それでもいつか
タタタン タタン タン
放課後、人がまばらな校内で、私、斎藤佳織は締切が迫る委員会のアンケート集計作業で電卓を叩いていた。
私の他に誰もいない教室に電卓の音がやけに大きく響く。
予想以上に時間のかかった作業もようやく終わりが近づいてきて、ふと顔を上げると壁掛時計が指しているのは4時45分。
「やばっ。」
私は5時までに持って来いと言っていた委員会の先生の姿を思い出し、慌てて全部の集計を終わらせると、自分の机の上に置いてある全校分のアンケート結果をまとめた。その上にさっき完成したばかりの集計結果を記載した紙を乗せ、立ち上がる。
教室から出たところで、去年まで同じクラスだった友達とばったり会う。
「あれ?佳織も日直―?」
「ううん、私は委員会の仕事終わらせてたぁ。」
「ってゆーか佳織!!K大の人と別れちゃったってほんと!?」
いきなり変えられた話題は、この間までよく連絡をとっていた人の話題。親しい友達にしか言っていない筈なのに、いつの間にか別のクラスにも知れ渡っていて噂って怖いなって思う。まぁ隠している訳じゃないから良いんだけど。
「え?元々付き合ってないよ?好きだって言われて何回かデート行っただけ。」
「そうだったんだぁ。」
「うん。なんか自慢話ばっかりで話面白くないし、飽きちゃったから『もう会えません』って言っちゃった。」
「えー、結構イケメンだったのに勿体無いー!」
もっと探りを入れてこようとする友達の後ろに見える壁掛け時計が正に5時を指そうとしていた。
「あっ、ごめん!私これ5時までに職員室に持っていかなきゃ。」
「あ、こっちこそ引き止めてごめんね!またゆっくり話聞かせてー!佳織モテるから羨ましいー。」
「そんなことないって。」
「謙遜しなくていいってばー!!じゃあねー!」
「うん!またね!」
友達と別れて、私はアンケート用紙の束を両手で持ち直す。
モテて羨ましい。
友達にはよくそう言われるけど、正直よく分からなかった。
好きって言われると、私も好きになりたいと思う。
付き合った人も何人かいるけど、なかなか長続きしない。たった1人だけでも、すごく大好きになった人といつまでも付き合って行ける方が、私には憧れだった。
生徒がまだらな廊下を職員室に向かって歩く。校庭に面した窓からは西日が差していて、周りはオレンジに淡く色づいていた。
いちにーいちにー、外からは運動部の掛け声が聞こえてくる。
階段を上り、渡り廊下を渡ったすぐ左手が、目的地である第一職員室だった。渡り廊下の下は多目的スペースで、帰宅部の人たちの溜まり場になっている。今日は少し離れたところでバスケをしている人たちが見えた。少しくらい遅れても問題はなさそうだけど、もう5時は過ぎてしまっている。少し急ごうかと思ったその時、
ぶわっ
勢いよく風が吹いてきて、持っていたアンケート用紙が一斉に宙に舞う。
「「あっ、」」
私の驚いた声と、少し離れたところで発せられた声が重なり、すぐに風がぴたりと止んだ。
宙に舞っていた紙が、はらはらと床に散らばって落ちてゆく。
「やっべー、すみません・・・。」
状況を飲み込めないまま、目線を上にあげると、前に立っていたのは委員会の後輩だった。
「えっと・・・?今の風、山岸くん?」
「すみません、周り気にしないで窓開けたら、先輩紙いっぱい持ってて・・・すみません!拾います!!」
がばっと頭を下げたかと思うと、山岸君は辺りに散乱しているアンケート用紙を拾い集めた。私もしゃがんで一緒に拾う。
「・・・斎藤先輩、怒ってます?」
「え?なんで?」
「いや、俺がプリント飛ばしたから・・・」
几帳面に上下を合わせて黙々と拾いながら、申し訳なさそうに俯く後輩に思わず吹き出す。
