異変・3
「……ブレイド」
後ろの木陰から小さな囁くような声がする。振り向くと、暗闇の林のなかに女性の姿が見えた。ランプを片手に持っていて、ぼんやり見える髪は栗色だ。デルタは一瞬リリアがそこにいるのかと錯覚した。
「リリ……」
「ああ」
叫びそうになった声は、ブレイドと呼ばれた男の声でさえぎられた。
「悪いな。連れが呼んでる。じゃあ、気をつけて行くんだぜ」
瞬きしている間に、男は栗色の髪の娘の傍まで移動していた。
彼女のランプが顔の方にうつる。その造形を見て彼女が明らかにリリアとは別人だと認識した。
「錯覚か。俺も重症だな」
呟いて、未だ惨劇の痕の残る現場を見る。今や遺体はラックやソープのものだけではない。黒装束の男四人分も追加されている。
リリアに会いたい。
こみ上げてくる思いに、デルタは苦笑する。
……甘えているのか、俺は。
彼女を欲する感情の奥底には、己の弱さが潜んでいる。
今のこの状況が耐えられず、支えが欲しいと願って彼女を求めている。
剣士として、もう何年も一人でやって来たはずだったのに。
「……現状把握からだな」
ポートの肩をポンと叩き、まずは彼の負傷を確認する。怪我が一番酷いのは右腕だ。今だ血があふれでてきている傷口を服を破って巻きつけ止血した。
「ふらつくだろう。じっとしてろよ」
「すまん。……デルタ」
そしてデルタは商人馬車があった方へ歩き出す。重なるように倒れているラックとソープのそばに寄り一応脈を確認する。しかし当たり前だが反応は何もなく、デルタは彼らの顔についた血しぶきを持っていた服で拭いた。
アイザックは腕を縛られて大人しくしている。デルタは彼を視界の端に入れながらポートの傍に駆け戻った。
「ポート、大丈夫か?」
「ああ」
気丈にそう言うが、ポートが息は荒く苦しそうだ。これ以上誰も死なせたくない。デルタは持っていた栄養剤をポートに渡す。
しかしポートはゆっくりと首を振って拒絶した。
「……ラックと、ソープが」
「うん」
「俺のせいだ。俺が、責任者だったのに」
「お前だけじゃない。俺だって、林を抜けるルートを選ぶときに反対すればよかったんだ」
「あいつら、まだ若いのに……」
たくましい体を小さくかがめて、ポートは涙混じりにそう呟く。デルタも一緒に泣きたい気分だったが、泣けなかった。まだやることが残っている。
剣士という職業についていながら、人の死にはあまり直面してこなかった。おそらくはポートもそうだろう。それだけに起こってしまった現実を受け入れるのが辛い。人の親となっているポートは、おそらくデルタよりも悲しみが深いだろう。
「とにかく、近くの村まで引き返そう。ラックとソープの遺体も出来れば運びたい」
「……ああ」
「アイザックもいるから。……どちらかがここで残って見張りをするか。もう一人が村へ戻って助けを呼んでこよう。ポート馬に乗れるか?」
「ちょっと、腕がきついな。頼めるか? デルタ」
「わかった」
ひどく憔悴しているポートを置いていくのは気がかりだが、他に手はない。デルタは馬に飛び乗ると、「なるべく早く戻る」と告げてその場を後にした。
風が頬を撫でていくという生きていれば当たり前に感じる感覚を、ひどく恨めしく思いながら前へ進む。
どうして、こんなことになったのか。なぜ仲間を守れなかったのか。
どうして何も守れなかったのに、自分だけは生き残ってしまったのか。
自らを責める言葉しか、頭には浮かんでこない。朝にはすがすがしい思いで出発したイスト村についたときには、体よりも心が疲れきっていた。
村長を通じて救援隊を出してもらい、村の治療師から治療を受ける。救助の主導権を渡した途端に、デルタは何かが抜け落ちたような感覚に陥った。周りは慌ただしく動いているのに、自分の頭だけはどこか遠くに行ってしまったようだ。
そこからはぼんやりとしか記憶に無い。
アイザックの騎士団への引き渡し。ラックとソープの葬儀。泣き崩れるポートと、それでも再会を喜ぶ彼らの家族。なにもかもが、まるで違う世界で起きているような感覚のまま過ぎて行った。
日付もおそらく飛ぶように過ぎているのだろうが、感覚が無かった。デルタは城に戻ってから、騎士団から事情を聞かれた。それも、物語を話しているかのようにどこか遠い感覚でしかない。まるで幽霊にでもなったように、デルタは淡々と説明をする自分を遠くに感じていた。