決意
遂に川が溢れ谷底を一気に水が浸し始めると同時に、エレクシアYM10が運転する4WD車は谷から出る坂道を登り始めていた。しかし激しすぎる雨の為に舗装されていない道はほぼ泥流と変わらず、タイヤが空転を繰り返す。
それでもエレクシアYM10は、ロボットであるが故の絶妙なアクセルコントロールで地面を捉え、這うような速度ながら確実に坂道を登って行った。4WD車のライト以外に灯りが全くない暗闇だったが、谷底を見下ろした彼女の目には確かに見えていた。つい先ほどまで自分達がいた住宅が濁流に呑まれ流されていくのが。あと数分、脱出が遅れていれば少年もろとも流されていたことだろう。ロボットである彼女は溺れることはないとはいえ、土石流にも等しい流れに巻き込まれればいかな要人警護仕様機とはいえ無事では済まなかった可能性も高い。
もっとも、濁流からは逃れてまだも安心はできなかったが。
何度も車ごと谷底に滑り落ちそうになりながらも冷静な操作でそれを回避し、三分で下りた道を一時間かけて上り、ようやく谷から抜け出したものの、その先もやはり激しい雨で右も左も分からないただの泥の海であった。しかも明かりさえない完全な闇である。この中を迂闊に移動しては自殺行為と言えるだろう。だがここなら少なくとも濁流に流されることもない。そこでエレクシアYM10は、雨がやむのをその場で待つことにした。
何気なく少年の方を見ると、刺すような眼がこちらに向けられていた。それは紛れもなく、唯一の肉親を目の前で殺された人間の憎悪の眼差しだった。
「恨むなら勝手に恨むがいい。だが、お前のおかげで私も踏ん切りがついた。お前は確かに人間で、お前の姉は人間ではなかった。私のやるべきことが見付かったよ」
少年を睨み返しながら彼女は言った。その彼女の目には、雨に濡れた少年の体温が下がっていくのが見えていた。そこでシートを倒して荷台に移り、毛布を一枚掴み出す。
「服を脱いでこれを体に巻いておけ」
しかし少年は差し出された毛布を受け取ろうとしなかった。するとエレクシアYM10は彼の首を掴み、軽く締め上げた。
「…は、ひゅ……!」
一瞬で呼吸ができなくなり、あどけなさの残る顔が鬱血する。まぎれもない生命の危機に思考力は奪われ、少年はただ本能的に生きようともがいた。それを確かめたエレクシアYM10が力を緩める。ようやく空気を取り入れることができるようになって、頼りなげな細い体は何度も咳き込みながら生きることを望んだ。
「ふん。死にたいとか言っててもこうやって死そのものを突きつけてやれば生きようともがくのがお前達人間だ。お前達の言葉など私には何の価値もない。私の言うことに従え。でなければとことん苦しめたうえで殺してやる」
うっすらと笑みを浮かべて少年に語り掛けた彼女の顔は、彼が見た映像ソフトの中にあった悪魔やモンスターよりも恐ろしげに見えたのだった。




