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夜天に星は煌めいて  作者: 榎元亮哉
~動乱の兆し~
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~動乱の兆し~ 三話

 湿気を含んだ風が青々とした木々をざわめかす。月の見えない中禅寺湖のほとり。

 周りの闇に融けるように黒衣の騎士は立っていた。その視線は眼前にある湖に向けられている。

 不意に背後の気配に気づき、思考を中断させ声を掛ける。


「――どうした」

「ん、ちょっと気になったから」


 ゆっくりと彼の隣に歩いてくる。


「二人とも気にしてたから。なんで話してくれないんだろうって」

「……ふぅ」


 溜め息。やはりそうだろうな、と思う。あの二人が気にしないはずがない。

 先程の態度は自分でも思わせぶりで、あれで気にならない人間はそうはいないだろう。彼を知っていれば尚更。


「知りたいのはお前もだろう」

「うん、知りたいわよ。だって『パートナー』だもん」


 その言葉に二年前の初仕事のことを思い出す。たった二年前しか経ってないが、遠い過去のように感じるのはそれだけ忙しく、振り返る暇もなかったということだろう。


「……だな。話そう」


 やはり彼女には話すべきだ。そう判断してまどかに向き合う。彼女は輝くような笑顔を見せた。







 ゆっくりとした動作で湖畔のベンチに座り、良治は話し出した。


「所定の位置まで行ってしばらく見回りをしていると、血臭に気が付いた。臭いのするほうに向かったら案の定猿の死骸があった。状態は報告どおりで内部から破裂したようだった。で、ここが重要なんだが――魂が、なかった」

「魂が、なかった?」

「ああ」


 肉体が死ぬと魂が肉体から浮き出てくる。個体差もあるが、しばらくは元の身体の周りに浮遊している。一日もすれば天界に往くことになるが。


「ちなみに血臭に気づいた時の位置は発見場所から風上。距離は二百m弱。さらに何の音も気配もしなかったことから結界――多分極小さなものだろうが張ってあった可能性がある。猿は死後……は詳しく分からなかったがそんなに時間は経っていない。つまり、誰かがその魂を持ち去ったってことになる」

「……うん」


 まどかの顔色が変わる。どうやら良治の言いたいことが分かったようだ。


「普通の術士は魂なんて扱わない。他人の魂を使うのは術士たちの禁忌に触れることだからな。だが率先して使う者達がいる。それは――死霊術士ネクロマンサーと魔族だ」

「……」

「……このどちらかだとすると、今のあの二人には荷が重い」


 和弥・綾華両方ともに、体力・魔力・技術、そして何より経験が圧倒的に足りない。相手の力量によっては良治とまどか、二人がかりでも勝てるかどうか――いや、和弥と綾華がいることを考えると逃げることが出来るかどうか。正直今回は足手纏いになる可能性が高い。


「そうね……でもそうならそうと二人に言ってみれば? ……って無理よね、強引にくっついてきそうだもんね」

「そういうことだ」


 はぁ、と二人の溜め息が重なる。


「じゃあどうするの?」

「……明日、とりあえず説得してみるか」


 すでに諦め半分に呟いた。







「もちろんついていきます。ここまで来て降りろだなんて何を言うんですか」


 良治とまどかの話を聞き終わって開口一番。

 男性陣の部屋で昨日の話をしたのだが、予想通り――とういうかむしろ確定事項――綾華が反対した。

 隣に座っている和弥も綾華と同意見だったので言うことがなく、うんうんと頷くだけだ。本当は何か言いたいところだったが、こういう交渉ごとは綾華のほうが得意だろうと判断して任せる。自分は肉体労働向きだと自覚しているのもある。

 時刻は午後十時を指そうとしている。今ならまだ家に帰ることが出来る時間。わざとこの時間を選んだのだろう。出発時間になっても決着がつかない場合は宿に置いて行くつもりだ。それを理解しているからこそ綾華は引かない。

