第62話 沙槝場ノア
「改めて見ると、フォーチュン市のとは形が違うね」
「確かに」
「それはそうさ、彼と僕とでは、設計思想が違うからね」
突然、細いが良く通る声がした。
二人が身構えると、M.O.W.の背後から、クリーチャーを引き連れて、銀髪の少年が現れた。背後にいるそれは、以前シュン達に襲いかかってきたクリーチャー達と同型だ。腕や足の本数は多少違うが、今は二人に襲いかかるでも無く、彼の背後に大人しく控えている。
「やあ、はじめまして」
「あなたは?」
「沙槝場ノアだよ。新未シュン君、櫻菜ハルさん」
M.O.W.の光のせいか彼の身体は透けて見え、虚空を感じさせる。
ユキが言っていた通りだ。
抑揚ない声が、更に存在を際立たせている。細い目で顔はやや伏せ気味だから、良く見えない。薄く笑う口元も含め、まるで仏像のようなアルカイックスマイルを湛えていた。
「は、はじめまして」
シュンは圧倒され、それ以上の言葉が出なかった。サイトー先生とかキリシアとか、他の星の子供達より、ずっと若く見える。シュン達と同じ高校生か中学生と言われても。信じてしまいそうだ。
ただその瞳と落ち着いた物腰は、明らかに同世代のそれではない。
「感情が何時から生まれたか、知っているかな。扁桃体や大脳辺縁系がない魚でも、情動反応はあるんだ。昆虫にはないから、恐らく脊椎動物からだろうね。そうすると、四十億年ある生命史の中で、たった四億年前に起きた出来事なんだ。その感情を合理的に制御できるのは、何時になるのだろう。その時が、新たな進化の始まりだね」
まるで思索する哲学者のように、ノアは腕を組みながらM.O.W.の前を往復していた。二人は、彼に声をかけるのをためらった。無論、聞きたい事柄は膨大にある。だが本人を前にすると、何から話をしていいのか分からなかった。
「君達の事は、知っているよ、ハルさん、シュン君。僕たちの後に続く、星の子供達候補だってことも」
ノアは二人の前で立ち止まり、話しかけて来た。
「あ、ありがとうございます。光栄です」
ハルは声がうわずっていた。素で丁寧語を話すハルを、初めて見る。
「シュン君とは久しぶりかな。成長したね」
!!!
そう言ってノアの顔がシュンに向けられた時、閉じ込めていた記憶が呼び覚まされた。
「もしかして、あ、あの時の……」
「そうだよ。まだ小さかったね」
(あの人だったんだ……)
暗黒の一週間が起こる少し前に、確かに彼を見た覚えがある。暴動で混乱する最中、親とはぐれ人形を抱きかかえたシュンの前に,彼が現れた。人じゃない何かを悟ったシュンに、えも言えない恐怖が襲いかかり、声も出せなかった。
「おいで」
彼は恐怖ですくむシュンの手を取り、親元に連れて行ってくれたあと何処かへと消えた。人形が言っていた《ヤツ》とは、彼だ。間違いない。
「思い出してくれたかな。君がこうなるのは分かっていたよ。無事に成長して、何よりだ」
親が子に諭すように、ノアは静かに語った。
「ここには、これを再起動させる為に来たのかな」
「そう、です」
「ミーハには、悪い事をした」
「すみません」
「いや、君達に罪はないよ」
ハルは先輩に怒られるかのように、恐縮していた。
「何でこれを創ったんですか?」
シュンが聞いた。その声はやや怒気を含んでいる。
ノアは怪訝な顔をしたが、かまわず遠い目をして語り始めた。
「そうだね。言うなれば触媒さ」
「触媒?」
「僕は、素子体を僕達の手で創り出せるまで、文明を進化させる義務がある。彼らの助けで帰還したけれど、あれは未だ地球では生まれていない存在だ。キリシアの解析では、今の僕らが彼らに至るまで、まだ数万年は必要らしい。だから進化の速度を速めなければならない。分かるかい?」
「は、はい」
「別の惑星にたどり着けて、色々勉強になったよ。背丈も人間とそう変わらない六本足の生物が、やはり集団の力で覇権を握った世界だった。既に絶滅して、生身の彼らには会えなかったのは、残念だったけれどね。でも様々な文字や絵、彫刻が黒卵に残されていたから、当時の様子は理解したよ。彼等も人間と同じように沢山の失敗をして、あの域に達した」
ノアは一呼吸おき、話を続ける。
「でも僕達が同じ道を辿れるのか、僕以外は誰も知らない。実際、人間が知れる事は、とても小さいんだ。宇宙を駈けて、良く分かったよ。だからこのM.O.W.は、あくまで僕なりの思想を具現化した成果だね」
「これからどうなるんですか?」
シュンが質問した。
「ありとあらゆる機械に入り込み、M.O.W.が描く未来になるよう、書き換えるだろうね。もう既に始まっているけれど。本格始動し始めた今、世界は進むしかない」
「どんな未来なんですか?」
シュンは誰でも抱く質問をした。何か喉につっかえた気分だ。
「短期に何が起こるかは、僕も把握しきれない。でも長期に起こるのは、今の人類から新たな覇権生物への移行だよ。それが人間の形でも、中身は変わる。まるっきり別な生物さ。進化は、激しい淘汰圧がかかる時に、一番効率良く進むんだ。恐竜を滅ぼして哺乳類に変わった氷河期、ペストの流行で強靭な肉体を創り上げた中世。例は幾らでもあるよ。ただ、現状から素子体を作るレベルに進化速度を上げるには、かなりの負荷がかかりそうだ。それが核戦争なのか、治療不可能なウイルスだったり他の大災害なのかは、分からないけどね」
「この災害もM.O.W.が引き起こしたんですか?」
シュンは、拳に力をこめて聞いた。血が頭に逆流し、熱くなる感覚を憶えた。
「そうだと言ったら?」
ズバッ!!
瞬間、シュンのイメージブラスターから今までに見た事もない真っ赤な鋭い矢が撃ち放たれた。その光の矢は、ノアの頬を僅かに掠めるだけで、背後にあるM.O.W.に当たる。だが柔らかい肉壁は光の矢を吸収し、焦げ跡が少し残っただけだった。
「その為に……そんな下らない事の為に、この街の人達がこんな被害を受けたのかぁ!!」
気付かぬうちにシュンの心には怒りが充満していた。今こうして見て来た故郷の災害が、たかが機械の意向で決定された事項だとしたら…… 亡くなった人達や、今も復興に精を出す両親やユキや皆に、申し訳なかった。
そして被害を受けた人達に対し何の感情も抱かない、目の前にいるノアに怒りを憶えた。
「どのみち犠牲は必然だ。君だって知っているはずだ。巨大ハリケーン、津波に大地震、火山。自然災害に限らない。戦争で殺されたり家を失った人達も沢山いる。これからも増えるよ。生き残った者達が、更なる高みを目指して文明を作っていく。当然の理さ。君は、死者全てに同情出来るのかな。君の怒りは、単に被害者を知るかどうかの違いだけだ」
「ううぉおーーー!!」
言葉の代わりに、シュンは猛然とノアに駆け寄り、拳の一撃を喰らわせようとした。だがいとも容易くかわされ、その拳は空しくM.O.W.にぶつかって跳ね返されただけだった。
よろめきながらも必死に振り返り、シュンは更なる攻撃を加えようとした。だがもつれて倒れ込み、徒労に終わった。
「ちくしょおぉーー」
床に拳を叩き付け、シュンは悔しがった。




