異変・1
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ざわ、ざわと耳障りな葉ずれの音が気になった。進む馬車を後ろから警護しつつ、デルタはふと、鳥の声がしなくなったことに気づいた。
「なあ」
デルタは大声で、前を行くポートに呼びかけた。ポートは乗っていた馬の方向を変え、近寄ってくる。
「どうした、デルタ」
「なんだか嫌な予感がするんだが。やっぱり無理をしてでも林を抜けないか? このまま走らせれば夜中にはぬけれるだろう?」
「でも、夜は魔物も出てくるし危ないぜ。何よりスミスさんが……」
馬車の方からは、スミスが小太りな体を浮かして、何事かとデルタたちを眺めている。ポートとしては依頼主の心証は悪くしたくないのだろう。
「俺が話してみるよ」
どうしても不安の消えないデルタは、自分でスミスを説得する気になっていた。馬を下り、スミスと御者の乗る馬車に近づく。
その時、茂みを掻き分けるような荒々しい音が聞こえた。
「なっ!」
デルタが振り返った時には、黒装束を着た数人の男に囲まれていた。辺りは既に薄暗く、頭巾で顔を覆い隠した男たちの姿は闇に紛れて見えにくい。存在を浮かび上がらせるのは、銀色に光る剣と、唯一露出しているギラギラした瞳だ。
「いつの間にっ」
デルタは剣を構え、スミスをかばうように馬車の前に立った。その更に前方ではポートが剣を抜く。治療師のソープが馬車の方へ近寄り、詩人のラックは合図の口笛を一度鳴らし、眠りの唄を詠唱し始めた。デルタは構えの体勢を崩さないまま、意識的に音を遮断した。相手が人間である以上、ラックは人間向けの眠りの唄を歌う。つられてこちらまで眠気を感じてしまってはどうにもならない。
「その積荷を渡してもらおうか」
黒装束の男の中でも、一際体の大きな男がくぐもった声を出した。隙のない瞳が、せわしなくデルタ側の動きを観察している。
「賊か? この積荷が何だか知っているのか?」
「答える必要はない」
ポートの問いかけにも耳を貸さず、男は切りつけてきた。その途端に、じっと成り行きを見守っていた他の賊も、いっせいに動き出す。
「アイザック、スミスさんたちを頼む」
デルタは荷台にいるはずのアイザックに声をかけ、ポートの加勢に入った。男は四人。一人で二人ずつを相手にしなければならない。ラックが唄っている眠りの唄が効き始めてはきたようだが、双方からかかってこられると流石によけようが無い。すんでのところで交わしたものの、かすった左腕からはうっすら血が滲んできた。
「うおぉぉぉ」
ポートがその大きな体をふるって一人を跳ね飛ばし、もう一人に切りかかっていった。デルタも一方の剣を弾き飛ばしてすぐもう一方の剣を受け止める。父親の二刀流をちゃんと習って置けば良かったと、今更ながらに後悔する。
その時突然ラックの声が途切れ、背中の方角からソープの悲鳴が聞こえた。いつの間に馬車に刺客が移動したのかと慌てて振り向き、そこに見えた信じられない光景にデルタは目を疑った。
「……なに?」
しぶきをあげて飛び散る血。ラックが胸を押さえ込みながらゆっくりと倒れこむ。彼を切りつけた剣が、血に濡れて怪しく光る。その剣を握る人物。それは、まぎれもないこの商人馬車の護衛、アイザックだった。
「な、……」
喉に何かが詰まったように、かすれた声しか出なかった。呆然とした一瞬を狙われて、デルタの剣がはじかれる。一メートルほど先に飛んだ剣を見ても、まだデルタは正気には戻れなかった。
「危ない!!」
そう叫んだのは、ポートだ。デルタを突き飛ばし、小手のついた腕で黒装束の男の剣を受け止める。小手の上を滑るように剣が当たり、ポートの腕にもうっすらと傷ができる。痛みに顔をしかめるポートを見て、ようやくデルタは我に返った。
「……どういうことだ。アイザック」
デルタははじかれた剣を素早く拾い上げた。周りの黒装束に目をやりながらも、アイザックを睨む。彼はラックを切りつけた後、薄笑いを浮かべながらソープの喉元に剣を食い込ませていた。悲鳴さえも出せず手足と表情でその苦しみを訴えるソープの姿に、腹の方から何かがこみ上げてくる。
剣士を職業としてもう随分になる。しかし魔物にやられることはあっても、仲間が同じ人間にここまで残虐にやられていくさまを見るのは初めてだった。
金属臭い血の匂いが辺りに充満し、ピクピクと痙攣するラックや、言葉もなく倒れこむソープの命が、あと少ししかないことは明白だった。
憤りと残虐な光景への嫌悪感で胃がぐるぐるする。それでも、悠長に倒れている暇は無い。隙を見ては切りつけてくる黒装束の男たちになんとかポートと二人で応戦するのが精一杯だ。