「あははっ、山岸君が風な訳じゃないんだから、事故だよ事故!!」
「風をここに発生させてしまったのは紛れもなく俺っす。」
ビックリして口数が減っていたかもしれないけれど、怒ってなんかいないのに、小さくなって頭を下げる彼は、背丈もあってがっしりした体型とは反してなんだか可愛らしく思える。
山岸君は、私が副委員長を務める美化委員会で一緒の人懐こい可愛い後輩だった。
委員会のとき以外で特に話したことはなかったけれど、へらへらしている割に仕事はしっかりしているなっていう印象だけはあった。
「窓開けて、何見ようとしたの?」
「あぁ、下でバスケしている奴ら、俺の友達なんですよ。俺、今日日直で合流するの遅れたんで、ここから声かけよーと・・・」
『おーい!山岸なにしてんのーっ!』
閉まっている窓の外から山岸君に声がかけられた。急に窓を閉めたから友達が不審がって近づいて来たのだろう。拾っていない残り少ない紙を全て拾い上げた山岸君はそれをしっかりと手に持つと、そっと、少しだけ窓を開けた。
「悪ぃ、もう少しだけ遅くなるから先やってて。」
窓から顔を出した山岸君は下にいる、女の子に話しかけている。
「えーっ、じゃあ遅くなるついでにジュース買ってきて!私アップルが良いー!!」
「ぷはっ、お前人の扱い雑すぎだろ!1on1で俺に1勝でも出来たらいつでも買ってやるよ。」
「やったー!こてんぱんにするから、負けても文句言わないでよー!」
「それはこっちの台詞だって。お前俺に勝てたことなかっただろ。」
そう言って山岸君は、太陽みたいに笑った。
どくんっ
(うわ、何これ・・・)
思わず男の笑顔に見入ってしまったことに自分でビックリした。
ただの後輩だと思っていた彼の、優しさとか可愛いところとか笑顔とか一気に知ってしまって、心の柔らかい場所が、ぐいぐい引き込まれてしまった、そんな感覚。
こんな人と付き合えたら楽しいだろうなって、一瞬で思ってしまった。
ぴしゃ、ゆっくり窓を閉めた山岸君がこっちを振り返った。
「すみません、あいつらうるさくて。」
「ううん、それより拾ってくれてありがとうね。私、先生のとこに持って行かなくちゃだから、これで・・・」
山岸君が持つアンケート用紙を受け取ろうと手を差し出す。
と、彼は私から届かないように後ろ手に回した。
「斎藤先輩、手伝わせてくださいよー。俺も一緒に持っていきます。」
「あ、ありがと・・・」
耳があっという間に熱を持つ。赤くなっていく顔を悟られないように、少し俯いて隣を歩く。そんな私に気づいていない山岸君は、にかっと笑って、まぁ職員室すぐそこですけど、って付け足した。
「てかこれ、よく見たら美化委員のアンケートっすね。」
「そうだよー。この間、各クラス集計してもらったやつ。全校分集計して、今日までに先生のとこ持っていけって言われて・・・」
「え、斎藤先輩だけ?委員長とかは・・・」
「本当は委員長と2人でやる予定だったんだけど、部活の大会近くて忙しいんだって。私、帰宅部だし・・・」
「うわっ、そーだったんだ!俺も帰宅部なんでいつでもコキ使ってください!」
社交辞令かもしれないけど、正直に嬉しい。思わず頬が緩む。
「じゃあ、今度も何かあったらお願いしよっかな。」
「任せてください!・・・単純作業ならできます!!」
「単純作業って!」
「ふ・・・複雑作業も頑張ります!」
驚いたり、頼もしかったり、可愛かったり、くるくる変わっていく表情の1つ1つに胸の奥がぎゅってなる。
もしかしなくても分かる。
恋に落ちるってこういうことなんだなって思った。
些細な出来事過ぎて笑われてしまうかもしれないけれど、今まで無理に好きになろうとしていたものがちっぽけに思えてくる。