 そんな彼女の意志をを感じたのか、渋い表情をする良治。元から説得できるとは思ってはいなかった。


「……はぁ、解りました。連れて行きます。が、担当場所は変更させていただきます」


 苦々しく言うが、勿論演技だ。場所さえ変えることが出来ればあとはなんとでもなる。できるだけ危険から遠ざけたかった。しかしそんな良治の思惑とは裏腹に、


「いえ、昨日と同じ配置でお願いします。昨日受け持った場所が私の担当場所です。誰にも譲る気はありません。駄目ならば私一人でも行きます」

「…………」


 そこでようやく和弥は気付いた。綾華が焦っていることに。

 和弥自身は、これが綾華にとって初仕事になることを知らなかったが、どうにか自分で成功させたいという思いを感じ取った。


「リョージ、俺も同じ意見だ。受け入れられないときは俺も勝手に行く」


 この、『何か』に向かって突き進んでいく彼女を出来るだけ助けたい。

 ただ純粋にそう思った。


「まったく……」


 逆に良治はもうお手上げとばかりに頭を掻く。相変わらず自分は押しに弱いな、なんてことを思う。

 今回の仕事のリーダーは良治だが、反対意見が半数あれば考えを改める必要も出てくる。


「わかった。昨日と同じ場所で待機。不審な物、人物を発見したらケータイで。余裕がなかったら派手に暴れてくれ。それなら隣にはわかるだろ」

「ん? 見回りじゃなくて待機?」

「ああ、今回は犯人を捕らえるつもりでやる。だから昨日より早い時間から行って待ち伏せる。発見次第全員でってことだ」

「わかった。……つーか、俺が発見した場合はどうする。暴れろといわれてもな」


 和弥は術を使えない。一応練習はしたのだが全く効果が現れなかったのだ。なので、合図の方法がない。それもあって更に肉体労働派だと思っていたりする。


「そうだな、そのときは力任せにそのへんの木を叩け。それなりの音は出るだろう。結界で阻まれたら頑張ってケータイを使え」


 笑いながら言う。


「頑張ってって」

「自分からついてくるって行ったんだ。それくらいは頑張ってもらわないとな」

「……そうだな」


 確かにその通りだ。自分でついてきて、自分の意見を通した。あとは努力するだけだ。

 和弥は真剣な顔で首を縦に振った。






 微かに虫の音が響く夜の森。月灯りも街灯も見えない山中の闇。

 和弥が単独行動するようになり、所定の位置の茂みに隠れてからおよそ二時間。

 既に神経が限界を超えていた。

 隠れ出して三十分でまずいと感じ出し、一時間経った時点でもう限界に達していた。

 それからさらに一時間。幻覚と幻聴に支配されながらも、それらをことごとく退けてきた。発狂しそうな心を捻じ伏せてきた力の源は助けたいという願い、負けられないという意地か。

 暗闇で見えない恐怖と戦うというのは想像を絶するものがある。いつ何処から襲撃されるかもしれないという恐怖。時間の期限はなく、時間感覚もひたすらに長く感じる。新米の兵士がジャングルで恐怖に負け銃を乱射するというのはままあることだ。彼も同じ恐怖を覚えながらも歯を食いしばり耐えていた。


「――――!」


 突如、微かにだが確かに聞こえていた虫の音が絶えた。そして特有の違和感に襲われる。――結界だ。


 身体を揺らされるような動揺を封じ込め、辺りを注意深く監視する。良治の話からすると小規模な結界らしいので、近距離にいる可能性が非常に高い。


「…………」


 姿が見えないためのに僅かに迷ったが、決断するとすぐにケータイに手を伸ばし綾華にワン切りする。

 そして、考える間もなく前へ飛んだ。


「気づかれましたか。中々の動きですね」

(危なかった……!)


