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第46話 人本位制度

 ある一日。今日の午前は歴史を選択する。


 教室は、校舎の一番外れにある和風庭園付きの静かな平屋住宅だ。古代時代の家屋と同じ寝殿造り様式で、今時珍しいこの邸宅がシュンは好きだった。


「やあ、新未君」


 齢八十に近づこうかと言うリヒャルト先生は、縁側で池を眺めながら優雅にお茶を飲んでいた。西洋系の掘りの深い顔付だが、和服が似合う。畳敷きの奥の間には鎧兜が飾られ、艶やかな色の壷に一輪の青い薔薇が生けられている。


「熱心だな。今日は何を学ぶかね」

「そうですね。世界史はあらかた終わったのですが、お話を聞きたくて」

星の子供達(スターチルドレン)に会って、思う所があったのかな?」


 先生方には、既に知れ渡っているようだ。

 もしかしてサイトー先生の素性も、知っているのかもしれない。


「海の民をご存知ですか?」

「ああ、人本位制度から漏れた者達だね。人本位制度に至った経緯が知りたいのかね?」

「そうですね。何と言うか、何故こういう制度が出来たのかと言うか……」


 シュンの質問にしばし黙考したのち、リヒャルト先生は話を始めた。


「知っての通り、人は一人では生きられぬ。文明的な道具、食事…… 生活の全てを一人で築くのは不可能だ。だから物を交換し合い、文明が発達した。物々交換から共通の価値を持つ貨幣を介した交換への変遷も、利便性を考えれば当然だ。分かるかな」


「はい」


「初めは金等の希少価値の高い金属で賄われ、更に発展して紙幣が生まれた。そして電子データの信頼を前提に作られた、仮想通貨も生まれた。だがどの貨幣の流れも、公平では無い。恣意的な操作がまかり通ったのだ。先に情報を得た者が一番利益を上げる。そこに才は関係なく、悪意ある人間が得をする」


「だからこうなったのですか?」


「AIによる支配の、一つの完成形と言おうか。人間一人一人が全て平等に能力測定されれば、各人にふさわしい生活が送れる。支配というより、調整の方がしっくりくるかも知れない。人間も理想で動ける時代になった。だが、これでは海の民の存在を説明できないな。そもそも制度から漏れた人間の存在を正当化するのは、欺瞞か。まだ成熟していないのだ。ランク制度を始めて二百年以上経っても、まだ模索中と言える」


「成熟は可能ですか?」


「そうだな。本当に出来るのか?賭けるしか無いのだ。分からんよ。結局は動き始めたら信頼するしかない。どのシステムも、その前提でできている。信頼されないシステムは、浸透しない」


「信頼、ですか」


「一例を挙げよう。ある会社で、製品開発の確認試験に問題があると告発された。当時は他社でもやっている操作で、厳密には不正でないと、指摘する専門家もいた。だが匿名ネットで指摘されると、有名会社でもあり予想以上の大騒ぎになった。やがてマスコミも嗅ぎ付け、ライバル会社の裏工作もあって連日の大騒動。実害が何もなくても不当に悪者とされ、開発者は実名で糾弾された。開発者は弁明したよ。製品の質には問題が無いとね。だが問題はそこじゃない、”皆が信じるかどうか”、だ」


 リヒャルト先生の言わんとすることは、シュンも何となく分かる。人は真実かどうかであるより、その時の空気で判断を下しやすい。


「一説には社内派閥の抗争があったとも聞くし、更に大きな問題を隠すためとも聞く。だが真実は闇の中、結果として一方的な不正認定、開発者は退職処分になった。そうしないと会社の信頼が無くなるからな。正しいかどうかは後回しだ」


「それでその会社の信頼は回復したのですか?」


「そう、そこが問題だ。その後どうなったと思う? 数年後、比較にならないほど悪質な粉飾決済が発覚し、半年も経たずに潰れたよ。結局、開発者の処分は無駄に終わったわけだ」


 カーーーン


 静寂な空間に、鹿威しの乾いた音が透明に響く。


「ここの校訓と同じだよ。《誠実であれ》適切な処理をしないと組織は更に歪み、結局は全員が不幸になる。特にNAGSSは星の子供達(スターチルドレン)の養成学校だ。だから特に、誠実の重要さを説いているのだよ。果てしない宇宙で、我々はちっぽけな存在だ。永遠とも思える孤独の中で、わずかしか居ない人間が不正をしたら猜疑心が募り、全体が死ぬ。勿論、宇宙の塵となった子供達がそうだったとは、信じたく無い。だが歴史は人間の性を見せつける。人を信じるのが、なかなか難しくなる。齢は取りたくないものだな」


 シュンには先生の言葉が重く感じた。今までの何気ない生活も、あっという間に反転し得る。それは心に留めておかねばならない。

 

 リヒャルト先生は急須をとり、お茶を入れて飲んだ。

 傍らにあった茶碗にもお茶を注ぎ、シュンにもすすめた。


「ありがとうございます」

「この茶葉はフジ山麓にある茶畑から取れたものでね。今の世では貴重な一品だよ」

 

 以前リヒャルト先生から習った作法に従い、シュンはお茶をたしなんだ。庭には、すずめのつがいが遊びに来ている。



「そろそろ時間かな。他に何か?」

「M.O.W.って何ですか?」

「それもか。君はたくさんの経験をしているな」


 リヒャルト先生は苦笑した。


「もう十年か、まだ十年か。確かにあの当時、人々は心乱され、混沌が広まった。声なき者達の声ほど、恐ろしいものはない。無責任な情報や流言飛語があちこちに伝播し、社会不安は更に加速された。どこまでがM.O.W.によるだったのか、今も検証し切れていない」


「そうなんですか」


「ただ君も見たように、M.O.W.は存在する。私の曾祖父は、NAGSSでの沙槝場ノアを教えていた。だから幾つか聞いた話もある」


「どんな話ですか?」


星の子供達(スターチルドレン)として出発する前から、彼には、基本的なアイディアがあったようだ。世界中のAIやネットワークを駆使して、世界の最適解を与える理論らしい。つまりM.O.W.による変化は、世界の意思とも言える。まあ詳しい事は年寄りには分からんて」


「そんなの、可能なんですか?」


「どうかの。実際に創るには、それこそ彼のような存在が必要だったのだろう。どんな影響があるか、私には分からない。未来を見通せるのは、限られた人間達だけなのだよ。そろそろお昼だね。これで講義を終わろうか」


 リヒャルト先生の言葉に促され、シュンは一礼して退席した。

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