第一職員室に着いた私と山岸君は、担当の先生のところへアンケート用紙を渡すと、お互いの教室のある棟へ、また渡り廊下を引き返す。
山岸君とは学年も違うし、連絡先も知らない。次の委員会で会えるのも、1ヶ月先だ。
渡り廊下で西日に照らされた山岸君を見ながら、私は気になっていたことを尋ねる。
「さっき窓から話してたのってさ・・・彼女?」
「へ?久保田?いやいや、あいつは男友達みたいなもんなんで、違いますよ。彼女なんて、残念ながらもうずっと募集中っすよー。」
照れたように山岸君ががしがしと頭を掻く。
ふ、と肩の力が抜ける。彼女がいないなら、勝算はある、かも。
私のことを、好きになって欲しい。委員会だけの仲じゃなくて、付き合って一緒に笑い合いたい。
「ねぇ山岸君。」
「はい?」
振り向いた山岸君に向かって、私は渾身の勇気を振り絞って、告白した。
「彼女、私じゃダメかな?」
*****
「ちょっと佳織!!2年の後輩と付き合いはじめたってほんと?!」
次の日、噂を聞きつけた隣のクラスの友達が教室に駆け込んできた。
「由紀・・・声大きいよー。」
「否定しない!本当なんだ!てか後輩ってほんと、意外―!!」
ざわっ
由紀の大きな声を聞きつけて、教室が瞬く間にざわめく。
自分で言うのもなんだけど、結構告白される回数とか多くて噂されることも多かったし、今まで付き合った人は年上ばかりだったからか、驚かれてばっかりだ。
私から告白したことを伝えるとまた驚かれたけど、友達はみんな応援するよって言ってくれたし、私は今度こそ素敵な恋愛ができるんじゃないかって浮き足立っていた。
山岸君が迎えに来てくれて、いつの間にか一緒に登下校するようになった。ただ一緒に歩いてるだけで幸せな気持ちになれるってすごいなって改めて思う。
「いやー、改めてなんすけど、斎藤先輩ってモテるんですね。」
「えー、そんなことないよ。何言ってんの。」
「俺、友達に何でお前がって散々言われましたよー。」
けらけらと山岸君が笑う。
そんなこと気にしなくて良いのに、と思う。ほかの人にモテようがモテまいが付き合ってるのは山岸君なのに。
数日経って、雅史、佳織、と名前で呼ぶようになった。けれどなんとなく呼び捨てが落ち着かなくて、いつの間にかまさくん、で定着した。まさくんから私への敬語も徐々に減っていって、校内で一緒にいてもひそひそ噂されることも少なくなったと思う。
お昼休みは中庭で一緒に食べることになっていた。私のクラスの方が中庭に近いから、まさくんが教室まで迎えに来てくれることが多いけれど、今日は昼前の授業が自習だったのでお弁当を持って2年生の教室に向かう。
教室のドアから覗いてみると、背の高いまさくんはすぐに見つかった。男の子3人、女の子2人の友達に囲まれていて、友達にも慕われているんだなぁってちょっと嬉しくなる。
声をかけようとして、まさくんが隣にいる小さな女の子の頭をぽんっと軽く叩いたことに気付いて吸い込んだ息が止まった。
すると輪の中の一人がこちらに気付いたようだ。軽く会釈してくれて、まさくんの背中をばちんと叩いた。
「山岸―!!先輩来てるぞ!!羨ましいぞ!!」
輪の中は突然盛り上がる。まさくんは慌てたように振りむいて、ばたばたとこっちへ走ってきた。
「佳織ごめん、こっちまで来させといて。声かけてくれれば良かったのに。」
「ううん、声かけるタイミングが難しくて・・・」
「ごめんね、あいつら煩くて。」
がしがしと照れ臭そうに頭を掻きながら、まさくんは私の横に並ぶ。
「そんなことないよ。仲良いんだね。」
そう言って中庭に向かおうとしたとき、先ほどの女の子と目が合った。
ぱっと反らされたけど、あの子は私が彼を好きになったきっかけの人だ。あの日、渡り廊下の下から声を掛けてきた、久保田さんだ―――。
