第48話 クラゲで浮かぶ空の旅
シュンは着替え等をバッグに積めこみ、誰にも挨拶せずひっそりと寮を出る。まるでイェドに来た時のようだ。ただ訳あり欠席は他の学生もあるし、気にもされないだろう。
昼間と違う眠り顔のNAGSSに入ると、既にハルがいた。自動運転車も待機している。任務遂行だから、今回のハルの服装はシンプルだった。旅慣れているのかハルの荷物は少ない。あそこまでキレたわりには、準備万端のようだ。
「待った?」
「ううん、私もいま来たとこ。乗りましょ」
乗り込んでNAGAF基地に着くと、もう先生やスタッフ達は何やら忙しく動き回っている。サイトー先生が二人に気付き、話をかけに来た。
「お疲れさん、今回の任務に使えそうな物を用意しておいたよ。これとか」
手渡されたのは、訓練でも着用するクロホウだ。透明な雨合羽みたいなスーツで、普通の衣服に重ね着するだけで完全密封し、宇宙空間等でも活動できる。畳むとこぶし大になるから、持ち運びにも便利である。
「それに今回の任務には、これも必要かな」
そう言ってサイトー先生は、二人に刃の無い十字手裏剣みたいな物を手渡した。
丁度握りやすく、作られている。
「イメージブラスターと言うんだ。幻影銃と同じで、真ん中のボタンを押して」
言われた通りにすると、あの時と同じ感覚が、頭からつま先まで行き渡った。
「こっちは脳波で銃として使えるし、レーザーソードのような刃も出せるよ」
「簡単に使いこなせるんですか?」
「まあ、乗ってる間に練習しといて」
どうもハルの言う通り、やっつけ仕事でいい加減な所もある。
他にも幾つか装備を受け取り、いよいよ準備が整った。
雲で覆われて、星一つ見えない夜だった。
件の雲型飛行機は、見た目ステルス状の形態で角が少ない中型ジェット機だ。
二人で乗るには、十分に大きい。
「自動操縦で上空に飛び立った後、翼を八方に広げて霧を発生させるんだ。核となる金属物は、変形可能な特殊加工をしている。だから、周りの気圧で柔らかく変化するよ。レーダーを散乱するので、人工物とは認識されない仕組みになっている。クロホウを着れば、一定気圧と温度を維持するから、飛行機の外にも出られるよ。低重力域を飛んでいる時、訓練もしてみたら」
説明を聞きながら、本当に行くのだと実感した。暫くイェドを離れるが、不思議と感傷的な気分にはならない。会いに行く相手が、ユージだからかも知れない。
「他には?」
「通信は? 傍受されないの?」
今のうちに聞ける事は聞いておくハルだった。
「太平洋上までだね。アメリ大陸では無理だ。以後、判断は君達に委ねられる」
「フォーチュン市にはどうやって入るんですか?」
「安心したまえ、協力者がいる。手筈は万全だ」
「コンタクトの方法は?」
「君達の情報は送信済だ。後は協力者が手筈を整えているから、指示に従ってくれ」
チェスター所長の話しぶりでは、周到な用意がされているらしい。
「分かったわ。じゃあ乗りましょう」
「うん」
「頼むぞ。幸運を祈る」
大きく開かれた扉から入ると、中も広く快適そうだ。座席はベッドにも折り畳み可能なリクライニングで、二人では十分な個室スペースには、風呂やシャワーもある。飛行機でお風呂とは贅沢だが、ニッポン人には欠かせない。
中央には大きなモニターパネルが置かれ、そこで指令を受信するようになっていた。操縦桿も、緊急時に手動で動かせるようだ。シュンはシミュレーションでしか操作していないが、ハルは実地訓練も済んでいて、既に免許を持っている。
音も無く扉が閉まると、はじめ二人はそれぞれのソファに寝そべってリラックスした。だがモニターに管制官と所長、サイトー先生が映し出されると、かしこまって正座し直す。これじゃ、いつ見られるか分からないから、あんまり油断はできないと理解した。
「間もなく離陸します。二人とも席に着いてシートベルトを着用して下さい」
合成音声の指示に従い、座席に座ってシートベルトを固定する。
機体は校庭から続く滑走路に向かって、自動で動き始めた。両脇に並ぶ赤いランプと等間隔をとりつつ進む様は、パイロットの操縦と比べ幾分機械的な動作であった。
指定地に到着して、ジェットエンジンの音が少しの間収まり、やがて出力が切り替わったのか別種の轟音がゴゴゴゴと響き渡ると、機体は勢いをつけ、前へ駆け始めた。
凄まじいGでシートにめり込むシュンは不安を感じてハルを見たが、彼女は平然としている。
