第61話 タイリュー山へ
「堤防の上に、男の子。多分男の子で、私達と同じくらいだと思う。でさあ、それがまた夜中なのに青白いと言うか、透き通ってると言うか…… 人間なのに人間じゃない感じ」
「何それ?」
「分かんないよねえ…… あ、そうそう、髪の毛真っ白だった。夜でもそれは印象的だったから、良く憶えてる。で、私一人で庭に出たんだけど、ちょうど堤防にいる彼が振り向いて、こっち見たの!」
「どんな顔?」
「それが、、今いち覚えていない。何だか存在感が薄くて……でもね、その人、言葉に出さないけど、何を言いたいかは分かった。『危ないから逃げて』って。聞こえなかったけど、確かにそう言ってた。だから、夜中なのに父さん母さんにジイジを、起こしたんだ。そしたらものの数分で地震が起きて、慌てて堤防に上ってさ。遠くでめりめりと木が倒れる音がして、沢山の水が流れこんで来たんだ」
「その人は?」
「それがもう、いなかった。だから存在感が透明というか、希薄だったと言うか……それより迫って来る水の恐怖に、全部忘れちゃったよ。
真っ暗でも遠くから流れ込んで来る水が堤防からはっきり見えた時は怖かったよ……近所の人達も何人かは上って来れたんだ。だけど流れは凄い勢いで……あっという間に家は流されちゃって……」
あの時を思い出したのか、ユキの表情は冴えなかった。単なる偶然と一笑に付せば簡単ではあるが、不思議な符合なのも確かだ。
一人で待っていたハルの所に戻ってくると、「じゃあね、また」と言ってユキは親元へ戻った。シュンはハルに、ユキから聞いた話を伝えた。
「念のため報告しよう」
シュンはNAGSSにアクセスすると、あいにく所長は留守だった。とりあえずその白髪の男性に関し、音声メールで報告を入れておいた。
それから二人は、様々な所を歩いた。泥にまみれた家財道具の洗浄を手伝ったりして、世間話をしながら情報収集をした。
幸いにしてシュンが住む三角屋根の家は目立つから、多くの人がシュン達と顔見知りだ。おかげで相手も安心して話をした。その間、ハルは大人しく側で聞いていた。
結局、夜中に地震と洪水が起きたことしか、住民達は分かっていないようだった。前日までの大雨で、増水はあったものの、完全な不意打ちだったらしい。この地域に大規模な洪水の記録は過去にもないらしく、余計に住民達は疲弊していた。
決壊箇所も見た。川が蛇行している箇所で、上流から勢い良く流れ、ひび割れたようだ。この堤防は古いので補修も時々行われていたが、地震には勝てなかったらしい。
堤防も途切れ、深い森が上流に向かって伸びている。その先はM.O.W.があるタイリュー山だ。川の流れは既に減っており、行こうと思えば行けるが、今からでは到着が夜になる。
二人は明日の早朝に出掛けることにして、家路につく。戻ると家の玄関に母の字で、『井口くんと関本くんから連絡あり』と、メモが貼られていた。
今のユニコンの設定では、向こうからシュンのにアクセスできないようだ。二階の自室に行き、設定をミェバ版にして井口のユニコンにアクセスすると、すぐ出た。
「お前、櫻菜と駆け落ちしたってホント?」
久しぶりに聞く井口の第一声に、シュンは呆気にとられる。
「はあ?」
「だっていきなり同時に訳も無く居なくなったから、皆そう思ってっぞ」
「んなわけねーよ!」
井口の声は相変わらず大きくて、傍らに座るハルにも聞こえそうだ。否定するのも気が引ける。ただハルはハルでこちらを気にせず、家にある母さんの本を読んでいた。電子リーダーでも読めるが、紙媒体が好きらしい。
途中から、関口もアクセスして来た。二人とも楽しくやっているようだ。心が落ち着いた。旧友との会話も一頻り終わり、夕食時になった。親達は出掛けて不在なので、思い思いに持って来たインスタント食品に、手をつける。
良く考えたら謎の美少女だったハルとこうして一緒にご飯を食べているのも、不思議なものだ。胸のドキドキも綺麗さっぱり消え去り、一緒に作業する仲間としての感覚が大きい。
「何見てんのよ?」
