往診・1
水曜日の午後、デルタはニーロの助言通り、城門前でリリアが出てくるのを待った。何度も行ったり来たりしてながら、そわそわと落ち着かずにいる自分を、デルタはバカバカしいと思ったりもする。しかし、他に手があるかと言われれば思いつかない。もともとデルタは奥手な方で、正攻法以外のやり方を知らなかった。
三十分程城門前をふらついていると門番からは訝しげな視線を投げかけられる。しぶしぶ、死角になる辺りまで下がろうとすると、その背中に話し声が聞こえた。
「往診ですか? お気をつけて」
「ありがとう」
門番の声の後に聞こえてきたのは、忘れられない彼女の声だ。デルタは勢い良く振り向くと、大声で叫んでしまった。
「リリア!!」
「きゃあっ……」
門を出たばかりのリリアが、突然目の前に現れたデルタに驚きの声をあげる。
「大丈夫ですかぁ!」
すぐさまやってくるのは門番で、彼女を庇うように前に立ちはだかる。デルタは自分が不審者扱いされている状況についていけなかった。
「え? や、違う。ちょっと待て」
「いたいけな女性に何をする気だ!」
正義感に燃える門番の後ろから、リリアはそっと顔を出した。そして目の前の男を認識したのだろう。門番の肩を叩いて、なだめ始めた。
「すみません。知り合いの剣士さんでした」
「不埒な奴は……って、え? あ、お知り合いなんですか」
「はい。びっくりしただけなんです。ごめんなさい?」
「では、お気をつけて!」
ピシっと敬礼した門番は、ちらりとデルタの方を睨んだ。デルタも苦笑で返す。今回ばかりは自分が悪い。
「……すまない。驚かせて」
「いいえ。大丈夫よ」
リリアは冷たく言うと颯爽と歩き出す。デルタは慌てて後を追った。
「あの、リリア」
「私ね、今から仕事なのよ。クラスター家に往診に行くの」
「じゃあ、そこまで一緒に歩かせてくれないか。俺は護衛にはなる」
「護衛なんていらないわよ」
「そう言うなよ。……話がしたいんだ」
ここで追い返されては、待ち続けた三十分の意味が無い。デルタは必死に食いさがった。明らかに返答に脈は無いが、デルタはあくまでも下から頼み込む。
リリアはしばらくじっとデルタを見詰めた後、溜息をついて「いいわ」と言った。
「あ、ありがとう」
許可を得てデルタがリリアの少し後ろを歩いていると、今度は彼女の方から話しかけてきた。振り向くと栗色の髪がふわりと揺れて、デルタはその髪で心臓をくすぐられるようなこそばゆい感覚を味わった。
「……あなたは、人気者なのね」
「は?」
突然の会話の変化についていけず、デルタは素っ頓狂な声を出した。なぜ、どこから人気者なんて話題が出る?
リリアは気にした様子もなく、スラスラと続けた。
「名前は、デルタ=アレグレード。首都の東、マルトの町に両親と妹と住んでいる。剣の腕は上々、マルトの町では1、2を争う。性格は真面目、将来有望の剣士である」
そこまでの個人情報を、どうやってそんなに簡単に入手したのだろうと疑問が湧く。リリアはただの治療師じゃないのか? しかし、そんな疑問は問いかければアッサリと返答された。
「……どうして」
「この間、あなたに会ったと言ったら、治療師仲間が聞いてもいないのに教えてくれたわ」
「治療師仲間って、……俺は、城の治療師に知り合いなんていないけど」
呆けたように言うデルタに、リリアがおかしそうに微笑んだ。初めて見る彼女の笑顔に、デルタは続ける言葉を失って黙り込む。
「違うわよ。城の女の子たちにはね、色んな情報網があるのよ。騎士団の有望株とか、ちょっと有名な剣士の情報ならいくらでも手に入るみたいよ」
「げ……」
デルタは思わず口元を抑えた。自分の個人情報がそんなに駄々漏れであり、しかも簡単に情報交換されていることに青ざめる。これは嬉しいと言うよりはドン引きである。女は怖い。今までもなんとなく思っていたそんな思いに拍車がかかる。
デルタのしかめ面に気が付いたのか、リリアは少し申し訳ないような顔をした。
「ごめんなさいね。驚いた? ところで、遅れないように行きたいんだけど、足を動かしてくれる?」
