~選択すべき道~ 五話
「な、なななな」
「ん、どうした? 魚みたいに口をパクパクさせて……まぁ、とにかくご苦労様二人とも」
「うん、お疲れ様」
和弥が驚いて言葉も出せずにいるというのに、目の前の少年はにこやかに話しかけてくる。どうにか深呼吸をし、落ち着いて一言。
「こんなとこで何やってんだお前はーーー!?」
夜の静寂を盛大に破る怒声。
「おい、大きな声出すなって。術士が気絶したから結界はもう解かれてるんだぞ?」
「――あ」
そういえばいつの間にか空気も戻っている。気付けなかったのは結界がなくなったのが些細なことと思うくらい驚いていたということだ。
「じゃ、事後処理といこうか。高村警視は公園の外で待ってもらってたからすぐ来ると思う。こっちは俺がやるからまどかは葵さんに電話して」
「うん、了解」
軽く頷いて和弥たちから離れていく。
「……で、俺はどうすればいいんだ? リョージ」
問われた少年――柊良治――は、段々と近づいてくる足音を気にしながら口に指を当てる。
それが『黙ってろ』というサインと気付き、首を縦に振る。
直後、公園の暗がりからよれたトレンチコートのだらしない男と数人のスーツの男が現れた。
「どうなった? ……って見りゃわかるか」
倒れている男を一瞥して苦笑いする。それがなんとも雰囲気と合っていて、いつも苦笑いしているだろことを窺わせる。
「はい、何事も無く。峰打ちでしたからそのうち気が付くでしょう。……では、後のことはお願いします」
学校ではありえないくらい丁寧に頭を下げる。
「なるほど、わかった。巻き込まれた一般人はいない、と。それでいいんだな?」
軽く和弥を眺めて、ニヤリと口の端を上げる。何かを察したようだ。
「そういうことでお願いします」
顔を上げた良治も悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「おう、それじゃまたな」
「はい、それでは」
最後までその口調を変えることなく、芝居がかった対応をして別れる。
「……どーゆーことだ?」
「別に。面倒ごとは好きじゃないから『一般人はいない』ってことにしただけだよ」
「つまり俺のことか」
「そうだ。で、どうする? 説明しろって言えば一応するけど」
「うーん、そうだな。頼む」
少し悩んで説明してもらうことにする。クラスメイトがまさかこんなことをしているとは思わなかった。是非とも理由が訊きたい。
「了解。じゃ、まどかの家にしよう。……いいか?」
ちょうど電話を終えたまどかに声を掛ける。
「ん、いいわよ」
良治が公園の出口へ歩き出す。
見慣れたはずの良治の背中がなんだかやけに大きく見えた。
「――さて、何が訊きたい?」
まどかに家に着き、皆が落ち着いたのを見計らって良治が切り出した。
もう深夜という時間だが、誰一人として緊張を切らせていない。先程までの戦闘の余韻のせいかもしれない。
「そうだな。じゃ、『何でリョージがここにいるのか』ってのはどうだ?」
じっと良治の目を見つめる――いや、射貫く。
「了解。それじゃ改めて自己紹介を。……白神会東京支部所属・碧翼流退魔士、柊良治。現在はまどかと組んで仕事をしてる」
動じた様子も無く淡々と言う。その表情からは感情が読み取れない。
「ん、納得。……じゃ、次。こんな事件はよくあるのか?」
「最近増えてきたな。ここ一年で急激に」
良治が用意されていたコーヒーに手を伸ばすのを見て、それに合わせるように和弥もコーヒーの入ったカップに手を伸ばす。
「そっか。じゃ最後の質問だ。……二人ともこの後どうするんだ?」
和弥には危惧があった。それは自分に知られたことで、もしかしたらお互い会えなくなるかもしれないという危惧。