 ほんの一秒前までいた場所に、いかにも魔術士然とした黒いローブを着た無精ひげの痩せた男。そして男の横に浮かび、紫に光る歪な球形。


「どうやら素人同然のようですね。もう少しまともな方が来ると思ってましたが。……ふむ、他にも仲間がいるということですか」


 手を顎に当て芝居がかった仕草をする。それが実に似合ってない。


(自己陶酔型人間か……)


 こういうタイプは感情の起伏が激しく、それ故油断や隙を作りやすい。綾華が到着するまで逃げるか戦うか。とりあえずどっちにでも対応できるよう、木刀に『力』を込める。


「――む」


 男が声を上げる。気づかれたかと思ったが、その視線は和弥から見て右の方へと向けられている。


「――すいません、遅れました」


 足音もさせず、すぅっと浮かび上がるように現れる。もちろん待っていた相手、綾華だ。

 待ちわびた援軍。そのうちまどかと良治も到着するだろう。

 形勢は時間が経つほどこちらに有利になる。微かな安堵を覚えつつ男の様子を伺う。


「……?」


 男は一瞬驚いたあと、予想に反して飢えた獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべた。


「くっくっくっく……」

「?」


 笑い声に二人が顔を見合わせる。和弥はもちろん、綾華にも心当たりがない。


「まさか綾華お嬢様が直々にいらっしゃっているとは思いませんでしたよ!」

「私を、知っている……?」


 名前を呼ばれ、湧き出る恐怖感と比例するように警戒心が強まる。男の顔を凝視した。

 その顔に覚えは――あった。


「黒影流の真鍋――!?」

「ほう、覚えていらっしゃったとは光栄ですね。今は『元』黒影流ですが」


 耳まで裂けるような歪んだ深い笑み。瞳には狂気が垣間見える。


「まさかよりにもよって陰神にいるとは……追放されたのを逆恨みしてのことですか?」

「ええ、そんなところです。より上を目指すために死霊術ネクロマンシーを学んでいた私を認めなかった、浦崎うらさき雄也ゆうやと白兼隼人。――彼らには思う存分御礼をしたいと思っていますよ。陰神に入ったのは当て付けもありますが、何よりここでは自由が許されてますからね。――さて」


 言葉を切るとおもむろに、隣にふわふわと浮く球体に手をかざす。すると、


「何だ……?」


 紫色のそれは、脈打つように振動しだした。さらにその動きとともに段々と巨大化していく。そして間もなく、カタチあるものに固定化する。


「猿、か?」


 紫色の体毛の大猿。いや、フォルムは猿のそれだが、大きさはゴリラを思わせる。

 和弥と同じくらいの体長だが筋肉の付き方が人間とはまったく違う。その腕は丸太そのものだ。


「魂の実体化ですか……追放されてから三年、ただ遊んでいたわけではなさそうですね」


 魂の実体化は高等魔術だ。並の術士では魂を扱うのも難しい。しかも眼前の真鍋は魂を合成した上で実体化させている。人間の魂でないのと、一種類の魂を使っていることを考えても並外れた技量が無ければ到底出来ることではない。


「そろそろ昔話も飽きました。ではいきましょうか!」


 そう宣言すると『大猿』が走り出し――否、跳んだ。


 目標は、和弥。


「和弥はその猿をお願いします!」

「了解っ!」


 ズゥン、と大きな地響きを立て、着地する『大猿』。その狂悪な力を表すような赤い双眸が和弥を捉える。


(――来る!)


 直感的に後ろへ跳ぶ。その判断は正しかった。

 その僅かに直後、脇にあった木が大きな音ともに倒れる。


(何だそりゃぁ!?)


 不条理なまでの暴力。あんなもの直撃すれば、和弥の身体など簡単に吹き飛んでしまう。

 このスピード、この威力。避け続けるのは無理だ。ならば、やられる前にやるしかない。


「――てやぁぁっっ!!」


 腕に纏った『力』は十分。無駄に長い話の間に溜めていた甲斐があった。

 裂帛の気合とともに振るう、間違いなく全力の一撃。


 ごおぉぉぉぉん!!


