第60話 ユキは見た
「ユキちゃん家ってどっち?」
「あっちの方だけど……」
そう言って、シュンが指差す方向に見える景色は、ここよりも更に、過酷な風景が広がっていた。水を入れる前の田圃には、流れ着いたガラクタが、あちこちに打ち捨てられている。
「これじゃ、ユキは居ないかも……」
ユキの家があった場所を見て、シュンは呟いた。平屋の家屋は、すっかり水に浸かって流されたようだ。その代わりに、別の家が倒れている。
「そろそろ、所長に報告しようか」
リュックから通信機を取り出し、NAGSS専用回線に繋いだ。テレビ電話機能をオンにすると、待ち兼ねていたのか、直ぐにチェスター所長が現れた。
「ご苦労。無事到着したか」
「はい、現在自宅にハルと二人で居ます」
「そうか、ご両親にも宜しく伝えてくれたまえ。あの時は、私達もかなり強引だったからな。君も、両親に感謝するのだぞ」
「はい」
「それで、様子はどうだ?」
「洪水と地震の同時災害で市街地は瓦礫と化し、自分が住んでいた地域は泥まみれです。ただ……」
「ただ?」
「誰もクリーチャーを見てません。あくまで『自然災害が起きた』、と言う認識です」
「そうか。起爆剤として使っただけなのかもな。M.O.W.には行けそうか?」
「道路がかなり寸断されていますが、徒歩であれば」
「頼む。最優先事項だ」
「承知しました。明日、向かいます。撮影した現地の様子を、今から転送します」
「ご苦労。二人共大変だろうが、引き続き頼む」
そう言って、チェスター所長は通信を切った。シュンは、撮影した動画や写真を、NAGSSのアドレスに転送した。簡易型だから通信速度が遅く、時間がかかる。ハルは作業をシュンに任せ、部屋の中を物色していた。まあ誰でもやりそうな事だ。
「何にもなくてつまんない〜 あ、これ小学校の時のユキちゃん?」
「見るなよ!」
小学校の卒業アルバムを引っ張って来られて、慌てて取り返そうとした。
「別に良いじゃん〜」
ハルは抵抗するが、とにかく回収しようと、シュンは必死にアルバムに手をかける。だがハルは、寸でのところでかわした。無駄に運動神経が良いから、こう言う時は困る。
「どれどれ、あー、シュン発見!」
「やめろ!」
努力も虚しく、小学校の時のシュン達の写真はハルの目にしっかり焼き付けられた。
「思ったより可愛いじゃん!」
笑いながら言うハルに、殺意が芽生えたシュンであった。
「ご飯よ〜」
階下から、母の声がする。
「そうは言っても、まだガスも水道も駄目だから、配られた避難食なんだけど」
一階に下りると、何とか綺麗にした台所で、母が申し訳無さそうに言った。
「大丈夫だよ、こっちで持って来てるから。一緒に食べよう」
シュンはリュックから、カップラーメンを取り出した。小型水素電池があるので、電気は使える。簡易型ポットで濾過した水を温めてお湯を注ぎ、三分間でラーメンが出来上がった。
「あったかい食べ物は久しぶりだ。やっぱり体があったまるなあ」
父は、しみじみと言った。
「若いお嬢さんには悪いけど、お風呂はまだなくて……」
「良いんです、お構いなく」
「申し訳ついでにもう一つ言うと、まだ一階は泥臭くて、私達も二階で寝てるの。ご覧の通り、二階は三部屋しか無いんだけど……」
「え、何言ってるの、ちょっとそれは無理!」
シュンが慌てて否定したら、両親は顔を見合わせた。
「いや、父さん母さんで一つ、シュンが一つでアカネとハルさんで寝てもらうつもりだけど?」
「あ、そ、そうだよね。ハハハ」
シュンは勘違いに恥ずかしくなって、顔が真っ赤になった。
「発電所の出力も、まだ低いらしいな」
父の説明の通り、外灯は殆どつかず、真っ暗だった。
けれどもその代わりに、見たことがないくらい、星空は綺麗だった。
* * * * *
「起きろ〜」
ハルの声で目が覚めたシュンは咄嗟に跳ね起き、三分で着替えた。日頃の訓練の賜物だ。トーストとハムエッグを、両親とアカネにもふるまった。朝食を摂り終えると、二人はまずユキへと家に向かう。
