第28話 芸術の秋
入院生活も1週間ほど経ち、やっと補助具を付けて歩けるようになった。
これは両足に履く長靴みたいなものだ。シークレットブーツみたいに少し背が高くなるが、足に負担をかけず歩ける。
慣れるまで多少の技術を要するものの、歩行できるのは嬉しい。今までこの病院に来た事がないので、シュンは時々売店や休憩所に行って時間を潰した。指示に従いジムで時々リハビリもした。結構楽しめる場所があって、快適だ。
寝苦しいある夏の夜、窓から覗き込む月があまりに綺麗でシュンは外に出たくなった。この病院の屋上は誰でも出入り可能なので、シュンも時々行ってのんびりしている。
シュンはエレベーターに乗り、屋上へ行く。医療と研究施設が多いナカ台地区でも、二十階建てのこの病院はシンボル的存在だ。屋上から見える夜景は、ミェバ百景の1つとしても知られている。
この時間、既に街は眠りに入って代わりに月と星達が存分に煌めいていた。
時折見上げて星空を眺めつつ屋上を散歩していると、中央に青白い幽霊が佇んでいる。
シュンは叫んで逃げかけたが、止めて正解だった。
逃げれば、追いかけられて更に恐怖が倍増しただろう。
「久しぶり、奇遇だね」
櫻菜ハルだった。
真っ白な肌に純白の寝間着姿は本当に幽霊か妖精みたいで、夜でも薄く輝いている。眼鏡もリボンもしていないから、あの世界の時みたいに眩く見えた。
「あ、こ、こんばんわ」
お互い入院中だから会っても不思議では無いが、予期せぬ客人にシュンはたじろぐ。ハルの方は少し嬉しそうな顔をしているけれども、シュンはその意味を解釈できなかった。
「シュンは、運命って言葉好き?」
「あ、う、まあ……」
突然の質問に、言葉が詰まる。
「わたしは嫌いじゃないかな。こうして会ってるのも、そうじゃない?」
「え、でも何となく来ただけで……」
「私だって、月が綺麗だから何となく来ただけ。病院に大勢いる中ここに来たのは、シュンと私だけなんだよ」
「まあ、そうだけど……偶々じゃ?」
「偶然でも必然でも、ここに二人しかいないのは事実でしょ。それより、ちょっと座る? 大丈夫?」
「あ、うん」
ハルはそばに寄ってきて、近くにあるベンチに二人腰掛けた。
普段の机隣よりも近い距離で寝間着姿でもあり、シュンは少し緊張して汗が出た。
転校初日の時と同じ香りがする。
「こんな月空でも星が見えるんだね。やっぱりイェドじゃ無理だなあ」
そう言ってハルは背伸びして、夜空を見上げた。シュンも同じ夜空を見る。
しばらくして、ハルは急にシュンの方を向き、
「お疲れさま。ありがとう」
と言ってきた。珍しく真面目な顔だ。
「あ、ああ」
面と向かって言われると、何だか恥ずかしい。
柔らかい風が吹き、ハルの髪がシュンに少しかかった。
「どうやって脱出したか、覚えてる?」
「まあね。シュンは覚えてないの?」
「うん」
「そっか」
と独り言のようにハルは呟いた。
「さ、櫻菜さんは」
「ハルって呼んで」
「は、ハルさんは、この町好き?」
何でこんな質問が口から出たのか、シュンにも分からなかった。
ただ何となく、聞いてみたかった。
色んな場所に行ってるなら、その話も聞いてみたい。
「はあ?」
唐突な質問に、虚をつかれた様子のハルだ。
ハルは少し考えた後に、答えた。
「……そうね。今までで2番目かな。高評価だよ」
「1番目は? イェド?」
「ナイショ!」
ハルは何かを思い出しているようだったが、ふとユニコンの3Dホログラムをつけた。
「そうそう、これ見て!」
そこには、可愛い子猫の立体動画が映し出されている。
「あそこで友達になったの! ミャオムって言うんだ!」
「あそこって、オキミ神社?」
「そうよ。それしかないでしょ?」
当然と言った顔でハルは答えた。
「やっぱりあれは、さ、ハルさんだったの?」
「何を今更」
どうやら彼女にとって、既成事実らしい。そんな事より「また会おう〜♡」と猫の動画を見てほくそ笑んでいる。
「あと好きなのは、あれかな?」
そう言って、再びハルは夜空を見上げた。
「ほら、夏の大三角形。デネブとアルタイルとベガ。デネブは一四〇〇光年も遠くにあるんだよ。あ、ケンタウルスもちょっと見える。やっぱりプラネタリウムより本物は良いね。星ごとに輝く色は違うし、それぞれに惑星がまわってるんだよ! 信じられる? あっちからは太陽はどう見えるのかな? 地球も観測されてるのかな? 見てみたいな〜」
ハルは何かに魅入られたかのように、ずっと空を見上げている。
シュンも夜空を見上げた。世界は二人だけのようだった。
* * * * *
真っ黒な夏休みも、やっと明けた。
八月半ばに退院したが、家からあまり出られず殆ど何もしなかった。登校初日は気が重かったものの、学校は全てリセットされたように平常に戻っていた。
ただシュンの斜め前の席には誰もいない。時折ユージの話も出るが、もう別世界のようだ。櫻菜は相変わらず、皆の前では普通を装っている。
秋も近づき、空が高くなってきたある日。
「櫻菜と新未、美術の高和先生が呼んでるから、美術室に行って来い」
帰り際に橘先生から言われ、二人はそのまま美術室へと向かった。
「何だろう? 怒られる事してないしなあ」
「そりゃ私が居るんだから違うでしょ!」
「あーあ、そうですね」
「何よその顔! 私は大人しい優等生なんだから!!」
「あーはいはい」
今や転校直後に感じたハルに対する緊張や高い垣根も、すっかり消えている。二人だけの時は、他の友達と同じぐらい気楽に話せていた。
家にある人形からも、指摘されていた。
『親密度は高くナリました。ですが相手は何とも思ってナイので、期待はしナイで下さい』
これで人形は半壊、修理に旅立つ羽目となる。
「やあ、良く来たね」
美術担任の高和トモ先生はかなり太り気味のお腹で、人懐こい顔だ。
授業での話も面白く、皆の人気者である。
「再来月の美術展に、学校代表として作品を描いて欲しいんだ。良いかな?」
「あ、はい」
「分かりました」
シュンは絵を描くのが好きだ。家族旅行の際、父は何時もスケッチブックを携帯して暇なとき絵を描いていた。その様子を見て育ったシュンも、自然と絵を描くのが好きになっていた。
小学生の頃も、何度か学校代表に選ばれている。だからこういった話には慣れている。ユキからは、「シュンのくせに」とやっかみ半分でいじられる時もあった。
前に授業で提出したハルのスケッチも上手だったから、合点がいく。
ハルも、絵を描くのが好きなのかも知れない。
「好きに描いて良いよ。大きさはこれくらいで。道具も自由に使って良いから」
高和先生はそう説明すると、
「じゃあ、6時になったら戻って来ます。〆切は一ヶ月先なので、これから来たい時に来ていいよ。早く終わる時は、職員室までこの鍵を戻しに来て」
と言い残し、部屋から出て行った。




