手紙・2
ディールが宿屋にやってきたのはそれから5日後のことだった。アリスから呼び出され食堂に向かうと、ディールが笑顔で手招きをした。
「フェスタに閉じ込められての」
どうやら度重なる無断外出の結果、部屋には鍵をかけられ、用事が無ければ出してもらえないようになってしまったらしい。
「今日はどうやって出てきたんですか?」
「買い物をするといって、出てきた。ワッツがついていれば外出するには問題ないそうだ」
「そのワッツさんは?」
「馬車の中で待っとる。御者と言うのはそういうものだ」
「そうですか。じゃあ早速治療しましょうか。ええと……」
食堂に入るお客達は、ディールとディアナを見てコソコソと何か呟いている。とても落ち着けそうにないので、ディアナは老人を部屋に招き入れた。
老人は部屋に入るなり、きょろきょろと辺りを見回す。
「お嬢さんの旦那さんはどうした」
「今は仕事に出てるんです」
「そうか」
ディールはさほど気にした様子もなく、促した椅子に座った。
「咳の調子はどうですか?」
「いつも変わらんよ。急に寒かったりすると咳き込むんじゃ」
「ちょっと見せてくださいね」
ディールの喉のあたりを見ながら、目の下のクマをチェックする。相変わらずくっきりとクマがついていて、寝不足のような状態なのが分かる。
「多分、埃とか冷気とかそういうものに敏感なんだと思うんですよ。寒い日は特に気を付けてください。それと」
「うん?」
「睡眠も大事です。基礎体力が無ければ体は弱っていく一方ですよ。フェスタ様だって、あなたに倒れられたら困るでしょう」
「そうかのう。……いっそせいせいするかも知れん。わしなんていない方が」
「ディールさん、そんな事を言ってはダメ」
少しきつめの調子で諌めると、老人は拗ねたような表情でディアナを見る。まるで少年のような顔つきに笑い出したくなってしまう。
「しばらく目をつぶっていてくださいね」
「うむ」
老人の胸のあたりに手を当てて回復呪文を唱えた。
この老人に必要なのは、おそらくは休息なのだ。事情は良く分からないけれど、常に自分を責めた状態でいるのが、体にいいはずが無い。じきに老人は眠くなってきたのか体をゆすり始めた。
「ベットに横になりますか?」
「……っ。いや、いい。すまんの。ダリア」
ディアナをダリアと呼んだまま、ディールは優しさを拒絶するような調子で、ディアナの手を払う。
「わしの事は心配せんでもよい」
目をつぶり、揺れるがままに体を揺らしている老人に、ディアナはそっと呼びかけた。
「……おとう、さん?」
どんな反応が起こるのか見たい反面、とんでもないことを言ってしまったという気にもなる。ディールは目を閉じたまま続けた。
「お前はわしの決めた男と一緒になればよい。BBの事は忘れなさい」
それはきっぱりとした口調で、聞いている方には冷徹さしか感じられない。
「あの男は『黒』だ。あいつをこの家の一員にする訳にはいかん。周りからどんな目で見られるのか、考えてみなさい」
老人のうつろな目を見ながら、ディアナは息をのんだ。
やっぱり、と頭の奥で声がする。ダリアは、『黒』の事が好きだったんだ。BBという呼び名は初めて聞いたけれど、話の流れから考えれば、ブレイドの実父であるブレイドの事なんだろう。
「嫌だって、言ったら?」
「わしにも考えがある。お前はこのドニデラ家の娘だ。相応の家との縁談くらい、覚悟しておったろう。……っ、うおっ」
きっぱりと言い切ったディールは、突然頭を抱えて唸りだした。ディアナは慌てて彼の体を支え、呼びかけた。
「お爺さん。ディールさん! しっかりして」
「……っ、はあ」
老人は額に汗をにじませたまま、大きく瞬きをした。ディアナが服の袖でその汗を拭き取ると、驚いた様子で見つめてくる。
「……お嬢さん」
「はい」
「わしは……。ここは、どこだ。ダリアは?」