小学生の頃から何度も通っているから、目をつむっても行けるぐらい慣れた道だ。だが今こうして何もない泥道を歩くのは、異世界に踏み込んだ心持ちになる。周りにあるのも、漂流してたどり着いた全く違う家やゴミの山だ。
「おはようございます〜」
かろうじて残された門の前で申し訳程度の挨拶をするものの、敷地の境目が良く分からない。想像はしていたが、誰の声もしなかった。ゴミを漁るカラス達の鳴き声が不気味に響く。ユキの家だけが流された訳でもなく、周りにある古い農家の家屋は軒並み姿を消している。
「酷いね……」
ハルがぼそりと言った。二人共元気なく中に入り、玄関があった所で立ち止まった。初めてユキと会った場所だが、跡形も無い。男みたいだった小さい頃のユキを思い出す。
呆然とする二人に、背後から聞き慣れた声がした。
「シュン?」
振り返ると、一瞬誰か分からないくらいに大人びたユキが立っていた。
「おう、久しぶり。髪伸びたな」
あまりの変貌ぶりに動揺を隠しつつ、シュンは話しかけた。何も無くすれ違ったら、気付かずに通り過ぎたかもしれない。肩まで伸びた髪も、やや丸みを帯びた体形も、意外過ぎて驚くしかなかった。
「久しぶり!! 高校生になったし、女の子っぽくしたんだ。どう?」
けなげに笑っていたが、顔は汚れ、迷彩服やスニーカーも、泥で汚れている。こんな場面でなければバカ話をして気を紛らわせたいが、シュンは言葉を出せなかった。
「家無くなって、田圃も無茶苦茶だよ〜 復活には三年以上かかりそうだって。まあグンケン行って来たばかりだから、訓練代わりと思って片付けしてるよ」
「お疲れさん。お父さん達は?」
「畑と田圃の見回り。自然相手の仕事だから、これくらいでへたばっちゃ駄目なんだと。ご先祖様も、噴火や飢饉を乗り越えて来たからって。やる気は、十分あるんだ」
「そっか、それは良かった」
「ハルちゃんも久しぶり! 元気? 眼鏡やめたの?」
「え、ええ」
『その大人しいハルは偽物だ!』と言いたいシュンだったけれど、報復が怖いから黙っておく。
「二人そろって急に転校しちゃったから、皆びっくりしたよ。まさかあの二人が、って。まあ一応、ユージ君とは別に特待生として送り込まれたって、橘が言ってたよ。でもシュンだから、誰も信じなかったけど」
「ちょっと、それ」
シュンはむすっとしたが、言い返せない。
「ごめん、ごめん。事件に巻き込まれて死んだんじゃないかってのが、もっぱらの噂。本気で心配してたんだよ。だから生きてて良かったよ!」
「そっか、悪かったな。何しろ突然だったし、皆に挨拶出来なかったのはごめん」
「良いって良いって、命あっての物種よ。そういや井口は、私と同じ高校なんだ」
ユキの口からは、シュンの同級生達の進路が語られた。
「あいつらやっぱアホだから、手に職付けろと親から説教受けたんだって。んで井口は農業、関本は水産」
「水産って、カシ港にある船に乗るの?」
「そうそう。今年の冬には半年間航海に出るって」
ミェバは内陸だから港はないが、水運と貿易の為に港のあるカシ自治区と協定を結んでいる。だから海産物の収穫や貿易業の学習を目的として、水産高校が存在した。あと軍共用の飛行場もあるから、航空高校に進む子も多い。
「けど井口、靴屋を継ぐんじゃねえの?」
「知らなかった? お姉さんが結婚して、義理の兄さんが靴屋をやるのに乗り気なんだ。井口は元々靴屋やるの好きじゃなかったから、別なことすっかって」
「ふうん」
一頻り話を終えた後、ユキは「んじゃ、そろそろ親の手伝いにも行かなきゃ」と、戻ろうとした。
「何か手伝う事ある?」
「まあ、まずは良いよ。シュンん家も大変でしょ?」
そう言ったユキだが、ふと何かを思い出してシュンの方に近寄って来た。
「そう言えばさあ、ちょっとシュン、良い? 櫻菜さん、ごめん」
ユキは有無を言わさずシュンを少し離れた場所へと連れて行く。
「あのさあ、ちょっと変な人見たんだけど」
「変な人?」
「うん。実はあの時、私は夜中ラジオ聞いて寛いでたんだ。そしたら庭の前にある銀杏がざわつくから、ちょっと気になって外に出たの。それまでずっと大雨で外に出られなかったし。そしたら……いたんだ」
「何が?」
ユキの顔は至って真面目で、深刻そうだった。