良治は目を閉じ、変わらぬ口調のまま答える。
「いや、何も変わらない。時たま起こる仕事をするだけだ。で、俺からも質問がある。和弥、お前はこれからどうするつもりだ?」
「――」
丸一年付き合ってきて初めて見る真剣な、威圧するような視線。
背に厭な汗を掻いているのを冷たい感触で理解する。心拍数も上がり、頭の中がぐちゃぐちゃになる。そんなこんがらがった思考の中に公園へ行く前の決意を見つけ出した。
考えて、考えて、考え抜いた結論。それをたった数時間で忘れてどうする――
「俺たちには選択肢が無かった。が、お前には選択する自由がある……さぁ、どうする?」
ここに着いてから一度たりとも変わらぬ機械のような口調。
「選択肢は二つ。まずは、これまでのことを忘れて今まで通りの生活に戻る。……もしくは、こちらの世界に来るかだ」
「二者択一、か……」
「そうだ」
そこに和弥の知る良治はいない。目の前にいるのは『退魔士』としての柊良治。
「そうだな……」
すでに結論は出ている。後はこの信念を言葉にするだけ――
今まで一切口出しせずにいたまどかが、何かに気付いたのか和弥の顔を凝視する。
良治はそんなまどかの仕草に気付き、表情に微かな諦めが浮かべるが、和弥は気付かず心を紡いだ。
「……これまでの人生、何気なく暮らしてきたが多分もう出来ない。……知ってしまったから。自分が平和だと思っていた生活の裏にあったものを。起こっていることを。もう見て見ぬ振りはできない。だから――俺は戻らない」
「そうか」
最初から予想していたこと。さらに先程のまどかを見て、すでに確信の域まで達してはいた。和弥ならばそうするだろう、と。だが――
「だが、俺は組織には入って欲しくない。組織に入るということは、人を殺すこともあるということだ」
「――! どういうことだ……?」
――人を殺す――ショッキングな言葉に息を飲むが、擦れた声で問いかける。
「今夜のようなケースだ」
「……あ」
そう、今夜のようなケース。もしあの時奇襲が失敗していたら……。
「殺し合いになってたってことか」
「そういうことだ」
陰鬱に沈んだ顔を見せまいとしてテーブルに置かれたコーヒーを見つめる。
深く考えていなかった。
ただ助けられかもしれない人を助けたいと思った。
「明日の昼、京都に行く。和弥、お前もだ。御館様に会ってもらう。……それまでに決めておいてくれ」
「…………」
場合によっては殺す覚悟。
そんなもの自分に出来るのか。
「ただ――」
良治が水面に波紋をつくるようにポツリと呟いた。
「人を殺す覚悟なんて、できればしてほしくないな」
本心からの、言葉。これは退魔士としてではなく、一人の友人としての言葉。
それは寂しげな表情とともにいつまでも和弥の胸に残った――
京都・白兼邸で最も広い和室。空は雲ひとつ無く、陽はちょうど最頂点を通り過ぎようとするところだ。襖は開け放たれているが室内に陽光は差さない。時折吹く風が心地良かった。しかし今の和弥には、そんな自然を気持ちいいと思えるほどの余裕は無い。
上座に柔和な色を浮かべ、静かに佇んでいる着物の男。
その男から向かって右側、やや離れた場所に無表情に座る長い黒髪の少女。
そして下座に三人の少年少女が着物の男とは対照的に、厳しい顔で座している。
「さて、和弥くん」
ギリギリまで引き絞った弦のような空気を無視して、男が中央の少年に言葉をかける。
「――はい」
和弥からおよそ二mほど前にいる男――白兼隼人――に対する畏怖の念が返事をワンテンポ遅らせる。
あの時は気付かなかった、圧倒的な存在感。相対しているだけで神経が磨り減っていく。
まさかあの名刺の肩書きが本当だなんて露程も思わなかった。だが今なら解る。目の前の優男は途轍もない力を持っていると。和弥の命など一瞬で奪えるほどのものを。