窓の外を見ていると、やがてフッと地面から離れる感覚がした。飛び立った機体はネオン輝く夜の大地を旋回すると、雲の中へと入っていった。重力に逆らう勢いのあった速度から徐々に減速し、濃い雲の中を進んで行く。視界不良なので、前方にある窓ガラスからは何も見えない。
「クラウド状態に変形します」
と、モニターから合成音声が鳴り響いた。窓の外を見ると、翼の部分が広がって円盤様の形状になり始めた。その形状も一定では無く、暗闇でも白銀に輝く円盤は風で靡いている。ジェットエンジンの音も消え静音プロペラに切り替わった。
モニターからは、プロペラの回転数がデジタルで表示され、高度や出力を示している。周りの気流をセンスして、出力や向きを調節するらしい。上下方向にも自在に可変するから、空中で浮かんだままに見える。
高度やその他の情報も全てモニターされ、完全自動操縦だ。旅客機とは全く違うゆったりとした遅さで、まるで雲の一部になった空の旅が始まった。
* * * * *
しばらくして、シートベルト着用のサインが消えた。
二人は今度こそ席を離れ、思い思いの時間を過ごし始める。
はじめハルはそこら辺にある、女の子向けの雑誌を読み始めた。
だが趣味にあわないのか、つまらなそうに直ぐに放り投げる。
シュンもマンガを手に取ったけれど、あまり面白く無い。
NAGSSも、自分達の趣味までは把握してないようだ。
大人なんて、そんなものだ。
「あ、ゲームあるよ、やる?」
ハルの呼びかけにシュンも応えた。窓の外は真っ青な空の中をゆっくりと雲が流れている。船内は十分に広く、3Dゲームで闘う分には丁度良い。
先生達からモニターされているが、ミッション前のストレス発散だから良いだろう。これくらいは役得だ。そもそも装備品だから、NAGSSが承認済みのはずだ。
二人は手当り次第に遊び始めた。
イメージブラスターが、コントローラーを兼ねている。
グラディエーターやジェダイになったり、源平合戦をやったり、テニスやサッカーもした。第二次世界大戦や戦国時代や三国志のシミュレーションゲームもやった。
ハルの運動神経と知略はなかなかで、シュンの勝率は悪かった。
まあおかげで、この道具の扱いにはなれてきた。
剣になったり銃になったりと、予想以上に汎用性が高い。
「ふ〜疲れた。で、今どこ?」
何日か経ちハルは急に気になったのか、モニターを見た。機体はまだ太平洋の真ん中だった。これだけ時間を潰しても、まだ道半ばらしい。やっぱり時間がかかる。
窓の外は、いつの間にか綿菓子のような雲だったのが、細かく切られた鰯雲に変わっていた。
「ねえ、外にでよっか?」
ハルの提案は、何時でも急だ。だが気持ち良さそうな天気で、断る理由も無い。クロホウを着て後部にある入り口ハッチを開けると、普段より近い青空があった。念のために命綱もつけておく。
「うわ〜フカフカ〜!! モッフモッフ〜〜!!」
血走った眼でハルは駆け出し、そのまま機体中央に向けダイビングした。瞬間機体が沈んだので、シュンはよろめいた。ただ歩いて分かったがこの金属は柔らかく、ハルの突撃でも凹むだけで直ぐに元通りとなり、全然平気だった。
「この感触、ひっさしぶり!!」
童心に戻ったようで、ハルは飛び跳ねゴロゴロ転がった。
懐かしい姿に、シュンも気が休まる思いだ。
「あ、危ない!」
ハルが勢い良く機体の端の方まで転がっていき、シュンは慌てて追いかけた。
ここで落ちたら、最悪である。
「へっへー」
シュンをあざ笑うかのように、ハルは円盤の端で止まっていた。
機体の構造的に、ちゃんと柵が作られているようだ。
「おっとっと!」
逆にシュンの方がよろけて落ちそうになるが、しがみつき何とか事なきを得る。
真下には、群青の海が穏やかに広がっていた。
「あ、見てみて!」
ハルの指差す方向に、イルカの大群が飛び跳ねていた。既視感がする。
現実世界でこんな体験をするとは、思ってもいなかった。
「面倒だから、このままのんびりずっと浮かんでたいなあ〜」
やはりハルだなと思うシュンだが、自分も同じ気持ちであった。
これから何が待ち受けているのか、全く分からない。
今更引き返せない。それなら、今を楽しんだ方が良いだろう。
?
シュンは視界に何かを感じた。
二人が乗る船から300mぐらい離れた先にある鰯雲の集団の中から、キラッと何かが光った。