お昼を食べていても、ゴールデンウイークのデートの日程が決まっても、なんだか心が晴れないままだった。
久保田さんは友達って言っていた。
彼女に立候補した私に対して、顔を真っ赤にさせて受け入れてくれたのはまぎれもなく目の前の彼。
大切にしてくれていると思う。それでも、何かが引っ掛かるのは贅沢な悩みなのかな。
お昼が終わり下校の時間になっても、胃もたれのような重たい不快感が拭えなくて、思い切って聞いてみることにした。
「あの、まさくん。」
「ん?」
少し緊張してまともに顔を見て話せない私に何か感じたのか、隣を歩いてるまさくんが少し腰を屈めて私の顔を覗き込む。
「お昼の時クラスにいた人たち・・・いつも一緒にいる友達?」
「うん!煩いけど皆いいやつだよ!てかあの時皆に紹介すれば良かったなって後から思ったんだ、ごめんね。」
優しい彼の心遣いに自分の汚い心が見透かされているような気がしてドキッとする。
「あ、私もちゃんと挨拶とかすれば良かったよね・・・。ごめん、気付かなくて。」
「皆は佳織のこと知ってるから、遠慮とかしなくて良いからね。」
「私が告白した日に渡り廊下の下にいた子も・・・いたよね?」
「よく覚えてるね!そう久保田!!さばさばしてて男っぽいけど良い奴だよ。そっか、女同士なら友達になれるかな?久保田は女らしさないから、もう1人の三上の方が・・・」
ぷはっと吹き出しながら楽しそうに話してくれるまさくんとは対照的に、私の心は曇っていくばっかりだった。せっかく友達も紹介してくれるって、女友達も友達にしてくれようと配慮してくれているのに、嬉しそうに久保田さんの話をする彼に心の中の黒い部分がもやもやと渦を巻いている。
何が気に食わないのか、自分でもよく分からなくて上手く会話が続けられない。
家に帰りこのもやもやがどうしたらなくなるのか考えても考えても、答えはなかなか出せなかった。
久保田さんに紹介してもらったら?
まさくんと久保田さんが話さなくなったら?
そしたら私は満足するの?
私と付き合うことで友達の輪を狭めて欲しくない。放課後2日に1度は友達とやっていたバスケも私との下校を優先して回数を減らしてくれていることは知っていた。これ以上は求めすぎだ。そんなの分かってる。分かってるのに。
「久保田さんってまさくんのこと好きなんじゃないかな。」
ある日、中庭でお昼を食べているとき口から飛び出したのはこんな余計なひと言。
「・・・え?」
言ってしまってからしまった、と思った。仮にそうであってもこれは私から本人に言うべきことではない。それでも言ってしまった以上、黙ってまさくんの返事を待つ。手が震えていることに気付いて、慌ててぎゅっと拳を作った。
「はははっ。久保田に限ってそんなことないって!ほんと男友達みたいなもんだから!!」
ないない、と大げさに手を振るまさくんに、変なこといってごめんね、と微笑むのが精いっぱいだった。
まもなく5月の訪れを予感させる今日の気候は、私の心と裏腹に日差しがぽかぽかと裏庭を照らし、とても穏やかだった。2人の間を生ぬるい風がやわらかく吹き抜ける。
なんでこんなに心がかき乱されるの。自分が彼女なんだから、違うって言ってるんだから、目の前の大切な人を信じなきゃいけないのに。
今まで付き合ってた人と私はどのように向き合ってきたんだろう、そこまで考えて頭が一瞬真っ白になった。
今まで好意を持たれてそれに応える恋愛ばっかりで、相手の女友達なんて気にしたことなんてなかったんじゃないか。
確かに大好きだと思っていた元彼も、こんなに自分がかき乱されることなんて・・・なかった。
ゴールデンウイークの日曜日。