「挨拶は抜きにして単刀直入に訊こう。君はどういった覚悟をしたのかい?」
白兼は問う。即ち、目的の為に『人を殺す』ことができるのか否かと。
和弥がたった一晩だがひたすら考え、悩み、苦しんで出した答え。
それは。
「俺は、できれば殺したくない。……でも、誰かが俺の周りの大切なモノを奪うというのなら……殺す。だけど、それは全て自分の判断でだ。誰かに言われてやるなんて絶対にできない。俺は、俺のやりたいようにやる」
それが答え。まどかと良治に、そして今、隼人に問われてすら変わらぬこたえ信念。
まるで自分に言い聞かせるかのように。いや、間違いなく最後の言葉は自身に向けてのものだった。
「そうか」
隼人は神妙な顔をして答えた。そして――
「君の決意は確かに受け取ったよ。それでいい、和弥くんは和弥くんの思うようにやればいい」
満足そうに、本当に満足そうに笑う。
「えと、つまり……」
「これからは仲間ってことよ。……改めてよろしくね、都筑」
今まで黙っていたまどかが和弥の肩に手を乗せ、笑う。
「……そう、か」
いろいろ考えて出した答えに対し返ってきたものは、余りにもあっけなさすぎてイマイチ現実感がない。
ただ、これで助けられる人たちがいるかもしれないと胸に希望の灯は燈った。
だんだんと、身体中に『喜び』という名のエネルギーが流れていく。ここでようやく、実感が湧いてきた。
だが、そんな和弥を横目に表情が変わらない人物が二人。
――――茶番――――
まったく同じ単語が二人の脳裏をよぎる。
おそらく、どんな事をしてでも引き込んでいただろう、と。
何故ならば、白神会は今『戦力』を求めている。
――――来るべき決戦のための『戦力』を。
良治の黙考は隼人の声によりそこで遮られた。
「では改めて自己紹介をしよう。白神会総帥にして神刀流継承者、白兼隼人。――それでこっちは妹の綾華」
和弥は紹介された長い黒髪の少女に目を向ける。
年の頃は和弥より年下、小柄で大人しそうな雰囲気だがその瞳にやや冷たさを感じさせる。
「綾華です。どうぞよろしく」
なんの感情も表さず挨拶する。それは、これが兄の茶番と感じているせいか。
「ああ、よろしく綾華」
いきなり呼び捨てが気に食わなかったのか、綾華の美しい眉が微かに上がる。しかしそれも一瞬で、すぐに元に戻る。
「さて、和弥くんは一応東京支部所属ということで。良治くん、まどかくん、サポートは君たちに任せるから」
「はい」
一応という言葉が気になりはしたが、気にしても余り意味がないだろうと自己完結する。その意味を和弥が知るのは随分と後になってからだった。
「――さて、では食事にしよう。彩菜くん、用意を頼む」
ぱんぱん、と手を叩くと「はい」と答えて一人の女の子が入ってきた。そしてあっと
いう間に仕舞ってあった広いテーブルを真ん中に置き、見た目にも美味しそうな和食メインの料理の数々を運んで来た。
「じゃ、早速食べようか。――ん?」
全員に箸と取り皿が行き渡り、今まさに食べようとしたところに、何かに気付いたのか隼人が声を上げる。そして廊下側の襖の方に顔を向けると観念したように頷き、席を立った。
「すまないけれど急用ができたみたいだ。君たちはゆっくりしていってくれ」
それだけ言うと鈍い足取りで部屋を後にした。
「……何だったんだ、今の?」
「あ、今のは雄也さんですよ。隼人様に何か頼まれていたようですから、多分その報告でしょう」
和弥の独り言にも近い疑問に返答したのは、先程物凄いスピードでこの場をセッティングした彩菜。
ショートカットの似合う幼い風貌の少女。見た目は中学生くらいのように見えた。
「初めまして、柊彩菜です。……兄がいつもお世話になっています」
