バジル=ロシェット・3
負け知らずの剣豪として知られ、鎧をつけて歩いていると誰もが道を開けるバジル・ロシェットも家ではただの中年男性だ。襟のたったシャツを羽織り、頭には麦わらの帽子をかぶって庭の草むしりをする。バジルは家事はあまり得意ではないが庭いじりは好きなほうだ。
日差しを受けながら汗をかいていると、馬の蹄の音がする。この町の住人は剣士が多く、乗馬も盛んだ。普段なら特に気にもしないのだが、その音が家の前で止まると流石に気になり顔を上げた。
「ほう、馬に乗って帰ってくるとはな」
家の前の道では、体格の良い青年が馬からリリアを下ろしているところだ。バジルは少しの苛立ちと悪戯心を持ってにやりと笑った。
デルタはリリアを抱き下ろすと、馬を一撫でして庭から自分たちをじっと見ている男に挨拶するために向き直った。
「高所恐怖症は治ったのか?」
「お父さん、余計なこと言わないでよ」
先にバジルがリリアに問いかける。リリアはつんとそっぽを向くとバジルの傍に一歩近づく。
「あの、……はじめまして」
おずおずと口を出したデルタを、鑑定するようにバジルが一瞥する。上から下まで観察したあと、デルタにではなくリリアに問いかけた。
「リリア、お前の男か」
「いきなり下品よ、お父さん。……お友達よ。最近知り合ったの。デルタ=アレグレードさん」
「デルタです。はじめまして」
デルタは礼をすると手を差し出した。バジルは一瞬鼻で笑ったが握手自体は拒まなかった。
「“お友達”か。見たとこ治療師じゃないな。王宮騎士団の一員か? ……いや、アレグレードと言ったな。
東のマルト町のアレグレードか?」
ふと思いついたようにデルタは顎をさする。
「ええ。そうです」
「名前を何と言ったかな。……シグマか。シグマ=アレグレード。お前の親父か?」
「はい。父をご存じで?」
「十年ほど前までは武道大会の本大会でよく戦った男だ。確か二刀流だったな。珍しいからよく覚えている。お前も剣士か?」
「はい。俺は一本しか扱えませんけれど」
「ほう」
バジルは目だけをほほ笑ませて頷いた。その表情を見ながら、デルタはおや、と思う。バジルは確かに仏頂面ではあるが、決して話しづらい訳ではない。ニーロが怖い怖いと言っていたが、案外そうでもないではないか。
「ねぇ。こんなところで立ってないで、ここまで乗せてきてくれた馬に水でもやったらどうなの」
会話に割って入ってきたのはリリアだ。
「ああ、そうだな。すみませんが水を頂いても?」
「構わんよ。納屋に大きなバケツが入っておる。お前も茶ぐらい飲んでいけ。娘を送ってもらって礼だ」
「はい。ありがとうございます」
デルタは軽く頭を下げて、指差された納屋の方に向かう。リリアは、二言三言父親と話をした後、デルタの方へ駆け寄ってきた。
「バケツは出してあげる。その後、特製のお茶を入れてあげるわ。私のお茶を飲めるのなんて、ここ数年は父さんだけだったのよ」
「それは光栄だな」
リリアは手早くバケツを取り出すと、外にある水場に向かおうとする。
「いいよ、俺がやる。それより、その特製のお茶とやらを飲んでみたいんだが。準備をお願いできないか?」
「ええ。いいわよ」
リリアは得意げな顔で、デルタにバケツを渡すと家の中へ入っていった。去り際に、デルタの馬の背をそっと撫でる。その仕草が、デルタには嬉しかった。
それにしても、とデルタ腕を組んで考え込む。リリアが高所恐怖症だったとは。それでは馬の背の上ではさぞかし怖かっただろう。言えばいいのに、意地っ張りだな。そう思うと、勝手に頬が緩んでいく。
小さな嘶きをあげてバケツに口をつっこむ愛馬の背を撫でながら、温かな鼓動を打つ自分の胸の音を聞く。
胸の一部に、リリアが住み着いてしまったようだ。頭から離れない。そしてその場所はいつも暖かく、時々こそばゆく心をくすぐる。
デルタは柄にも無く思う。これが恋か、と。