今日はまさくんと隣町に新しくできたショッピングセンターで映画を見に行くことになっていた。
ずっともやもやしていたけれど、今日は私だけのまさくんだ。今日は素敵なデートになるように頑張ろう。
そこまで思って、私だけのまさくんってすごい台詞だなって自分で笑いそうになる。自分は束縛とか全くしないタイプだと思っていたのに、いつの間にかこんなに夢中になっているなんて。
この日のために準備していた新しい白のコットンワンピースに袖を通す。丁寧につけたお気に入りの淡いピンクオレンジのグロスが、いつもより特別に見える。
少し気合い入れすぎたかな、と不安になったけど、待ち合わせ場所に来たまさくんがいつもと違うねって顔を赤らめて言ってくれたから、なんだかすごく嬉しかった。
そんなまさくんも、背が高いからか肩幅があるからか、黒いジャケットがよく似合っていた。細身のパンツは意外だったけどカッコいい。
「じゃあ、行こうか。」
まさくんがショッピングモールに続く繁華街を指さす。
「うん。」
カッコいいねって素直にそう伝えたかったけど、胸のドキドキが邪魔してタイミングを見失ってしまった。
駅からショッピングモールまでの道のりは、ここ数年で開発されたばかりのオシャレなお店が並ぶ商店街だ。道はくすみのかかった水色と青緑が交互になったレンガ造りで、両サイドには落葉樹が規則正しく並んでいる。突き抜けるような青空が広がったゴールデンウイークの今日は、家族連れやカップルなどたくさんの人で賑わっていた。
ふと、商店街の一角、茶色を基調とした店内に色とりどりのお花が並ぶお店に目が止まった。店頭には立てかけるタイプの黒板が出ていて、【母の日 カーネンションフェア】と手書きで書かれている。手作り感のある、かわいいお店。
「ねぇ、ちょっとお花屋さん見てみても良い??」
私の問いに頷いて、花屋なんていつぶりだろうって照れたような表情でお店に入っていく彼の姿が嬉しかった。
もうすぐ母の日だ。母の日には毎年カーネーションをプレゼントしていたが、いつも地元の花屋で買うので正直あまり変わり映えしなかったのだ。今年は違うお店で見てみようかな、ちょっとした思い付きでお店の中に入る。
カーネーション黄色とピンクのバルーンがが入ったバスケットや、うさぎやくまの形に作られたカーネーションの造花、胡蝶蘭の鉢植えなどお店の中央に円状に並んでいる。ふと、目に入ったカーネーションと薔薇の鉢植えは、土の上に小さな家や小人の人形が飾られていて1つの小さな町のようになっていた。小人の顔は1つ1つ手描きなのか、少しずつ表情が違っていて思わず見入ってしまう。
「見てみてまさくん、この鉢植え町みたいになってて可愛いよ。」
先ほどまで後ろで一緒に見ていた連れに話しかけるが、返答がないので慌てて振り返る。
そこにいた筈の彼は居なかった。
他の花でも見ているのかと、店内を探すと左奥の通路から聞きなれた笑い声が飛び込んできた。
「・・・最近はじめたバイトって、もしかして花屋?似合わねーなー!」
楽しそうな、砕けたようなまさくんの笑い声に連れられるように、店の奥に進んでいく。
何故だかわからないが、得体のしれない不安が拭えなかった。
そして、進んだ先にいた2人の姿に自分の予感が外れていなかったことに絶望した。
眼球が2人をとらえて少しの間、足を動かすことが出来なかった。状況把握に頭がついていけてない。
「うるっさいなー!山岸なんて花屋に立ち寄るのも似合わない癖になにやってんの・・・」
私の大好きな、まぶしい笑顔の先に居たのは、私が今日1番会いたくない人物。
緑のエプロンとバンダナをした久保田さんが、まさくんの肩を小突いている。
止めて。
お願い、その人は私のなの。
―――――――――――――――――私の、の筈なのに。