ハルは不思議そうにシュンを見返した。
「いや、別に」
シュンは目をそらしてご飯を食べた。
ハルが何か言いかけたとき、ちょうど両親が帰宅する。帰って来た親達に、『明日の朝早く戻る』との旨を伝えたら、とても残念な顔をした。
「ここは大丈夫だから、また来いよ」
父の言葉は温かかった。
* * * * *
日の出とほぼ同時刻、二人はタイリュー山へ向かって出発した。
「あ〜ダルい〜 こんなんだったらフライングソーサー持ってくれば良かった〜」
「そんなの使ってる人、この街でいないよ」
冷静にシュンが返す。NAGの最新装備を持って来ても、今は文句も言われないだろう。ただ後でクレームが来ないように、派手なことは控えるのが無難だ。だから出発も早朝にした。
「改めて近くで見ると、かなり崩れたんだね」
「そうだね……」
山道に行く途中の山肌を見て、二人は自然の威力を思い知らされた。普段見慣れていた山が崩れ、一部は土砂崩れが起きていて森林が倒されているのが分かる。山道入り口にはバリケードが置かれていた。
「関係者以外立ち入り禁止だって。どうする?」
「関係者だよ」
二人は気にせずバリケードをまたぎ、先へと進んだ。一年ほど前は、トビクジラを使った悠々自適な旅だった。だがこうして歩くと、なかなかに時間がかかる。
「うわ〜! 絶景〜!」
紅葉には未だ早いが、道路からはさっきまでいた街を見下ろせた。更に進むと、平野が一面に見えた。しばしの休憩とする。街の回復は何時になるだろう。シュンは遠目に見る街並をみて、それだけを思っていた。
「確かに、こりゃ立ち入り禁止だわ」
ハルが言うように、博物館前の駐車場にはポッカリと大きな穴が開き、とてもじゃないが、使えない。他にも、何箇所か崩れていた。
「どうする?」
「前通った道から行く?」
「あれ崩れてるでしょ。それより、この辺の陥没孔から辿り着けるんじゃないの?」
ハルの言い分ももっともなので、まずは調査を始めた。
建物の窓ガラスも幾つかは飛び散り、柱も一部歪んでいた。
二人はそれぞれ反対方向に進み、陥没の様子を調べた。
「シュン、これ行けそうじゃない?」
ハルが呼んだので、行ってみると、確かにその穴は大きく、底の方には川が流れる音がする。かなり広い、空洞のようだ。当時は何も知らず一心不乱に逃げ惑ったが、位置的に、この辺りの下だったのかも知れない。
「中に入れそう?」
「そこの杉にロープを括れば、何とかなるんじゃない?」
リュックからヘッドランプ付きヘルメットを取り出して装着する。ハルの指示通り太い杉の木にロープを巻き付け、慎重に下りて行った。
あの時のように落ちないかと冷や冷やしたが、川縁がちょうどあって、無事に降り立てた。辺りを見廻すと、あの時、岸辺に見えた通路のようだ。
「ここなら見覚えある。行けるよ!」
シュンの声を聞き、ハルもロープで下りて来た。初見ではないので恐怖はないが、万が一を考え二人は慎重に進んだ。
この位置関係なら、二人で漂流した地底湖のダムが近くにある筈だ。でも川幅がかなり細くなった様子から、既にダムは決壊したものと思われた。そもそもここの決壊が、下流への洪水被害に繋がった可能性が高い。
「あれ、居そう?」
ハルが少し不安になりながら、シュンに尋ねた。クリーチャーの事だろう。
「分かんないな」
見ての通りで、気配はない。それより前回来た時とは坑道の様子がかなり変わっている。マップもうろ覚えだから、進むのも手探りだ。ただ天井に幾つか開いた孔のおかげで、光が多少差しこむのが二人にとって幸いだった。
何度も行き止まりにぶち当たりながら、二人は辺りを彷徨った。
「あ、これ!」
ハルが指差した所にランプをかざすと、以前乗ったトロッコの線路があった。線路沿いに上っていけば、M.O.W.に辿り着けるだろう。途切れていた箇所もロープをかけて通過した。悪戦苦闘して線路沿いに遡ると、やがて自分達のランプとは違う人工の光がうっすらと現れた。
近づいて行くと、やはりM.O.W.が、そこにあった。




