2.
「皆川くん、今日は楽しそうね」
「そうですか?」
チカさんはカウンターで残り少ないカシスソーダの氷を口に付け笑顔を向けた。
「ねえ、仕事終わったら2人で飲みに行かない?」
「チカさんに誘われるなんて光栄です。でも今日はごめんなさい」
頬の肉と口角上げて笑顔作って、でも目はまっすぐに向けて誠意を伝えればきっと分かってくれる。
「残念ねえ、こんないい女そうそういないわよ」
「おかわりは何を?」
「ダイキリ」
出勤前に絵理さんとゆっくり話す時間もなく、明日は休みって言う絵里さんにじゃあ今夜はって聞いてみた。
ーー連絡待ってます。
パウダーシュガーをライムに溶かしバカルディーを45ml、ジガーでシェーカーにきっちり注ぎ氷を詰めてシェーキング。ゆっくり加速してゆく軽快なステンレス音に、指から伝わるシェーカーの温度に、想像するダイキリの味は格別なはず。
「おいしい」
チカさんの頬はうっすら赤く染まっているだろうけど、カウンターを照らすダウンライトの角度は絶妙で、薄いピンクのマニュキュアだけをさも鮮やかに引き立てる。
「皆川、昨日は済まなかったな」店長がいつの間にか横にいた。「宮下のとこで飲んだモルトがキツくてちょっと言い過ぎた」
大丈夫ですよ気にしてません、そう笑顔で答えた。当然ウソに決まってる。
「今度お詫びするから期待してろよ」
横目で笑う店長に、伝家の宝刀たるSMが頭をよぎる。
「オーダー入ります。ジントニック2、ホワイトレディー1、スカイダイビング1、テキーラサンライズ1、ガルフストリーム1です」
「かしこまりました」
使うシェーカーは3つ。ストレナーを奥にボディーを手前に並べると、バックバーからはリキュールを冷蔵庫からはスピリッツを取り出してカウンターに並べる。
「皆川くん、エッチ上手でしょ」
正面のチカさんのセリフに手が止まって笑ってしまう。
「なんですか急に」
「なんとなくね」
「おかわりどうしますか?」
「XYZ」
並べるシェーカーは4つになった。適度な忙しさは心地よく、手と指の動きからムダを省く作用に何人かの視線を感じた。ちょっとだけバースプーンをいつも以上に回してみる。手のひらへの収まりはちょうど良く、繰り出すシェーカーの音も気持ちいい。
久しぶりの満席。正確に言えば2人掛けのカウンターにチカさんが1人でいるから1つは空いている。だからってそのまま。
笑顔と談笑と笑い声と、店長が選んだ曲と高橋が作った料理と、大小のグラスに満たされたカクテルやお酒はテーブルをカラフルに染め上げ、華やかな夜の街に彩りと居心地のいい空間を醸し出す。
「オーダーです。グレンフィディック•シングルロック1、シンガポールスリング1です」
「かしこまりました」
大塚の声のトーン、入店して半年して少しは分かってきたらしい。バーで大事なのは雰囲気、その雰囲気は全てお客様のため、声すらじゃましてはいけない。
「皆川くん」チカさんの呂律に酔いを感じた。こんなに酔ってるチカさんは始めてだ。「昨日一緒に来た男性、覚えてる?」
「ええ、覚えてますよ」
「うちの店の店長。ヤクザなんだ」
その言葉の裏にある意味に、気付けって方が無理だと思う。「そんな風には見えませんでした」確かそう言った。
「いろいろ大変なのよね。あ、おかわり」
「何がいいですか?」
「強くて甘酸っぱいやつ」
頭の中で考えるカクテルはオリジナルで、今のオーダーが終わった頃にはスローベリーとカシスのカクテルを提供し、きっとチカさんは今は笑顔になってくれるはず。
ブルーラグーンの片付けを終え、早足で歌舞伎町から新宿駅へと足を進める。恒例のお疲れの1杯をガマンして「先に失礼します」って言ったら店長に女かって……笑ってごまかした。