 次の瞬間彼の目に映ったのは、両腕を交差させ、木刀を受け止めている『大猿』。

 大したダメージを与えられていない。

 奥歯を噛む。こっちは両腕が痺れてしまうほどの衝撃があったというのに、この程度――


「――!」


 ショックを受ける間もなく『大猿』の腕が振るわれる。一回でも喰らえば即ゲームオーバー。しかもこっちの攻撃はほとんど効果が無い。


(ちくしょう……!)


 自分の攻撃のレパートリーがないのを悔やむ。

 この三週間、学んだのは基礎鍛錬のみ。術よりも剣技のほうに才があったので、みっちりと体力作りをさせられていた。

 そう。

 すでに手段は尽きてしまったのだ。






「くくくく……そちらの旗色は悪そうですね」


 薄ら笑いを浮かべる真鍋と対峙する。距離は七mといったところか。

 三年前に追放されたとき、この術士は黒影流屈指の実力者だった。

 それからどこまで力を伸ばしているか見当もつかないが、まず今の綾華に勝てる相手ではない。白神会にいた頃と比べても敵うまい。

 ならば、この場で自分のすべきことは何か。


「……そのようですね。正直、時間の問題でしょう」


 時間稼ぎ。どちらかが来るまで粘ることしかできない。自分の力不足を悔やむ。

 別々の敵と向かい合いながら同じことを思っているとは露ほども思わない。


「ほう、いやにあっさり認めますね。諦めましたか?」

「さあ、どうでしょうね。ただ、現状を正確に把握することは重要なことだと思っていますが」

「そうですか。――では私も今この状況を把握しましょう。向こうはそちらの劣勢。お嬢様もこの場を動くことができない。なのにさほど焦りが無い。助けに行く気配も逃げようとする気配も無い。何故でしょうか? その答えは……お嬢様以外にも仲間がいて、援軍を待っている!」


 言い終わると同時に、右手に『力』が集まる。


(読まれていた!?)


 腕を振り放たれた氷の矢を感で躱す。このときまで真鍋の得意属性が『氷』だということを思い出せずにいた。


(見えない――!?)


 月明かりの無い森の闇に氷の矢は非常に見えずらい。相手の素振りと微かな音でタイミングと方向を予測するしかない。


「よく避けられましたね! では五本ならどうです!」


 再度放たれる複数の矢。

 綾華には何も見えない。仕方なく大きく右に跳ぶ。


「!?」


 着地地点に真っ直ぐ向かって来る真鍋。どう考えても綾華より先に動かなければ追いつけないタイミング。

 さすがに戦闘経験は雲泥の差がある。真鍋は学者肌だが、実戦経験も不足しているわけではなかった。


(読みきられている!?)


 反射的に、手に『力』を集めるが、真鍋のそれはさらに疾く。


(まずい!)


 回避しながら防御障壁を展開するも既に手遅れだ。


「――ぐっ!?」


 予想外の衝撃に襲われる。真鍋の攻撃によるものではない。単に木にぶつかっただけだった。

 横もロクに見ないまま跳んだので、暗闇にあった木に気がつかなかったのだ。だが、これが彼女にとっては幸運そのものだった。

 今まさに放とうとしていた『力』が四散する。目標を見失い、集中力が途切れたためだ。


「ちっ、猪口才な!」


 氷の矢は綾華のぶつかった木に突き刺さった。

 上手く視界から逃げられたと勘違いし、怒りで頭が沸騰する。自分では決まったと思っていただけにその怒りは激しい。

 両手を掲げ、衝動のままに『力』を集中させる。この一撃で決めるつもりだ。

 右肩を押さえながら、彼女は絶望的にその光景を見上げるしかなかった。







「ぐっ!?」


 もう何度目になるだろうか、『大猿』の腕を不恰好に転がりながら避ける。


(――!)