指摘されて、デルタは我に返って歩き出した。大股で歩き、先に行くリリアとの間を少しずつ詰めていく。
「すまない。……ええと、クラスター家に行くんだったか?」
「ええ。ご令嬢のセビリア様の治療よ。王子殿下のお妃候補だから、失礼のないようにしなきゃいけないの」
「お妃候補は、クロイ家のリディア様じゃないのか?」
「あれは、国王陛下が進めてるだけよ。でもね、王子殿下はセビリア様にぞっこんなの。今も裏で色々手をまわしているみたいよ。陛下を納得させるためにね。だから、私もセビリア様が早く元気になるように、急きたてられてるって訳」
「へぇ。随分裏事情に通じてるんだな」
「王宮の中は怖いのよ。表面に見えるものの他にも、色々な思惑がうごめいているんだから」
そういった事情をこんなに飄々と語る辺り、リリアは度胸があるのか、それとも漏らさないと信用されているのか。デルタは彼女の真意を読み取りきれず、物言いたげに見つめるだけに留めた。リリアはデルタを伺いながら、いたずらを仕掛けるような表情をする。
「なぜ古参の治療師じゃなくて、私のような新米がセビリア様の治療にあたっていると思う?」
「なぜって、……何故だ?」
「王子殿下の思う通りに動くからよ。古参の人たちは、陛下の方に忠誠心があるもの。実際、王子殿下は私にセビリア様への手紙を都度都度渡してくる。治療師兼、郵便屋って訳」
あけっぴろげに内情を暴露するリリアに、デルタは言葉が告げなくなる。非難めいた視線に気づいたのか、彼女はおかしそうに声をあげて笑った。
「真面目ってのは本当みたいね。デルタさん。全部が本当じゃないわ、忘れて」
「なんだ、……嘘なのか?」
「信じても信じなくても変わらないわ。上の人間には上の人間の手段があるのよ。都合の悪いことは揉み消せるし、さらなる情報操作をすることだって可能だわ。私が言ってることが正しいなんて証拠はどこにもないでしょう?」
「じゃあ何を信じればいいんだ」
「王宮からの公式発表よ。一般人にとって、結局確実なものなんてそれしかないでしょう。口伝いで聞く話は、結局は噂でしか無いの。だからあなたの個人情報が知れ渡ってることもそんなに心配することはないわ」
「でもあの情報は合ってるぞ?」
「合ってたからといって何の被害も今まで無いのでしょう? 私たちの間で交わされている情報にはそれほど重みが無いの。正しくても正しくなくても構わない。ただ話題になればいいだけの暇つぶしよ」
「それはおかしいだろう」
納得がいかないデルタに、リリアは振り向いて笑いかけた。
「あなたは、王宮には向かないわね、デルタさん?」
まだ不満は合ったが、デルタにはリリアが笑いかけてくれた事の方が重要だった。彼女は先程より友好的だ。距離を詰めるならば今だと思った。
「あ、さん付ははやめてくれないか。デルタでいいよ」
「でも、あなたの方が年上だし」
「え? 君はいくつだ?」
率直に返したデルタを、リリアは軽く睨みつける。
「女性に年を聞くのは不躾というものです」
「あ、悪い」
「ふふ。……でもまあ、いいわ。19よ。まだ城に入って2年目なの」
「そうか。5つも下には見えないな。構わないんだ。呼び捨てで呼んでくれないか」
「あなたがそういうなら」
この数分の会話で、明らかにリリアの警戒心がほどけてきた。話は弾み、デルタは自分の立ち位置をリリアの少し後ろから隣に移した。
しかし数分後、もっと話したいというデルタの思いとは裏腹に二人は大きな建物の前に到着してしまった。
「ここが、クラスター家よ。ありがとう、護衛さん」
「……護衛として認めてくれるんなら、待っていてもいいか? 帰りは何時になるんだ?」
「治療は一時間よ。でも、また城に帰らなきゃいけないから」
「いいんだ。待ってる」
「……そう?」
何度も振り返りながら、リリアはクラスター家の門の中へ入って行く。デルタはその姿が完全に見えなくなるのを見届けてから、訝しがる使用人の視線を避けるように歩きだした。