ペコリ、と勢いよく頭を下げ挨拶する。その挨拶に引っかかったものを感じ、脳内に検索をかける。
(『柊』『兄がお世話になっています』に該当するのは)
その間に彩菜は肩で揃えた髪を揺らし、兄である良治の方を向く。
「にぃ、元気だった?」
「ん、ま、それなりにな」
何となくぎこちない会話。
それもそのはず、二人が会うのは実に四年振りだった。話を聞くと、以前は家族四人で東京に住んでいたのだが、良治が中学に上がる時に両親の海外赴任が決まり、良治は碧翼流の修行の為東京に、彩菜は黒影流の門下に入る為京都の本部に住み込むことになったらしいとのことだった。
「へぇ、妹がいるなんて知らなかった。何で話さなかったんだ?」
「聞かれなかったからな」
「……そういうヤツだったな、お前は」
あっさりと返される。こんなやり取りはそれこそ何十回とやっていて、もう慣れきってしまっている。場所も立場も変わったが、いつもと同じ行為に少しホッとする。
この些細な事で空気が和んだのか、皆思い思いに料理に手を付け出す。和弥自身は経験はないが、同窓会みたいだな、と感じた。最初はぎこちないけれど、ホンの小さなきっかけを機に打ち解ける。なんかいいな、と嬉しくなって和弥も積極的に話の輪に加わった。
初対面だと思っていた他の面々は、実は全員顔見知りで最近は連絡すら取っていなかったらしい。和弥は内心、俺って凄いかも、なんて思っていた。そして何より驚いたのは、良治が和弥のことに気付いていたことだった。良治が言うには入学した当初から素質がありそうだと感じていたらしい。いつかこういうことになるだろうことも。それを狙って知り合いになったのかという質問には笑って手を振っていたが。
帰りの新幹線の時刻が近づき、ささやかな宴は終わりを告げた。柊兄妹は相変わらずぎこちなく、綾華にいたっては他の四人には話しかけていたが、結局和弥には一度も話しかけなかった。
「……なぁ、俺なんか悪いコトしたか?」
新幹線から地元のローカル線に乗り換える途中、いくら考えても答えの出ない問いに匙を投げ、良治に聞いてみることにした。
「ん? ああ、綾華さんのことか。彼女はあーゆー人だよ。自分の認めた人しか相手しない。俺とまどかはこれまでの仕事内容で認めてくれたんだろうな。……まぁ、それでもハッキリものをいうあの性格はつらいものがあるが」
はぁ、と苦笑いしながら溜め息。断片的にしか聞いてなかったが、どうやら彼女は物事をハッキリと言うらしい。
和弥はどっちの方がいいのか考え出してしまい、また思考のループに落ちていった。
「じゃな、和弥。詳しいことは明日全部話すから、ちゃんとノートとペンくらい持って来いよ。いつもカバンにも入ってないんだから」
なんてことを言われながら音羽駅で良治たちと別れた。本当はまどかも和弥と同じ駅なのだが用事があると言って良治と一緒に行った。
和弥は夕暮れの駅前で立ち止まり、このほんの数日のことを思い浮かべながら大きく息を吸い込んだ。
そして、全てを吐き出すように、空っぽにするように息を吐いた。
全てはここから。
成すべき事はこれから。
和弥は確かな足取りで非日常へと進みだした――――
「選択すべき道」完
皆様ここまでお読み頂きありがとうございます。作者の榎元亮哉です。
邂逅編・選択すべき道をお読み頂いた方にはおそらく和弥と良治、どちらが主人公か解らないかと思います。が答えは二人とも主人公というなんとも言えないものしか用意しておりません。個人的には読者の方が感情移入したほうが主人公、というのが理想だと思っています。
よければ彼らの物語はまだ続きますので一緒に楽しんで頂けたらと思います。
まだ邂逅編を読んでいらっしゃらない方が居りましたら、そちらも是非。
それでは、また。