 起き上がった視界の端に見えるのは、両手を上げ、ビーチボール大の氷球を撃とうとする死霊術士の姿。

 そしてその先にはしゃがみこんだまま動こうとしない綾華。

 何をどう考えてもチェックメイト。

 距離は直線で二十m弱。間に合うか。

 走り出そうと足に力を入れた瞬間、横から重い衝撃が全身に放たれた。


「ぐうぅぅぅぅっっっ!?」


 背の高い雑草を蹴散らすように吹き飛んでいく。まるでフリスビーのようだ。

 軽く十mは飛ばされただろう。あらゆる部分が傷みに喘いでいる。


「ぐ……あ、あの猿」


 和弥を嘲笑うかのようにゆっくりと迫ってくる大きな影。その向こうに、さらに大きくなっていく氷の塊が見えた。

 時間がない。

 このままでは、綾華を助けられない。

 絶望が身体を駆け巡り、その直後、それが怒りに変わった。

 他の何にでもない、ただ自分の無力さに腹が立った。

 頭の中が真っ白になる。力任せに木刀を振った。


「――――――ッ!!」


 声ですらない断末魔を上げ、消え逝く『大猿』。

 受けた両腕を容易く断ち切り、そのままその体躯を熱したナイフでバターを切るかのごとく、手応え無く切り裂いた。

 今まで『大猿』だったモノは、いくつもの光となり天へと昇っていく。

 その幻想的な光景には目もくれず走り出す。今は何より綾華のことを――

 真鍋が、動いた。

 そこから全てがスローモーションに感じた。映る光景も自分の動きも酷く鈍い。

 その中で直感する。


(――間に合わない!)


 和弥に遠距離の攻撃手段はない。あと数mが果てしなく、果てしなく遠い。


(綾華!)


 キィィィィィンッッ!


「くっ!」

「っ!」


 氷球が高い音を立てて弾けた。その衝撃に仰け反る真鍋と身を固くする綾華。

 辺りを見回す真鍋の目が一点で止まる。


「今のは貴様か……!?」


 二度も決定的といえるチャンスを潰され、昏い怒りが滲む。

 その視線の先には。


「ええ、もちろん。……大丈夫だった? 二人とも」


 不敵に笑う女狩人――柚木まどか。


(チャンス!)


 注意が逸れたのを見逃すはずもなく、綾華が射程距離から逃れる。


「ちっ……」


 距離をとる気配に気付いたが、前方の射手に隙を見せるのは致命的といえる。頼みの綱の『大猿』も何故かあの素人に倒されてしまっている。


 ――こんな事態に陥るとは……!


 三対一。

 そのうち二人は新人と言ってもいいが、最後に現れた女だけは違う。幾度の戦闘を繰り返し、死線を潜り抜けてきた者だけが持てる自然な立ち振る舞い。

 過度の緊張も油断もなく、ただそこにある。


(ぬぅ……)


 それは彼自身もそうだったが、『大猿きりふだ』を失い、三対一。さらに周りを囲まれている。焦りが心を犯していくのも当然のことだ。


(……逃げるか?)


 勝ち目は薄い。そう判断すると後は逃げの一手。問題はその手段だ。

 隙を見せるのを期待するのはまずありえない。さすがにそこまで甘くはないだろう。それを裏付けるように三人が三人とも注意深く探っている。――チャンスを。

 前方からまどかが、左横の方には和弥が。そして綾華は右斜め後方から、それぞれ構えながら注視している。


 抜け出せない。

 思考の海の中、声が響いた。


「――いつまでそうしているつもりかの、人間」


 暗く、昏い、黒い声。陰鬱な音を混じらせたその声を発したのは、闇が具現化したかのような、虚空に佇む黒いカタマリ。

 ちょうど和弥の視線の前方、真鍋を通して直線上に浮かんでいた。

 段々と向かってきて、その姿がより鮮明になる。建物の二階分くらいの高さに浮いた物体は、子供が黒い布を幾重にも無造作に巻き付けたかのような格好をしていた。布の合間に見える目が怪しく光る。


