第40話 イェドの地下はこわい
イェドの地下は迷宮。入ったら二度と出られない。
これは、誰でも知っている。地震や昔の内戦、暗黒の一週間で無茶苦茶になり、どうなっているのか誰も知らない。
さっき知り合ったばかりの人とそんな危険な地下に入るなんて、自殺行為だ。危険きわまりない。だが今のシュンに、選択の余地はなかった。
湿っぽい、かび臭い匂いがする。
真っ暗かと怖れていたが、電灯が弱く点いている。目が慣れると、それなりに周りの風景が見えた。改札跡を通り抜け階段を下りると、暗いトンネルの中にはホームが真っすぐ続いていた。ホームの先端には階段があり、下におりられる。ただ先は漆黒の闇に飲み込まれ、何も見えない。
「こんにちは」
突然、背後から呼びかける声がした。振り返ると、二人組の警官が立っていた。
どうやら完全な無人ではないようだ。
「さっきコンサート会場で爆発があって、逃げてきたんです」
やっと助けてもらえる、そう思ってシュンは話しかけた。
「そうですか。我々もテロリストを捜して警戒警備しているのです。背後の彼女は?」
そう言って、警官の一人が彼女に興味を持った瞬間、
「シュン君、ごめん!」
キリシアはそう叫び何やらボールを床に叩き付けると、閃光が四人を包み込んだ。
!!
煙がもうもうとあがり、シュンは目が見えなくなる。
「まてええ!!」
「逮捕するぞ!」
警官は未だ視界が回復していないようで、盲滅法に発砲していた。彼らが混乱している最中、キリシアの柔らかい手がシュンの手を掴み、ホームの先に走り始めた。
「大丈夫、当たらないわ」
まだ視界がぼやけているシュンの手を引きながら、キリシアは言った。そう言われても跳彈に当たったら、たまらない。シュンは恐怖していたが、何も見えないし、キリシアから離れる訳にもいかなかった。
「ここでじっとして」
ホームから下りて、二人は警官の視界から外れた。カビっぽい匂いが、もっと鼻につく。彼らは二人を追うよりも援護を求めたらしく、階段をかけ上がる音がした。
「ふう、とりあえずは大丈夫」
キリシアは安堵していた。しばらく手を引かれるままのシュンは、やっと視界が回復して辺りが見えてくる。さっきまでいた地下鉄ホームの微かな照明すら、見えるか見えないかの距離まで入り込んだ。手を引かれていた時から気付いたが、足元は凸凹で歩きづらい。転ばないように気をつける。
「ごめんね、私、指名手配犯だから」
(え?)
こともなげに重大発言をするキリシアに、シュンは背筋が寒くなった。
「もしかして、さっきの爆発も?」
「うふ、ナイショ」
シュンは、自分の選択を後悔した。もしかすると、もうNAGSSに戻れないかも知れない。そんな底知れない恐怖も、感じ始めた。
更に良く考えてみると、重大な秘密を知らされたのだから、生きて帰れない可能性もある。シュンの背中に、嫌な汗がつたう。
「ど、どうするんですか?」
不安な声で、シュンは尋ねた。
「こわい? 大丈夫よ、全ては予定通りだから。行きましょ?」
キリシアは子供をあやすような明るい声で、暗闇の先へと進んだ。逃げたいがどうしようもない。見失わないように、キリシアの歩く音を頼りにシュンも後に付いていった。
「そ、それでさっきの話なんですけど……」
辺りの風景にも馴れて来たので、思い切って、シュンは質問した。
「なーに?」
キリシアは怪訝そうな顔で振り返る。
「キリシアさんは、何かの宗教団体なんですか?」
ちょっと間が空いて、キリシアは微笑して立ち止まり、シュンをじっと見た。
「ちょっと違うんだ。お巡りさんに目をつけられているのは、変わんないけど」
「じゃあ何であんなビラ配りを?」
「探してたの、君を」
「え?」
意外な言葉に驚くが、キリシアは何も答えず、再び歩み始めた。しばらくは、二人の足音と微かな水音しか聞こえない。すると唐突に、キリシアは喋り始めた。
「ちょっとだけさっきの話をするとね、《コンフォーミティー》って、知ってる?」
「いえ」
「人類以前の霊長類でも見られる、集団で異なった行動様式のこと。猿もボス猿を中心に群れをなすのは、知ってるでしょ?」
「実家近くの山に、サルが居ました」
「ああ、そう。彼らも私達と同じで、自分の集団でしか使わない独自のクセがあるの。生き物の取り方とか、手振りとか。それが何に繋がるか、分かる?」
「群れ同士の抗争ですか」
「そう」
「つまりそれが、《原罪》と言いたいんですか?」
「まあね。集団を作るのは、罪の一つ。一つの集団を作れば、別な集団も出来る。そうなると、集団同士の諍いは必然。考えれば当たり前だけど、霊長類は弱いから」
確かに、人間一人がライオンや熊に勝てるとは思わない。
「そこまでして覇権を握りたかったのか、ご先祖様に聞いてみたいわね。でも私達がこんな生活できるのも彼等のおかげだから、それも傲慢か。いずれにせよ、集団の諍いは人間の本質。歴史はその繰り返し。ま、あんなとこでこんな話しても、誰も聞かないけどね」
苦笑いするキリシアだった。
「こんな狭くて小さな争いばかり見ていると、時々嫌になるわ。宇宙は、もっと広いのに」
「行った事あるんですか?」
「うん。あ、ここにも群れの徴がある」
キリシアがそう言った先には、仄かな灯りが灯り、またホームが出て来た。近づいて分かった悲惨な光景に、シュンは驚き思わず後ずさりした。
「これは……」
ホームの上には、ボロ布になった服に包まれた沢山の骨が積み重なっていた。
「さっきの駅は避難所代わりにまだ使えるけど、ここは当時のまま打ち捨てられたの」
キリシアの口調には、先ほどの明るさが消えていた。
「暗黒の一週間。あの核爆発の混乱で、暴動が至るところで起こった。ここも例外なく、丁度この上にある高級商店街が襲われたの。悲惨だった。その後は犯罪者の巣窟となり完全な無法地帯。地上は君が来れる場所じゃない」
足元にも、少し硬い何かがボキボキ壊れる感触があった。現実を見たくないシュンは、気のせいだと言い聞かせて進む。気持ち悪い匂いもして、胸焼けがする。何も見ず感じずに、とにかく先を急いだ。