「まさくん。」
もう見ていたくなくて、意を決して声を掛ける。
2人に近づいていくと、まさくんは片手をあげてくれたが、久保田さんはただ驚いた顔をしていた。
「ね、映画満席になったら嫌だし・・もう行こう?」
「おう。」
あっさりと帰ってきた相槌にほっとしつつ、一緒に店外に向かった。
久保田さんがありがとうございました、とお見送りをしてくれていて、挨拶もせず感じ悪かったかなと一度振り返ったが、もうこれ以上まさくんと久保田さんの絡みを見たくなくて、視線を戻してしまう。
怒ったりしてないか、不安になって隣を歩くまさくんを見上げて、後悔した。
右隣を歩くまさくんの右手、つまり私から遠い側の手が肩のあたりにあがりひらひらと揺れていた。
わざわざ確認しなくてもわかる。久保田さんに手を振っているんだ。後ろに立つ久保田さんは笑顔で振り返しているのかもしれない。不機嫌に花屋から彼氏を連れ出す彼女より、きっとずっと可愛らしい。
まさくんの隣にいるのは、彼女は私なのに、後ろにいる女友達との秘密の空間が作られていることに、疎外感を感じずには居られなかった。
出がけ先で友達と偶然出会ったくらいで、こんな態度をとるのは100%私が悪いのは分かっていた。それでも私の中に渦巻く黒いものは消えることはなくて、どんどん疑心暗鬼になっていく。
映画を観終わり、ショッピングモール内のフードコートにやってきた。フードコート脇には子供が遊べるキッズスペースがあり家族連れが多いためか、フードコートの込み具合の割に2人席はいくつか空いていた。その中から茶色の木目調の丸テーブルとイスが向かい合って並ぶ2人席を選んで腰掛ける。まさくんが手に持っているお盆にはハンバーガーとポテト、私の手にはドーナツが2つ並んでいる。
「映画、面白かった・・・ね?」
映画何か見たいのあるかと問われて、あまり深く考えずに有名な童話の実写映画を挙げてしまっていた。チケットを買ってから、男の子向けじゃなかったかも、と不安になっていたのだ。お姫様の元に王子様が現れる、ベタなラブストーリー。
おずおずと問う私に対して、まさくんは意外な答えを返す。
「うん!実写とかもっと違和感あると思ってたのに思わずちょっと感動した!」
照れたように微笑むまさくんは、濁った私の心を溶かすみたいだった。ガチガチだった気分に晴れ間が差す。それと同時に、久保田さんのことを根に持って映画も途中上の空だった自分を恥じた。
「このショッピングモール、はじめて来たけど色々遊ぶとこあって1日中飽きないね。」
「佳織来るの初めてなのか!家から少し距離あるからか。俺、オープンしてすぐ友達と来たんだよね。」
そこまで言って、まさくんがぶはっと吹き出した。
「そんとき2階にあるゲーセンで対決したんだけど、大樹が神がかってて、俺と久保田のチームは最下位でさ、2人でみんなの分のジュース買に行かされたんだけど、ここ広いから迷っちゃって・・・」
あぁ、もうどうしよう。
ダメだ。
「・・・って佳織聞いてる?」
「まさくんのバカ。」
「え?」
嫌だ。もう聞きたくない。
黒い部分が、本当は封印したかったものが、溢れ出す。
「もう嫌だ、帰る!!!」
こんな公衆の面前で泣きたくなかった。視界がぼやけて、そこにいるだけで苦しかった。私はほとんど手をつけていないドーナツをそのままにフードコートを飛び出した。
*****
モール出入り口近くのエスカレーターを降りたところで捕まって、お願いだから話を聞いてほしいと頼まれて、私は無言で駅方面に続く公園までの道のりをまさくんについて行った。
しばらくの沈黙の後、まさくんが口を開く。
「ごめん、佳織が久保田のこと気にしてるの知ってたのに無神経だった。」
「・・・うん。」