「――魔族!」

「――シグマ様!」


 まどかと真鍋の叫び声が重なる。途端、他の二人も視線を向ける。


 魔族。

 それはこの世界とは違う『魔界』と呼ばれる異界の住人。その力は人間を凌駕するといわれる。その力の源は、全ての負の力。憎悪・嫉妬・妬み……いろいろな感情がそれにあたる。故に彼らは破壊と殺戮を好んで行う。それが一番手っ取り早く、効果的なのを知っているから。


 シグマ。

 数少ない『陰神』の幹部。得体の知れないメンバーの参謀役といわれている。前回の決戦でも白神会を苦しませ、多大な犠牲者を出した魔族。総帥羅堂の懐刀を務めるほどの実力者。


 全身から汗が吹き出る。和弥は怖いとか強いとか思う前にこう感じた。


 ――コイツは絶対に相容れない存在だ――


 これでさらに戦況が変わり、三対二。だが、戦力的には引っくり返されてしまった。一転、今度はこちらが逃げる算段を考えることになる。


「……ふむ、警戒しているようじゃの。まぁ、それも無理なかろうワシら魔族からすれば人間など虫にすぎん。じゃが一応組織に属しているからには助けなくてはならんのでな。が、ワシとすればこんなくだらないことで時間を割きたくなくての。どうじゃ、見逃してはくれんか」

「……いいわ、行きなさい」


 シグマの提案をまどかが少し迷いながら受諾する。この状況では仕方ない。むしろこちらに不利なのだ。呑まずにはいられなかった。まどか一人なら逃げることは出来るかもしれない。しかし二人を残して逃げることなど選べない。

 ゆっくりと真鍋がシグマの方へ向かっていく。その動きに合わせて和弥と綾華がまどかの方へと歩き出す。無論、油断はせずに。


「ふむ、それでは行くかの」

 三十mほど距離をとったところで二人の気配が徐々に薄くなっていく。だが。


「おお、見逃してくれた御礼をするのを忘れておった。遠慮せずに受け取るんじゃぞ?」


 鮮やかと感じるほどの、いくつものオレンジ色の光球が現れ、一直線に三人のいる場所に迫る。


「――!!」


 まどかが迷う。自分ひとりなら避けられるが、二人を置いてはいけない――

 先頭の光球を構えていた矢で相殺させる。しかし、次の矢が間に合わない。


(まずいっ!)


 三人が三人とも覚悟した瞬間――


 ドォォォォォン!


 盛大な爆音と閃光が空間を満たした。


 ……………………。

 数秒経っても吹き飛ばされるような衝撃が来ない。あれだけの大きな音が立っていたのだからどうにかなっているはずなのに。あったのは瞬間的な地響きだけ。和弥は訝しながら、反射的に閉じてしまった目を恐る恐る開いた。

 目に映ったのは、青白く輝く盾――防御障壁――を展開する良治だった。


「すまんな、遅くなって。間一髪だったが間に合ったんで許してくれ」


 ふっ、と防御障壁を消して三人に振り返る。


「良治……ありがとう、助かったぁ……」


 緊張が解けたのだろう、へなへなと崩れ落ちる。それも無理はない。いつもと違い、周りにも気を配っていたのだから。


「さすがですね。まさか防御障壁まで扱えるとは思いませんでした」


 小さく息を吐きながら、感心した口調で言う。


「……今のってそんなに難しいことなのか?」

「いや、特別難しいことじゃないが……普通は防御系統の術を覚える暇があったら攻撃系統の術を覚えるからな。よく言うだろう? 『攻撃は最大の防御』って。つまり、攻撃で圧倒できれば防御は必要ないってことだ」

