第63話 圧倒的な力の差
「ちょっとどうしたの、シュン? らしくないよ」
ハルが見かねて声をかけた。だがその口調には、シュンのように怒りの感情が込められていない。シュンに同調するのではなく、ノアを理解しないシュンを宥めるようであった。
シュンも分かっていた。ノアへの怒りは、友達や親が被害を受けたからだ。フォーチュン市の被害の方が遥かに悲惨だった。でもフォーチュン市へ感情が揺すぶられないのも、頭では理解していた。
夢中で脱出したあの時、眼下では街の住民ほぼ全員が一瞬にして消えた。だがキャサリンとハウザー、イザベラとミーハしか知らないから、実感が湧かない。
シュンにとって単なる数字にしか思えないのは、動かしようもなかった。それに対しミェバには、比較にならないほど沢山の友達や思い出がある。
ノアに冷静に指摘されても納得できず怒りがおさまらないのは、自分の感情を制御できないからだ。その怒りは、更に増幅し制御不能になりつつあった。シュンにとって、初めて沸き起こる感情だった。
イメージブラスターを振りかざすと、シュンの体より大きな青い刃が繰り出された。突進してその刃を、ノアに突きつける。ノアは避けるでも無く、渾身の一撃は命中した。
ノアを深く突き刺した刃は、そのまま後ろにあるM.O.W.まで達した。流石のM.O.W.も、ダメージを壁で吸収するのは困難と見え、深い傷を追ったらしい。ドロドロと、何か液が漏れ始めた。
「きゃーー!!」
ハルは絶叫し、恐怖のあまり足が震えていた。ノアの腹には、未だ青い刃が突き立てられている。だがその身体からは一滴の血も出ていない。
シュンは何が起こっているのか、直ぐに理解出来なかった。刺した感触は確かにある。だがノアに苦痛の表情はなく、目を閉じて相変わらずの微笑みをたたえつつ、語り始めた。
「キリストは、知ってるかい?」
ノアの声は、静かに反響する。
「死からの復活だけが、神になる。それは、選ばれた人間だけの特権さ。僕もなれるかな」
そう言ってノアの目が見開かれると、光の壁がシュンとハルを襲い、二人は弾き跳ばされた。壁に叩き付けられ、二人はひっくり返る。しばらくして何とか起き上がり、シュンは改めてノアの方を見た。
シュンの一刺しでできた深くえぐられた傷は、まだ残っている。だが、彼は平然としていた。信じられない物を見て、呆気にとられた顔の二人を前に、ノアは語った。
「ただ僕の場合は仕掛けがあってね、素子体と融合したんだ。エネルギーを自己完結で産生出来るから、栄養源も内蔵も要らない。彼等を使えば、僕の精神なんて簡単にコピー可能さ。思考回路と物質体があれば、今の僕には十分だからね。生まれ変わったんだよ、新しい生物に」
(な、何を言ってるんだ……)
「僕は暗黒の一週間の後、爆心地でしばらく休んでいたんだ。流石に素子体でも、核爆発をもろにくらったダメージは大きくてね。そんな時、ちょうど君達が、これを再起動してくれたのさ。おかげで復活できた、感謝するよ」
そう言いながら元に戻ったノアは、五センチほど宙に浮いていた。シュンはまたバーチャルかと錯覚しかけたが、現実なんだと自分に言い聞かせる。
「おやおや、今のダメージは僕にもちょっと効いたようだよ。良かったね、シュン君。ここまでの存在になっても無様だね、自分の非力を呪うよ。人間だった以上、幾ら素子体と融合してもそれは退化なんだ。僕も、まだまだだよ」
そう言うと、ノアの後ろにいるクリーチャー達が、次々ノアと融合し始めた。傷が癒えたノアは軽やかに飛翔し、M.O.W.の上部へ降り立つと、何やら操作をしている。
「残念ながら、君のおかげで、出力が半分以下になりそうだよ。君の望みがかなって、嬉しいかな?」
シュンは、何も言い返せず黙って見上げていた。
ハルは軽い錯乱状態に陥り、俯いて震えているだけだった。
「でも大丈夫、僕はこれとも、融合出来るから」
みるみるうちに、M.O.W.が小さくなり、残りのクリーチャーと共にノアの体へ入り込んだ。エネルギーが充填され、臨界状態でのチェレンコフ光のような青白い光に包まれたノアは、輝きが一層ましている。
「待て!」
シュンはノアに向けて一発ぶっ放した。
だが、バリアができたのか、ノアの手前で空しく逸れた。
「まだ何かあるのかい?」
「これからどうするつもりだ!」
「話は終わったよ。進化の速度を上げるのさ。僕は単なる執行官で、裁きはしない。君達がどんな行動をとるかはご自由に。それもまた、この星の運命さ」
今度は輝くノアの身体がみるみる巨大化し、天井とぶつかると、山も崩れ始めた。ゴロゴロと沢山の岩が崩れ落ち、グラグラと地面が激しく揺れ、二人は立っているのも困難だ。
「ハル、危ない!」
落下する岩盤にぶつかりそうなハルを抱きかかえ、シュンは避難した。もう巨大化して、足元しか見えない状態のノアは、白い光に包まれ、すっと上昇し始めた。土壁が幾つか崩れ落ち、外の光が差したかと思うと、ノアはやがて何処かへ去って行った。
「大丈夫?」
「……終わったの?」
「うん」
「そっか。もう帰ろう」
「そうだね……」
残された二人に、出来る事は何も無かった。
* * * * *
その後、幽鬼のように下山した二人は、NAGSSに連絡を取り、ヘリコプターを要請した。ノアの巨大化のせいか、上空から見えるタイリュー山は、粉々に崩れ去っている。ハルは言葉少なで、飛び立つ時も無表情で、何の感情も示さなかった。
NAGSSでは当然のように、チェスター所長とサイトー先生が待ち構えていたので、報告をした。
「そうか、彼は生きていたか」
「正確には《素子体と融合した生命体》として、です」
彼らはノアの状態を予測していたのか、それほど驚いた様子は見せなかった。尤も、今まで彼らにどんな報告をしても、驚いた時はなかったのだが。
「ミェバのM.O.W.も活動停止が報告された。おそらく今後は彼が何かするのだろう」
「これどうすんの?」
ハルが率直な疑問をぶつける。
「もはや我々には、やりようがない」
チェスター所長の言葉は、どこか投げやりだった。
二人とも釈然としないまま、退室して戻った。
久しぶりのNAGSSは、温かかった。クラスメイトも普段と同じように接してくれるのが、ありがたい。何日か経つと、ハルもショックから立ち直り、自分を取り戻せたようだ。
夜、寮で一人本を読んでいたとき、シュンは気付いた。
そう、神だ。彼は神なんだ。
人間がノアを知れば、全ての人類は彼の一挙一動に注目し、その影響から逃れられない。彼の些細な行動も記録し、その全てに重大な意味を取り、数千年先まで伝える輩もいるだろう。
自身の力の及ばぬ存在に接すると、人は盲信する。
人間じゃない彼ならば、全人類の上に立つ存在になれる。
それにキリシア、ミーハ、サイトー先生、他の星の子供達…… 人智を超越した人間が神ならば、彼らにも神話の登場人物になる資格がある。古代神話と同様、彼らの物語も今後受け継がれるのだろう。
ただ彼等の何が後世に残るのかは、今のシュンにも分からなかった。