「でもさ、俺ら友達なんだよ。確かに仲良すぎるかもしれないけど、男友達のノリってゆーか・・・。前にも説明したじゃん。何で分かってくれないの?」
口を開きかけて、言葉が出てこなかった。
確かに、本当の本当に友達っていうなら私の物分かりが悪いんだろう。私はもともと男友達が多いタイプではなかったから、距離感が分からないっていうのはあるのかもしれない。
それでも、久保田さんのあの態度をみて、本当にただの友達なのかな。まさくんだって、同じグループの女の子の中でも久保田さんが特別に仲がいいのは明らかじゃない。
「あ・・・久保田」
まさくんが声をあげて、私も思わず振り向く。話題の本人が、こんなタイミングで現れるのなんてどんな確率なんだろう。彼女はどうみてもバイト帰りで、こちらも驚いたように立ち尽くしていた。
久保田さんと目が合ったかと思うとぱっと反らされた。
「あの、ごめん、私行くね!」
「待って!!」
駅方面に走り出そうとした久保田さんの腕を、気付いた時には咄嗟につかんでいた。
久保田さんは掴まれた腕を見て、目を丸くして私の顔を見る。こんなに近くで見るのはお互い初めてだ。
私も、咄嗟に掴んでしまった自分に驚く。
それでも、久保田さんに直接聞かなければならないことがあった。このまま見て見ぬふりをすることは私には出来ないと今日1日痛感していた。
久保田さんは完全に立ち止まって、困ったように私の方を向いてくれた。私は、掴んでいた腕を離す。
「久保田さん、ごめんなさい・・・どうしても聞きたいことがあって。」
「私に?」
まさくんが、貴方が、ずっとごまかすなら私が正面から聞かなくちゃ。
「貴方、まさくんのこと好きだよね?」
「え・・・」
祈るような気持ちで久保田さんの返答を待った。まさくんの言っていることが本当だったなら、私はこの2人にお詫びしなければならない。それでも、自信があった。
だって、私と久保田さんがまさくんを見る目は同じだったから。
久保田さんが、私を見て、それからまさくんを見た。
その途端、真っ赤になっていく彼女の顔を見て力が抜けた。。
だって、彼女の真っ赤になった顔は、最上級に可愛かったから。
「ごめんなさい・・でも、2人を引き裂こうとしてる訳じゃなくて・・」
久保田さんは逃げるように走っていって、まさくんも呼び止めはしたけど追いかけることはなかった。
数日後、私はまさくんにお別れを告げた。
まさくんは何度も私に謝って、自分に勿体ないくらいの高嶺の花で、俺なんかより良い人と絶対出会えるとかなんとか言われた。そんなこと言われたくないけど、言葉だけありがたく貰っとくことにする。
「山岸君、ぼやぼやしてると久保田さんにも俺なんかより素敵な人が現れちゃうよ」
茶化すように笑って、私は山岸君を呼び出した裏庭を後にする。
瞼が重い。いつもよりメイクを濃くしてごまかしたけど、あの後散々泣いて貴方を諦める決意をした私を、鈍感な後輩君は分かっているのかな。
私があなたに恋をしたあの笑顔を
私に向けてくれたことはだたの1度もなかった。
それを引き出せる女友達がただただ羨ましかった。
あのとき、我慢していれば良かったのかな。
このまま彼女のポジションだけ続けておけば、いつかは情が移ってくれたのかな。
首を振って、ため息を吐く。
憎いくらいに良い天気だった。
どんな言葉よりも、あのとき真っ赤になった可愛らしい久保田さんの表情に、敵わないなって純粋に思ったのだ。
こんなに痛い恋を知ったとしても
それでもいつか、私はまた恋をするんだろう。
あんな笑顔を私だけに向けてくれるそんな人に会えることを夢見て。
本編より長くなってしまいました。
久保田さん視点の「明日の蕾」も見ていただけると嬉しいです。