セリーナ町・1
第三章がスタートです。
洗いたての毛布に包まれる夢を見ていた。ふわりとした柔らかい感触と洗うときにハーブを混ぜ込んだのかラベンダーの香りのする毛布。いつまでもこれに包まれていたい。ディアナが寝返りを打って薄目を開けると、程よく筋肉のついたたくましい腕が見えた。
「おいディアナ、朝だぞ」
目の覚めるような清々しい声は悪いものではないけれど、まだ先ほどまでの温かく柔らかい空気に浸っていたいディアナにとっては、できればまだしばらくは聞きたくなかったものだ。
「んー、あとちょっと」
「駄目。起きろよ」
抵抗してくるまった毛布を剥ぎ取られ、「やー」と抵抗の声を上げると、額にキスが落ちる。
「え?」
それですっかり目が覚めた。ディアナが慌てて体を起き上がらせると、黒髪に黒い瞳を持つブレイドがベッドの脇に立って見下ろしていた。
「お、おはよ。ブレイド」
まだ感触の残るおでこを抑えながら彼を見上げると、ブレイドはにかっと笑って隣りに座った。
「お前、朝は弱いなぁ」
「むぐ」
そのまま今度は唇にキスをされる。新婚だからこんなものだろうと言われればそうなのかもしれないが、ディアナは未だにこの甘い朝の習慣に慣れない。
「も、もう目は冷めたわよ」
「そうか、じゃあ行くぞ」
その後に始まるのはあまり甘くない習慣だ。ブレイドは剣を腰に携え、右手を伸ばしてディアナを引っ張り上げる。
「ほら、やるぞ。朝稽古」
さっさと先を行くブレイドを横目に、ディアナは近くにおいておいた衣服を着込んだ。
時計を見れば、朝の六時。宿の朝食時間にはまだ一時間ほどある。軽く舌打ちをしてディアナは立ち上がった。ブレイドは朝に強すぎる、というのがディアナの主張だ。
二人は現在、ラクターヌ国のセリーナという町に滞在している。
旅に出た当初は北に行こうと話していたはずが、なぜ東であるここにいるのか。それにはそれなりに理由がある。
旅に出た当初、タリス国ではマドラスの森の緑龍を倒したという英雄の話で持ちきりだった。名前は伝わっておらず、ただ、黒髪黒目の勇猛な剣士だったという噂だけがひとり歩きしていた。
タリス国に黒髪の人間は殆どいない。少なくともディアナはブレイド以外見たことがなかった。だから、旅をするブレイドが噂の英雄であることはあっさりとばれてしまった。
そうなると、やれ武勇伝を聞かせろとか剣技をみせてくれとか、たくさんの人々が追いすがってくるのもまあ無理はない話で。そういったすべてのことが面倒になったブレイドは、あっさりと進路を東に変え真っ先に国外に出るルートをとった。
そんな訳で、旅にでて二週間目にはラクターヌ国に入国したのだ。
ラクターヌ国に入ってもまだ、ブレイドの黒髪は物珍しいのか、やたらに人目を感じる。しかも、今までとは視線に含まれる感情が違うようだった。タリス国では興味本位や羨望の眼差しだったものが、今度は畏怖や蔑みを含んだそれに変わっていた。
明らかに歓迎されていない空気に、ディアナは国を出ることも提案したけれど、ブレイドは気にせず旅を続けようという。
色んな町や村を訪ね歩きながら更に二週間。このセリーナ町では、更に不思議とねっとりした視線が投げかけられる。気にはなったが、旅に休憩は必須だ。開き直る気持ちでディアナたちは宿をとった。
そして、そこの食堂で休んでいると、辺りの人々がひそひそと話始めた。
「おい、あいつ……」
「まさか、あんなに若い訳がない。でも、そっくりだな」
人より耳の良いブレイドは、この噂話をしっかりと聞いた。そして、その内容に思い当たることがあったらしい。
「なあ、ディアナ」
「なに?」
「しばらくこの町に滞在したいと言ったら嫌か?」
人からの視線を嫌がるブレイドが、今までで一番嫌な視線で注目されているであろうこの町にいたがるのには必ず理由があるはずだ。ディアナは詳しく聞くことはせず、ただ「良いわよ」と告げた。
ブレイドは安心した笑顔を見せると、宿屋に前払いとして金貨数枚を支払い、仕事探しをはじめた。別にお金が無くなった訳ではない。国王から賜った龍退治の褒美はまだまだある。けれど、体を動かさないことにブレイドが飽きてしまったのだろう。もともとじっとしているタイプではない。
「どうせなら、仕事したほうがいいだろ。体も心もなまっちまうよ」
「そうね。私も手伝おうかな」
そんな訳で、ディアナとブレイドは安宿を居にし、しばらくこの町に滞在することにした。今日はその三日目に当たる。
それまでの二日間も何もしていないわけではない。滞在を決めてすぐ、ディアナはまず実家に手紙を書いた。旅に出てからかれこれ1ヶ月、一度も便りを出さないのは、無精を通り越して薄情だというものだろう。
ラクターヌ国は一応王制国家ではあるが直接的な権力を持つのは地方豪族で、それぞれの町にまとめ役となる地方豪族がいる。このセリーナ町を治めているのはドニデラ家だ。
ディアナが町の人から聞く話からは、ドニデラ氏が温厚でしっかりとした人物だという印象を受けた。しかし皆ブレイドの黒髪を見ると怯えの色を見せ、「悪いことは言わないから早くこの町を出た方がいい」と言う。
不審に思いながらも、ブレイドが滞在の意志を揺るがすことは無かった。
二日目は、宿で事件が起こった。看板娘が厨房でのミスで大火傷を負ったのだ。丁度その時食堂で朝食をとっていたディアナは、すぐさま手当をし蘇生魔法をかけて彼女の肌をほぼ元通りにした。それは当人もだが、見ていた周囲の町人たちをも驚かせた。
詳しく聞くと、この国はあまり魔法が盛んではないらしい。ディアナの扱うような治癒魔法は高位の僧侶たちしか使えず、そういった人物に会うにはそれなりの身分と捧げ物が必要なのだという。それを、なんの見返りも求めずに治療したディアナに宿屋の主人はとても感謝し、町人たちは街中を噂で持ちきりにした。
その一日ですっかりディアナの名は町中に知れ渡ることとなり、夕方には治療を頼みに来るものまで現れた。それをディアナは快く受けたが、一緒にいるブレイドを見ると、町人立ちはぎょっとし、途端によそよそしい態度で帰っていく。この町の人々が見せる偏見の眼差しは、相当に根深いもののようだった。




