セリーナ町・3
「まあいいか。えっと、そのラッカちゃんは?」
「こっちよ」
アリスと一緒に宿屋の外に出ると、隣家の扉の前で小さな女の子が声をあげて泣いていた。髪の毛を両脇で結び、赤いリボンをつけている。泣いていなければすごく可愛い子だろう。座り込んだ彼女の膝はすりむけて血が出ている。
「痛いよう。えーん」
「ジャガイモを分けてあげたんだけど、持って行く前に転んじゃって」
確かに、あたりにはジャガイモが散乱してる。ディアナは一番近くのそれを拾い上げ、彼女の手の中に持たせた。
「えっと、ラッカちゃんだったね。これ持って。ちょっとじっとしていてね」
「うっ……うん」
「アリス。お水もらえるかな。清潔なやつ」
「ええ」
ディアナは傷口を水で流した後、回復魔法を唱えた。血はすぐに止まり、赤黒くなっていた傷口も徐々に塞がり、きれいな肌色を取り戻していく。
「ほら、どう?」
「うん! もう痛くない」
「じゃあ、残りは自分で拾っておいで」
「うん! ありがとう、おねえちゃん」
ラッカと呼ばれた少女は元気になって一生懸命ジャガイモを拾い集めた。ディアナがふうと一息つくと、後ろからアリスが小さく拍手をする。
「ありがとう、ディアナ。あなたはいい人ね」
「どういたしまして。でも、出来ることをしてるだけだもの。別に普通でしょ?」
「普通じゃないわよ。回復魔法をそんな惜しげもなく使えるなんて、すごいわ。僧侶様に頼むと、ものすごい金額をとられるのよ。それに、『黒』と結婚するなんて私には考えられない」
「『黒』って区別する方が、私には分かんないわ。ブレイドは優しいわよ」
「そう思えるのがすごいって言ってるのよ」
実際、そう思い込んで暮らしている人の気持ちを変えることは難しい。別にアリスが特別な訳じゃないのだ。偏見が当たり前の世界に住む人間に、認識を改めろといったところで簡単に変わるものではない。
ブレイドが非難されることは、ディアナにとっては自分の事のように辛い。だから本当は早くこの街をでたいと思っている。けれど、ブレイドがしばらくここに居たいという以上、少しでも周囲との関係を良くする以外に何ができるっていうだろう。
あまりにも会話が通じないことに耐えかねて、ディアナはアリスに声をかけた。
「アリス、私ちょっと散歩してくるから」
「そう? じゃあ、またね」
「うん」
その場を離れて、町の中を少し散策する。今は朝の八時。町は徐々に仕事に向かう人々で行きかいはじめた。
言わずに出てきてしまったが、ブレイドももうすぐ仕事探しにいくだろう。ちょっと戻らなかったくらいで騒ぐほど心配症でもない。
ディアナは腰に下げた剣を確認して視線を前に戻す。ブレイドにこそ敵わないが、ディアナは治療師とは思えないほどの剣の腕前の持ち主だ。その辺のごろつきに絡まれたって自力でやりこめる自信はある。ブレイドもそれを分かっているから、ある程度ディアナの事は自由にさせているのだ。
その時、通りの向こうから一人の老人が歩いてくるのが目に付いた。どこかふらふらして、足取りがおぼつかない。衣服を見れば豪華な身なりをしていて、こんな下町を一人で歩くような人物にも見えなかった。
「うおっ」
老人が足を踏み外したのか突然膝を曲げ、地面に下半身をつけた。ディアナが思わず駆け寄ると、老人はぼやけた眼差しでまじまじとディアナを見詰める。
「あの、大丈夫ですか? お爺さん」
「……お前、どこに行っておったんじゃ」
「え?」
「さあ、わしと帰ろう。あんな男に騙されおって」
老人はディアナの手をグイグイと引っ張る。座り込んでいる人物に引っ張られるのだから、ディアナ自身も地面に膝をついてしまう。
「あの、ちょっとお爺さん」
「わしの言うことをきくんじゃ……ゴホッ、ゴホッ」
老人の訳のわからない訴えには閉口したが、この老人の咳き込みには聞き覚えがある。城で治療師をしていた期間に、風邪をこじらせて重症化した大臣がかかっていたしつこい咳の音に似ている。
あまり咳の病気を直したことは無いが、コツは空気の通り道を広げるようなそんなイメージで回復魔法を唱えることだと聞いたことがある。ディアナはその通りに、老人に回復魔法をかけた。
老人は体をゆすりながらも徐々に咳は止まり、落ち着いてきたようだ。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまなかった。……お嬢さんは、誰かな?」
さっきまで勝手にまくしたてていたくせに、今度はキョトンとした顔でこちらをまじまじと見る。良く見れば先ほどよりも視線がはっきりしているようだ。
ああ、ボケているのか。
ディアナは納得して、できるだけゆっくり言い聞かせるように話しかけた。
「私はディアナ=ウェルドックと言います。旅の人間です。お爺さん、具合が悪いなら家に戻った方がいいと思うんですけど、一人で帰れます?」
老人は何度も頷いてまずは北方向へ歩き出し、数歩歩いたらまた戻ってきた。
「どっちじゃったかのう」
聞きたくなかった言葉が耳に入ってしまう。ボケ老人の徘徊か。全く家族は何をしているのか。
「……駄目そうだな」
しばらく見守っていたディアナは、老人の迷走ぶりを見て軽く舌打ちをした。




