手紙
穏やかな日差しが降り注ぐ休日のお昼。デルタは、コトコトと音をたてる鍋の横でほほ笑みながら手紙を読んでいた。野菜の煮えたいい匂いが鼻をくすぐる。妻を亡くしてから始めた料理はもうすっかり板についていた。
「何をニヤニヤしておる」
そんな言葉と共に家に入ってきたのは、デルタにとっては義理の父にあたるバジルだ。デルタは、軽く手紙を持ち上げてバジルに見せた。
「お義父さん、ディアナから手紙ですよ」
「……ディアナから?」
基本の表情が仏頂面のバジルが少し口元を緩ませる。それだけで、デルタには義父が喜んでいることが分かった。
デルタの娘であるディアナが、国の英雄ブレイド=ウェルドックと結婚して旅に出たのは一ヶ月前の事だ。
今まで、自分が仕事で留守をすることは多々あったし、その時には手紙を書こうなんてことは露ほども思わなかったが、いざ娘が旅をするとなると安否が気になって仕方ない。この一ヶ月間は家を留守にするような仕事は請け負わず、昼間は道場で若手剣士の訓練に勤しみ、夕方になるとすぐさま家に帰っては郵便受けを確認するという日々を続けていた。連絡の付かない苛立ちは自然と表に出ているらしく、剣士たちからは『デルタさん、何かあったんですか?』と恐れられる始末だ。
そして今日、ようやく届いた手紙にデルタは心底安心したのだ。
「ふん。……元気にやってるのか」
「まあ、あの子の事ですからね。好きなようにやるでしょう」
「そうだな」
「でも、まさか十八歳で嫁に出すとは思いませんでしたよ」
寂しそうに呟いたデルタをみて、バジルは意地の悪く笑うと鼻を鳴らした。
「お前に人の事は言えないだろう。お前がリリアをもらいに来たのはあの子が二十歳の時だ。二年なんて大した違いじゃない」
「違いますよ、二年は大きい」
「親にしてみれば一緒だ。ふん、あの時のわしの気持ちが今頃分かっただろう」
バジルはガサガサと大きな音を立てて新聞を開いた。珍しく本音で話してくる義父に、デルタは思わず苦笑する。
出会った時、デルタは二十四歳の中堅剣士でリリアは十九歳の宮廷付き新人治療師だった。その瞬間から感じていた強烈な引力、話せば話すほどに惹きつけられる彼女の話術、生き生きとした心躍らせるような表情を、デルタは今でも昨日のように思い返せる。
「気がつけば、もう二十年以上前に話になるんですね」
「なんじゃ、急にしんみりしおって」
激を飛ばすようなバジルの声に、笑みを返しながらビーフシチューを皿に盛り、バジルの目の前に置く。バジルは新聞から一瞬目を離し、鼻をひくつかせる。口元が一瞬緩んだのを見てデルタはしてやったりという気持ちになった。
「今日のはいい出来です」
「いつの間にかお前の方が我が家の味を出せるようになったな」
ビーフシチューはリリアの母親、すなわちバジルの妻の得意料理だったのだという。早くに亡くなったという彼女に、デルタは会ったことが無い。けれどもきっと素敵な女性だったのだろうと思える。多くを口には出さないが、バジルの態度の端々にはいつも妻を想う気持ちが見て取れたからだ。
「お義父さんはあの頃から変わりませんね」
「ふん、お前だって対して変わりゃせん」
「ディアナはリリアにそっくりになってきたと思いませんか」
「ディアナはディアナだ。その証拠にブレイドとお前は似ておらん。選ぶ男が違う」
「……それはどういう意味ですか」
苦笑しつつ二人は食事を始めた。最近では定番となった男二人だけでの食事も、今日は少しだけ賑やかだ。
「思い出話でもしますか?」
「お前のノロケか。そうだな、たまにはいい。聞こうか」
「あの日もこんな、天気のいい日だったんですよ……」
目を閉じて、デルタは遠いあの日を想った。
初めて出会った時から強烈な印象を繰り出したリリアの強いまなざし。彼女との日々はどれも特別で、何一つ忘れることなどできない大切な思い出だった。