プロローグ
今日、セミを食べた。
好きで食べたわけじゃない。
命令されたんだ、いじわるなクラスメイトに。
嫌だったけど、相手は5人だったし。逃げようとしても、僕は足が遅いから、どうせ捕まって怒鳴られるんだ。
だから食べた。
そうするしかなかった。
噛まずに一気に飲み込んでしまったから、味は覚えていない。
ざらついた羽根の感触が、妙に舌に残っていた。
夏休みが終わって、学校が始まった途端、これだ。
うんざり、なんて言葉じゃ表せないくらい、僕は参っていた。
セミが喉を通る感覚を思い出しながら、僕はフラフラと学校の屋上へ向かった。
死のうと思ったから。
屋上の扉はいつも鍵がかかっているけど、小柄な僕は、扉の横にある小窓から通り抜けることができた。
僕はそこで、夜になるまでじっと待つことにした。
そのあいだ暇だったけど、遺書を書く気にはならなかった。
大の字に寝そべって、 まわりの様子を感じて過ごした。
視界いっぱいに広がる、目に痛いほど真っ青な空と、真っ白な入道雲。
いたるところで奏でるセミたちのせわしない合唱。
ジリジリと肌を焼く眩しい太陽。
校庭で部活動する学生たちの声。
「…………」
世界はこんなにもイキイキとして鮮やかなのに、どうして僕の心はこんなにも暗くて鉛のように重たいんだろう。
そう思うと、だんだん目尻が熱くなって、涙がポロポロと流れた。
いつのまにか、眠っていたらしい。
あたりはすっかり暗くなっていた。
スマホを取り出して、時間を確認してみる。
夜の8時。
先生たちも帰ってる時間だ。
「あ……」
お母さんから電話の着信がきていた。
かけ直そうかと少し迷ったけど、やめた。
これから死ぬんだ。だから、もういい。
僕はスマホをその場に置いて、柵をまたいだ。
この下は、正面玄関だ。
つまり明日、最初に学校へ来た人が、必ず血みどろになった僕を見つけるという事だ。
すごく申し訳なく思うけど、できるだけ早く見つけてもらいたかった。
死体を見て気分を悪くする人数は、どうせなら少ないほうがいい。人生最後の、ささやかな気遣いだ。
足を一歩、前へ。
神様はいいひとだ。
僕たち生き物に、死を与えてくれた。
生きることから逃げる方法を与えてくれた。
どんなに辛くても苦しくても、死ねば終わりにできる。
散髪しただけでからかわれる事もない。
わざと足をひっかけられる事もない。
ドッヂボールで頭を狙われる事もない。
背中に紙を貼り付けられる事もない。
体が宙に投げ出される。
自分の重さで急速に落下する。
あとは、硬い地面が僕の頭を割ってくれる。
それで終わり。
僕は自由だ。
もう自由なんだ。
そうして、観月唱汰の人生は終わりを迎えた。
そう思っていた。
「あ、起きた」
「おはよう」
知らない声が聞こえた。
僕は死んでいなかった。
死ねなかった。