「そんなもんなのか……?」


 微妙に脱力する。とかく攻撃力がモノを言うのはどんな世界でも同じらしい。


「で、すまんが状況報告を頼む。俺が見たのは逃げ去るシグマだけなんだ」


 言葉通り、彼はそれしか見てなかった。和弥たちと違い、積極的に動き回っていたため、合流するのに時間がかかってしまったのだ。無理矢理付いてきた二人よりも早くターゲットを発見するためだったが、これが完全に裏目に出てしまった。目標は犯人の捕獲だったが、『仕事』と割切れば及第点といったところ。犯人の正体と行動が明らかになり、少なくともここでは同じ事件は起きないだろうと予測できるからだ。

 和弥・綾華・まどかと順に話を聞き終えると、納得したように頷き、


「――では、これで今回の仕事を終了する。明日の出発時刻は午前九時。八時半までに用意を完了させておくこと。……以上、解散」


 けじめをつけるための締めの言葉。こうしないと緊張が解きにくいのを知っている良治なりの気配りだ。


 ――ああ、やっと終わった。


 へたり込んでいるまどかに手を差し伸べる良治を横目に大きく息を吐いた。

 今回の仕事で思い知らされた己の実力不足。確かにあの『大猿』を倒したが、和弥自身何をどうやったのか全く覚えていない。よしんば覚えていたとしても、あれを常に出せるようにしておかないと何の意味も無い。


(――ちくしょう)


 悔しさが胸にじわりと滲む。自分はまだ彼らと並んだ場所に立てていない。

 それがなによりも、悔しかった。






 帰ってきた日。学校には午後から行くことにした。というか、今日は大学の講義が午後からだったらしい姉に関節技を極められ、ダウンしたせいなのだが。足首を極められながらいろいろと聞かれたが、良治と出かけていたと誤魔化し一応事なきをえた。ちなみに、学校の方へは風邪ということにしたらしい。出かけた日の昼ごろ、担任から連絡あったときにそう取り繕ったと肘を極められながら聞かされた。関節技を極めながらではなかったら凄く感謝するところなのだが。


 学校に着き、細井や真帆にこの三日間のことを聞かれたが、まさか本当のことを言えるはずもなく適当にお茶を濁した。細井のつまらなさそうな顔と、真帆の心配そうな顔が印象的だった。

 学校帰り、いつものように八王子にある東京支部に向かった。予想通り葵に窘められ、師範と二人の師範代にまで代わる代わるありがたくない説教を貰う破目になった。当然綾華も一緒だったが、扱いが違ったのは諦めるとこだろう。




 修練の終わった支部の道場。罰の片付けと床の雑巾がけをほとんど終わらせた和弥の前に来たのは、今日学校に来なかった良治だった。


「お疲れ。……何か得るものはあったか?」


 聞かれ、ドクンと鼓動が跳ねた。核心を突かれた気がしたのだ。


「……どうだろうな。得たものといえば自分の力が足りないってことを認識したくらいだ」

「そうか」


 微笑を浮かべて返事をする。良治は言葉に自嘲の色が無いことに安心した。


「まだまだいろんなものが足りないのが分かった。俺はそれが解れば言うことはない。あとはお前次第だよ」

「ああ」


 実際仕事の現場に行って、少しだが分かった。今は全部足りない。しかし、これから身につけていけばいい。

 まずは基礎鍛錬から始めてみよう。きっとそれが一番大切で、一番自分にあってると思うから。


 良治は、寂しげに微笑んだ。

 もう『退魔士』の世界から離れることはないだろう、一生。

 いつか自分を超える日が必ず来る。それも、そう遠くない未来。それだけのポテンシャルがこのクラスメートにはある。


「さて、玄関に綾華さんが待ってる。帰るぞ」

「おう、じゃ行くか」


 何の打算も無く、その時には一緒にいたいと、そう思った。





「動乱の兆し」完



お読み頂きありがとうございます。榎元亮哉です。

今回はこれから長い付き合いになるだろう強敵が現れましたが、どうやって打ち倒すのか。


次回は学園が舞台。お時間がありましたらよろしくお願いいたします。

それでは。

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