どうしたの?」
何時も元気で悠々自適なハルが考え事をする様子に、シュンは戸惑った。過去にも時々あったが、今の表情はどの時よりも複雑に見える。さっきのブラウン少将の言葉が頭の隅に残っていたシュンは、あらぬ妄想も少しだけしていた。
「あんた、ここ出たら、どうすんの?」
「え?」
言われてみて、気が付いた。あと一年で、この学校も卒業だ。ハルと出会ってから、目まぐるしく沢山のイベントが続いたので、将来を考える暇もなかった。
「大学なんて、何処もNAGSSよりレベル低いから、意味ないわね。星の子供達目指すか、研究に進むか行政に入るかよね。あんたはどれ?」
進路指導なんてまだ何も無かった。周りの友人達ともそんな話をしたことはない。
「まだ決めてないよ。ハルこそどうなの?」
「何でも出来るって言うのも、考えものよねぇ……」
ハルはそれ以上言わず、再び別の映画を観始めた。機体はユラシア大陸を突っ切って行く。この方面の旅はシュンにとって初めてだから、窓の外を眺めるだけで楽しい。シベルアやヒマロヤ山脈、ゴバ砂漠等、映像でしか観られなかった景色が、眼下に広がっている。
まっさらに一面輝白な砂漠を見ると、自分達の存在がとても小さく感じた。宇宙基地を守るのも、所詮は自分達のエゴだ。あれが無くても地球には何の影響も無い。いや仮に影響があったとしても、地球は更に全てを包み込むほどに大きい。
何故宇宙に行くのだろう。
シュンにとっては成り行きで入ったNAGSSだが、他の友人達は違う。宇宙開発をしたいとか、キャリアを考えてとか、明確な目的を持って入学した人間が多い。
NAGSSも、設立当初の理念より、今は優秀な人材育成に主眼を置いているようだ。ただ星の子供達計画が進むこれからは、元の目的に戻るのかも知れない。
でも多大な労力を注ぎ込んで得られた成果は、化け物を地球に連れて来ただけなのだが。そしてこれから宇宙に行く理由は、何なのか。シュンにはまだ測りかねていた。
それにもう一つ、シュンにはこの闘いの結末が、見えなかった。どう考えても、こちら側に勝ち目はない。目に見えない物質を全滅させるなんて不可能だ。
ブラウン少将は対策済みと豪語するが、70%活動低下で本当に封じ込められるのか、未知数だ。あくまで活動低下であり、死にはしない。殺人雲と別な驚異をもたらす可能性は、十分にある。様々な思いを巡らすシュンであったが、どれも名案は浮かばなかった。
「ねえ、あれ」
ハルが何かに気付いた。それは人工物のような直線や曲線形状はしていないが、明らかに動きが不自然であり、直角的な動きで少しずつこちらに近づいて来た。
「管制は?」
「すべてフリーパス。こちらの識別信号も送信済みよ」
周辺より一段ときらめくその雲は、流れに逆らいシュン達の機体に近づいて来る。すると見慣れた彼女達が、遠くからも見て取れた。
「あ、ヤンシャ!」
ハルは再び会えたのが嬉しいようで、直ぐにでも雲に跳び出しそうな勢いだ。雲から二つの影が機体に向けて跳んで来たので、下部のハッチを開け、受け入れた。やってきたのは、ヤンシャとその父パーシャだった。
「久しぶり!」
「久しぶりだな、少年も元気そうで何よりだ」
「ありがとうございます」
「なぜ此処に?」
「空の世界は何でも知ってるです。大地を溶かす酸性雨雲の存在も、その正体も」
「そうですか。どうすれば退治できるか、ご存知ですか?」
パーシャはそれに答えず、ソファに座った。
「知っての通り、私達もあの酸性雨と同類、一緒にこの星に来た仲間だ。だがあの行為は必要なのか、私達も疑問に思っている。
我々素子体には、あの惑星の歴史情報が全て詰め込まれている。だから第一期覇権生物のシーハが惑星を蹂躙し、愚かにも大量破壊兵器を使った行為も知っている。それで一千年近く八割の土地を不毛にした事実も、記録されている。
原因や行為は違うが、君達と良く似た状況だ。感情ある限り、文明の発展は限界がある。
私達の星では第二期覇権生物カルツが、素子体の開発に成功した。だが彼らも滅びる運命に抗えなかった。それは単純に生命体としての寿命だ。自然から生まれた物は、自然に帰らねばならぬ。それが摂理だ。
カルツの最終世代、無限に創られた素子体は宇宙に打ち上げられ、何処へかと消えた。恐らく新しい星への播種だったのだろう。成功したのかどうかは、分からぬ。ただカルツの文明が衰退して宇宙へ跳ぶ術が無くなった時、我々はあの星に留まる他なかった。
つまり、我々は残渣なのだ。
おそらくケンタウリが消え去るまで、我々は墓守として存在する為に存在し続けただろう。そんな時に、彼等が現れた。相互扶助でこの星に来たが、その途中、様々な想いがよぎった。きっと打ち上げられた素子体達も、同じ心持ちだったと思う。
宇宙はいいところだ。惑星は狭過ぎる。漆黒の闇に潤沢な星々がちりばめられ、地上ではあり得ない現象が平気で起きている。たかが数億年の生命の進化では、何も量れない。
君達も再び宇宙に行くのだろう? 君達が二期覇権生物の祖になれるかは、不確定だ。まだ感情が大き過ぎて、理性で合理的に動けないからな。ただ可能性がある限り、挑戦すべきだ」