「ダリアさんなんて、いません。分かりますか? 私はディアナです。今はあなたの咳の治療をしているところですよ」
尚も老人はあたりを見回し、宿屋の内装をひと通り確認した後、大きく息を吐いて椅子に倒れこむように座った。
「そうじゃ。そうじゃった。ダリアはもう、いないんじゃ」
「お爺さん、良かったらダリアさんの事、話してくれませんか?」
「お嬢さん」
老人が救いを求めるような瞳を向ける。けれども、すぐに首を振ってうつむいた。
「いや、人に話せるような話でもない。皆わしが悪いんじゃ。墓まで一人で持って行く」
「でも。……知りたいんです。教えてください」
「お嬢さんには関係なかろう」
「関係無くありません」
ディアナが発した言葉に、老人は眉をひそめた。言っていいものか悩みながらも、ここまで言ってしまった以上隠しておいても仕方ない。ディアナは決意を固めて拳を握った。
「私の夫は『黒』です」
「黒、だと?」
「おそらくですが、あなたの孫にあたる人物です」
「……なんじゃと?」
ディールは険しい表情でディアナを見つめる。
「私の夫はブレイドと言います。母親の名前はダリアだと聞いています」
「ダリアじゃと。ダリアはどこにいるんじゃ。ちゃんと生きて、……幸せにしているのか?」
「それは……」
ディアナは口ごもった。老人の瞳が真剣で、声からは懇願するような響きを感じる。ダリアがもう死んでしまっていることを伝えてしまったらこの老人にはどれ程の痛手になるんだろう。
「あの、……えと」
軽はずみなことをしてしまった。その後悔に、ディアナはただ口ごもる。
両肩を老人に揺さぶられたまま、返答することも出来ずに押し黙っていると、部屋の扉が大きく開いた。
「ディアナ!」
「……ブレイド?」
そこに現れたのは、まぎれもないディアナの夫・ブレイドの姿だった。
戻るのは二日後の予定なのに、と眉をひそめて見つめると、ブレイドの方はディアナの肩を掴んでいる老人を睨みつけている。その右手は、いつでも剣を握れるようにと柄の傍に添えられていた。
「おい、じいさん。何をしている」
「お前っ」
「違うのブレイド、やめて」
振りかえったディールは、ブレイドの黒い髪を見て険しい声をあげた。
「お前は、BB! どうしてこんなところにいる。ダリアはどうした。わしからダリアを奪っておいて、どうして今頃舞い戻ってきた!」
「え? ダリア……?」
一瞬ブレイドの動きが止まった。その隙を見逃さず、老人はディアナの手首を掴んで引っ張りあげる。
「わしと来い、ダリア。今度こそ、BBには渡さん。屋敷に帰るぞ」
「え? あの……」
「おい」
そのまま老人に引っ張られるも、戸口でブレイドがディアナの肩を引きとめる。咄嗟にディアナはブレイドに囁いた。
「大丈夫だから。私に任せておいて」
「おい、ディアナ」
「さあ! 来るんだダリア」
ディールは、力強くディアナの腕を引っ張って、宿屋の前に停めてあった馬車へと乗り込んだ。
「早く、ワッツ。馬車を出せ!」
「は、はい」
馬車の座席に座ってもなお、老人の力は緩まない。
今は夢の世界と現実、どっちにいる? 確認しようと老人の顔をのぞき込んだディアナは、彼の眼差しを見て気付いた。彼はちゃんと正気だ。
「お爺さん」
「……なんじゃ」
「私はディアナです。分かってるんでしょう?」
老人はゆっくりとディアナの手首を離した。
しばらく続く沈黙に、馬車の蹄の音が響く。規則的な振動が心音のリズムを整えてくれているようだ。
「お嬢さん」
「あの人が私の夫です。そっくりなんじゃないんですか? あなたのいう、BBに」
「……そうじゃ」
長い沈黙の後、老人から肯定が落ちてくる。
「話してください。あなたとダリアさんとBBに、一体何があったのか」
「屋敷に行こう。話はそれからじゃ」
箱馬車の窓に視線を向け、老人はぽつりとそう言うと、その後は口を開かなかった。ディアナもそれ以上追及することができず、同じように外の景色を眺めた。




